変身!


 一年C組が異世界召喚されてから、四ヶ月。

 窓も扉もなく、頼りない灯りがあるだけの薄暗い部屋に佇む影が一つ。

 胸当てなど最低限の箇所を金属プレートで覆った黒い革鎧。首に巻かれた赤いマフラー。まだマフラーを巻くには早い季節だということ、武器らしい武器が見当たらないことを除けば、ダンジョンでも王都でもありふれた冒険者の格好だ。

 しかし、明らかに異質な点が二つ。


 一つは腰に巻かれたベルト。正確にはそのバックル部分。単なる留め金にしてはやけに大きい楕円型のそれには、如何なる機構か短剣が差し込まれている。上下にパーツが分かれた中央部分にはゴブリンと思しきマークが刻まれており、短剣の刀身に嵌まった宝玉を丁度ゴブリンマークが咥える構図になっていた。


 そしてもう一つであり最大の異質は、頭部全体を覆い隠す鉄兜。

 二本の鋭い角を生やし、昆虫の複眼を彷彿させる結晶の眼アイレンズが輝き、口部には牙の意匠が刻み込まれた、異形の兜。目が赤く、兜全体が深緑色で、バックルのマークも相まってまるでゴブリンだ。


 アンダーヘイム中の御伽話と英雄譚をひっくり返しても、人にも魔物にもこれに該当するモノはいない。魔物のような禍々しさも荒々しさもない、どこか寂しげにさえ映る静かな佇まいは、ただ奇怪で異質で異物であるが故に、見る者に恐怖を与えるだろう。

 敢えて名付けるならば――鬼面の騎士、といったところか。


「ギギギ」

「キキキ」

「ジジジ」


 いつの間に現れたのか、鬼面の騎士をいくつもの影が取り囲んでいる。

 それは人形だった。しかしただの人形ではない。鉄の操り人形だ。

 牙も爪もない全身ツルリとしたマリオネットだが、中身まで詰まった金属の塊である体はそれ自体が凶器。重量も相当なはずだが、身のこなしはぎこちなくも軽やかだ。中には剣や弓で武装した人形までいる。

 後、なぜか全身に骸骨のペイントが施されていた。その意図は不明。


「…………」


 数と質、どちらから見ても絶望的な状況のはず。しかし鬼面の騎士には動揺の気配も感じられない。

 アイレンズ越しの眼差しを人形たちに巡らせ、両足を肩幅の広さに開いた。

 兜と同じ深緑色のブーツが石造りの床に擦れ、ジリッと音を鳴らす。


「ギギィィ!」

「キキィィ!」

「ジジィィ!」


 それが開幕の合図となり、人形たちが一斉に鬼面の騎士へ飛びかかった。

 騎士はたじろぎもせず、まず一番手近の人形に向けて拳を繰り出す。対して人形も合わせるように手を伸ばした。

 形と質量を同程度と仮定するなら、人体と鉄の塊が正面衝突した場合の結果は明白。


 ――しかし、砕けたのは鉄の方だった。

 こちらも兜と同じ深緑色のグローブに覆われた騎士の拳が、まず人形の拳を粉砕。鉄製の棍棒に等しい腕も砕きながら突き進み、人形の髑髏が描かれた顔に着弾する。そのまま微塵も勢いを衰えさせずに突き抜け、人形の頭が柔い果実のように弾けた。


 これが人間だったなら、残る者たちは即座に悲鳴を上げて逃げ出し、この一撃だけで戦いに決着がついただろう。

 だが鬼面の騎士が相手にしているのは、流す血も恐れる心も持たない人形。

 崩れ落ちる同胞の残骸を無感情に踏み越えながら、二体目が騎士に襲いかかる。

 二体目の手には片刃の剣。さらに、


戦技アーツ発動。【強刃斬ハードスラッシュ】」


 人形が機械的な音声を発したのと同時、剣が赤色の光を纏う。

 加えて人形の動きがそれまでの人形らしいぎこちなさから一転、滑らかな体捌きで斬撃を繰り出した。一流と呼ぶには程遠い動きながら、鉄の塊である人形の重量を上乗せした一太刀は、人体を真っ二つにするには十分な威力だ……が。


