第一話:突然! 異世界召喚

スリー


《アンダーヘイム》――地球がその、いわゆる異世界と接触したのは約二十年前。


 後に大次元震動と呼ばれる現象によって空が割れ、亀裂の向こう側に地球人は見た。

 地球と同じ青い海に白い雲、そして地球とは明らかに異なる地形の大陸を持った別世界の存在を。それが、地球史上初めて実在を確認された異世界アンダーヘイムだ。

 アンダーヘイムは幻想と神秘に満ちたファンタジー的異世界であると同時、発達した魔法技術によって高度な文明を誇っていた。どれほど高度かといえば、半日足らずで地球の言語を解読し、インターネットに介入して各国政府にコンタクトを取ってきたほどだ。

 そして幾度かの交信を経て、アンダーヘイムはこう提案してきたという。


『我々にはチキュウに分け与えても余りある、無限の資源が存在する。これを提供する引き換えとして、チキュウ人の健康で一定の教養がある若い人材を提供して頂きたい』


 前金とばかりに送られてきたのは、地球では枯渇寸前のレアメタルや希少素材、さらに地球では見たこともないエネルギー資源の山だった。

 これには各国が阿鼻叫喚の大騒ぎになったそうで、それも当然だろう。

 なにせどう言葉を弄したところで、人身売買も当然の取引。いくら無限の資源が魅力的でも、国民が納得するかどうか。志願が多すぎても逆に困るし、健康・教養・年齢の他は如何なる基準を設けて人材を選定するべきか。


 各国が全く話をまとめられずにいる中、いち早くアンダーヘイムと条約を結んだのは、やはりというべきか日本だった。

 サブカルチャーから異世界召喚という話に最も馴染みが深く、文化や種族に対して妙に寛容な一面を持つ、酷い言い方をすれば危機感の薄い平和ボケした国。


『中高大学の学生から教室単位で年一度のランダム召喚』――それが日本政府の答えだ。


 アンダーヘイム側の要望を満たしつつ、運任せにするのが一番公平という結論になったらしい。これを最善手と呼べるかは疑わしいし、現在でも抗議デモが絶えないとニュースで報道していたが、結局改正されるより先にお鉢が回ってきたわけで……。





「しかし召喚魔法の効果とやらで、アンダーヘイムの言語は視覚でも聴覚でも自動翻訳済みとは……。お約束と言えばそれまでだが、ファンタジー様々だな」


 紙にペンで書き記す手を一端止め、浩介は眉根に寄った皺を指で揉み解した。

 八代浩介は概ね平凡な日本男子にして、ピカピカの高校一年生である。「日本男子」はともかく、「ピカピカの高校一年生」には元と付くが。

 服装も一週間と経たず役目を終えた制服ではなく、いかにもファンタジー世界の住人らしい格好だ。なお、特に細かい描写が要るような、オシャレポイント的なものはこれといってない。

 強いて言うなら個人的な拘りで革製のジャケット……いわゆる革ジャン的な黒い上着を身につけ、シャツやズボンもそれと合うようにチョイスしてあることくらいか。


 ともかく異世界召喚によって、悲しいことに男子高校生という学園青春ラブコメの可能性を失ってから、かれこれ一週間が経つ。

 浩介が現在どこでなにをしているかというと、場所はアンダーヘイムの最大国フェムトムが王都ロシュオーム、の東部にある王立大図書館。その片隅に設けられた一人用スペースで背もたれのない丸イスに腰かけ、絶賛お勉強中だ。


 前述の通り、アンダーヘイムの文明レベルはなかなかに高く、本も羊皮紙ではなく植物繊維製。学費はおいそれと出せない額だが、平民でも通える学校まであるんだとか。

 この王立大図書館も無料で平民に解放されている。おかげさまで、こうして監視の目や許可だの認可だのといった面倒もなく、浩介は作業に集中できた。


「《スキル》……《アビリティ》……《幻素エーテル》……ククク。俺の予想が正しければ、こいつはサイコー! に面白いことになるぞ……」


 勉強と聞けば普通、男子高校生の十人に九人は気が滅入るワードに違いない。しかし人間、興味のある分野には不思議とやる気が出るもので。一人用のためそう広くないテーブルには、ギッシリと資料の本が積み重なっていた。

