第2話

「古宮さん、今晩どう?」


 どう、とは。

 オフィスで急にそう話しかけられて、私は愛想笑いを浮かべることぐらいしかできない。


「よかったら帰り、一緒にごはんでもって」

「ああ、いやあ……今日は仕事終わり次第帰りたいかな。電車、絶対混むでしょ」

「あー、そっか……今日がハロウィンだっけ。土日もすごかったみたいだもんね」


 ニュースで見た限り、今日も結構な混雑になるらしい。仮装もせず朝から仕事をしていた身としては、お楽しみの方々と電車で一緒にはなりたくなかった。


「ごめん、引っ越しの準備とかでばたばたしててさ。今日は家で書類とか書いてたいんだ」

「そっか……了解、また誘うよ」


 悪いことしたかな、と一瞬思ったけれど、まあ嘘は言ってないし。

 そう、早く帰りたいのには理由がある。


   ◆ ◆ ◆


 電車を乗り継ぎ、最寄り駅の改札を通る。駅ビルのハロウィンの装飾も、来週にはクリスマスのそれになるんだと思うと気が重い。

 コンビニに入ろうとして、呪いのビデオでテレビから出てきそうな格好の女が自動ドアから出てきてギョッとする。ちょっと待ってくれ平日でしょ今日、ハロウィンって渋谷駅前とか遊園地とかで盛り上がりたい人らが集まるもんじゃないの? こんな僻地で一人であんな格好するもんなの?

 不審者を見る目でよたよたと歩く女を見送って、振り返るとバイトくんと目が合った。お互い、苦笑いをする。

 サラダチキンと混ぜて炒める調味料と、明日のパンをカゴに入れて。クジを引いたら雪見だいふくが当たって、ちょっと得した気分になった。


「ただいまー」


 靴を脱ぎながら、部屋の中に声をかける。独身向けのワンルーム。契約している入居者は、古宮友香一名のみ。


「おかえりなさい、友香さん」


 けれど最近、私の部屋には同居人が一人増えた。

 正確に彼女がどういう子なのか、私は理解してないから説明だってできないけれど……存在していないことになっているらしい、そんな女の子。


「トリックにする? トリートにする」

「なんでそんな新妻みたいな聞き方なの」


 せめて仮装をしなさい仮装を。


「いつきちゃんのトリック、絶対シャレにならないやつでしょ?」

「そんなことないよ。友香さん相手だし、加減は分かってるから」


 ほら、すぐそういうこと言う。そういうとこだぞっと。


「じゃあ、友香さんが私にいたずらする?」

「……それはそれで字面がシャレになってないなあ」


 女子高生にイタズラする社会人、最悪の部類でしょ。捕まっちゃうって。


「ま、残念ながら今日はトリートがあるんだなあ」


 レジ袋から秘密兵器、雪見だいふくを取り出す。


「あー、また無駄遣いして……」

「違うって。これはレジのおにーさんからもらったの」

「おにーさん?」

「やめて、そんな目で見ないで」


 っていうか、そんなこと言う子にはこれはあげません。

 最初にごはんを作ろうかとも思ったけれど、溶ける前にとっとといただいてしまうことにした。ぺりぺりとパッケージを剥いて、フォークっぽいのを取り出す。


「おっほ、もっちもちですな」


 ぷにぷにとだいふくをつつく。テーブルの対面に座ったいつきちゃんの見ている前で、私はゆっくりとだいふくを口に運んだ。


「おいしい?」

「うーん、とてもよい」


 別に、私がサディストってわけではなくて。

 いつきちゃんは、食事をすることができない存在みたいだった。代わりに私が異様にお腹が空くようになって、体重計におっかなびっくり乗るようになってしまった。いやまあ、元々お腹まわりは若干怪しかったけども。どのぐらいの比率で私に脂肪が残るのかわからなくてとても怖いけども。


「ふふ、かわいいな友香さんは」

「おー? おねーさん褒めてももう何にもでないぞ?」


 まあ、この笑顔を見ながらごはんを食べられるなら、それも必要経費なのかな、なんて思う。


「じゃあ、トリックの方だね」

「へ……?」


 きょとん、としてしまった私の手を、いつきちゃんが「握った」。


「どう、びっくりした?」


 それはもう。つま先から頭のてっぺんまで、硬直してしまうくらいには。


「……いつきちゃん、ひんやりしてるんだねえ」

「そうなの。友香さんは、あったかいね」


 冷たいのは、確かに冷たかったんだけど。

 こんな風にいつきちゃんと触れ合えるなんて思ってなかったから、それがなんだか温かかった。


「うーん……やわらかい」

「友香さん、それはセクハラ」

「いやー、なんかこう……ごめんね? すっごい、落ち着いちゃって……」

「しょうがないなあ……」


 すすす、と腕を引かれ、私の手のひらがいつきちゃんの頬に触れる。雪見だいふくみたいに、ひんやりもちもちしていた。


「……やっと、触れた。友香さんとの繋がりが、強くなった」


 参った。そんな顔でそんなこと言われたら、私はもう絶対にこの子と離れられない。

 ハロウィンの喧騒の中、私だけは本物の幽霊に惹かれていた。

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見えない月を二人で見ながら。 冴草優希 @yuki1341

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