ワン


 一年C組が異世界召喚されて、かれこれ三ヶ月。

 当初は不安や混乱があった生徒も異世界での生活に順応してきた今日この頃。

 日の光届かぬ地下にある特殊魔導研究室は、怪しげな緑の光に包まれていた。


 光の出処は浩介がEXスキルで展開した万能工作機。記号列のリングがいくつも周回する中心で、組み上げられた装置が眩い光を放っているのだ。

 やがて光が収まり、装置が机の上にゆっくり降ろされて、リングが消える。

 五秒、十秒と経っても爆発は怒らない。

 湧き上がる歓喜を抑え切れず、浩介は拳を天に突き上げて叫んだ。


「よっしゃああああ! 成功だああああ!」

「パターン二百七十四にして回路サーキットの接続安定を確認……ついに《スキル》と《アビリティ》の融合が完成したデスね。キヒヒッ」


 ローザの陰気な笑い声も、今は心なしか弾んでいるように聞こえる。

 上機嫌そうに頭を揺らしていたが、燃料切れを起こしたように顔を机に突っ伏した。


「ぬう。糖分が切れたデス……」

「お疲れさま。いや、本当にここまで苦労したよな。俺はただスキルを繰り返し使ってただけで、ローザの方がずっと大変だった気もするが」

「まあ、ローザの天才的頭脳の功績が一番大きいのは言うまでもないデスが……。コースケのEXスキルがなかったら、この短期間でこれだけの実験と試行錯誤を重ねることは不可能だったデスからね。発表の暁にはちゃんとコースケの名前も、研究協力者の枠で出してやるデスよ。咽び泣いて感謝するデス」

「ハイハイ、ありがとな」


 わざと恩着せがましい言い方をするローザに、しょうがないヤツだという顔で浩介は笑う。服装の趣味やら笑い方やら、「なにか企んでいそう」と誤解されがちだし、本人もあえてそう思われる言動をしているが、根は普通にいい子なのだ。

 この約三ヶ月間に渡る付き合いで、浩介はそれを知った。


「だけど、まずは最大の功労者であるローザをもっと労うべきです。ローザは今、地獄のように甘ったるい贄を欲しているデス。ただちに甘味を捧げるがよいデス」

「甘味と言われてもな。俺もローザと一緒に研究室で缶詰状態だったし……前に立夏が差し入れてくれた飴玉の残りくらいしかないぞ」

「もうこの際それで構わないデス。ほら早く、ローザの胃袋が糖分に飢えてるデスよー」


 顎を机に乗せたまま、あーと口を開いて待ちわびるローザ。

 お行儀の悪さに苦笑しつつ、三分の二ほど中身のなくなった瓶から飴玉を取り出す。

 包み紙を解いて、宝石のように透き通った粒をローザの大きく開けても小さな口へ放り込んでやった。

 途端にローザは表情を緩めて、口の中でコロコロと飴玉を転がす。

 天才だなんだと言っても、こうしていると歳相応の女の子だ。


 ……なんて思っていたら、バリバリと勢いよく飴玉を噛み砕き始めた。それも非常にイイ笑顔で。贄を無慈悲に噛み砕く悪魔の気分にでも浸っているのだろうか。あっという間にたいらげると再び口を開けて催促するので、二つ目を与えてやればまたバリバリ。

 呆れながら浩介も飴玉を一つ頂く。柑橘類と思われる、酸味の混じった甘さが口の中に広がった。噛み砕いたりはせずに舌で転がしながらゆっくり味わう。


「成功のお祝いするなら、立夏も呼ばなくちゃな。実験が上手くいったのは、立夏が協力してくれたおかげでもあるんだし」

「むう。リッカはあくまで臨時協力というかお手伝い的なアレなのデスが……そういえば手伝いのお駄賃を払っていなかったデスからね。しょうがないので同席させてやるデスよ。その代わり割り勘で、せいぜい高い料理店を選んでやるデスよ」