 使えそうな情報の書き取りを終え、意気揚々と次の本に手を伸ばすが――


「やっと見つけたわよ、浩介」

「ぐえ!」


 いきなり背中に重みがかかり、潰れたカエルのような声が漏れた。

 振り返れば重みの主が、こちらの丸まった背中に腰を乗せて体重をかけたまま、馬鹿にしたような笑みで覗き込んでくる。


「これくらいで情けない声出しちゃって、『鍛えてますから』じゃなかったの?」

「立夏さん? あなた様の体重で俺の背骨が悲鳴を上げてらっしゃるんですが?」

「誰の体重がグラビティの魔法要らずですってぇ!?」


 打てば響くように怒る少女。

 それはもう鬼の形相……というほど酷い顔にはなっていない。憎らしいが怒った顔もまた綺麗なことで。全く美少女に産んでくれた親に感謝するべきだ。


 肩にかかる長さの銀髪。常時険しい目つきの黒い瞳。顔立ちの整い方は人形めいて完成度が高い。ショートパンツから伸びる脚線美といい、シャツがきつそうな胸のふくらみといい、モデルも務まりそうな抜群のスタイルだ。それでいて鍛え上げられ引き締まった張りのある肌は、新雪を思わせる白さ。

 他者を寄せつけない鋭くも気高い輝きから、畏敬を交えて狼に例えられる美貌。

 それがこの美少女、名は霧島立夏きりしま りっかだ。


 男子高校生より十億倍は希少価値の高い肩書を、華の十六歳で失った悲しき元女子高生。黙っていればドレスが似合いそうな深窓の令嬢だが、口を開けば生まれる時代を間違えた戦国系乙女と専らの噂。

 そして浩介とは…………幼馴染の腐れ縁、といったところか。


「あんた図書館に通い詰めなのはいいとして、席くらいはいつも同じ場所にしときなさいよ。このやたら広い図書館の中を探し回るの、大変なんだからね」

「いや、別にわざわざ毎日生存確認しに来なくても……そっちこそ、今日の《ダンジョン》攻略は無事に終わったのか? 怪我とか、大丈夫だったのかよ?」

「大丈夫よ。クラスの皆が『異世界キター!』って感じの大暴れだから、私が無理するような場面もなかったしね。よくもまあ、あんなにハイテンションが続くモンだと感心しちゃうわよ。ダンジョン攻略がファンタジーの醍醐味の一つ、っていうのはわかるけど」


《ダンジョン》――ファンタジーには定番の、怪物とお宝が溢れる地下迷宮。

 しかしアンダーヘイムのダンジョンはかなり特別だ。

 なにせ地球にも送られている無限の資源。それをもたらす源泉なのだから。

 ここアンダーヘイムは、地球よりも神秘や幻想といったものに近しい、深層の次元に存在する世界らしい。高い低いならともかく、次元に浅い深いの概念があるのかはよくわからないが、とにかくそういうことになっている。


 そして《ダンジョン》はアンダーヘイムとさらに深い最下層――《混沌》との境目にある特殊な領域だ。

《混沌》とは地球のギリシャ神話でいう「カオス」に近い概念だ。あらゆる世界あらゆる宇宙が誕生した、全ての始まりの地。そこはなにも存在しない虚無の空間であり、それ故そこにはこの世にない神秘と幻想を含む「全て」が存在するという。

 その《混沌》から無限のエネルギーが流れ込み、地上すなわちアンダーヘイムに無限の資源をもたらす地下迷宮。それがこの異世界のダンジョンというわけだ。

 そして浩介たち地球人が召喚された理由こそ、ダンジョン攻略のため。

 ――では、なぜ浩介はダンジョン攻略に参加もせず図書館にいるのか?


「もしかして、私のこと心配してくれたわけ? やっさしー」

「いや、心配ってほど大袈裟なモンじゃ。ただ、立夏は」


 ニヨニヨとからかうような立夏の笑顔。

 ぶっきらぼうな口調で返しながら、浩介は胸の奥がムズムズするのを感じて。


「立夏! ようやく見つけたぜ……げっ!」

「げっ、はないでしょ。クラスメイトに対して。やあ、八代くん。霧島さん」


 そのむず痒い感情に冷や水を浴びせるかのごとく。

 一方は図書館だというのに大声を張り上げ、もう一方はすまなそうに控えめな声量で挨拶しながら、二人組のイケメンが現れた。


 浩介の顔を見るなり顔を顰めた方のイケメンは、草薙京太くさなぎ けいた

 茶髪といい装備を着崩した格好といい、どうにも軽薄そうな印象を受けるが、立夏に向けた人懐っこそうな笑顔には、人に好かれる愛嬌があった。実際この少年が能天気とも取れる前向きさでクラスメイトを引っ張らなければ、悲観的な者が半数を占める一年C組はまとまらずに空中分解していただろう。

