第二話:必殺? ゴブリンキック!

王都を駆けるミッドナイトシャドー


 幻暦九七一年。八月。

 日がすっかり沈んでも空気は生温く、月明かりもどこか不安をかき立てる。

 怪談話の舞台にでもなりそうな、暗闇に包まれた夜の王都。

 その月下を駆ける影が一つ。

 赤いマフラーを風になびかせ、異形の兜に赤い眼を輝かせる――鬼面の騎士。

 彼は今まさに、


「逃がすな! 追えー!」

「今日こそは捕まえてやるぞ! この不審者が!」

「観念しやがれ! 《鬼面騎士ゴブリンナイト》!」

「…………」


 不審人物として警備隊に追われている真っ最中であった。





 王都の治安を守る警備隊は、隊員のいずれもレベルⅤ以上の戦闘スキルを有する腕利きだ。十段階のうち五と聞けば微妙な位置に聞こえるかもしれないが、アンダーヘイムではレベル間の隔たりが非常に大きい。

 特にⅢとⅣ、ⅥとⅦ、ⅨとⅩの間には、才能なき者では決して越えられない壁があるとされ、『三の倍数の壁』などと呼ばれている。

 つまり凡人であれば一生をかけてもレベルⅥで限界に達し、人並みの才能もなければ生涯レベルⅢ止まり。英雄とまで称された強者でもレベルⅩの頂点に到達できた者は、歴史上に両手の指で足りる数しかいない。異世界召喚された地球人が手にするEXスキルが、如何に規格外で反則技のチートであるかが窺い知れるというもの。


 結論をまとめると、戦闘スキルがレベルⅤ以上で統一された警備隊の戦闘力は、十分に高い水準にあると言えるわけだ。

 実際その太刀筋は鋭く、正装の騎士鎧には擬似術式による軽量化が施されているため、見た目に似合わぬ機敏な動きで無法者を追い詰めるのが常。

 しかし今晩の彼らの相手……ゴブリンナイトは、色々な意味で勝手が違いすぎた。


「待てー! いや待てって! 待ってくださ……ぜえぜえ」


【脚力強化】【敏捷上昇】【加速疾走】等の移動強化系スキルを重ねがけしても、引き離されないだけで精一杯。


「かかったな! これで逃げ場は……か、壁を踏み台にぃぃ!?」


 先回りして狭い路地で挟み撃ちにすれば、壁と壁の間を蹴って頭上を通過。


「追い詰めたぞ! ここなら壁も利用できな……なんだその跳躍力!?」


 壁のない場所で包囲しても、ジャンプ一つで軽々と屋根をも飛び越えてしまう。

 ならばと足を止めるべく、とうに解禁許可が下った《戦技》を使用する。

《戦技》は主に戦闘スキルを身につけることで使える、いわゆる必殺技だ。

 魔法はもちろんのこと、剣術でも地球ならありえないような挙動から、岩や鉄も切断・粉砕する強力無比の一撃が放てる。凶悪な魔物と戦う最大の武器であり、本来なら不審人物といえど人間相手に使っていい技ではない。

 しかし、


「【ソニックピアーズ】!」

「【鎧砕き】!」

「【流槍乱舞】!」


 ベキン。ポキン。バキン。


「ぎゃああああ! また折れたああああ!」

「新品に買い直したばかりなのにいいいい!」

「今月の給金がさらに差っ引かれレレレレ」


 ご覧の有様だ。

 防御ですらない軽くかざしただけの手に、あるいは兜や革鎧に直撃しても、当てた武器の方が切ない音を立てて砕け散る。スキルなどによる特殊な強化がない鋼鉄なら容易く破壊できる攻撃が、ゴブリンナイトには全く通用しない。

 王都の平和を守る使命感と正義感で隊員たちは踏みとどまっているが、その目は着実に恐怖の色に染まりつつあった。

 そこへ、隊員たちの恐怖心を消し飛ばす一喝が轟いた。


「お前たちは退け! こいつは、私が相手をする!」


 隊員たちを飛び越え、鬼面騎士の前に躍り出るのは一人の女騎士。

 暗闇の中でも陰りを知らない、輝くような紫紺の髪。その下、褐色肌の顔に光る金色の瞳は、夜空の満月よりも眩い。

 そしてショートヘアの間から覗くのは……人間のそれと異なる、長く尖った耳。

 神秘的な美貌に目を奪われたのか。反応らしい反応も見せずに立ちつくすゴブリンナイトの視界を、剣閃の銀色が塗り潰す。


「【剣戟の舞曲・四重奏ソードダンス・カルテット】!」

「っ!?」


 両腕をクロスさせて防御の構えを取るゴブリンナイト。

 その全身を、激しい剣戟の舞が打ち据えた。

 まさに踊るようなステップから繰り出される猛攻。光の剣が三つ、空中に現れて女騎士の振るう剣に追随。合わせて四つの剣が紡ぐ斬撃は、連続する衝撃音で舞曲を奏でるかのごとく苛烈だ。