「高給取りの魔導学者様にあるまじきセコさだ……」

「浩介。ローザ。入るわよ?」


 噂をすればなんとやら。

 すっかりお馴染みとなったノックの音。形ばかりの確認で返事を待たずに扉が開き、やはりお馴染みの銀髪が顔を出す。


「よう、立夏。聞いてくれよ、ついに実験が成功……」

「リッカもつくづく暇デスね。暇なら暇で来るのがもう三分早ければ、歴史的瞬間の立会人になれたんデスがね。キヒ――ヒュ?」


 ただ、その下に浮かぶ立夏の表情は、馴染みのないモノだった。

 少なくともローザにとっては、思わず息を呑んでしまうくらいに。

 あらゆる感情を無機質な仮面の下に閉じ込めた、能面のような顔は、あまりに普段の強気な立夏とかけ離れていた。

 京太や実彦、他のクラスメイトであっても仰天していたことだろう。

 しかし浩介だけは、その表情をよく知っていた。


「悪い、ローザ。ちょっと席外してくれるか?」

「……りょーかいデス。どうせ今回の成功したデータを元に、コースケご要望の『スーツ』を設計しないといけないデスからね。デザイン案を三つくらいには絞って置くので、その間に辛気臭い話はちゃっちゃと片づけるんデスよ」


 口では面倒そうに言いつつも、後ろ髪を引かれるように立夏の様子を窺いながら、ローザは奥の部屋に引っ込んでくれた。

 無言で座るよう促せば、立夏は向かいの席に腰を下ろして浩介と向き合う。


「ごめん。せっかく喜んでたところに水差しちゃって」

「気にすんな。あくまで第一段階が成功したってだけで、《ヒーロー》の完成まではまだまだこれからだしな。……砂糖とミルクは?」

「三つ。ミルク多めで」


 ホルマリン漬けとごっちゃになっていたコーヒーの瓶を手に取り、ちゃちゃっと用意を整える。コーヒーと言っても豆から挽くような高尚な品ではなく、粉をお湯で溶かすだけのインスタントな代物だ。

 要望通りに角砂糖を三つ投入し、ミルクをコーヒーより多めの割合でカップに注ぐ。


「ホイ。火傷すんなよ」

「ん。ありがと」


 出来上がったミルクたっぷりカフェオレのカップを両手で受け取ると、立夏はチビチビと舐めるように味わった。

 浩介もコーヒー多めで苦めにしたカフェオレを一口飲んでから、切り出す。


「愚痴があるようなら聞くぞ」

「ううん、いいわ。大して面白い話でもないし。それより、ようやく成功したっていう実験の成果、聞かせなさいよ」

「そうか」


 能面は外れたものの、立夏の表情は強張っていてぎこちない。

 大方、一年C組で揉め事があったか、クラスメイトとの「温度差」に対する疲労が溜まっているのだろう。しかし本人がいいと言うので、浩介もそれ以上の深入りはしない。


 立夏がこういう顔になることは、中学校生活の間にも何度かあった。

 友達もロクにできずぼっちだった浩介だが、立夏は立夏で友達付き合いやらグループ内での身の振り方やらで、色々とあったのだろう。なにがあったか直接聞いたことはない。教室では目を合わせることさえしなかったし、互いの家で一緒に過ごす際は、学校の話をしないルールが暗黙の内に出来上がっていた。

 だからこういうときの立夏には余計な詮索をせず、こちらの話題で気を紛らわせてやる方が効果的なのだ。


「んじゃ、まずおさらい。俺とローザが開発中なのは、《霊器回路セフィロト・サーキット》の接続を通じてスキルとアビリティを融合。全く新しい力を生み出して装着者に与える強化スーツだ。こいつを身につけることで、戦闘スキルを持たない俺でも魔物と戦えるようになる」

「スキルは生まれ持ったモノから上位に派生や成長することはあっても、全く別系統のスキルが後から目覚めることは絶対にないって話だものね。才能の種類も限界も生まれた時点で決まってるなんて、あまり気分のいい話じゃないけど」


《霊器回路》とは人間や魔物を始め、アンダーヘイム全ての生命に宿るとされる、物理的実体のない霊的器官。スキルやアビリティを構成する情報体《術式》を記録し、また幻素をエネルギー源にそれらの異能を行使・制御する演算装置だ。

 アンダーヘイムではこの霊器回路に刻まれた術式を測定・解読することによって、その人が持つ才能や技能をゲームのように可視化できるのだ。ちなみに霊器回路や術式の存在を発見し、その測定技術を発明したのもブラッドパール家らしい。


 そしてローザは浩介たちと出会う以前から、「人工的な擬似術式と擬似回路によるスキルの再現」を研究していた。

 魔物やダンジョンから採取できる素材を利用し、本来使えないスキルを外付けで使用可能とする装置を開発しようとしたのだ。装置そのものは開発に成功したが、戦闘スキルは《レベル》の問題で実用に達していなかった。