 テストはおろか授業も始まる前に異世界召喚されたため、勉強の出来は不明だが運動神経は抜群。中学でもバスケで全国大会にまで上り詰めた猛者だそうだ。彼がクラスのリーダーを務めることに、異論を挟む者は男女どちらにもいない。


 その京太を窘めたもう一人のイケメンは、新川実彦にいかわ みつひこ

 うなじでポニーテールに結わえた、色素が薄い灰色の髪。活発な京太とは対称的に線の細い顔立ちと長身。神経質そうにも見えるが、穏やかな微笑みを絶やさず、突っ走りがちな京太のストッパー役をこなすクラスの良心だ。京太が少年漫画の主人公タイプだとすれば、実彦はさしずめ少女漫画の王子様タイプのイケメンといったところか。


 これこそが、一年C組を代表するイケメンツートップ。……本当はもう一人、無愛想委員長タイプのイケメンがいて三巨頭なのだが。

 おそらく京太がダンジョン攻略の後処理を押しつけ、実彦が京太を連れ戻そうとするも結局ここまで引きずられてきた、といったところか。無愛想委員長には合掌である。


「なー立夏ー、この後クラスの皆で飲みに行くから、立夏も行こうぜ? 幼馴染だかなんだか知らねえけど、そんな自分勝手野郎なんかほっとけよ。この腰抜けでハズレ能力の役立たずなんかに構うだけ時間の無駄だって」

「そんな言い方はないだろ、京太。八代くんの《EXスキル》は戦闘系じゃないんだし、仕方がないさ」


《EXスキル》――これこそアンダーヘイムが、わざわざ地球人を異世界召喚する理由。そして浩介がダンジョン攻略にも加わらず、大図書館で情報収集に勤しむ理由だ。

 これも最近の小説や漫画では定番だが、アンダーヘイムには《スキル》や《アビリティ》といったゲーム的概念が存在する。そして異世界召喚された地球人は規格外の力、俗な言い方をすればチート能力である《EXスキル》に目覚めるのだ。


 なんでも二十年前の大次元震動で、次元の裂け目からアンダーヘイムに転がり落ちた地球人が何人かいたらしい。彼らを保護した際にEXスキルの存在が明らかとなった。

 ダンジョンは無限の資源が存在する一方、危険な魔物の棲み処でもある。資源採掘には魔物との戦いが避けられない。そのためアンダーヘイムは余りある資源と引き換えに、強大な魔物を倒しダンジョンをより深くまで攻略できる人材を欲したのだ。


 一年C組のクラスメイトたちも、異世界召喚によってチート級のEXスキルに覚醒。

 特に京太は【勇者EX】という如何にも主人公特権的なチート能力に目覚めており、実彦も【魔法剣士EX】というチート剣士に。立夏は護身目的で格闘技を学んでいたためか、【拳法EX】だった。

 無論、浩介もEXスキルに目覚めてはいるのだが……。


「戦闘向きじゃないヤツは他にもいるだろ? だけどこの世界で生きていくために、クラスの皆で力を合わせてダンジョンに挑んでるんじゃねえか! それなのに、こいつはなんの協力もしないで好き勝手してるんだぞ! 女子だって頑張ってるのに、魔物にビビッて一人だけ引きこもりやがってよお!」


 ビシィ! と糾弾の声も高らかに、人差し指を突きつけられる。

 しかし浩介は悪びれもせず、ただ面倒くさそうに半目で聞き流すだけ。その態度が一層腹に据えかねたのか、京太の口調がどんどん荒くなっていく。

 視線が浩介の背中……今も立夏が乗せた尻と密着している部分を一瞥すると、京太は声にドスを利かせながら浩介に詰め寄った。


「オイコラ、八代。立夏とは幼馴染らしいが、たまたま隣の家に住んでただけで調子乗んなよな! 立夏は俺たちと共に戦う、ダンジョン攻略の仲間なんだ! お前みたいな自己中根暗野郎に構ってやるほど暇じゃねえんだよ!」

「……牽制が必死すぎて笑えるわー」

「あ、あんだとぉ!?」


 浩介がそう一言吐き捨てれば、面白いほど顔が真っ赤になる京太。

 なんということはない。京太は立夏に惚れているのだ。

 抜群の容姿とスタイルは先に述べた通り。キツイ目つきと態度のせいで近寄りがたいところはあるが、意外と面倒見がよく根は優しい。不良に絡まれた他校の生徒を助けた、なんて武勇伝の類も数知れず。実は料理や裁縫が得意と、家庭的な一面のギャップ萌えまで兼ね備えている。