 パキン。

 そんな切ない音を立てて、斬撃は剣ごとあっけなく折れた。

 鬼面の騎士がただ無造作にかざしただけの、掌底ですらないただの平手を前に。

 逆に騎士の横薙ぎに振るった手刀で、人形の胴体が腕ごとまとめて両断される。

 怯むことなく次々と人形たちが殺到するも、結果は同じだ。


「トオ!」

「ギッ」


 騎士のパンチが人形を打ち砕く。


「トオ!」

「キッ」


 騎士のチョップが人形を斬り裂く。


「トオオ!」

「ジッ」


 騎士のキックが人形たちを数体まとめて粉砕する。

 鬼面の騎士が腕を、足を振り回す度に、人形たちが屍と化して残骸を散らした。

 武器を持っていないのも当然。騎士の五体そのものが、全身鉄の塊である人形たち以上の凶器なのだ。

 超人というより怪物じみた、吹き荒れる嵐のごとき暴れよう。

 だが、騎士も決して万能ではないようだ。


「――ととっ」


 回し蹴りで人形三体を薙ぎ払った際、勢い余ったように騎士がよろめいた。

 体勢の崩れた隙に、人形がタックル気味に騎士の体に組みつく。

 一本足で立っている状態にも関わらず、騎士は押し倒されるどころかこゆるぎもしなかった。しかし続いて二体、三体と次々人形が飛びつき、あっという間に騎士の姿が見えなくなってしまう。傍から見れば団子のような有様だ。

 絵面は滑稽だが、鉄の人形にこうも圧迫されては窒息の前に潰される。

 ――尤も、それは相手が「普通の人間」であればの話だ。


「ヌ、ウウウウ!」


 風が、吹き荒れた。

 比喩ではなく、窓一つない室内に疾風が渦を巻く。人形たちが布キレのように飛ばされ、壁や天井に激突。関節部からバラバラに壊れて床に転がった。

 これで室内にいた人形は全滅。残骸の海に立つのは騎士一人。

 痛いほどの静寂を、なにかの起動音が遮った。


 壁の一部に線が走り、扉が開く。そこからメインディッシュとばかりに現れたのは、これまでとは一目で別物とわかる人形だ。

 体形が一回り膨らみ、大の男ほどある他は造形に大きな変わりはない。しかしその人形は両腕と別に、背中から四本もの腕が生えていた。顔部分にはこれまでの髑髏ではなく、蜘蛛のペイント。どうやら元の手足と合わせて、蜘蛛の八本足を表しているらしい。


