第8話
「麦!!麦!どこだよ!!」
タクシーから飛び出し暗い階段を駆け降りたが事務所の中には誰もいない
「麦!!いないのか?!」
入口は開けっ放しだ、どこかに誰かいる筈だがこの狭い場所で探す場所なんてない
引き返そうとすると姿は見えないが低い唸り声が聞こえ足を止めた
「…うるせえな……お前に麦なんて呼ばれたくない」
ドンッとバーカウンターの上に手が乗り、不機嫌そうな麦が暗い隅の方から顔を出した、手に三本も酒の瓶を挟んで持っている
「麦!麦!!あんたなら知ってるだろ!瑞希は………瑞希は………」
「何だお前知らなかったのかよ、瑞希も浮かばれねえな……っつうか麦って呼ぶな、何で初対面のお前に麦なんて呼ばれなきゃならないんだよ」
「麦!!何言ってんの?いたじゃん瑞希はいただろ!歌ってた!ここで!この前!!」
「だから麦って呼ぶなって……」
「言ってくれよっ!!!瑞希がここに……」
「いたさっっ!!…………」
麦の大声か防音材が剥き出しの高い天井に染み込み散っていった
シンと静まりかえったホールはあんなに狭かったのに今はだだっ広く感じた
「麦……………」
「瑞希はここに…………いた………」
事務所から小さな音で聞こえてくる音楽が余計に静けさを運び空気が重い
麦の苦しそうな顔は……聞きたくない事を語っていた
「お前に…………お前なんかに瑞希の何が分かる………何も知らないくせに………何も知らなかったくせに……」
「そう…だけど……」
「瑞希の才能には本当に驚いた……突然やって来て聞かされた自作のデモ曲には圧倒された、………まだ高校生で……責任持って育てて送り出すつもりだった、もし付いて行ければとミュージシャンの道は諦めかけていたのに追いつこう……遅れまいと………」
「そんな事は分かってる、瑞希が歌う所は…見たよ、そうじゃなくて俺が聞きたいのは……」
「わかってない!お前は何も知らなかった、お前のせいで………間に合わなかった………せめてあの時……」
「違う違う!そうじゃなくて……そうじゃない!!…………」
急に視界が狭くなってすうっと頭から血の気が降りていった、気持ち悪くて立っていられない………クタクタと膝を付いて倒れてしまわないように身体を丸めた
「おい?………どうした、大丈夫か?」
「ただの貧血だから………放っておいてくれたらそのうち治る………」
「何だよ、あくまでタメ口かよ、健康優良児爽やかスポーツマンって面してるくせに弱っちいな………」
額や背中に冷たい汗が伝いすうっと体が冷えていく、リハビリ中も体の警告アラームだったのだと思う、無理するとすぐに貧血を起こし理学療法士を困らせた
早く回復したくて体力か追いつくのを待てなかった
ホールの床にゴロンと横になって目を閉じていると頭が持ち上がって首の下にタオルが差し込まれた
多分麦がやってくれたが今動くのは辛い………態度と口調の割に………手は優しい
瑞希に触れた………手………
多分何度も………
お礼を言う余裕もなく一過性の気持ち悪さが去っていくのをじっと待った
目を開けてステージを見ると瑞希の姿が鮮明に浮かんで叫び出しそうになる
名前を呼べば見えない所から返事が聞こえそうで………聞こえないことが不思議で………
半分は壊れていたステージを照らすライトが新しい………、よく見ると前と………前来た時とちょこちょこ違う
「なあ…麦………ここで瑞希が最後に歌ったのはいつ?」
「………5月21日土曜6時43分から34分間………回復して来たのか?」
「………そんな細かい時間じゃなくて」
「もう3年……か………お前瑞希の家で聞いて来たんじゃないのか?」
………そうなんだ
やっぱりそうなんだ………
時節が随分ずれている
全部あり得ない事なのにそこだけが納得出来ないなんてどうかしてる
目覚める事が出来ない体が長い長い夢を見ていただけなのかもしれない
知らない間にどこかで会っていて認識もないまま瑞希の想いを受け取っていた
記憶の片隅から妄想して………
「…………違う……違う違う…そんな事はない………違う、瑞希はいたし、俺もいた……絶対」
「いたよ………もうやめろ……」
