第7話
隆也……
隆也!
「隆也っっ!!!」
遠ざかって消えたと思っていた音がまた急に鮮明になって耳元で響いた
眩しすぎて目が開けられない
…………天国?
死んでも意識ってあるんだと冷静に考えてる自分に笑えた、瑞希に伝えられたらいいのに……
って…………
え?
「隆也!!隆也!!ああ!良かった!神様!わかる?お母さんよ!」
「っ……」
声を出そうとして喉が詰まった
薄目を開けて目に飛び込んで来たのは化粧が取れてひどい顔の母とその肩を支える父………
さっき廊下でぶつかりそうになった看護師………
え?え?
死んだんじゃなくてむしろ生き返ったのか?
「お兄ちゃん!!そんな所にいないでこっちに来なさいよ!隆也が目を覚ましたわ!」
「お母さん!お気持ちは分かりますがもう少し静かにお願いします、まだ隆也くんも安定してませんし他の患者さんもいらっしゃいます」
「だって………だって……うぅ……良かった……良かった………」
看護師に叱られてもまだ声のボリュームを落とせない母は昔から興奮するとうるさかった、運動会などは目立って恥ずかしいくらいだった
「
「よろしく………お願いします」
そう聞こえた父の声も震えて泣いていることが分かった
どうやら生きている、どんな状態なのかは全く分からないが死線を越える瀬戸際だったのは間違いない
それなら…
置いてきてしまった……多分今頃一人で廊下に立ち尽くしている瑞希に知らせたかったが声は出ない
あのエキセントリックで感受性の強い瑞希が取り乱していないか心配だ
気付いて病室までは来てくれればいいのに、どうしたかわからない
眠くて……意識が沈んでいく……寝たら瑞希の元に知らせに行けるかもしれない………
ふぅっと薄れていく現実からまた遠ざかり
消えていった
事の顛末はシンプルな交通事故……2tトラックに体当たりをかまし頭を強く打って……信じられないが一年も寝たきりだったそうだ
「お兄ちゃんたら臓器バンクに連絡取ったりするのよ、本当にあの子は冷たいと言うか冷静と言うか」
「ハハ………あいつらしい………」
「それでも盆も正月ももう数年帰って来なかったのに病院まで時々見に来てくれたのよ、あの子も大人になったわ、隆也が目を覚ました日も来てたのにすぐ帰っちゃった」
「ガッカリしてたりして……」
「馬鹿な事言わないで、隆也が何日か前から自発呼吸してくれて指動かしたり呻いたりして……毎日ずっと見に来てくれてたんだから」
「え?………」
それは………………瑞希の中に入ってから?
「回復してくれるのは良かったけどみんなの見ている前で夢精吐いた時には首をしめてやろうかと思ったくらい恥ずかしかったわ」
やっぱり………
もしかして俺は瑞希に助けて貰ったんじゃないないだろうか?瑞希の中で精力を取り戻し、食べて体力を付けた
「母さん、俺がまだ話せなかった頃誰か俺を訪ねて来て無い?」
「道場の人とか何人か来てるけどお見舞いはお断りしてるの、もうちょっと回復しなきゃ今の隆也じゃ風邪の菌でも危ないからね」
「道場の奴らじゃなくて………こう……綺麗でちょっと華奢で色白で………」
瑞希が遠慮してくれと言われた程度で止まるとは思えない、駄目だと言われても突破してきそうだ……いや来る
知ったら絶対に来る
「さあ………誰の事を言ってるのかわからないけど少なくともみんなゴリラみたいな人ばかりかな、後は幼馴染みの津田君と荻野君……」
「………そう」
今の例えで分からないなら来てない
瑞希の容姿はどこでも目立っていた
アイドル好きの母が見逃す筈が無い
絶望して何も聞かず………見ずに帰ってしまったのだろう
早く退院して無事を知らせたい
驚いて、喜んで………ハイになる手前で抑えなければ………
入院は三ヶ月から半年かかると言われていたが二ヶ月で退院した
指を持ち上げる筋肉まで劣化していたがリハビリは性に合った、空手は無理でも生活する上で不自由はもうない、病院の敷地をランニングされては迷惑だったのか、後は通いで十分だと事実上放り出された
リハビリ中はずっと瑞希の事を考えていた
離れてみて分かる、ここまで深く瑞希を理解出来るのはこの世で俺だけだ
一心同体は例えでも何でもない、なにせ中から見てた、友達でも恋人でも家族でもない、離れられる訳がない