 隊員たちの攻撃には身じろぎもしなかったゴブリンナイトの体が、ジリジリと押されて後退。締めの一撃に大きく弾き飛ばされて、女騎士から大きく距離を取った。

 それを見て隊員たちが歓声を上げる。


「隊長!」

「セイレーン警備隊長!」

「流石は隊長だぜ!」

「今のは応えただろう、ゴブリンナイトめ!」


 ファム=セイレーン。

 紫髪金目の褐色肌美女である彼女は、ダークエルフ――アンダーヘイムに存在する人間以外のヒト族、俗に亜人と呼ばれる種族の一角だ。


 辺境の森で閉鎖的な暮らしをするエルフとは祖を同じくしつつ、エルフと違い外界や他種族と積極的に関わってきた流浪の民。かつては人間の奴隷として虐げられた時代もあり、奴隷制度が撤廃された現在でも差別や偏見の目は少なくない。


 そんな中で王都の警備隊長を任されていることは、そのまま彼女の実力と人望のほどを物語っている。事実、ファムが有する《騎士》系統スキルはレベルⅦ。凡人の壁を突き破った、準英雄級の強者なのだ。

 しかしその美麗の女騎士は、剣を握り直しながら苦々しい声音で呟く。


「……やはり効かないか」


 あれだけの斬撃をまともに喰らいながら、ゴブリンナイトは無傷だった。

 これには隊員たちの顔が青ざめる。避けるなり捌くなりしたならまだしも……それでも十分驚愕だが……直撃して無傷など尋常ではない。これはレベル差から生じる特有の、努力では埋められない理不尽な隔たりを想起させるものだった。

 つまりゴブリンナイトはファムと同等どころか、その上。少なくともレベルⅧ以上の防御系スキルを所持する、英雄級の存在ということになる。


「前に私の剣を受けたときも、貴様はロクな抵抗を見せずに逃走した。しかし、貴様には明らかな余裕があった。その気になれば我々を潰すことなど造作もない、という余裕がな」


 隊員たちがゴクリと唾を呑み、場の緊張感がキシキシと張り詰めていった。

 ゴブリンナイトの表情は兜に隠されて窺い知れない。しかし異形の姿をし、精鋭で知られる警備隊に取り囲まれていながら、その佇まいは一本芯の通った堂々たるものだった。恐れることも恥じることも何一つないと言わんばかりの、毅然とした立ち姿だ。

 それが却って不気味に感じられ、知らず隊員たちの足が一歩後退する。

 隊長であるファムだけが凛とした瞳に戦意の火を絶やさず、一歩前へと踏み出した。


「一体なにが目的かは知らないが……それだけの力を持ち、素性も明かす気がないとなれば、王都の治安を守る身として看過しかねる。まずはその奇怪な仮面の下の素顔を拝ませてもらおうか。――【オーラブレード】!」


 刀身に沿って光の刃が形成され、重量はそのままに刃渡りの伸びた長剣を構える。

 既にファムの間合いに入っていることを悟ってか、ゴブリンナイトも身構えた。

 石畳を蹴り、隊員たちの目には追えない速度でファムが駆ける。光刃の軌跡が暗闇に線を描いて、弾けた。グローブで難なく防いだゴブリンナイトと、防がれても怯まないファムの顔が照らし出される。

 閃く光刃がいくつもの軌跡を描いて踊り、咲き乱れるように火花が散った。

 ファムの剣速は素でも戦技のそれに劣らない。スキルに、レベルに、上っ面だけの力に酔った無法者を何人も、己が剣の技量だけで地に這いつくばらせてきた。


 しかし、そんなファムの剣がゴブリンナイトには届かない。

 否、届いてはいるはずなのだ。ガードする両腕以外の鎧や兜からも時折、光刃を受けての火花が咲く。それでも、ダメージが蓄積している様子さえ感じられない。反撃もせず防戦一方にも見えるのに、薄気味悪い悪寒が隊員たちの背中にへばりついて離れなかった。


 ――いつまでボケッと立ちつくしている。それでも警備隊の一員か!

