ツー


 一年C組が異世界召喚されてより、一ヶ月後。

 場所は王宮の地下。存在を知る者さえほとんどいない階段を下へ下へ降りた先。


「浩介? 入るわよー『ボカーン!』何事!?」


 扉を開けるなり轟いた爆発音に、立夏は慌てて部屋に飛び込んだ。

 高校の教室と同じくらいの広さ。ガラス製のビーカーやフラスコ、他にも用途のわからない道具や機材が多数。魔物のモノと思しき爪や牙、毛皮といった素材が机や棚に陳列している。鼻をかすめる薬品の匂いといい、雰囲気は中学校の化学実験室を思い出させた。

 しかしそこはファンタジー。魔法陣らしき紋様、捻じ曲がった角に眼窩が三つ空いた頭蓋骨など、部屋の薄暗さと相まってなんとも不気味な内装になっている。

 爆心地は部屋中央の長机。まだ煙が立ち昇っている焦げ跡を中心に、機材だったと思われる破片や部品が飛び散っていた。

 その机の影から、ニュッと二つの顔が現れる。


「うーむ。また失敗か」

「キヒヒ。この術式構成でも駄目みたいデスね」


 一人は今日も目がゾンビ並みに死んでいる立夏の幼馴染、八代浩介。

 そして半目で奇怪な笑い声を漏らすもう一人。少女より童女と呼ぶべき小さな女の子こそが、この部屋――《特殊魔導研究室》の主だ。


 床にまで届きそうな長い髪の輝きは、闇夜を照らす満月の金色。深紅の瞳は仄暗い光を湛え、濃い隈が愛らしい顔から陰気なオーラを放っていた。八重歯が嫌に目立つ口元も、不気味さを醸し出すのに一役買う。フリルがふんだんに使われた黒いゴスロリ調のドレスからは、不健康そうな青白い肌の小さい手足がちょこんと伸びていた。

 邪悪な魔女の実験室といった具合の部屋に似つかわしい、可憐ながらも陰鬱な雰囲気を持った女の子。


 名はローザ=ブラッドパール。

 アンダーヘイムの文明を支える魔法技術の学問、魔導学の国家資格である「学士号」を十三歳の若さで所持する天才魔導学者。そして浩介の雇い主にして協力者だ。


「おっ、立夏。おはよーっす。あれ? もうこんばんはか?」

「一応まだ午後の三時過ぎってところよ。その様子だと、まーた休憩もしないで没頭してたんでしょ? ほら、パンと飲み物」

「サンキュ。……うっわ。言われたら急に腹減ってきた」

「キヒヒ。ローザの胃袋もパンとブドウジュースの贄を欲してるデスよ。下僕2号はなかなか気が利くデスね。殊勝な心がけで大変結構デス」

「誰が下僕よ! それに浩介もあんたの下僕じゃなくて助手でしょうが!」

「似たようなもんデス。コースケはローザの命令に絶対服従。手となり足となって馬車馬のごとく働くのが役目デスからね。キヒヒッ」


 不穏なローザの物言いに、立夏の常からつり上がった目尻がさらに角度を上げる。

 それに浩介は、苦笑いで手を横に振って見せた。


「いや、別に理不尽な命令とかはされてないから。こいつ、口は悪いけど割といい子ちゃんだし心配いらないって」

「なんデスか。ローザを舐めくさってるんデスか、それは。それともまさか口説いてるつもりなんデスか。ローザはちょっと優しい言葉をかけただけでなびくようなチョロい子じゃないデスよ。まずは背が高くて線が細くて絵本から出てきた王子様くらいの美形になってから出直すことデスね」

「ただの注文が細かい面食いじゃん……」


 口元を焼きそばパンのソースでベタベタにしながらのドヤ顔に、立夏はなんだか警戒するのも馬鹿馬鹿しくなってしまう。ちなみになんで異世界に焼きそばパンがあるのかというと、一年C組より以前に召喚された地球人が広めたらしい。

 京太の誘いを断るのに苦労してお腹が減っていたので、立夏もバケットからクリームパンを手に取り一口。


 地球で馴染みのある味わい、とは微妙になにかが違う。地球語に翻訳して牛乳、小麦、砂糖と呼ばれていても、やはり地球のソレとは似て非なる代物なのか。しかしまあ美味しいことに変わりはない。その微妙な違いを楽しめるか否かは気の持ちようだろう。