「セックス………したいと言われれば………どうしよう……」
今度は生身だ、やれば………あそこまで激しくなくても
麦とやってたみたいな事をする………
「うわあ………」
眉間に皺を寄せて反り返った背中が揺れて声を上げる………瑞希の肢体が思い浮かんでジンと下半身が疼いた
こんな事なら実態のなかったあの時に試してみればよかった………
……っていやいや…何言ってる……恥ずかしくて顔を合わせられなくなっても避けられないあの状況では無理すぎる
疲れるのは厳禁と言われている、感染症への耐性がないからだ
体力はある程度取り戻していると思っていたが電車に乗ったり人混みの中を歩くとあっと言う間に疲れて息切れがしてきた
瑞希のアパートまでは結構あって一時間以上かかる
帰りもまた1時間…………
「泊まって………いく?いや………今日はバイトがある筈だ、それは駄目だ」
瑞希は多分止まれない、飛びつかれたら俺もきっと止まれない………
「呼び出して外の方がいいかな………」
何せ携帯の番号がわからないから直接会いに行くしかない、入院中も何とか連絡を取れないかと考えたがどうしようもなかった
……それに痩せ細った今の顔を見せるのは躊躇われ……退院してからと決めていた
多分学校が終わってアパートに帰ってからラーメン屋に行く筈
何だか懐かしく感じる瑞希のアパートは相変わらずボロで火事にも地震にも弱そうだ
めくれ上がっていたドアの合板は修理したのか一応真っ直ぐくっついていた
留守だと覚悟してきたが部屋の中は灯りが付いて人の気配がする
驚いて目を丸める姿が目に浮かんだ
変な音のするピンポンを押すとドアの向こうでカタカタとくぐもった足音が聞こえた
「はい?」
「え?……」
「……あんた誰?変な勧誘ならお断りだよ」
ドアをちょっとだけ覗いた顔は瑞希と似ても似つかないみすぼらしい中年男だった
閉まりかけたドアにドンッと足を挟んで止めた
「あの………前ここに住んでた人は?」
「そんな事知るわけ無いだろ、不動産屋に聞けよ」
爪先を蹴り出されドアを閉められて呆然とした、病院の廊下で別れてもうすぐ三ヶ月………
「そっか…………三ヶ月も経ってるんだ、引っ越す暇なんていくらでもあるよな」
じゃあ嫌だけど"麦"しかない、一緒にいたのは何年にも思えるがたったの5日ほど、大学とライブハウス、家庭教師先とラーメン屋しか知らない
一人で外出する事を心配した母には夕方までに帰ると言ってある
心配と心労をかけたのだろう、落ち着いて見ると母は痩せてひと回り小さくなっていた
大学で待ち伏せしたりは出来ない
ライブハウスは相変わらずちんまり地味で今日は何も催しがないのであろう、初めて来た時のように誰にも知られたくないと身を潜めていた
階段に足をかけると奥から低いベースの音がする
……瑞希には追いつけないと言っていたがかなりレベルは高かった、麦に間違いない
ドアのないホールへの入り口まで行くと背の高い背中がベースを抱えタバコの煙をモクモクと製造していた
聞こえてくる旋律は………聞き覚えがある
瑞希が海で歌っていた曲だ
「あの…………」
「はい?……ああ…すいません、気が付かないで………ハウスの予約ですか?」
煙草を側にあった缶にギュウっと押し込み寄ってきた麦は…………やはりデカイ、瑞希視線だからだと思っていたが改めて並ぶと185以上ありそうだ
簡単に瑞希を持ち上げる訳だ………
「いえ……あの……瑞希…くんの居場所が知りたくて」
「は?あんた誰?」
麦の顔に警戒が走った
それはそうだろう、ここにいる瑞希はアイドルで神でストーカーなんて掃いて捨てる程産んでいそうだった
「俺は堀口………堀口隆也です、瑞希の……友達で…」
「隆也?!今、隆也って言ったか?お前が?!」
「はい」
怪訝な表情を浮かべた麦の眉が釣り上がり、ギロっと目を剥き睨み下ろされた、敵愾心剥き出しで胸倉を掴まれて吊り上げられそうな気配までしてくる
「お前空手やってる?」
「はい、やってますが………今は事情があって派手に体を動かせません、手を出したら手加減なしで急所にぶち込みますからやめてくださいね」
「なんで俺がお前に手を出すと思ってるんだよ」
「それは………瑞希から………聞いてます」
「ふん………なんて聞いてたのか知らねぇけど手なんて出さねえよ、事務所に来てくれる?お茶出すよ」
