ⅲ.立ち枯れの神殿

 

 とてもじゃないが椅子とはいえない破材に腰かけて、陶器の器につがれた緑のお茶をひとくち含む。

 実に数週間ぶりの水分は、乾ききった身体にじんわり染み透るようだった。




「……そうですか。ずいぶんと遠くから、旅をなさって来たんでしょうな」


 距離ではなく、時間でもなく。

 白髪の老人はリレイの話にそう、穏やかな口調で感想を述べた。

 そのまま視線を落として物思いにふける彼を、リレイはぼんやりと観察する。


 彼が着ているのは、古びてはいるものの仕立ての良い白のローブ。

 ほころびはきちんとつくろわれ、手入れがなされている。


 見るからに神事をつかさどる職の者だと思って、リレイは小さくため息をついた。

 神殿を見たときから解っていたとはいえ、願わくば、できるだけ苦手でない神様であって欲しいのだけれど。


 さっきから小さな足音が何度かいくつか、近づいて立ち止まっては去ってゆく。

 自分たちを追いかけたレイチェルというグリフォン乗りの少女の他にも、ここには小さな子供たちがたくさん住んでいるようだった。

 見知らぬ来訪者が気になって、様子をうかがいに覗いてるってトコロだろう。



「無論、滞在は構いませんとも。ですが、見ての通りに雨は降りませぬし、土地もせておる上に、私のほかはみな子供たちだけでして。旅人といえど大人であれば、働かざるもの食うべからず……という格言はご存知でありましょうな」


