第8話:扱いに困るお金、軋む男

 入手先不明の現金なんて確定申告できませんよね?


 依頼費用として支払ってくれた相手の名前は知っているのだが。

 しかし、その名は果たして本名なのだろうか?

 偽名かもしれない。パスポートを提示してもらった訳でも無いから。

 そもそも勝手に置いて行ったお金であって支払いとしては成立していない上に、こちらとしては認めてもいない。


 だいたい彼女はドコの国の人?

 白人女性である事だけを頼りに探すのはほぼ不可能。


 札束から指紋を採取して探し出すか?


 エグリゴリ氏が人員を動員してまで探し出そうとしている女性が、易々と証拠など残してくれようか?

 この1千万円の札束からは、人様をタコ殴りにしてくれた連中の汚い指紋が上塗りされてしまって肝心な彼女の指紋は採取できないと思う。



 それらを踏まえての結論は。



「まあ、黙ってりゃバレはしないだろう」

 元警察官が一番言ってはいけない台詞を吐いてしまった。


「派手に使わなければ問題無いでしょうけれど―」

 弁護士、追風・静夜はジュラルミンの小箱を手に取ると、意外なほどに軽い事に「へぇー」と感嘆、同時に彼女も職業にそぐわない失言を吐く始末。


「先生。この依頼の立会人になってくれませんかねぇ」

 探偵田中・昌樹はテーブルに両手をついて頭を下げる。しかし、大きなアフロヘアーが視界を埋めるこの構図、まるで毬藻マリモと会話しているように思えて滑稽こっけいだ。

 画的に可笑しなコトになっている事に呆れて、窓の方へと顔を向けた。


「おことわり。脱税の心配なら、自慢したり派手に使ったりしなければ絶対にバレはしないって。だから私を巻き込まないでちょうだい」

 着服ほう助の発言をしておきながらも断固拒否。降り掛かる火の粉は全力で回避してみせる、まさに元公務員のかがみとも言うべき行い。


 立会人の件は諦めるしかなさそうだ。

 ならば賄賂でその口を塞ぐか。


 しかし。


 静夜は窓辺を向いたまま。

「お金で黙らせようなんてダメよ。刑事裁判はからっきしだけど、民事は順調だからお金にはさして困っていないの。残念でした」

 持ち掛ける前に断りやがった。


「ところで、このはこ、本当に中身は麻薬とか違法なものじゃないのよね?」

 サンジェルマンは違法なモノでは無いと断言してくれていたが、彼女の言葉を鵜呑みにするのは危険。

 かと言って、レントゲンで中のものを調べる訳にもいかないし、アレはアレで使用するのに色々と面倒な手続きが生じてしまう上に、MRIも同じ理由で無理が利かないし、調べようにもジュラルミン製の箱では熱を帯びてしまって検査どころではなくなる。なので、どのみち却下。


 ヒントは匣の中身は“未来の私自身”そして、これがエグリゴリ氏の手に渡った時点で“人類史に本物の神が現れる”とか。だいたい名前からして縁起が悪いぜ。

 “悪魔の匣”だってよ。


 笑っちまうぜ。内心呆れて笑いが込み上げてくる。サンジェルマンのせいで見ず知らずの男たちに袋叩きの目に遭わされたのだから。


 そして笑えない事実がもうひとつ。


 エイジの存在だ。


 アレが夢でなかったら、彼が再び姿を現す時にまた、あの痛みと苦しみを経験しなければならないのか?思い出すだけでもゾッとする。



 不意に電話の着信音楽が鳴った。

 1980年代の刑事ドラマのテーマ音楽だ。

「あ、私だ」

 すかさず静夜はボロボロにされたバッグからスマホを取り出して電話に出た。


「ああ、理依。そう、依頼人を実家まで送ってくれたの。ありがとう。え?京都激辛商店街で食事をしたら帰りの電車賃が足りなくなった?アホか!お前の二本の脚で走って帰って来い!」

