ⅱ.風樹の里

 


 蒼天のもっと上までも透けて見えてそうな、蒼い蒼い空だった。

 鳥のような影を地面に落としながら、ちぎれた綿みたいな雲のカケラが、勢いよく流れてゆく。



 ぎらぎらと遠慮ナシに照りつける太陽を恨めしげに睨みつけるのは、ちいさな女の子。

 細い両手で運んできたバケツを地面に置くと、中の水を手おけですくいあげ、大地にばらまいた。


 サラサラに乾いた茶色の地面は、飢えたイキモノみたいにそれを吸いこんでしまう。

 容赦なく降りそそぐ炎天に顔を真っ赤にしながら、バケツが空っぽになるまで少女は水をまきつづけた。

 最後にバケツをひっくり返し、底に残った水までぜんぶ大地に吸わせると、彼女はもう一度頭をあげて蒼天を睨む。





 ――ふいに。


 きらりと何かが光った。


 目が痛むほどのいちめんの蒼に、誰かが切り目を入れたのかな。

 ぎらぎらな太陽の眩しさに目を細めつつ、少女は確かめようと目をこらした。


「トリ?」


 はばたきに似た、風を乱すノイズ。ちかりと閃いた、黒っぽい反射光に目が眩む。

 思わず瞬いたと同時、何か大きなカタマリが蒼空から抜け出した。


 少女は思わず目をみはる。


 それは蒼い大きな、獣だった。鳥に似た翼をはばたかせ、ゆっくり空から降りてくるソレが向かうのは、白く塗られた神殿の――屋根の上。


 身震いが全身を通り抜ける。

 アレは、あの獣は、いったい何者だろう。




 と、激しく風をかき混ぜる翼の音が耳を打ち、少女は思わず振り返って仰ぎ見た。

 視界に映ったのは鷲の頭に獅子の身体を持つ翼獣と、それに乗った年上の少女。


 金茶の翼がきらめくようにはばたき、逆巻さかまく風に紫紺しこんの髪が踊る。

 彼女らが向かうのもまた、蒼い獣と同じ神殿の屋根だ。


「レイチェっ」


 誰より心強いふたりの姿に、少女の胸をひと握りの安堵と大きな不安が揺さぶる。



 どうか、どうかどうか、もう誰も、


 失われちゃうことが、ありませんように――。




 ♫



 

 耳元をかする風とは異質の甲高い笛みたいな音に、リレイは濃青の眼を動かしてそちらを見た。

 岩場を通り抜ける強風の鳴き声、もしくは猛禽もうきんが発する警告音――そういう系統の〝声〟に似ている。


「……眩しッ」


 自分と音の主を結ぶ直線の先に、ぎらぎらの塊が苛烈かれつに輝いていた。

 視力に優れない狼の目では、逆光に潜む相手を見るなどできるわけがない。


「フィー、しっかりつかまってて」


 降下はやめ、翼を強く何度かはばたかせる。風を叩いて得た浮力に身をまかせ、リレイは弧を描くように方向を変えた。

 耳に届くのは、追いかけるように強い翼が風を打つ音。


『敵のシュウゲキぅにゃ?』

「って、思ってるんだよ向こうもー」


 黒猫が半分言ってくれたので、便乗しておいた。背上の少女がしがみつくように顔を押しつけ、耳元であえぐように訴える。


「りれくん、風、痛い」

「ゴメンねフィー、ちょっと我慢してて」


 これ以上速度を上げれば、フィーやエメロディオを落っことしてしまう。

 長い耳をせわしく傾けながら風を読み、やっとの思いで相手の風下に回ると、リレイは流れてきたニオイを確かめてびっくりした。


「グリフォン?」


 しかも一緒に、人間の少女のニオイまで。

 凶暴で貪欲な幻獣と人の娘、これは異色な組みあわせだ。


『グリフォンは獅子の身体に鷲の頭と翼を持つ幻獣にゃ。好物は馬肉、獰猛どうもうで貪欲で気位きぐらいの高い性質は、鳥の王者と獣の王者双方の特徴を持つ者に相応しい貫禄かんろくにゃ。やる気ない狼と比べりゃ月とスッポンにゃ』