 スキルやアビリティには十段階のレベルがあり、それは地球でいうところのローマ数字……つまりⅠからⅩで表示される。

 召喚された地球人のチート能力は、その規格を超えるが故に《EXスキル》なのだ。


 現在、擬似術式による戦闘スキルの再現はレベルⅢまでが限界。これはダンジョン攻略の上層も単独では危険なレベルで、とても製作のコストと見合わない。実用の域に達するには、なによりパワーが圧倒的に不足していた。


「それで、擬似術式のスキルだけじゃ足りないパワーを魔物のアビリティで補おう、っていうのが浩介のアイディアだったのよね?」

「ああ。最初は素材から抽出したマモノ幻素を元に擬似術式を構築したんだけど失敗。実験を繰り返すうち、素材から抽出できる分だけじゃ、アビリティを構成する術式に欠落が多すぎるとわかった」


 ダンジョンの魔物は、肉体の全てが幻素で構成されている。

 死亡した肉体は幻素に還って霧散し、ダンジョン内でまた魔物を生み出す元となる。この際に、牙や爪といった強い力を宿す部位は、幻素に還らず残ることがあるわけだ。しかしそうして回収できる一部だけでは、内包する術式に欠落が多く役に立たない。

 アビリティの術式を完全な状態で入手するには、倒された魔物の幻素を全て、それこそ霊器回路ごと採取する必要がある。

 そう判断した浩介とローザはそのための装置――見た目は無駄に禍々しい感じの注射器になった――を開発。魔物を倒して採取する役割を立夏に頼んだ次第だ。


「立夏のおかげで完全な状態のアビリティを入手することができた。で、そこで気づいたんだが、霊器回路ごと回収できたなら、擬似に置き換えずともそのまま利用すればいい。後はアビリティと同調するよう、スキル側を調節するだけだ。好きに人の手を加えられるのが擬似術式の利点だしな」


 術式や回路を模倣するのではなく直接抜き取るというやり方は、まさか人間相手に試すわけにもいかないため、スキルには不可能だった手法である。

 魔物の力を人間が使う……そんなこの世界の常識からすればクレイジーな発想に興味を示し、賛同するくらいにクレイジーなローザも、その辺りの人道には配慮できる良い子なのだ。魔物に対してはまあ、倒した後で抜き取っているから、残った素材を武器や道具に利用するのと同じでセーフだろう。多分。


「で、またさらに実験を繰り返した末に完成したのが――これだ」


 そう言って浩介は、先程の実験で出来上がった品を見せる。

 机の上に置かれたそれは、鞘に収められた短剣の形をしていた。

 しかし柄の装飾は儀式用と思わせるどこか玩具めいたものだ。中身が見えるよう鞘に設けられた各所の隙間から覗く刀身には、そもそも刃が付いていない。明らかに武器としての実用性が欠如していた。

 刀身には亀裂とも違う紋様のような溝が走っており、その中央で輝くのはエメラルドグリーンの宝玉だ。

 宝玉の透き通った光に魅せられたように、立夏は短剣を指先で小突く。


「綺麗……」

「名付けて《魔宝鍵剣まほうきけんスフィアダガー》ってところか。刀身の中央に嵌め込まれた宝石が、アビリティの術式と霊器回路を宿す《魔宝玉まほうぎょくスフィア》だ。刀身に刻み込まれた擬似回路には、スキルとの同調・融合を補助する機能がある。スキルの擬似術式と擬似回路は鞘の方に組み込まれてるぞ」

「やっぱりこれ、短剣と鞘よね? 浩介の好きなヒーローの変身アイテムといえばベルトじゃなかった?」

「こいつはあくまで試作機だからな。完成品はちゃんとベルトにするぞ。――当然っ、他のアビリティやスキルに切り替えての変身バリエーションも用意する」

「あ、やっぱりあるんだフォームチェンジ」

「まだスフィアはこの一種類しか成功してないから、今のところ未定だけどな。ま、今後にこうご期待ってところだ。……あー。それで、さ」


 卓上で拳の形に握られた立夏の手に、浩介は半分無意識で自分の手を伸ばすも、触れる数センチ手前で止まる。

 誤魔化すように五指で机を叩きながら、若干どもり気味に言葉を紡いだ。


「俺の《ヒーロー》は、ローザからすれば《クロスフォース》システムの本格的な実用化に向けて、必要なデータを集めるテストケースも兼ねててな。問題点や改善点を洗い出して、公の場で発表して世の中に普及されることが決まったら……そのときは残念ながらヒーローの変身アイテムじゃなくて、もっと普通の道具になってるだろうけど。とにかく、そしたら立夏にも一式用意してやるよ。……もちろん戦うためのものじゃなくて、お前の身を守ってくれるようなヤツをな」