 それに……まあ、食事というのは「誰と食べるか」も非常に重要なわけで。つまり、そういうことなのだ。


「二人とも、あんまり根を詰めすぎないようにね? 特に浩介は、昔から趣味のヒーローが絡んだ途端に爆走バイクしちゃうんだから」

「心配させて悪いが、ちょっと口約束もできそうにねえな。なにせ――この一ヶ月、テレビも映画も玩具もフィギュアもない生活を強いられてるからな……。もう自分で作ってなるしかないじゃない! って気分だよ。ククク」

「あー……」


 若干壊れ気味な笑いを零す浩介に、立夏は思わず納得してしまう。

 チート能力を利用して変身ヒーローを実現しようなんて、大した情熱だと思っていたが、どうやらヒーロー分不足による禁断症状も影響しているようだ。この壊れた笑みは中学三年の頃、受験シーズンのときにも見た覚えがある。

 まあ、浩介らしいといえばらしいのだが。


「こっちのことより、そっちのダンジョン攻略は順調なのか? この前、オークキングに出くわして怪我人出たんだろ? クラスの連中も少しは慎重になったか?」


「全然駄目ね。怪我も丸太みたいな棍棒で殴られたのにたんこぶ程度で済んだもんだから、余計にゲーム気分が悪化してる。緊張感とか危機感に欠けてるっていうか、今のままだと取り返しがつかない形で痛い目を見そうなのよね。特に最近は金銭感覚がおかしくなって、ギャンブル漬けになったりどこかの貴族に貢いでる馬鹿までいるみたいだし……」

「キヒヒ。力に溺れ、金に溺れて身を滅ぼす。召喚されたチキュー人の中からいつも二、三人は出るパターンなのデスよ、それは。その点、コースケは運が良いデス。ローザは身の丈に合った報酬しかくれてやりませんデスからね」

「そりゃどーも。ちゃんと十分な額貰ってるから特に不満はねえよ」


 立夏たち一年C組を始めとする異世界召喚された地球人は、王宮から地球人専用の区画に住まいを用意されている。同じ境遇の先輩地球人もいるおかげで、異世界での暮らしも思ったより早く馴染むことができた。

 不自由しない程度の家具や設備も含め、生活の場は王宮が融通してくれたが、生きていくためのお金は自力で、多くの場合ダンジョン攻略で稼ぐ決まりだった。


 資源が無限とはいえ、ダンジョンには凶悪な魔物が潜んでいる。そのため魔物を退けて資源を持ち帰るダンジョン攻略は、そこそこの稼ぎになるのだ。より深層から希少な資源を持ち替えれば一攫千金も夢ではなく、EXスキルを持つ立夏たちには大いに可能な話だそうで。クラスメイトにも野心に燃える者は少なくない。


 一方でダンジョン攻略に不参加を決め込んだ浩介は、ローザの助手という形で彼女から給金を貰っているわけだ。

 もちろん形ばかりの話ではなく、実際にローザの研究に貢献していた。

 自分の《EXスキル》を使うことで。


「キヒヒ。我が飢えと渇きも満たされたところで、実験再開といくデス。配分パターン三十二。組み立ては任せるデスよ」

「はいよ。――【万能工作機】展開」


 ローザの差し出した紙……なにかの設計図を受け取り、浩介は異世界召喚で得た自らの異能を起動する。

 空中を光が走り、浩介の手を中心にいくつもの円が出現。魔法陣とは似て非なる、歯車型の環だ。その外縁を構成する記号列は、呪文よりもプログラム言語の類を連想させた。


 続いて浩介が手にする設計図を、スキャニングのように光が端から端まで横切る。すると部屋中から特定の鉱石、液体、魔物の素材が浮かび上がり、浩介の手元に集まってきた。それらは歯車の中央で静止し、歯車が勢いよく回転を始める。

 環の外縁から記号列が縦に斜めにと伸びて、球体を形作るかのごとく三次元的にいくつもの環が展開。そしてその中心では、集まった素材が手も触れずに加工されていった。


 切断。接着。加熱。化合。圧縮。……本来なら相応の人手・設備・時間を要するであろう工程が自動的に、急速に進められ、なんらかの装置を組み上げていく。


 これこそが八代浩介のEXスキル【アイテム作成EX】だ。

 名前だけ聞くとチート感皆無だが、チートの名に恥じぬ規格外っぷりはご覧の通り。

 アンダーヘイムに於ける通常の【アイテム作成】スキルは、せいぜい作業する手先の器用さが上昇する程度の効果。身体的ステータスを多少強化するだけの代物でしかない。

 しかし浩介の【アイテム作成EX】は、こうしてまさに万能工作機と呼ぶべき魔法の作業台を展開。設計図と資材さえあれば、どんな道具でも装置でもあっという間に作り上げることが可能なのだ。