 労いの言葉は一転、舌打ちを鳴らしながら電話を切った。


「ふーりえちゃん、向日市の子だったのか」

 昌樹の頭には理依を心配する気持ちなど微塵も存在していなかった。

 逢って間無しな上に、さほど気になる娘でもなかったから。要はタイプじゃなかったのだ。


 京都府向日市。

 競輪場がある事でも有名な場所。

 現在は唐辛子のゆるキャラを立てて“激辛”を売りに京都激辛商店街を盛り立てている。

 激辛商店街とは名前こそ“商店街”と称してはいるが、京都激辛商店街に加盟した店舗の総称であって実際に激辛メニューを売りにしている店舗が並んでいる訳ではない。

 ラーメン店やカレー店はもちろん、洋菓子店、和菓子店も加入しており、それぞれが激辛のメニューを提供している。ちなみにアイスクリームもあるよ(辛いよ~)。


「あそこから走って帰るとなると、4時間は見ておいたほうが良いな」

 やはり心配する気配すらない。



「じゃあ、そろそろおいとまさせて頂くとするわ。その匣、警察に咎められるような事になったら、ゼッタイに私の名前を出さないでよね。いい?」

 元検事様は全力で保身に突っ走る。


「すみませんね。大したお構いもできずに」

 見送りは玄関まで。

 マンションの鉄扉が閉じられる。


 まったく…随分なおもてなしだったわ。

 コーヒーの香りの混じった抹茶を飲まされるわ、ベランダに閉じ込められるわ、怪我人の介抱はさせられるわ…。

 階段を下りた方が早いエレベーターで降りる中、ふつふつと怒りがリプレイされる。

 でも。

 あの“エイジ”って子、何者かしら?


 沸き起こる怒りも彼の事を考えると、たちまち消え去ってしまった。





 明くる日の朝―。



 御池通りにある病院(エイジが昌樹を連れて素通りした)から一人の男が出てきた。


 彼の名はスノー。


 “見張る者エグリゴリ”の一員とだけ知られる彼は先日、数人の男たちによって殴る蹴るの暴行を受けた男性を追っていた。

 当然、救急で運ばれた患者と見立てて探りを入れてみたのだが、病院側は患者のプライバシーを盾に患者の情報を一切提示せず。それどころか、急患が運ばれた時間や場所も教えてはくれなかった。


 やれやれ、ここまで口が固いとは…全く、頭が下がる思いだ。


「まあ、僕と同じレベルのエレメンツ保有者なら、エレメンツが体の中にいた状態だと、致命傷には至っていないだろうね」

 今度はドラッグストアを当たることにした。

 きっと包帯や傷薬などを大量に買い込んだ人物がいるに違いない。

 それもあるけれど、そろそろ増血剤を仕入れておかないと。

 一度Feフィーエを発動させると、体中の鉄分を大量に消費してしまう。昨日は久しぶりに思う存分暴れさせてやったから、反動で貧血からくる立ちくらみを起こしてしまった。


「この国は、錠剤のものだけじゃなく飲料タイプのもの揃っているので、とても助かるよ」

 錠剤の大量摂取という苦痛が和らいでくれるのでとても重宝している。

 なので、スノーの足取りは幾分か軽い。

 さらに、彼の上着から着信音楽が鳴った。

 携帯電話を取り出して電話に出る。


「やぁ、フォグかい?貴方から僕に電話なんて珍しいですね。組織の名前を、さも自身の名前のように名乗るのは同じ組織の者としていささか感心しませんね。ええ、彼らは役に立たないので始末しましたよ。大騒ぎになっている?そりゃそうでしょう。敢えて人目につくように遺体をばら撒いたのですから。これではこの持ち主かサンジェルマンが動く事は間違い無いでしょう。後はじっくりと待ちましょう。では」

 相手がまだ話している途中にも関わらずに、スノーは自身の用件だけを伝えるとすぐさま電話を切ってしまった。

 ついでに電源も落として。


「放した猟犬共に獲物を追い立ててもらってする狩りは呆けた貴族たちがするものですよ。狩人の狩りはあらかじめ撒き餌をするものです」

 フォグなる人物を見下す発言をしながら。


 胸の底から湧き上がってくる笑いを堪えきれずにいた。

 すれ違う人々の注目を集めつつ。

 人々が行き交う中、急に声を出して笑い出すも、すぐさまその笑いを抑え込む。


 スノーが歩を進める度に、錆びた金属の擦れる音が鳴り始めた。

 再びスノーはすれ違う人たちの注目を集める。


 表に出るなんて、待ち切れないんだね、フィーエ。


 ああ、僕も楽しみだよ。


 まだ名も知らぬ君よ。


 君のエレメンツはどんなチカラをもっているのだい?



 ただ、未知のいずれ敵対するであろう人物と対峙するその時を待ち切れずにいた。


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