「――うん。ありがと」


 くしゃり、と泣き笑いのような表情を浮かべて、立夏は浩介の手を握った。

 微かに震える立夏の冷たい手を、浩介は温度を分け与えるように握り返す。

 大の男も蹴り倒す格闘技の使い手だが、立夏は決して戦いや争いが好きな少女ではなかった。彼女が幼少より己を鍛えた理由は、ひとえに自衛のため。


 ハーフによる銀髪黒目の容姿が悪目立ちし、幼稚園の頃からいじめっ子たちを始め、立夏の周囲には性質の悪い輩が多く寄ってきた。

 その悪意を退けるために立夏は力を欲した。親には野蛮だと空手道場などに通わせてもらえなかった立夏は、近所の荒々しい雰囲気を持つ自称『拳法家』の女性に師事。しかし立夏が彼から学んだ格闘技は、健全な肉体と精神の育成を目的とするスポーツではない。手段を選ばず、急所を狙い、相手の破壊も厭わない武術。暴力を退けるための暴力だ。

 あくまで護身の手段。それでも拳を振るうことに立夏は嫌悪感を禁じ得ない。 


 だから魔物相手とはいえ、嬉々として力を振るう京太たちクラスメイトとの温度差に疲弊したのだろう。なまじ一年C組の中でも強力な戦闘スキルを持つせいで、クラスメイトから自身が疎む暴力を頼られることに負担を感じている。

 ボッチの浩介に、クラスメイトのことはどうにもできない。

 できることといえば、立夏が暴力に頼らずとも身を守れるようなアイテムを開発すること。後はせいぜい、こうして雑談の相手になって気を紛らわせることくらいだろう。


「悪いな。大して力になれなくて」


 つい卑屈な言葉を漏らす浩介に、立夏は首を横に振った。


「そんなことないわよ。浩介にはたくさん助けてもらってる。初めて会ったときからずっとずっと。今だって……」

「いや、俺、本当に大したこと、なんて」


 頬に朱が入った、穏やかな微笑みを向けられ、浩介は酷く戸惑ってしまう。

 特別な意味、特別な感情を期待してしまいそうで。勘違いをしてしまいそうで。


 小学校の頃のような、悪友じみた関係をそのままずっと続けられていたなら。変に勘ぐることも疑うことも、あるいはなかったかもしれない。

 しかし中学の三年間が、立夏との距離をあやふやにしてしまった。

 輪の中心にいる立夏と、輪の外側にいる自分。

 京太の言葉は正しい。自分は本当にたまたま運よく隣の家に生まれ、立夏と知り合っただけの人間だ。手も声も届かない教室での距離は、そう思い知るには十分に遠かった。


 それでも、立夏は週一で互いの家を通う習慣だけは止めなかった。

 一度も欠かさず浩介の家に足を運び、浩介が迷って出向かなければ迎えに来た。

 そして今も立夏は浩介の前で、浩介にしか見せない顔をする。


「ジー……」

「ローザ!?」

「ちょ!? あんた、いつから!?」

「スーツの件でコースケに確認が必要な部分があったんデスが……いやー、熱いデスねー。なんだか部屋が地下だというのにアッチッチなのデスねー。別に二人がイチャつこうがなにしようがご自由に、という話なんデスが、ローザの研究室でナニをおっ始めるのは流石に勘弁して欲しいのデスよ。自分の住まいか宿行ってどうぞデス」

「な、ナニとかなんの話してるのよ、あんたはああああ!?」

「待て待て立夏! その手に掴んだ装置は離せ! 投げちゃ駄目だから、それ一応精密機械だから立夏の腕力で全力投球はアカンから!」

「だ、抱きつくな馬鹿ぁぁぁぁ!」

「ぐへぁ!?」


 自惚れるほどの自信はなくて。勘違いと切り捨てるほど鈍感にもなれなくて。

 だけど夢見た《ヒーロー》を完成させて、ローザと作り上げた技術が世の中に認められて、胸を張って立夏の隣に立てるようになったなら。

 そのときは自惚れた期待をしてもいいだろうかなんて、浩介は思うのだ。


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