 ……この「設計図と資材さえあれば」の部分がミソなわけで。


 教養など中学までの義務教育に多少の雑学程度。教室から制服一丁で召喚され、そもそも異世界の金銭を持っているはずもないので実質無一文。従って浩介一人ではせっかくのチートも使い物にならず、クラスメイトからハズレ能力の烙印を押された次第だ。

 そして読み込んだ設計図の通りに製作するため、


「これ、大丈夫なの? だんだん発光が激しくなってるみたいだけど」

「さっきよりは状態が安定しているデスね。後は現状を維持できれば……」

「この調子ならいけるかも…………あっ、やっぱ駄目――」

『ボカーン!』


 設計図に不備があれば、こうして爆発も起こるわけである。





「キヒヒ。失敗したとはいえ、なかなか有益なデータが取れたデスよ。やはり素材から抽出できる分だけでは術式の情報量が足りないようデスね。デスが必要なピースさえ揃えば、同調率は一気に五十パーセント以上の上昇が期待でき……ぎゃん!?」

「ハイハイ。しっかり目閉じてないと泡が入っちゃうわよ」


 立夏は桶に張ったお湯で、泡だらけになったローザの髪を洗い流してやる。

 爆発による怪我こそなかったが、煤まみれになってしまったため、研究室に備え付けのバスルームで二人はシャワーを浴びていた。どうやら寝室にベッドもあって、ローザは普段から研究室で寝泊まりしているらしい。

 体まで洗っているのは、ダンジョン攻略帰りだったことを思い出して、急に汗やら砂ぼこりやらが気になったせいだ。

 ……別に濡れタオルで済ませた幼馴染の反応など気にしていない。これっぽっちも。


「そういえば一つ訊きたかったんだけど、ローザは浩介となにを作ろうとしてるわけ?」

「んあ? コースケから聞いてないんデスか?」

「あいつの目的が変身アイテムを作ることなのは知ってるけど、それが具体的にどういう代物なのかまでは。元ネタのテレビ……お話だと、それこそ色んなパターンや仕組みがあるしね」


 浩介は【アイテム作成EX】を利用し、大好きな変身ヒーローに自らがなることをこの世界での目標としている。そのための変身アイテムを開発するべく、魔法技術の才媛であるローザの協力を取り付けた。


 頭には無数の魔法理論と新技術の設計図があり、資材も潤沢に用意できるが、実験や製作を行う設備の費用はいくら資金があっても足りないローザ。

 どんな実験も製作も即座に、食事で体力さえ回復すれば何度でも万能工作機で行えるが、脳内のアイディアを実現する具体的な設計図も資材もない浩介。

 互いの利害が一致し、かつ浩介の目的である「変身アイテムの開発」がローザの興味を引いたことで、二人は手を結んだそうだ。


 しかし、魔法技術とやらを使ってどう変身ヒーローを実現するのか、浩介から詳しい話はまだ聞かされていなかった。

 立夏の問いに、ローザは両手の人差し指を立てて見せる。


「ふむ……リッカは《スキル》と《アビリティ》の違いがわかるデスか?」

「えっと、人間が使える特殊な力がスキル、魔物が使う特殊な力がアビリティ……で、いいのかしら?」

「概ねその認識で間違ってないデス。どちらも体内の《幻素エーテル》を用いて発揮される異能であり、人と魔物で呼び分けているだけに過ぎないデス」


《幻素》というのはアンダーヘイムにあって地球には存在しない物質。ダンジョンを介して《混沌》からもたらされる、神秘や幻想そのものと言うべき元素だ。これの存在によってアンダーヘイムは地球とほぼ同じ物理法則で成り立ちつつ、スキルやアビリティという独自の法則を有している。

 ちなみに幻素の存在を最初に発見したのがブラッドパール家の祖であり、それに続くローザの家系も代々新技術を開発し、アンダーヘイムの発展に貢献した名門なのだとか。


「だけどスキルとアビリティは、それぞれに特性や長所短所の違いがあるデス。そして人間が魔物のアビリティを使うことも、魔物が人間のスキルを使うことも有り得ないデス。体内の幻素からしてヒト幻素・マモノ幻素と大別される、性質の異なるものデスからね。――そしてここからがコースケのアイディアなんデスが」


 真っ直ぐ立てた両手の人差し指を、ローザは×の字にクロスさせる。


「人間のスキルと魔物のアビリティを融合させることで、ヒト幻素とマモノ幻素の化学反応を引き起こし、全く新しい力を生み出す。それがコースケとローザで現在研究している変身アイテムの基礎システム。名付けて《クロスフォース》なのデスよ」