「ラスト一文余計だし」


 データ検索でもしたのだろう、すらすらと黒猫が読み上げる。脚色に軽い敵意を感じたが、比べられればなるほど、コチラも向こうと同じ猛獣と少女の組みあわせだ。

 似た者同士な相手なら、彼女らを脅かすつもりはないとしらせれば、警戒を解いてくれるかもしれない。


「よーし、エメ。こうなったら、君が行って話をつけてきなよ」

『にぅ、やーにゃ! えめがッたにゃ、一撃でパクンにゃぁ!』

「大丈夫大丈夫。エメは馬じゃないし、美味そうなニオイもしないし」

『みぎゅぅぅ、ホネもカスミも見境ナシな悪食あくじきオオカミにゃ、説得力ないにゃッ』

「大丈夫だって。グリフォンは美食家だから」



 風を切る音がどんどん近くなる。向こうが話すつもりか襲うつもりかは、今の時点じゃちょっと判断しようがない。


 こんな状況でたのしげに自分をからかうリレイに、エメロディオの理性がぷつんと切れた。

 足の先に仕込まれた鋭いツメに、きらりと太陽光が反射する。





 

「あれ? アズル、あたしまだ撃ってないよッ」


 凶暴な魔獣だったらと念のため持って来たクロスボウに一瞬だけ目を落とし、彼女は釈然としない気分で相棒に話しかけた。

 同意するように喉で唸ったグリフォンは、翼を弓なりに広げて降下の体勢を取る。


 中空を旋回していた蒼い獣が唐突に傾いて落下した、その場所を目指して。




 ♫




 

「……エメ、りれくん。運転中は、ケンカしちゃいけません」


 腕にしっかとクマのぬいぐるみを抱えた少女が、白い砂礫されきや薄茶けた砂を黒いワンピースから払い落としながら、ぽつんと呟いた。


 かさかさの大地にあおむけの姿勢で転がったまま、枯茶かれちゃの髪と大きな白翼の青年は、壊れたおもちゃのようにけたけたと笑っている。

 彼の胸の辺り、白い上着にツメを立て震えながらしがみついてるのは、機械の翼とエメラルドの瞳を持つぬいぐるみの黒猫だ。


『こここわゎかたぁにぃあぁ』

「あっはは、はは、……ははは、あー、びっくりしたーあははは」


 笑い方が棒読みなリレイの顔の真ん中には、見事なひっかきキズ。言うまでもなく、エメロディオの仕業だ。

 それ以外には誰も大きな怪我がなかったものの、バランス崩して墜落、という体験がよほど怖かったのだろう。黒猫はまだがたがた震えている。


 空を飛べるとはいっても、一度失速してしまった体勢を空中で、それも人を乗せたまま立て直すのはかなり難易度が高い。

 特に今日のように、風の穏やかな日には。

 とっさにかけた風魔法が間にあって地面にめり込む事態は避けられたものの、数秒の無重力状態がスローモーションで流れていったほどにギリギリだった。


 同じ恐怖体験をしたにもかかわらず、フィーはそれほど動じた様子もなく、今度は丁寧にクマの汚れを払っている。


 さすがに笑い疲れたリレイはようやく首を巡らせ、フィーを見、それから砂礫を踏んで近づく足音に気がついた。


 ひょい、と上体を起こし、そちらに目を向け――濃青の双眸を細める。

 リレイの視線に気づき、フィーも無言で背中ごしに振り返った。


 短く綺麗に整えられた白髪と、口元にたくわえられた白い髭。

 襟つきのゆったりした長衣をまとった初老の男性が、驚いたようにふたりといっぴきを見ていた。


「あなた方は旅人ですかな?」


 穏やかな口調に猜疑さいぎや警戒の響きはなく、つられるように黒猫が、耳をぴくりと動かして首をめぐらせた。


「ですね、そんなカンジです。……と言っても、目的があるわけじゃないんですが。単純に、食べ物と休む場所を探してただけで」


 笑顔で話すリレイにふぅむとうなずいて応じる老人を、フィーが黙って見あげる。

 リレイは濃青の双眸をいちど瞬かせ、そして懐っこく笑うと、続けた。


「僕はリレイ、彼女はフィー、こっちの黒猫はエメロディオ、といいます。突然やって来て申し訳ないんですが、少しの間ここに滞在させていただけませんか?」




 ♫





「不思議な毛色。……空みたい」


「うん。天狼の身体と翼があおいのは、保護色だからね」


「蒼空じゃないときは、どうするの?」


「天狼は、雨に濡れると溶けちゃうからさ。曇りと雨のときは飛ばないんだ」


「……ウソ」


「ホント、だよ?」






 to be...



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