 誰に言われるでもなく忘我から立ち直り、傍観していた己に隊員たちは喝を入れる。


「ど、どうします?」

「下手にあの攻防に加わっても逆に邪魔になる……。近接組はゴブリンナイトが逃げられないよう退路を塞げ! 魔法組、その他遠距離攻撃持ちは隊長を援護だ! 間違っても隊長に当てるなよ! かすりでもさせた馬鹿は最低三ヶ月は給料ヌキだからな!」

「「「了解!」」」


 副隊長の指示に従い、隊員たちは各自配置についた。

 魔法や遠距離攻撃系の戦技を持つ者は体内で術式を起動し、いつでも援護攻撃を放てるよう備える。それから幾度目かの攻防を経て、チャンスは来た。

 ファムが強撃を打つべく一旦足を退き、合わせてゴブリンナイトが後ろに跳躍。

 両者の距離が大きく離れたタイミングで、


「っ! 馬鹿、待て――!」


「【アイス・バレット】!」

「【スラッシュウェーブ】!」

「【ロックジャベリン】!」

「【アロースプラッシュ】!」


 ファムがなにか警告の言葉を発するも、遅かった。


 氷の礫が弾丸のごとく撃ち出される。

 斬撃が剣から三日月状の刃となって放たれ空を裂く。

 岩石より切り出された武骨な槍が唸りを上げる。

 頭上へ放たれた矢が分裂し雨あられと降り注ぐ。


 逃げ場など与えない飽和攻撃がゴブリンナイトを襲った。

 が、やはり通じない。

 降り注ぐ矢は革鎧に僅かも刺さることなくへし折れた。唸る岩槍は手刀一つで粉々に砕かれた。空を裂いて飛ぶ斬撃は五指で掴まれガラス細工のように壊された。氷の弾丸は直撃するも脆い雪玉のように爆ぜるか、弾かれるだけに終わった。


 それでも足止めくらいの役目は果たせたはず。

 しかし、ファムが警告を発した理由は別にあった。


 問題はゴブリンナイトに弾かれた氷弾、そのうちの一つの行先だ。

 絶妙な角度でグローブに弾かれた氷塊は、勢いをほとんど減じないまま軌道を変え、二階建て民家の屋根に着弾。煉瓦の屋根瓦が砕け、小さくない衝撃に民家が揺れる。


「きゃあ!?」


 それに、二階の窓から騒ぎの様子を窺っていた女性が悲鳴を上げた。

 ここは民家が密集する住宅区の裏路地。下手な遠距離攻撃をしては、どこに流れ弾の被害が及ぶかわからないのだ。

 さらに悪いことは重なる。

 着弾による揺れと、女性が驚いて身じろぎした拍子に、窓辺に飾られていた三つの植木鉢が転げ落ちてしまう。


 そして植木鉢の落下先には――同じように何事かと一階の窓から顔を出す、女性の妹と思しき少女が! しかも氷弾の音で今しがた騒ぎに気づいたのか、上から落ちてくる植木鉢には気づいていない!


「いけない!」

「……っ!」


 二人の眼が同時にその光景を捉え、二人の足が同時に石畳を蹴り、二人の影が同時に風となって疾駆する。

 突然の風に少女が目を閉じ、そして開いた目が皿のように大きく真ん丸になった。 


「…………」

「…………」


 そこには顔が触れ合いそうな至近距離で見つめ合う、鬼面の騎士と美麗の女騎士。

 それぞれ一方の手には、二階から落ちた植木鉢を一つずつキャッチしている。そしてもう一方の手が、互いに重なり合って三つ目の植木鉢を受け止めていた。


 つい先程まで剣と拳を交えていたとは思えない息の合いようだ。ファムとの付き合いがそれなりに長い警備隊の古株でも、こうはいくまい。反射的に、かつ全くの同時に二人を動かしたのが、共通する強い意志・信念でなければ説明がつかなかった。

 それを見定めようとするように、ファムはゴブリンナイトの宝石にも似た赤い眼を覗き込む。鬼面は黙してなにも語らないが、少なくとも悪意は感じられなかった。


「「……………………」」

「えっと、ありが、とう?」


 無言で見つめ合う二人の沈黙に耐えかねたか、少女が混乱しながらも礼を述べる。

 まずゴブリンナイトが少女に頷きを返し、次いで上を向いた。それからファムを促すように顎をしゃくる。その意図を悟ったファムは慌てて少女に頷いて見せた後、ゴブリンナイトと一緒に屋根の上へ跳躍した。