ステージの隅からボンっと一音だけ弦を弾く音がして………事務所に入って行く足音がした
「!!」
事務所の中から聞こえてくるこの曲………声………
まだ冷えた手足は元に戻らないがそんなことはどうでもよかった
「麦!!麦!!この曲!あの時のだ!あのライブの時だ!そうだ!絶対!」
ドアから事務所に飛び込むと足がフラついて、ついてこなかった、ガクガク膝が崩れたがテーブルに掴まって何とか耐えた
「お前この時見てたのか……凄かったろ?あいつ」
「これ音源があるんならください!」
「今聞こえてるのはラジオだよ、瑞希が作った音源の方が完璧だったけどこの時のライブは………特別で………インディーズで出回ってジワジワ広まったんだ、今でもこうやって時たまラジオで流れたりしてる」
「それどうやったら手に入るんですか?」
「やるよ………それフルタイム……やる気なかった最初から憑かれたようになった最後まで全部入ってる」
なんで今更敬語なんだよと笑いながらラベルのないCDをポイッと投げられ、体を支える事に必死だった腕は受け取り損ねてパサリとテーブルに落ちた
背中を向けていた麦がCDを投げた手をじっと見つめポツンと呟いた
「あいつは……いたよ………あいつは俺の宝物だった……」
泣いているようにも見える麦の顔は穏やかで………優しかった
信じられない………
信じられない……
信じたくない
退院すれば会えると思い込んでいた
タクシーで家に帰り着くとまだ戻っていない顔色を母親に見られないように部屋に籠もり麦に貰ったCDをかけてみた
ヘッドホンから聞こえてきたのは………
麦に蹴られ喧嘩する瑞希の声
透き通る伸びる声
だんだんエキサイトして神がかっていくライブ………
同じステージ上で見たままだった………
これが瑞希の最後のライブだと麦が言っていた
地面から湧き上がって来るような声援の中、どけ!と叫ぶ麦の声が遠ざかって………世界が終わったように
………プツンと切れた
「ちっちゃい頃……俺達の家、近所だったんだな………」
ハイツが多く立ち並ぶ住宅街の集団登校
綱が外れ唸りを上げるドーベルマンに班長を務める高学年の子供は逃げ足が速かった
立ちすくむ一年生の前に立ち塞がったのは助けようとしたと言うより逃げ遅れた
怖かった
恐らく手に持ったカバンを投げたせいで犬も怯えていた、噛みついたのではなく威嚇で開けた口に引っかかっただけなのかもしれないが、吠えかかる大きな体に手を振り回すと手が血だらけになっていた
服にも血が飛び散り、大人に助けられるまで怯える一年を壁に囲って背中に抱え必死でランドセルを振りまわしていた
それからずっと……ずっと…長い間………
…………あの目で見てた
隆也と呼ぶ瑞希の声が頭の中に張り付いている
瑞希は最初から目茶苦茶だった
どんな想いで呼んでいたのか………
「分からないよ…………言ってくれきゃ……」
「瑞希…………」
瑞希
医者には恐らく多臓器不全になってもう駄目だと言われていたと母は泣いた…………
二人でいたあの数日間………瑞希はもうとっくにいなかった
「助けに…来てくれたんだな……お前…」
いなくなって尚………
見ててくれた
古い棚に置きっぱなしの鏡を手に取るとホコリが溜まっている
フッと払い除けて覗いても………写る姿は………
情けなく泣いている馴染みの顔だった
そっと口を付けて…………伏せておいた
「瑞希………届いた?………まだ見てる?」
届けばいい………届いて欲しい………
瑞希は今きっと………笑ってる
「た!!……隆也さん!!」
変な上ずった声がして足を止めた
季節は進み素手で外を歩くのはもう辛い
コートのポケットに手を突っ込み手袋をしようとしていた
「原田?」
「はい!原田です!」
軍隊みたいな声の出し方をして原田がガシガシに固まり直立不動不動の姿勢を取っていた
あまり会いたくない相手だった
「久しぶりだな、何か用?」
「隆也さん…が退院したって聞いて俺…」
「退院してからもう随分経つけどな」
「はい、でもすぐ来たら迷惑かなって……って言うか勇気が出るまで時間がかかったって言うか、よかったです……俺…俺………」