麦は返事も待たずにアンプからベースを外し、事務所に入っていった
コトンとペットボトルからついだアイスコーヒーがテーブルに置かれた、まだ食べ物で刺激物は取っていなかったので口には出来ないが一口………飲むフリをした
「あの……さっきベースで弾いてた曲って……」
「ん?何だあんな古い曲知ってるのか?」
「いえ……瑞希が前に歌ってたんです」
「……そうか……ロックの神様が歌ってた曲だ……瑞希は……聞いてたんだな…」
曲名を聞こうと思ったが咥えたままのタバコから立ち昇る煙に目を細め、黙ってしまった麦はふいっと後ろを向いてしまった
事務デスクに長い体を折って何か書いている
「ん………これ」
「これは?」
「瑞希の実家………詳しい番地までは知らないけどこの地図で行けるだろ」
「ありがとう………ございます」
意外な事にあっさり居所を教えてくれた
地図は乱雑で行ってみない事には辿り着けるかも分からないがそれ以上は何も聞けなかった
「瑞希に……よろしく言っといてくれ」
「え?………はぁ……」
どうしたものか……
瑞希はバンドも休んでいるらしい
瑞希は歌わないとパンクしてしまうように見えた、そこまで負担を与えたのか、瑞希の精神状態が不安だ
わざわざ下宿していたのだから実家は遠いのかと思っていたが意外に近く、母との約束は守れそうだった
すぐに離れられたら…………だけど……
駅から出て………多分こっち………反対側に歩いていたらもうお手上げだ、わかりにくい地図を頼りに歩いて行くと最大の目印、郵便局が見えて来て少なくとも方向は合ってる事にホッとした、あとはどの家か………
同じような中堅の家か立ち並ぶ住宅街は中々手強い、一軒一軒表札を見て回ると葉山と書かれた家を見つけた、瑞希のロードバイクが軒先から見えてどうやら間違いない
またこのドキドキ…………
アパートよりも緊張した……だって家族もいるだろう
「はい?」
インターフォンを押すとドアの前で待ち構えていたようにすぐ玄関の扉が開いた
顔を出したのは多分母親、瑞希によく似て綺麗な人だった
「あの………」
「あら?!隆也くん?!隆也くんじゃない!まあようこそ!上がって上がって!」
「え?え?あの」
「うわあ瑞希喜ぶわよ、何してるの!早く!」
何だこの親子………こっちが知る前に知られている
出来れば呼び出して貰い外で会いたかったのに、ハイテンションで引っ張り込まれキッチンの横にあったダイニングテーブルに押し込まれてしまった
「今お茶入れるわね、コーヒーでいい?それともジュース?ビールでもいいわよ?あっお腹すいてない?焼きそばならすぐに出来るけど………」
「いや、あの待って………待ってください、俺は今あまり食べられないから麦茶でいいです」
似てる………大人しいくせに口を開けば畳み掛ける所……
聞け!と一括しそうになった
「ごめんなさいね、憧れの隆也くんに会って興奮しちゃった」
「憧れって………俺はそんな大した人間じゃないです」
トンっと置かれたコップには見覚えがあった、瑞希がアパートで使っていたものだ
瑞希の母親はコップにかけた手を愛おしそうに目で追い、顎杖を付いて嬉しそうに笑った……上目遣いで見てくる目は本当に似ている
「あの子ね本当に隆也くんに憧れて大好きでずっと追い回してたのよ、知らなかったでしょ?」
「はあ………」
「小さい頃はずっと付き合わされて私までファンになっちゃった、隆也くんカッコいいんだもの」
「小さい頃?」
「何回も声をかけろって言ったんだけど瑞希は恥ずかしがって……結局ストーカーのまま何年も過ぎちゃった」
「あの?小さい頃ってどういう事ですか?」
「隆也くんのその手の傷………瑞希のせいでつけちゃったのよ?覚えてない?」
「え?」
親指から手首まで続く細長い傷痕は子供の頃犬に噛まれた怪我の痕だ
「でも、これは女の子を…………」
「アハハッやっぱりそう思ってた?瑞希は小さい頃ほんとに男か女かわからなくてよく間違えられたのよ、瑞希は隆也くんに助けられてそれからずっと追い回してた、隆也は俺のヒーローだって……昭和チックな命名でしょ?笑っちゃった…」
ちょっと待って………お母さん
この怪我をしたのは8歳くらい………空手を始めた年だから多分小3くらいだ
嘘だろ?…………そんなに昔から?
