ⅳ.遠雷
カタカタ、カタカタ、と、風がうたう。
薄暗く閉めきられた建物の片隅、ツギハギの毛布と蒼い羽毛にうずもれて、腕の間にクマのぬいぐるみを抱きしめて、少女はそれを聴いていた。
サラサラと、削るような砂の音。
ときおりカツカツと、小石がたたく響きが混じる。
ぬるい体温と長い毛に覆われた巨狼の身体からは、今日も変わらずなにも聴こえないのに。
顔のすぐそばで丸くなっている黒猫と、同じく。つくりものめいたやわらかさと手触りのよさは、彼もきっと
と、思っていたのだけど。
「フィー、嵐が来るよ」
耳をくすぐるやわらかなテノール。彼のこえが特殊な楽器みたいに、不思議な響きの歌をつむげることを、一応知ってはいる。
おさないころ、眠る前にいつも歌ってくれたオルゴール人形の、ように。
「……りれくん、溶けちゃう」
「それじゃ困るから、僕はここから出ないさー」
声が、笑う。
風の音に混じって、なぜか遠かった。
「外、うるさいね」
ぎゅうと抱きしめたクマのぬいぐるみも、やわらかくてあたたかかった。自分と同じ、ニオイがした。
こうやってうずもれていても、蒼い獣から同じニオイはしないのに。
「眠れない?」
ううん、そうじゃない。
心臓の音も呼吸の音も、聴こえないけど、彼は話すことも歌うことも、できて。
冷たい北風の匂いと、砕けた氷の匂いがする。
「うん」
本当は、本当は。
ぬいぐるみじゃないって知ってる。
「じゃ、歌ってあげようか?」
ときには巨大で綺麗な蒼い天狼だったり、ときには白い翼がある青年だったり。
冗談めかしてささやく言葉の向こうでは、濃青の双眸がいつでもまっすぐ、自分を見ていることも。
「エメが、うるさいって起きちゃう」
「確かにね」
つくりものじゃないことなんて、その瞳を見ればすぐ
でも、こんなに近くにいるのに、なぜ。
彼が〝いきている〟のだと思えない理由は、なんなのだろう。
♫
朝になるころ、風のざわめきはますます騒がしくなっていた。
フィーがぼうっと向けた視線の先では、大きな白翼を風になぶられながらリレイが空を見ている。
灰と紅と光色が不気味にうずを描く空から、強い風がたえまなく吐きだされているみたいだった。
「……嵐?」
今にも雲が口を開いて奇妙な魔物が姿を現しそうなほど、異様な
神殿で寝ていたはずの子どもたちはもうみな外に出て、レスターの指示に従い畑に向かったらしい。
「うん、そう。結構大きいな。畑、守るのは……ちょっと難しいな」
淡々とリレイがつぶやいた。
フィーはそれに答えるでもなく、外の光景に目をうつす。
雨も降らない乾いた大地にやってくる嵐って、いったいなんなのだろう。
いくら考えても、想像がつかなかった。
「ちょ、リレイ君! 起きてたんなら君も手伝ってッ」
ふたりを目ざとく見つけたレイチェルがこちらに向かって駆けてくる。
手に持っているのは、麻を編んだ太い紐と、ボロボロの布切れ。
それを使ってどう畑を守るのか、フィーにはやっぱり想像できない。
それでもレイチェルは、真剣なんて通り越した必死の瞳をしていて、リレイはそれを見てちいさく笑った。
そのつかみどころない反応に彼女が
「嵐を止めて来てあげるよ」
「……え? ちょ、何する気ッ」
目をみはるレイチェルと、首をかしげるフィーの前で、青年の姿が蒼く輝き、一瞬のうちに翼持つ獣の姿へと変様する。
そして止める間もなく、両翼を広げ大地を蹴って飛びあがった。
「リレイ君!? 待ッ……もうっ、アズルおいで!」
制止の声はもはや届かぬと悟り、レイチェルも負けじと相棒のグリフォンを呼ぶ。
強い風をきりさく力強い音と共に現れた、鷲と獅子の姿をあわせ持つ翼獣の背に飛び乗り、彼女もまた
「…………」
それを、フィーは無言のままぼんやりと見上げる。
蒼と金の姿が、だんだんと遠のいてついには点になり、視界から消えるまで。
残された少女は、クマのぬいぐるみをぎゅうっと抱きしめたまま、ずっと空のかなたを、見続けていた。
♫
「……風、うるさい」
「んー、きっとさみしいんだと思うな」
「泣いて、いるの?」
「いや、呼んでるのかもね」
「……誰を?」
「気づいてくれる誰かを、じゃないかな」
to be...
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