もじもじ話す原田は体が二回りくらい大きくなってモジモジが似合わない
「お前の活躍は聞いてるよ、凄いな」
「俺はまだ隆也さんを倒してません、まだ………もう空手はやらないんですか?」
「俺はお前に負けただろう」
「あれは!隆也さんが畳の汗で足を滑らせて………偶然です、俺は勝ちを拾っただけで……」
「勝ちは勝ちだ、同じコートで試合してたんだから言い訳なんてないよ、それに空手は………暫く出来ない、出来ても最前線はもう無理だよ、一年も寝てたんだからな」
「そそそそ………それは!すいません!余計な事を!でも俺待ってます!隆也さんは隆也さんは俺のヒーローなんです!……あ………うわっわっ………ちょーハズい何言ってんだ俺…………」
ズキンと胸が痛んだ
そんなセリフ今聞きたくない
「ごめん………俺待合せがあるから」
スタンドのないロードバイクを起こして軽い車体の向きを変えた
どうしても信じられなくて、もう一度確かめたくて行ってしまった瑞希の家で、乗ってくれと渡されたロードバイク………
「すいません…御邪魔して……あのまた声かけていいですか?」
「別にいいよ」
ペダルに足をかけてふと思い付き、まだ立ち尽くして動こうとしていない原田を振り返った
「なぁ………お前さ一級までしか出られない低段者の試合でひょろこい緑帯に敗けただろ?あれって………」
「覚えてますよ、絶対に忘れません、あの人隆也さんの知り合いなんでしょう?」
「うん………知り合いと言えば知り合いなんだけどあれっていつだった?」
「俺が……初段に上がる前だから中3でした、3年前かな?あの人あれから試合に出て来ないしあれきりなんです」
「お前、中坊だったのか………」
どうりで坊主で幼かった訳だ
いくら否定しても、夢だったと思いたくてもしっかり残った瑞希の足跡はもう否定しようがない
「また………会えるといいな」
「もう負けませんよ………あんな奴…………あっすいません」
「だろうな…あれは奇跡だ………じゃあな」
そうだ………
あれは全部奇跡………
瑞希の深い想いが起こした奇跡
原田は家の前にいた、つまりわざわざ訪ねてきたのだろう、インターフォンも押さず、もしかしたら長い間あそこでもじもじ迷っていたのかもしれない
知らない間にそうやって想ってくれる人がいるなんて"おたんこなす"らしい俺には気付けないが原田の場合は盗み聞きしている
もうちょっといい言葉をかけてあげたいが顔を見ているのはまだまだ辛くて逃げ出してしまった
憧れを受けるような立派な男にはほど遠い
その日は幼馴染の悪友達が全快祝をしようと集まる事になっていた
その中でも津田と荻野は小学校からの付き合いで意識のない入院中もちょくちょく来ては病室で騒ぎ怒られていたと言う
目を醒したと聞いて飛んできた病室で二人抱き合って泣き崩れた
知らない間に色んな人に想われ……大事にされ、必要としてくれている
「隆也!!こっち!!行き過ぎ!!」
一漕ぎでスピードの出るロードバイクは待ち合わせ場所を通り過ぎ、津田の大声で急ブレーキをかけた
「危ねえよ!もぅドキドキさせんな!次何かあったら俺が二度と起き上がれないように引導を渡すぞ!もう二度とごめんだからな!」
ドンっと押しのけられ自転車を取られてしまった
実はトラックへの体当たりはママチャリで自ら突っ込んでいったらしい、そこは全く覚えてない
「何でこんな危ないもので破壊力増してんだよ、お前運動神経いいけど実は鈍臭いんだから自覚しろよ」
「俺………鈍臭いんだ………」
「鈍臭いよ」
「ふうん………知らなかった」
「おい…………隆也………」
津田は思わず上げかけた手をグッと握りしめた
隆也は少年そのものと言えるやんちゃで負けず嫌い、カラリとした性格と前しか見ない真っ直ぐな目で、誰からも好かれる人気者だった
それが目を覚ましてから、どこがどうとは言えないが変わってしまい、黙っていると人を寄せ付けない目をして口数も極端に少ない
爽やか純朴好青年を絵に描いたようだったのにそんな時は何故か妙に色っぽくて声をかけるのを
顔つきまで違って見え、誰か他の人が混じったみたいだった
握った手を見ていると荻野がポンっと肩に手を置いた