「あの……お母さん……瑞希は?」
「ああそっか!ごめんね浮かれちゃって、呼んでくるわ」
「はい………お願いします………」
………好きだと
ずっと見てきたと何回も言われたが………
そこまで………深く……深く長い間紡がれ、暖められてきた想いだったなんて想像もしなかった
こっちはたったの5日だが瑞希にとっては十数年………
あの目………どんな気持ちで見つめられていたのか
あんな態度をとって物凄く傷付けていたかもしれない
───見られたくなかった!!
狂気のように叫んだ顔が忘れられない
自分の事に必死でそんな余裕がなかった
もっともっと真摯に受け止めるべきだった
俺ときたらエッチな事するとかばかり考えて……そんな浅い事じゃなかった…
「瑞希!お待ちかねの人が来てくれたわよ」
「!!瑞希っっ!!俺!………瑞?………」
「え?」
何だこれは………
どういう事だ……
母親の手からコトンと目の前に置かれたのは額に入った写真だった
「これは?…………どう………いう……」
「せっかく隆也くんが来てくれたのに待てなかったの………でも今頃喜んで飛び跳ねてるか………恥ずかしがって逃げ出してるかもね」
ふふっと可笑しそうに………寂しそうに笑って写真を撫でた
「この日ねアパートの掃除に行ったらふらっと帰って来て写真を撮ってくれなんて言うのよ、カメラ向けると珍しく笑ってくれて…」
「そんな………筈………」
「ごめんね隆也くんにとったら何の関係もないのにこんな重い話されても困るわよね、いなくなっちゃってもう3年かな………うわぁそっか………そんなに経つのか………まだ昨日みたい………」
3年?
……なんだ、よかった……俺が変な受け取り方をしているか……誰かに他の人の話か……からかわれてるか
だって写真の瑞希はあの日、海で遊んだあの日に撮ったものだ………少なくともその後………
Tシャツに零したケチャップが付いてる
シミの形まで鮮明に覚えてる
また洗濯しないで臭ってから着ているのではないなら、あの病院で別れた日だ
エキサイトして前後不覚になってないかと心配したが写真の中の瑞希は穏やかに笑っていた
「あの………瑞希は留守なんですか?どこに行ってるのか教えて貰えれば俺…」
「アハハ………留守って言えば留守ね、一度帰って来てから………送り出したまま………人はどこに逝くのかな?………」
こくんと空気を飲み込み、ごっちゃになった頭を必死で整理した、何を言っているのか言葉が通じない
「"今"瑞希はどこにいるんです」
「天国………だといいわね…瑞希……」
写真に話しかけるその表情は冗談を言っているようには見えない、でも………でも……
「どういう事………そんな筈…自転車………自転車だってさっき乗ったみたいに綺麗だし…それに」
あんな所に乗らない自転車を置いておくなんて邪魔だろう
「そうね………もう始末しなきゃと思ってたんだけどね、あれ借り物だって言ってたから返そうとしたら………」
「麦に?」
「あら知ってるの?あの大きな男前……ちょっと怖いけどね、瑞希が乗るだろうからいらないって言われて、もういないのに…ね…」
そうだ麦だ、麦がいる
麦は瑞希がいる事を知っている、三年前なんて嘘だ
「乗ってましたよ………乗ってた………」
「そうなのよ………不思議なんだけど夏の初めに無くなってね、盗られちゃったかと思ってたらひょっこり帰って来てて…………瑞希が………」
「………乗ったのかなって…………」
瑞希によく似た笑い顔がクシャッと歪み……
よく似た……綺麗な目にみるみる涙が溢れてきた
ポロンと涙袋から水滴が溢れるともう座ってなどいられなかった
そんな筈はない……そんな筈がないんだ
「ごめんなさい、俺………もう行かなきゃ」
「あっ!あっ!ごめんなさい!本当にごめんなさい!こんなつもりじゃ、あの隆也くん!瑞希が喜ぶからまた来て欲しいの!それから………捨てていいからこれを持って行って!お願い!」
慌てて額から取り出した瑞希の写真を手に押し付けられて何が何だかわからないまま家を飛び出した
そんな筈がない……そんな訳ない………ほんのこないだまで一緒にいた、喧嘩して歌って遊んで……バイトだってしてた、色んな人が見てる、関係してる、そんな筈ない
少し走っただけで息が切れた
苦しくなったら使いなさいと母が持たせてくれた1万円を握りしめ駅まで走ってタクシーに飛び乗った
麦に……麦に確かめれば分かる、笑って……いや……絶対に意地悪く、それでもタネ明かしをしてくれる
……きっと………
日が落ちて道行く車のライトが点灯し始めている
タクシーの足は鈍く気が急いて怒鳴りつけそうになった
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