 ふ、と意識を引き戻されて、リレイは目の焦点を眼前の老人に戻した。

 レスターと名乗った彼は、生きのびた子供たちに井戸を掘り、土地をき返して作物を育てるすべを教えているという。


 ここに住み、井戸の水を飲み、畑から糧を得るのなら、働いてくれと。

 それはもっともな言だったし、リレイも異論はなかった。


 ……異論は、なかった。

 あるのは異論ではなく、個人的な事情というヤツだ。




「畑仕事以外、なら、と、いうことで、お願いします」

「ならば、何をしてくださいますかな」

「……ひとまず、僕の分は何も要りませんのでー。エメもソーラーで動くから、問題ないし、フィーの分だけ貰えれば」


 曖昧な笑みを口元に貼りつけ、歯切れ悪く答える奇妙な旅人を、レスターは改めて眺めやる。

 答えを濁しながら視線を泳がせるさまは、あからさまに不審だった。


 一見すれば、背に持つ大きな翼が印象的な、身なりの良い青年だ。


 肩につかぬ程度に切りそろえられた髪は、くすんだ金。長い前髪は綺麗に分けられ、ひと房だけが水色に染められている。

 つり気味の両眼は天頂の青。真白い翼には染みひとつなく、連れの少女と違って、衣服がすり切れたりほつれたりしている様子もない。


 若者らしい細く長い手足と幼さを残す中性的な顔立ちを見るに、せいぜい二十歳前後だろう――、年齢が外観そのままであるなら、だが。


 有翼種族といえば、鳥人族バードマンと呼ばれる者たちになら会ったことがあった。

 だが眼前の若者は、鳥に似た大きな翼を背に持ち羽毛に覆われた耳と鋭い視力を持つ彼らとは、似ているようで決定的に違っている。

 彼は翼以外はどこも人間と違いがないし、そもそも鳥人族は狼に化けたりしない。



「貴方様は、天使族エンジェルですかな?」

 ふいに思い当たったことを口にしたら、落ちつきなくさまよっていた視線がいっとき止まり、やがてレスターを見た。


「んー。天界に住んでたのはもう、ずっと遠い昔で。……ほら、僕、輪っか無いでしょ? それに狼だし」


 にこり笑うと、リレイは細い指で自分の頭上を指差す。

 白い翼がかすかに動いて、さわと風が鳴った。


「確かに、エンジェルリングが取り外し可能だなどとは、聞いたことありませぬな。しかし貴方様は、堕天したようにも見えませぬぞ」


 会ったことはないが、堕天使ダークエンジェルの翼は闇色三対だという。

 レスターは、肯定することなく否定もせずただ無言で笑むリレイを見、それから少し離れたところでレイチェルからわんを受け取るフィーに視線を向ける。


「もしや、彼女の守護天使として、下界におられるので?」


 司祭なだけあって、さすがに知識が深い。鋭い質問に、リレイは黙って笑みを引かせ、つぶやいた。


「違いますよ。世界が壊れた次の日に、僕は、あのコを拾ったんです。全部が引き裂かれて死んでたのに、彼女だけは、……守られてた」


 誰に、という部分は語らず、青い眼が瞬いて、栗色の髪の少女に向かう。







 今よりいくらか昔、世界は、いちど壊れた。



 ある者は炎が降ったと言い、ある者は氷が侵蝕したと言う。

 地を揺るがす振動がすべてを砕いたのだとも、天をくほど高い波がすべてを拭い去ったのだとも言われるが、その真相にいかほどの意味があろうか。


 原因もキッカケも、この世界の過去も未来も、リレイは知らない。

 興味もないし、知ろうとも思わない。


 大きな国も小さな国も、そこに現存してとこしえに在るべきだった一切すらもすべて、倒壊し、崩落し、滅亡してしまったのだから。


 白い砂礫されきと乾いた風に覆われ、ふいに襲いくる極度の寒波と、容赦ない炎天と。

 土を掘っても水は出ず、代わりに砕けた骨が出た。


 荒漠と死した世界に生命の気配を見出みいだすことはできなくとも、しかし大地が死してしまったわけではなく。




 時間が経てば、雑草のような植物がまばらに、白い地面を割って顔を出した。

 最初はネズミやゴキブリみたいな生き物が現れ、そのうちにカラスやハイエナがうろつくようになり、死に絶えたと思っていた人間たちすら姿を見せるようになった。

 その多くは、ひもじすぎる生活に耐えかねてやせ衰え、ぎらつく太陽に焦がされ、凍てつく夜気に命を削られて、いずれは死んでゆくしかなかったのだけど。


 虫や鳥や獣であれば辛うじて生きのびることができたとしても、人が生きのびるのに世界は過酷すぎた。


「神様は、ひとを、全部、なくしてしまいたかったんだと思う」


 ぽつんと呟き、くすりと笑った天使の姿の青年を、レスターは不思議そうに見て尋ね返す。


「なぜ、そうお思いに?」

「わからないけど」

「……ふぅむ」


 同意が欲しいわけじゃない。

 不遜なことだととがめられるかとも思ったが、彼は思案にふけるように黙り込んだだけで、何も言わなかった。




 しばしの静寂ののち、ふいにレスターが立ち上がった。穏やかな笑みを浮かべ、黙って見上げたリレイを見返す。


「宜しければ、神殿の中をご覧になりませぬか?」

「…………なぜ?」


 白髪の司祭は、昔日を眺めやる老人の瞳で、静かに言った。



「貴方様に見ていただきたいと思うからですよ、リレイ殿」






 白い大理石を積み重ねて造られた白い神殿は、ところどころにいたみがうかがえるものの、目立った破損箇所は見当たらない。

 よく見れば大きなヒビや穴に、白い補修材が塗りこんであるのが解る。


 この建物が世界の崩壊を生き残ったのか、崩壊後に、彼らと子供たちの手によって建てられたのか。

 レスターに聞けば答えは得られるのだろうけれど、リレイは聞かなかった。


 白く塗られた木の二枚扉を押し開けて、レスターは中へと彼をうながす。

 うながされるままに踏み込み、示された指の先に視線を向け。



 リレイは一瞬、息を忘れてそれを見上げた。



 大きな大きな樹の、抜けがらだった。


 まっすぐ天へとこずえを伸ばしていたであろうその幹は無残にも途中から折れ、その先が失われている。

 そして真っ白に炭化していた。


 まるで石膏の置き物みたいな枯死樹こしじゅに、リレイは眉を寄せてレスターを見る。



「コレがあなたの仕える、神様ですか?」

 


 老いた司祭はしわの刻まれた顔をゆるめ、微笑んだ。

 無言で動いた腕の先、伸ばされた人差し指が示す方向を、怪訝けげんに思いながらリレイは目で追う。



 そして。


 絶句した。




「生きておるのですよ」


 いとおしげにささやかれた声音は、神に向ける敬虔な畏れというよりはむしろ、孫を慈しむ老人のごとく。


 白く立ち枯れた大樹の根元から、淡く色づいたちいさな若枝が、天へと緑のてのひらを広げている。

 それは確かに、この樹が今なお生きているという、証拠だった。


 目をみはって立ち尽くすリレイの隣で、レスターは静かに語る。


「確かに。あの崩壊は神罰やもしれませぬし、世界はとうに神に見捨てられておるのかもしれませぬな。……ですが私は、そうは思えぬのですよ。神が捨てた大地ならば、新たな命が芽吹くはずなどありましょうか」


「……信じたって、結局、裏切られるさ」


 青年が乾いた笑いと共にはきだした、つぶやきが、静かな建物内に余韻を残す。

 だが、老人の穏やかな瞳は揺るがなかった。


「何をもって裏切りと断じましょうぞ。我々はこうして、生きておるではありませぬか」




 沈黙が満たす静寂の中、砂礫されきが風に混じって窓を叩く音だけが、聴こえる。

 リレイが瞳を巡らせて、真白い立ち枯れの樹を見上げた。


 蒼天を写しとったような青い双眸に宝石みたいな空虚感を映して、彼はしばし時間を忘れたように、無言でそれを見上げ続けていた。




 

 ♫



 


「りれくんも、何か、もらったらいいのに」


「いいんだ。天狼の主食はかすみだから」


「……おいしい?」


「ううん、全然」


「食べたいものとか、……ないの?」


「そうだなぁ。キミを食べたいって言ったら、どうする?」


「…………エメが、怒るからダメ」


「……そ、っか」







 to be...

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