他のメンバーともう歩き始めていた隆也の背中を見て二人で頷いた
「大丈夫だよ、すぐ元に戻るさ、なんてったって隆也だし」
「そうだな、今日はわざわざ隆也の嫌がるメニュー選んだからな、ガタガタ喚き出すよ」
タッと掛けて隆也を囲む集団に追いついた
もし隆也が嫌がって暴れたら横にいる二人じゃ到底敵わない、あっと言う間に逃げられてしまう
「カラオケ?」
「そう、お前まだ酒飲めないだろ?居酒屋に入ると俺らも飲みたくなるし、カラオケだと遠慮なくふざけてもいいしな」
さぁ暴れろと四人いるメンバーで身構えた
隆也をカラオケに誘うと決って蹴られる、でも隆也がいないとつまらないので結局他の場所に変更になるのが常だった
特に津田と荻野は小学生の時から高校まで一緒だった為、隆也が音痴でどれだけ苦手としているかよく知っていた、からかって怒らせ調子を取り戻すには丁度いい
一人で羽交い締めは危ない、後頭部で頭突きされる、一番危ないのは足、宙で軌道が変わる為どこに避けても飛んでくる
「歌わなくていいならいいよ」
「へ?そうなの?」
身構えた体制が空振った
「俺はどこでもいい、お前らは好きにしろよ」
「何だよ気持ち悪いな、隆也がいいなら…いいけどさ………」
やっぱり変だ、一度だってカラオケ屋に足を踏み入れた事もないくせに素直に付いてくる
隆也に喜んで欲しいし、いつものように笑って欲しい、作戦失敗なら嫌に決まってるカラオケなんかに来なくてもよかった
一緒に来ている宮下と木村は高校からの友達だ
隆也の異変には気付いてなかった
「ジャーン!彼女が出来た記念にうれしい楽しい大好きを歌いまーす」
宮下がまだ飲み物も来ていないうちに曲を入れて歌いだした
「宮下の彼女ってめっちゃ可愛いの………目が悪いか何かレアなフェチでもあるんじゃねぇの?」
「うるせえ!実力だ!見る人は見てんだよ!!」
「マイク通して叫ぶな馬鹿!うるせえよ、だいたいそんな野太い声で歌うなよ!」
こんな時はいつもなら隆也が一番に蹴りを入れてる筈なのにやっぱり静かで笑いもしない
「隆也は?もうそろそろ彼女の一人や二人出来たんじゃね?」
「いないけど……」
「お前ってさ興味ないの?なんで誰とも付き合わないだよ」
「モテないから……仕方ないじゃないか」
全員の目が真ん中に集まりクスッと笑いが起こった
隆也は本当に前しか見ておらず、女子が告っても気が付かないなんて馬鹿な事もあった
放課後は道場に行くと速攻帰ってしまう、休み時間はいつも男が大量に取り囲み、頑張っても近付けない女子がワラワラいたが、彼女が出来て隆也を取られるよりはいいとみんな素知らぬフリをしていた
「好きな子もいねぇの?ほら看護師とか色っぽいじゃん」
「木村!」
配慮を忘れた不用意な言葉にガスンとパンチが入りそこに料理と飲み物を持って入って来た店員が五人分のお手拭きをバサバサ落としてしまった
「好みを言えよ、俺の彼女の友達集めて合コンしてやるよ、隆也なら誰にでも気に入られる、結構可愛い子いるぞ」
「好みって……言われても…俺は今いい」
「あれ?やっぱり気になる子がいるんじゃないの?言えよ、どんな子?俺は腹黒さ見破るベテランだぞ、今度見てやるよ」
「どんなって………普段は目茶苦茶無口らしいけど俺の前ではよく喋って………油断したらすぐ襲ってくる、部屋は散らかすし、洗濯しないし性格がピーキーでどこからキレるか分からない……かな…津田!俺歌ってもいい?」
「えっっ?!歌うの?いや………そりゃいいけどお前歌の入れ方知らないだろ?やってやるよ、何歌う?」
「えーとタイトル知らない、こんな歌……」
ハミングから聞き取った曲を入れて顔を上げると隆也がマイクを持って立ち上がっていた
腹黒いどころかそんな女やめてしまえと言いたくなる酷い特徴を並べた相手はどうやら実在するらしい
昔から信じられないくらい幼稚な恋愛観を語る隆也はさすがにちょっとは成長してる
部屋まで行ってるという事は恐らく一線も越えていると思っていい
「津田……今度その…女見に行こうぜ」
「お?おおそうだな………」
嬉しい楽しい大好きの後、誰も曲を入れず流れていたデモ曲が途切れ静かになった部屋でコソッと荻野の耳打ちが聞こえたらしいが
