第4話

「どうしておれと結婚したの?」

「可哀想だったから」

私がした質問と同じ質問に彼と同じ答えをしました。私がその答えを聞いたとき、心の何処かで期待していた答えではなかったことに傷ついたのですが、徐々にその答えが期待していた以上のものになっていきました。私達の関係はお互いの同じ気持ちの上で成り立っている。そのことが嬉しいのです。

「へぇ?どういうこと?」彼が意地悪そうに笑います。

「他の人はみんな幸せそうだから私がいても何もしてあげられないでしょう? だけどあなたはいつも哀しそう」

「ま普通は不幸そうなやつと付き合うと不幸になりそうだから、進んでおれと関わろうとはしないわな。その点、確かに助かってるよ」嬉しい。

「けどやつら幸せそうに振舞ってるだけで実際幸せではないと思うよ。だからしてやれることもあるよ」

「でもみんな可愛いし友達も沢山いるから……」

「本当に心の綺麗な人に友達はいないもんだ」

「どうして?」

「世の中悪いやつが大半で、友達ってのは根本的には似た者同士がなるもんだろ。全く違うやつを仲間に入れている場合は大抵友情以外の利益があってのことだと思うよ。代わりに仕事してくれるとか、自慢するためとか」

「そうなの?」

「証明の仕方は間違っていても正しいもんは正しい」

「ん……結局私は何をしてあげられるの?」

「あぁ、おれが言いたいのは、つまり、何かしてあげることも出来るけど、する必要もないってこと。搾取されるべきじゃない。そのままでいいよ」

そのままでいい。嬉しいけど、そうじゃいけないって気持ちもある、簡単そうで難しいこと。だけど安心する。

「お前、お義母さん好きじゃなかったろ」

「え?」

「ああしろこうしろ言われて」

確かに今までの私はお母さんの望んだ通りの事をしてきた。それでもお母さんの期待には添えなかったようで、よく怒られたけど。

「もうお義母さんいないんだから、好きなように生きたらいいよ」

その言葉を聞いて、私は猛烈に悲しくなりました。小さな子が怪我をして、親が可哀想にと声をかけた途端泣き出すような。自分は今可哀想なんだと気付いて自分に同情してしまいました。私は、ついにたった独りになってしまったというどうしようもない空虚さと、内に潜む自分勝手さへの罪悪感を感じました。

「どうしたい?」

「別れた、く……ないです……」

私はついに泣き出してしまいました。もう引き返せません。いざとなって怖気付いて、私は何のために生きているのでしょう。彼も好きなように生きていいと言ってくれたのですから。

「おいおい、どうした?」彼は私の側にきて私の肩に手を置きました。

「おれはもうそのことは解決したと思ってたよ。おれはもう別れるつもりはない。大丈夫。心配するな」

彼は両腕でしっかり私を抱きしめてくれました。私はより一層泣いてしまいました。

「それにしても、何で最初別れ話の時同意したんだ?あの時嫌だって言ってくれてたらこんな大袈裟にならなかったのに」

「つい……」

「ついって」彼は笑いました。

今になって思えば、あの時の私は人に言われた通りにする事に固執していました。偉い人のいう事なのだから、きっと私が考えて何かするよりも良いはずで、実際確かに上手く行っていましたが、あの時ほどこのルールに従ったことを後悔したことはありません。

「じゃあ改めて、何がしたい?」しばらく泣いた後、彼は元々の席に戻りましたが、私と手を繋いだままでした。

「子供が欲しい」

彼は子供はいらないと考えていると私は思っていました。そのように理解しているのにあえて聞くのは、彼と意見をぶつけ合いたいと考えたのか、血の繋がりのある人が居なくなったことが寂しかったのか分かりません。人並みの生活がしたいという意味で子供が欲しいと思わなくもありませんが、本当に子供が欲しいのかは微妙でした。ですがこう質問された彼の反応には興味がありました。

「え?あぁ、うーん、まぁでもあれだな、菜食主義は辞めないとダメだぞ。子供の発育に悪い」

菜食主義を辞めれば子供を持ってもいいという事でしょうか。彼がはっきり子供はいらないと答えなかったのは意外でした。私を傷つけないように理由をつけて答えてくれたように思えました。しかし菜食主義は私がしてきた中で唯一の善行と呼べるものだったので、それを辞めてしまうのは悪いことだと思いました。そして子供を持つ事も悪い事なのだという考えが頭に浮かびました。