 軽い身のこなしで二階の窓枠前に飛び乗った二人は、女性に植木鉢を差し出す。幸いなことに、植木鉢に咲いた小さくも可愛らしい花は三つとも無事だ。

 女性はおっかなびっくり植木鉢を受け取る。


「あ、ありがとうござい、ます?」

「すまない。もっと周りに気を配って攻撃を受けるべきだった」

「いや。今のはこんな場所で遠距離攻撃を部下に許した、私の落ち度だ」

「いやいや。貴女たちは警備隊の職務を果たそうとしただけで」

「いやいやいや。だからこそ――」


 イヤイヤイヤイヤ、と互いに責任の在処を譲らないゴブリンナイトとファム。

 そんな光景を目の前で展開されても、女性は反応に困ってしまう。なんとも言えない女性の表情と視線に気づき、二人は無言で地上に降り立つ。


「あー……」

「うーむ……」


 しかしさあるか、という空気にはなれず、どうにも気まずい感じで頬を掻く。

 特にファムは、これまで無言を貫いていたゴブリンナイトがあっさり喋ったことに内心とても驚いていた。実は新種の魔物ではないかと疑ってさえいたので尚更に。


 加えてゴブリンナイトの声が、極々普通に男のそれだったのも意外だ。

 壮年にしては若々しく、少年や青年にしては重みと深みがある。兜越しでややくぐもっていることを差し引いても、年齢が読み難い不可思議な声音。無法者にありがちの威圧的な荒々しさはなく、静かな中に力強さを秘めていた。

 その奇怪な鬼面の下に、実は物語の英雄らしい精悍な顔立ちが隠されているのではないか――そんな考えが浮かんでしまうほどに、不審極まりない外見とのギャップが凄い。

 ますますやり難さを覚え、ファムは一度納めた剣を抜くべきか迷う。


「なにやってんですか隊長!」

「そいつ敵! 王都を騒がす、俺たち警備隊の敵ですから!」

「そんなヘンテコ兜野郎、さっさとやっつけちゃいましょうよ!」


 チラチラ視線を合わせては離す二人の間に、色々な意味で危険な空気を感じたか。

 躍起になって叫ぶ隊員たちにせっつかれ、ファムはいよいよ困り果てる。

 するとゴブリンナイトが足元から小石を拾い、こう提案してきた。


「そうだな。この石が地面に落ちたら仕切り直し、ということでどうだ?」

「……くっ、ふふ。いいだろう」


 その遠慮がちな口ぶりに、ファムは思わず笑みを零す。

 ゴブリンナイトの指から小石が弾かれ、宙を舞った。

 ファムは口元に微笑を残したまま、柄に手をかけ抜刀の構えを取る。

 ゴブリンナイトも腰は低く、両手を地面につけた。飛びかかる寸前の肉食獣を彷彿させる、一気に走り出すためのものとわかる前傾姿勢だ。

 小石が放物線を描いて落下し――カツン。


「【居合い一閃】!」


 石畳に弾かれる音と同時、ファムは迎撃型戦技で高速の居合い斬りを放つ。

 こちらに全力で突進してきたゴブリンナイトを、間合いに入った刹那、半円を描く剣閃が両断する。


 ……はずだったのだが。


 渾身の居合いは虚しく空を斬る。

 なぜならゴブリンナイトが踏み出した一歩目で百八十度反転し、ファムに背中を向けて走り出したからだ。


「なっ――!?」

「悪いな! そちらに俺を捕まえる理由があっても、俺には貴女たちと戦う理由がないんでな!」


 呆気に取られている間に、ゴブリンナイトは屋根から屋根へ跳んで遠のいていく。

 完全にしてやられた。間合いの中にいれば逃げようとしても、動きの出だしを剣速で封じられた。しかし間合いの外に逃げられてはファムの足でも追いつけない。


 これには隊員たちも追いかけるのを忘れて呆然。

 我に返ったときには、ゴブリンナイトの背中は豆粒ほどに小さくなっており。

 剣を空振りさせた姿勢のまま固まっているファムに、隊員たちはなんと声をかければいいのかわからない。ヒュウウ、と夏なのに寒々しい風が流れていった。


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