隆也は何も言わずフッと口元だけで笑って歌い始めた
下手なのはよーく知ってる
からかうべきか………黙って聞いてやるべきか……
隆也の顔がいやに真面目なので迷ってしまった
「…………おい……何か上手くねえか?」
「うん……音は外れるけど………声が…」
…………声が…………出る………
スルリと高い所まで、上がりたい所まで音が上がる
………これはプレゼントだ……瑞希が体のどこかに混ざって溶けてる
目を閉じると前を歩く後ろ姿が見えた
呼びもしないのに振り向いて………唇が………隆也と動いた…………
明るい日の中で…………笑っている
来いって言っているように差し出された手を掴もうと腕を伸ばした
想っても想っても………もう遅いのに
とっくに遅かったのに
流れて伝う筋が頬を撫でてくすぐったい……
顎から滴り落ちた水滴がシャツの胸元に落ちて………落ちて………
濡らしていった
「俺………坂本九を歌って号泣する奴初めて見たよ」
「坂本九を歌う奴も初めて見たけどな……」
「何かあったのかな?」
「また放置して振られたんじゃね?」
隆也はからかいようのない見事な歌声を披露して泣き出したはいいが、ぼうっとしてるなと思っていると、すうっと吸い込まれるように眠ってしまった
まだ本調子には戻れないのか、肩に手をかけても起きない隆也に連れ出した事を後悔した
「おい、そっち支えてくれ」
宮下と木村に合図して肩に担いだ
「俺タクシー呼んで隆也を連れて帰るよ、誰か隆也のチャリ乗って来てくんない?」
「俺行くわ」
荻野が手を上げて隆也のカバンと自分のカバンを肩にかけるとテーブルの上に飲まないまま放置されていたコーラのグラスに当たってグラリ揺れた
「あっ!!落ちっっ!!!」
「うわああああっっっ!!」
ガチャンっと床に落ちて転がったコーラより隆也が上げた叫び声に全員の動きが止まった
飛び起きた隆也がカラオケ屋にいる事をすっかり忘れていたようにゆっくり周りを見回し………
「あっっ!こら!触んな!!」
「隆………わっ!!」
いきなり宮下を蹴りつけた
「隆也っ?!」
やけに「鋭くない」中途半端な回し蹴りだが木村の尻に当たりとっとっと前に出て呆然とした
「わ…………当たった……すげえ………」
何故か蹴った本人すら呆然として上げたままの足を見つめている
「あ?!………あ………あっ!!ちょっと!うわ!!うわ!!うわあぁ!!ちょっ!ちょっ!!俺帰る!!帰るわ!!じゃあな!!」
「隆也?!何?!何?!何なの?!」
「何でもない!何でもない!!何でもないから!!」
「隆也っっ?!!!」
「うわ!うわ!うわあぁぁ!!」
バンっとドアにぶつかり跳ね返ったがそれでもドアを破る勢いで体当りして叫びながら走り出ていった
「待てよ!隆也!!隆也!!」
二階だったカラオケの小部屋から結構長い階段を二回しか踏まずに飛び降りて行く隆也を追いかけたが、外に出ると自転車に乗る後ろ姿がもう既に小さかった
「何だ………あれ………」
隆也はカバンどころか上着すら置いて出て行ってしまった
殆ど錯乱状態…………
携帯に電話してみたが応答はない
「津田………隆也は?」
「チャリで行っちゃった……めっちゃ早くて追いつけなかった」
部屋に戻ってみるとまだ全員呆然としていた
「あいつカバンも………あ………携帯………」
「うん………ここで鳴ってた、津田って出てたよ」
「本調子じゃないってわかってるけど…………どうしたんだろう」
「おい………これ見ろよ………」
木村が中身がバラけた隆也のカバンからはみ出たクリアファイルを手にして笑っていた
「見ろよ、これ………」
「隆也の奴どっかで見初められたな………」
「笑える」
「………そうか?俺にとって同じかな………」
「俺も…………」
荻野も昔を懐かしむ年寄りのように目を細めて笑った
写真の裏には………
"隆也は俺のヒーローだから"
そう書いてある写真の中で仲間内じゃ見かけない男が
…………笑っていた
end
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