「そ、れは……なんというかまた、あいつらしい発想ね」


 人類の天敵とも呼べる魔物の力を変身システムに組み込む。いかにも浩介が思いつきそうなことだ。

 敵と根幹を同じくする力で戦うのは、浩介が大好きな変身ヒーローのお約束というべき設定。なるほど、真っ当な異世界ファンタジーの住人にはまず考えつかない発想だろう。聞かされたところで普通は到底受け入れられまい。

 しかし、どうもこの女の子は普通の範疇から外れているようで。

 八重歯を剥きだすように口元を歪めながら、ローザは実に楽しそうに嗤う。


「いやー、チキュー人は本当に発想がどうかしてるデスね。頭蓋骨の中身がどうなってるのか、解剖して確認したくなるデスよ」

「…………」


 童話のお姫様のような顔に、マッドサイエンティストそのものの不吉な笑みを浮かべて物騒なことを口走るローザ。口調の「デス」も「Death」に聞こえてくる不穏さだ。

 頭を撫でるように髪を梳っていた指先に、立夏は気持ち力を込める。


「言っとくけど。浩介を実験材料かなにかにしようとしたら、許さないからね」


 自然と声音が硬くなる。

 この子のことを嫌ってはいない。むしろ生意気な妹分でもできたような気持ちだ。しかし、もし本気で浩介を害そうとするなら見過ごせない。

 異世界召喚で手にしてしまった分不相応なステータスにより、子供の頭くらい簡単に潰せてしまうほどの膂力が立夏にはある。

 それを知らないわけでもないはずなのに、ローザはまるで動じなかった。

 ハァ、と気が抜けたような、呆れたようなため息をつく。


「リッカ、コースケと同じこと言ってるデスよ」

「浩介が?」

「ええ。ローザがちょろっとリッカのことを『健康で身体能力も高いと実験台にはもってこいデスねえ』と冗談を言っただけで、それはもう怖い顔に。『あいつに手を出したら許さない』ってこっちを睨み殺さんばかりの剣幕デスよ」

「あいつが、そんなことを……」

「全く、仲がよろしくて結構なことデスねえ」


 そう言われた途端、ほうっと温かくなっていた胸に、ズキリと痛みが走った。

 冷や水をかけられたように強張った立夏の表情をローザが訝しむ。


「その様子だと恋人って感じじゃないみたいデスね。コースケにも訊いたのデスが、二人はどういう関係なんデスか?」

「……浩介は、なんて答えたの?」

「『たぶん幼馴染の腐れ縁』とのことデス。全く曖昧でフワッとした回答デスよ」


 ごもっともだ。

 しかし、まさしくその曖昧でフワッとした感じが、今の自分たちの関係性だった。

 ――立夏と浩介は、幼少から隣同士の家を互いに行き来する幼馴染だ。

 小学生の頃から浩介のヒーロー観賞に付き合わされたり、自分の特訓に付き合わせたりしながら、多くの時間と思い出を共に過ごした。


 ……しかし中学に上がったとき、浩介はクラスから孤立した。

 特別なことがあったわけではない。強いて言うなら、浩介のヒーロー好きがクラスメイトから笑い者にされたことくらい。虐めと呼べるほど大したモノではなかったが、浩介は中学生活の三年間、ずっとひとりぼっちだった。


 そしてその間、立夏はずっとクラスの輪の中で見て見ぬフリをした。

 せっかくできた友達に嫌われるのが怖かったから。同じようにクラスから除け者にされるのが怖かったから。自分可愛さに幼馴染を見捨てたのだ。

 自分はいじめを受けていた小学校の頃から、何度も何度も浩介に助けられたのに。

 そのくせ、週一で互いの家に通う習慣だけは続けて。学校にいる間のことなどなかったかのように、小学生の頃と変わらない「幼馴染」を続けていた。浩介は、都合の良い真似をする立夏に恨み言一つ口にせず、続けさせてくれたのだ。


 そして同じ高校に進学し、一年から同じクラスになったかと思えば異世界召喚されて。

 すっかり曖昧になってしまった浩介との距離感をどうすればいいのか、自分がどうしたいのか、立夏は測りかねていた。





『面倒臭いヤツらデスねー。とっととくっつけばいいじゃないデスか』

『そんな簡単な話じゃないのよ、あたしとあいつの関係は』

『男なんて皆おっぱい好きデスし、その無駄に肥えた乳で誘惑すれば一発デスよ』

『ちょっ、あんたどこ触って――!』

「……浴室の壁が薄いのか、会話がほぼ丸聞こえなんだよなあ」


 こちらまで聞こえてくるキャーキャーと姦しい声。

 浩介は意味もなく鉱石を磨きながら、ひたすら心を無にした。

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