「ギギギギギギ!」


 鬼面の騎士とはまた似て非なる異形が叫ぶ。

 体躯が大きくなった分だけ重量も質量も増し、計六本の腕はそれぞれ二本ずつの剣・斧・槍で武装している。

 その意味するところは、単純に攻撃の手数が増えただけに留まらない。


「【強刃斬】【二連鎖斬チェインスラッシュ】【パワークラッシュ】【木こり断ち】【乱れ突き】【サークルムーン】発動」


 六つの武器が光を帯び、超常の技が複数同時に発揮される。

 序列では下位に属する技といえど、六つ同時に放てば侮れない威力となるだろう。

 これには鬼面の騎士も流石に……。


「――よし。大体慣れた」


 全く動じていなかった。

 それどころか、先程までの暴れようが準備運動に過ぎなかったとでもいうかのように、手首や足首を軽く回している。

 そしておもむろに手を伸ばした先は、ベルトのバックルに刺さった短剣の柄。

 バックル右側から突き出た柄を握ると、抜くのではなく回した。

 バックルが上下にガチャンと開き、丁度ゴブリンマークが宝玉に噛みつく形で、再び閉じられる。


『《グレムリン》パワー』『ファースト=アタック』


 人形たちのどこまでも無機質なそれに比べ、秘めた力と意志を感じる音声。

 バックル中央の宝玉が眩く輝き、光の線が描く魔法陣の紋様は――風車。

 風車の魔法陣が回転し、騎士の全身を風が包んだ。

 徐々に勢いを増す風がそよ風から疾風に変じた、瞬間。


「ギッ!」


 蜘蛛人形に思考する脳があったとしても、なにが起きたか理解できなかっただろう。

 六本の腕が全て千切れ、蜘蛛人形の体は錐揉み回転しながら宙を舞っていた。

 吹き荒んだ疾風に跳ね飛ばされ、引き裂かれたとしか常人の目では捉えられない。

 疾風を巻き起こした主……鬼面の騎士は最初にいた位置から蜘蛛人形を通っての対角線上、天井近くの壁に着地していた。

 亀裂が走った壁を踏み砕き、さらに跳躍。


「らい……まい……いやひっさ……き、キィィィィック!」


 かけ声はともかく、放たれた一撃は流星のごとし。

 疾風を穿つ急降下キックが、蜘蛛人形の体を貫いた。胴体の中心が消し飛び、蜘蛛人形は二つに千切れて完全破壊される。

 鬼面の騎士は床に片膝を突いて着地し、


「フ…………決まっ――あだ!?」


 蜘蛛人形の上半身の残骸が頭に直撃。なんとも間の抜けた声を洩らした。





「あーあー、締まらないわね。最後のキックも技名が決まらなくてグダグダだったし」

「キヒヒッ。オチとしてはなかなかグッドだったのデスよ」

 壁の一部が開き、入ってきたのは呆れ顔の立夏と遠慮なしに笑うローザだ。

「ぬぐぐ……。いいんだよ、今回はあくまでスーツの試運転だから。ヒーローのデビュー戦としては断じてノーカンだから」


 ぼやきながら鬼面の兜に手をやる。

 すると口部の下顎に当たる部分が、縦から二つに割れて兜の内側に収納。

 兜を頭から外して鬼面の騎士――浩介はゆっくりと深呼吸した。


「それよりもローザ、戦闘データの方はどうだったんだ?」

「正直なところ、予測を遥かに上回る数値に驚愕デスよ。組み込んだスキルはスーツも人形兵も同じレベルⅢなのに、アビリティとかけ合わせることでこれほど圧倒的な差が出るなんて……。この《半自動人形兵トゥルーパ》は簡単な命令に従うだけの操り人形とはいえ、同レベルの冒険者では一体に十人がかりでも敵わない戦闘力があるのデスが」

「確かに、怖いくらいの力だったよ。金属の塊を砕いたっていうのに、角砂糖みたいに全く手応えがなかった。これが人間相手だったらと思うと、ゾッとするな」

「《戦技アーツ》を使うまでもなかったくらいデスからね。これは、段階的なリミッターを設ける必要があるデスよ」


 異世界召喚されてよりずっと、ローザと共同開発していたヒーローへの変身システム。

 その最終試験をかねた彼女が操る人形兵との戦闘は、大成功と言っていいだろう。

 思いがけず手に入れてしまった力の巨大さに、高揚と不安の両方が浩介の胸中に渦巻いている。立夏や他のクラスメイトも、EXスキルに目覚めたときはこんな気持ちだったのだろうか。

 特に厄介なのはこの、蜜のように甘美な仮初の万能感。これに流されるがまま調子に乗ると確実に痛い目を見る。変身ヒーローの悪役にもよくあるパターンだ。


「それにしても、とんでもない身のこなしだったのデスよ。【格闘】スキルを使っている様子もなかったデスが、あれもチキュー人特有の異世界召喚による恩恵なのデスか?」

「違うわよ。私と浩介は召喚されるより前……ローザよりも小さい頃から格闘技を学んでたの。正確には、私の特訓に浩介が付き合ってくれてたんだけど」

「ま、おかげさまで俺もヒーローショーのバイトで主役を任される程度の運動神経が身についたからな。特訓の分だけ俺のヒーロー趣味にも付き合ってもらってたし、ウィンウィンの関係ってヤツだ」


 もし異世界召喚されていなかったら、高校卒業後の進路はスーツアクターを目指すつもりだったくらいだ。一応アンダーヘイムにも舞台役者が存在するが、やはり浩介が望む変身ヒーローのような話はない。

 だからこそ、こうして「本物」を創り出してしまったわけだが。


「フムフム。チキュー用語は相変わらずよくわからないデスが……。なんにせよ、これでひとまず装置は完成デスね。リミッターや諸々の微調整が済めば、いつでも実戦投入可能デスよ。キヒヒッ」

「そうか……!」


 興奮を隠し切れずに武者震いする浩介に、しかし立夏が待ったをかける。


「で、無事に完成したのはおめでとう、なんだけどさ。浩介、あんたこれをどうするつもりなのよ? 京太たちに見せびらかすつもりなんて、サラサラないんでしょ?」

「そりゃあ、ヒーローは素顔を隠すのが基本だからな。んー……」


 腕を組んで考えて見る。

 立夏の言う通り、スーツの力で京太たちを見返そうなんて考えは全くなかった。

 というか、そもそも大した考えがあって作ったわけではないのだ。

 目的があって作ったのではなく、作ること自体が目的だったのだから。


「正直なところ、作りたいから作っただけで、作ってどうするかはサッパリ考えちゃいなかったんだが……ヒーローがやることといったら、やっぱ一つしかないだろ」

「と、いうと?」

「なんなんデスか?」


 立夏は予想がついているのか呆れ半分に微笑みながら、ローザは全くわからない様子で首をコテンと傾げながら問い返す。

 浩介は普段寝ぼけたような顔に、密かな決意を忍ばせて不敵な笑みを浮かべた。


「皆の『笑顔』と『明日』を守る――それが《ヒーロー》の務めってヤツだ」

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