第2話

祖父の四十九日法要を控えてはいたが、少女は特に変わったこともなく過ごしていた。祖父の手掛けていた事業を知った事で、少しだけ向き合う気持ちにはなれたものの、まだ自分は14歳の中学生である。会社の事は顧問弁護士の方に委ねるつもりでいた。法要の後に遺言状の公開もするという話なので、何も問題ないはずだ。

祖父が病床にあった時から、概ねの流れは決まっていたようなところはあるから、成人するまでの自分の身の振り方にもあまり不安はない。そのあたりは普通の中学生とはやはり違うのかもしれないが、ああいう祖父を持った以上は、覚悟もあった。

これからは、あの自動車模型がより多くの人に愛されることだけ願って、ひっそり見守っているものと、そう信じていた。


「今、なんて……?」

「はい、ですから、"後任の会長として、田村・ナスターシャ・霧乃を指名する。これが恙無く履行された時に限り、V4WDの規格を公開するものである。不履行となる場合、規格は自身の代で終わりとする"となっています」


こういう事を『寝耳に水』とでも言うのであろうか。別に帝王学とか経営のイロハを祖父から学んだ記憶などない。少し氷解するとは思っているものの、未だ別世界の人に近い人から受けた後継者指名だった。


「でも、あれってもう工場で大量生産されているものではないんですか? 会社の多くの方が携わってるから、今更止められないんじゃないですか?」

遺言状に名前を書かれていた少女…霧乃の狼狽に、同室の大人たちはかぶりを振った。

「あれは、ほとんどの承認を会長が行なっておられました。今ある製品は何とか続けられても、開発中の製品は停止しますし、関連各社に委託したものも破綻をきたします。それから……」

『V4WD』それがあの自動車模型の名前だった。にわかには信じがたい話だが、50年ほど前に、小さな模型工場を営んでいた祖父が、何処からか手に入れてきた設計図を元に数年越しで開発し、そこから模型メーカーとして再出発したとの事だった。既に世界規模の大会も10回近く開催されており、翌年からそれらを改めて整備する構想も進行していたのだ。

まだ子供であるはずの自分が固辞したならば、全てが覆ってしまう。何故、祖父はいきなりこのような無理難題を突きつけたのか、まるで理解できなかった。しかし、一つだけわかった事がある。祖父は自分の名前を田村・ナスターシャ・霧乃と書いた。長いこと、ミドルネームを名乗っていなかったし、何より母方だった祖父にとって、父方を証明する名前は忌避しているものだろうと、ずっと考えて自重しての事だったのが、それは違ったのかもしれないという、確信めいたものが湧き上がってきていた。

自分が知らなかっただけで、祖父の会社は世界的な企業であり、自社製品のレースをやはり世界規模で開催してきた経緯もある。


お父さんを…探せるかもしれない……


間違いなく、14歳の子供には重過ぎる運命だった。

母が、祖父が、いなくなった父の事を口にしなかった理由を、もはや本人たちから聞き出すのも叶わない。

父にしたって、10年音信不通である。祖父の事業を嫌って、絶対に出てこない可能性だって否定できない。


でも、私には、こうするしか……


「会長就任の話、お受けしたいと思います。ただ、私は特に祖父かは手ほどきを受けた事はありません。それに、先程おっしゃってた設計図の話ですが、それも私には何処にあるのか見当もつきません……」

霧乃は更なる決意と、解決されてない問題を立て続けに口に出した。祖父の持っていたV4WDの設計図は、所謂ブラックボックスであり、製品化に際して小出し小出しに彼からデータを受け取っている状態だったのだ。しかも、祖父がコンピューターの類を触っているところを見た者など皆無である。社内の誰一人として、その行方を知らなかった。

「その件に関しても、霧乃お嬢様の自室にあるものに隠し、就任に際して心当たりがあるはずと記されていますね」

霧乃の不安は弁護士が拭ってくれていた。心当たり…、それはあれしかない。もはや疑いようもなかった。あの時より記憶も取り戻せていた。

一旦席を外しますと、霧乃は早歩きで応接室を出ると、きっかり5分で戻ってきた。その手には、形見と決めたV4WDが握られている。

「きっと、これだと思います。私と祖父の…、いえ、家族全員の唯一つの接点ですから!」

その言葉には、いつになく力がこもっていた。別に無気力に生きていたわけではない。ただ、心の何処かにずっとあった穴を埋めるものを見つけられた気がした。今はそれを信じて進みたいと思った。


『V4WD』それは手のひらに収まる大きさの自動車模型。数々のパーツが組み込まれ、電池を入れる事で駆動する。しかしそれには、自分の手で組み立てる必要もあるのだ。それを為さなければ、ただの部品たちに過ぎない。


そうだった、あれは霧乃が自分の手で初めて、唯一組み立てたV4WD。4歳だった彼女単独では本来果たせない話だ。しかし傍らには父がいた、母がいた、祖父がいた。あれを完成させた時、みんな揃っていたのだ。


だから、お父さんにきっと会える


銀色の髪と、少し日本人離れの顔立ち以外は普通に暮らしてきたはずの少女・霧乃。彼女が進もうとする道は、前代未聞のものであった。

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