「じゃあ、いい……」

「本当に?」

彼は菜食主義を辞めたいのでしょうか。一緒にセミナーに参加したとき、彼は先生の言う事に賛同したようでした。彼は先生の言う事を理解しただけでなく、自分で考えてその思想を発展させていました。だから偉い。それなのにそうも簡単にそれを捨てることが出来るのでしょうか。

「お前、お義母さんのことで食べる事に罪悪感があるんじゃないか?」

「え?」

「ほら、あの人食べ物を残す事を凄く嫌っていて、かなり少ない量しか出さなかったし、マナーとか食べる時間にもうるさかっただろ。お前昔すごい痩せてたし」

「うん」

「ま確かに食べる事に罪悪感を持つっていうのは正しいことだと思うよ。だからおれも菜食主義に付き合っていたわけだけど。罪悪感を持つ必要がないって言ってるんじゃなくて。生きる為に他の生き物の命を奪うのは当然の摂理だけど、ようやく人間はそれを省みるまでに精神が進化してきた。だけどその罪を越えるという事もできる。当然のことだと考えて、いや考えもせずに食べることと、悪いと思って食べることとはその精神において雲泥の差があるよ」

「うん」

罪を越える。このことが彼の強さの秘密なのだと思いました。

「ま本当に悪いと思っていたら出来ない、と言えなくもないけど」

「そうなの?」

「そりゃあ、どこかやっても良いと思っているからやるんだろうな。仕方なくやったとしても。その結果、法とかを破って後から悪いとは思うのだろうけど」

「悪いこと、したことある?」

「色々あるけど、まぁ色々あって免れることが多いかな。なぜか。未遂で終わったり」

「例えば?」

「この離婚の話だってそうだよ。悪いと思ってる。でも結局は起きなかった」

私は奇跡を目の当たりにした気分でした。彼は神に愛されている。その事を体感しました。薄暗い部屋のベッドサイドランプの光が優しく彼の顔を照らしていることに気付きました。思えば彼の顔をマジマジと見たのは今日この時が初めてでした。

「それはプロビデンスです。奇跡です」

「あぁ、神の配慮ってやつ?起きなかったことが奇跡ってのも変な感じだけど」

「絶対そう」

「あぁ、そう」

彼は自分から悪業をしようとしても、神の力によってそれは回避されるのでした。彼にとっては母の死もその一環だったのでしょう。母はどうしてもこの時に死ぬ運命で、それは神の行いなのですから仕方のないことでした。

「救成会ねぇ……」

それは母と私が入っているキリスト教の教派でした。新約聖書を救世主とはどういう人なのかという説明書として捉え、各人がそこから学び、隣人にとっての救世主に互いがなろうというものです。

「急に逝くと書いて急逝会なんじゃないか」

救成会の最も重要な教義は自己犠牲の精神と、死後の世界のために言葉を残すことでした。過激な人は自殺をしたりするそうです。そのため、効果的に自殺する宗教と揶揄する人もいます。

「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」

「まぁそうだね……お義母さんは急に亡くなったけど、あれ、何だっけ遺言書って意味の、あれあるの?」

「テスタメント。あると思う。ほとんど日記みたいなものだけど」

「そっか、ずっと書いてたりするのね」

「そう」

「ま、あれは式には関係ないか確か。関東には殆どないからおれも初めてなんだけど」

「多分加藤さんが色々してくれるから大丈夫」

加藤さんは私たちの通っている教会の神父さんです。

「通夜は特にないんだよね。決まりは」

「そう」

「まぁいいや」

そう言って彼はお酒を一口飲みました。お酒は私も好きでしたが、彼の飲む機会が少なかったので私も控えていました。大晦日に彼の実家で彼と彼のお父さんと三人で飲むことは恒例行事でしたが、二人で顔を付き合わせてお酒を飲むことは本当に久しぶりでした。

「音楽かけていい?」

「はい」

彼はスマホからジョン・メイヤーの"solw dancing in a burning room"をかけ始めました。酔いも回って夜が更けてきました。

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永遠の罪 りんたろう @rintaro_phys

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