byplot.1 世界のはてにみる夢


 夢をみていた。


 長く、くらい眠りのふちで、ずっと―――。




 +++


 

 

 さらさら、さらさら、と、耳もとで砂の崩れる音が聴こえる。


 もうずいぶんと長い間、この音だけしか耳にしていない。そしてきっとこれからも、これ以外を聴くことはないのだろう。


 死に絶えた砂礫されきの大地と、すべてを焼き尽くさんばかりに狂った太陽。死を運ぶ乾いた風に、なにもかもを凍りつかせる冷酷な夜気。

 そして動くことを放棄したおのれ自身の身体と。


 ここに帰って、むくろと化した愛する両親のかたわらに横たわり、目を閉じて。

 それから、どれだけの時間が経過したのだろう。


 いや、そんなことはどうでも良かった。

 ざらつく砂礫が風に運ばれ、何もかもを覆ってゆくのに、どれだけの時間が必要か、――など。

 もう二度と見るつもりない太陽の影が、何めぐりしたか、など。

 動くことをやめたこの身体を、砂礫がいつかは覆い尽くし、化石にしてくれるのなら。そうして、この無限の絶望に終わりをもたらしてくれるのなら。


 どうでもよかった。

 ここで、この場所で、目をひらいてそれを確認する理由など――なかったから。





 はじめは、風の音だと思っていた。

 もの悲しく虚無めいた、静寂のように微かなさやぎ。


 研ぎ澄ますことさえやめた耳が、風にしては柔らかく規則正しい音だと認識したのは、幾日めだったろう。


(――……声?)


 不意に、麻痺しかけた意識が覚醒する。

 ここに到るまで、そしてここに帰りついてからさえ、一度も聞くことがなかった――それは、風と砂のどちらでもない音だった。


 身じろいだためか、砂が崩れる音に、雑音が混じる。まぶたをひらこうとしたが視界は開けず、自分が今どんな状態かも解らないまま、無意識にてのひらが砂をいた。

 ミイラと変わらぬ乾ききった身体に、じわじわと、力が戻っていくのを感じる。


 ふぃん――……、と、音が落ちた。



 赤茶ににごった視界の中に、おさない少女がうずくまっていた。細くまっすぐな真白の髪を砂礫の大地に広げ、細い両腕で碧緑の三日月を抱いて、自分を見ていた。

 髪だけでなく、身にまとう粗末な衣服も、むき出しの腕や髪に縁取られた顔も、色を失ったかのような――白。

 うつろにひらいた薄灰の両眼が、ゆっくりと瞬く。


「……良かった、生きてた」


 人形のような真白の少女は、消え入りそうな声でぽつん、とつぶやき、そしてぎこちなく笑った。腕の中の三日月を模した竪琴が、ふぃん、と音を立てる。


「貴女、は?」


 久方ぶりに発した声は、ひどくかすれて老人のようだった。見えないけれど、自分の顔ももしかしたらそうなっているのかもしれない。

 物語に出てくる砂漠の化物のような姿で今、少女の前にいるのかもしれない。


 ――もしも、そうだとして。

 けれど少女は確かに言ったのだ、〝生きてて〟良かった、と。


「私は、ましろ」


 思考の迷路にくさびを打ちこむような、明瞭な声が鼓膜を震わせる。それが少女の名乗りだと、しばしののちに気がつく。

 一瞬でも人形みたいだと感じたのが嘘のような、はっきりした強い声だった。


「……貴女は、……なぜ、……?」


 言葉がうまく出てこないのが、ひどくもどかしい。渇ききった喉が痛むからだとか、身体がまだ十分に感覚を取り戻していないのだとか、そういう言い訳のせいではなく。

 ――生きていた。

 そう、自分は、結局死ねなかったのだ。


 絶望しか残されなかったこの世界で、死ぬことすらも許されず、二度と目をひらくまいとまで思った、自分を。

 生きていて良かったと、少女は言ったのだ。


 ……なぜ。

 良かったなどと言えるのだろう。


 希望のヒトカケラものこしてもらえず、ただ不死だけを保証されたこの身体だけが、すべてを超越してここに生かされているだけなのに。

 世界から置き去りにされてしまった心は、こんなにも、こんなにも死を望んでいるというのに。



「泣かないで。お願い、泣かないで」


 不意に泣きだしそうな表情で、少女が言った。細い腕がゆっくり動き、三日月の竪琴が地面に落ちて不思議な音を響かせる。

 ふゎさと風が動き、白い色が濁った視界をかすめて舞った。


「いっしょに行こう?」


 伸ばされた腕が肩を包み、少女の肩越しに白い翼が視界を覆う。薄い身体と細い腕、子どもと変わらぬ少女の声が、母親みたいな響きで耳をくすぐった。


「いったい、どこへ? 私には此処ここ以外に、帰る場所などないんです」


 少しずつ、声に音が戻ってゆく。水気の失せた身体に流す涙など残っているはずないのに、喉の奥に涙のかたまりがつかえているみたいに息苦しかった。

 自分を抱きしめた少女が、否定の意味に首を振ったのを知る。


「違うよ。ぜんぶ失ったら、はじめから、さがすしかないの」

「……探す、って」


 彼女はなにを言いたいのだろう。

 本気でわからなくてオウム返したら、腕が解かれて視界が開けた。


「ぜんぶ、はじめから。生きてく理由いみも、愛するひとも、帰る場所も……ぜんぶよ。ねぇ、いっしょに行こう?」


 すぐ目の前に、小さなてのひらが差しだされていた。

 少女は硝子ガラスの瞳でまっすぐ自分を見ていて、つくりものめいた顔は少し怒っているようにも見える。


 ――否、と。

 その手を拒絶することもできるだろう。

 自分はまだ此処ここを去りたいとは思っていなかったし、どこへ向かってなにを探すべきか、漠然としすぎていて希望にはぜんぜん足りてない。


 だけれど。


「貴女が、……迷惑でないのなら」


 少女は自分を見て、良かったと笑ったのだ。

 おのれ自身で見切りをつけてた生を、彼女は見つけ出し、そして生きていたと喜んだのだ。


 何もかもが壊れた世界で、絶望以外のいっさいを奪われて。

 それでもまだなお、なにかを見つけられるというのなら。


 もう一度、夢みることも、許されるのだろうか。


 立ち上がろうとしたら足に力が入らず、崩れかけた身体を、少女の腕が抱きとめる。

 その身体が人のようなぬくみをはらんでいないことに気づいたのは、おのれ自身の身体が再び生に近づいてきたからかもしれなかった。


 それでも、それがどうだって言うのだ。

 どうせ世界は壊れて、ことわりも倫理も法令も、いっさいが無にしてしまったのだから。




 +++


 

 


 世界のはてで、夢をみていた。

 世界が終わる夢を。


 ずっとずっと、それを望んでいたのに。

 なのに、どうして。

 つくりものの心がこんなに痛むだなんて、誰も、教えてくれなかった。


 知っていたなら、私。

 会いたかったひとたちが、たくさんいたのに。


 此処ここの場所が、アタリマエの様にいつまでもるはずないって――……、解ってたつもりだったのに。


 ねぇ、私はもう一度。

 あなたたちを、捜しに行っていいですか――?



「ねぇ。終われない巡りあわせなら、――ソレを探しに一緒に行こう?」






 to where...?

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