 そんな立夏は中学のクラスメイトから頼れる姉御的な人気を集めていて、それが一年C組でも健在なのは想像に難くなかった。

 京太も立夏の魅力にやられた一人というわけで、だから《幼馴染》という強力属性持ちの浩介を警戒している。……いや、「浩介が幼馴染の立場で図に乗って、立夏になにかしでかさないか」を警戒しているのか。


 自分で言うのも悲しくなるが、八代浩介にこのイケメンツートップと張り合えるようなスペックなどない。

 いつも月一の千円カットで済ませているボサボサの黒髪。常に寝ぼけた感じで覇気のない三白眼。身長は平均以上だが常に猫背気味なので低く見える姿勢の悪さ。趣味……はあるが他人に語れるほどのものではなく、人様に誇るような特技もない。

 これでクラス一番の人気者の脅威になれると思うほど、浩介も自意識過剰ではない。

 それに一人だけダンジョン攻略を拒否しているのも事実なので、京太の言い分自体には反論の言葉もなかった。

 ただ、背後の幼馴染としてはそうでもないようで。


「ダンジョン攻略の後は自由時間って決まりでしょ? あんたたちが集まって飲もうが騒ごうが自由だけど、私がどうするかは私の自由よ。私は私の好きでこいつと一緒にいるだけ。――あんたたちは邪魔。失せなさい」


 付き合いだけは長い浩介には、それが本気で怒っている声音だとすぐにわかった。

 目つきも、口答えをした瞬間噛み殺すと言わんばかりの眼光を放っているのだろう。怒りと羞恥で朱の差していた京太の顔から、あっという間に血の気が引いた。


「だけど立夏!」

「ここまでだよ、京太! それじゃあね、霧島さん。八代くんも」


 それでも大した胆力で京太が開いた口を、実彦が慌てて塞いだ。

 そのままズルズルと京太を引きずり、図書館を出ていく。

 大騒ぎに眉を顰めていた他の利用者が、ホッと一息ついて読書に戻る。浩介と立夏の間には後味の悪い沈黙が残った。


「……ごめん。私のせいで、迷惑かけて」

「いや、立夏が謝ることじゃないだろ。あいつが勝手に騒いでいっただけだし。まあ俺としては? さっきから背中に押しつけられてる、柔らかくも張りのあるやんごとない重みで帳消しにならんでも――あいたっ」

「バカ」


 頭に拳骨が落ちたのと同時、やんごとない重みが背中から離れた。

 瞼の裏に火花が散ってクラクラする浩介に、立夏はクスクスと茶目っ気のある笑顔で舌を出してくる。

 その、京太たち相手には見せたことがない表情に、浩介は酷く戸惑ってしまう。


 小学生の頃は毎日のように互いの家を行き来して遊ぶ仲で。

 しかし中学では教室で話すどころか目を合わせることさえ一度たりともなく。

 疎遠になるかと思えば、週一で互いの家に通う習慣だけは続けて。

 こうして異世界召喚されてからは、幼い頃に戻ったかのごとく自分に構う。


 今だって竜の刺繍が妙に似合うスカジャン風の……ジャケット繋がりで浩介とお揃いと言えなくもない上着など羽織っている。そんな幼馴染との距離感を、浩介はどうにも測りかねていた。

 悶々とする浩介だが、立夏はこちらの複雑な胸中など素知らぬ顔だ。


「それで? 『変身』への道は見つかったの?」

「ああ。無事に協力者も見つかったことだし、いよいよ本格始動だ。ククク……俺の計画は誰にも止められないぜ」


 立夏にその話題を振られた途端、浩介の煤けた三白眼に情熱の炎が燃え上がる。

 ――京太の言葉は半分正しく、そして半分間違っていた。

 浩介がダンジョン攻略に参加しない理由は、確かに自分の《EXスキル》だ。

 しかしそれは戦いの役に立たないと引け目を感じているからでも、ましてやダンジョンの魔物に怖気づいているからでもない。

 全ては、己が野望のため。

 クラスの団結より人類への貢献より優先すべき、秘めたる願いを叶えるためだ。


「俺がなりたいのは勇者でも英雄でも主人公でもない。

 そう――《ヒーロー》なんだからな!」


 八代浩介は概ね平凡な、高校一年生になるところだった十六歳の日本男子である。

 漫画にアニメ、ライトノベルを嗜み、「異世界に転生するか召喚されて俺ツエーイ! したいわー」とか憧れる、ある意味で今時な男子高校生。

 しかし彼には、異世界召喚や異世界転生以上に心惹かれ、情熱を燃やすものがあった。

 相棒はバイク。必殺はキック。悪の組織に異形の怪人。仮面の悲哀と無限の個性。

 つまるところ、浩介は根っからの変身ヒーロー大好き少年なのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る