第9話:追われる男、追われる少女
探偵、田中・昌樹が迷いペットのボストンテリアを飼い主の元へと送り届けて50日が過ぎ―。
分かり辛い…とても分かり辛い。
昌樹がサンジェルマンから“悪魔の匣”を預かって早50日が過ぎようとしていた。
依頼の3ヶ月、おおまかに90日の半分を過ぎた事になる。
あんなに切羽詰まった様相で依頼してきたので、てっきり抜き差しならない状況に置かれているのかと思いきや、何事も起こらぬまま、ただ平穏に時は過ぎていた。
依頼を受けた翌日に、鴨川荒神橋下の川中に、複数体のバラバラに切断された遺体が発見されたと報道されたくらいで、今日まで特に何事も起きてはいない。
事件の続報として、遺体は4名分と断定されて指紋や歯型から身元も判明。遺体は電動ノコギリによって切断されており、切り口から遺体切断に使われた電動ノコギリを特定すべく今も捜査を続けているとの事。
それにしても荒神橋とは…。
荒神橋といえば。
1953年と随分昔に“荒神橋事件”というのが発生しており、11月の寒い時期にデモ行進中の学生たちと警官隊とが衝突して15名の学生が当時木製だった欄干もろとも落下して重傷を負った事で知られている。
今現在、西へ数十メートル進んだところに京都地方法務局・本局(主に不動産・商業・法人登記)があるのは、ちょっとした皮肉か。
雷は同じ場所に落ちないと言われるが、事件となると不思議な事に同じ場所で発生する事がよくある。とはいえ、それは自動車事故の場合が多数を占めるが。
昌樹は荒神橋を何気なく、ただ何気なく徒歩で渡っていた。
本当にたまたま偶然だった。依頼を受けて迷い猫の捜索に当たっていただけなのに。
「アフロのオヤジだ」
ブレザーの制服の下にパーカーと、くだけた制服の着こなしをしている女子高生が昌樹の姿を目にするなり呟いた。
彼女に見張られていた訳では無い。彼女もたまたまこの場所に居合わせただけ。
彼女は、たまたま知り合った“スノーを名乗る人物”から荒神橋を渡る初老の外国人女性か又はアフロヘアーの男性を見つけたら連絡をするように指示を受けていた者たちの一人にすぎない。
見つけたらお金を貰える。
居場所を特定してくれたら、さらに礼金を上乗せしてくれる。
だけど。
“彼女”もしくは“彼”の身柄を確保したら、さらにもっと礼金を上乗せしてくれるとスノーは約束してくれた。その金額はざっと200万円。
普通は抵抗されるかもとためらうものだが。
「いけそう?」
女子高生は独り言のように呟いた。
彼女の周りには誰もいない。
今、自転車に乗った女性が彼女の傍を通り過ぎただけ。
すると。
「この
彼女の周りには誰もいないのに、明らかに男性の声が彼女の耳に届いた。
「信用して良いのね?アナタのこと」
さらに念を押す。
「昨夜、試しにやたらとエンジン音だけうるさくて遅いバイクを黙らせた私の能力をお疑いですか?」
姿を見せぬ男性は自身の能力を女子高生に再度確認させた。
「あのオヤジもアナタと同じようなのを連れているらしいから確認しただけよ。別にアナタが返り討ちに遭ったとしても私には関係ないし。体重が4分の1減るから私にとって都合が良いなって思っただけ」
心配している素振りは見せない。
それどころか、本当に“声の主”の事を何とも思っていない様子。
「じゃあ、追跡を始めるわね」
告げると、“那須・きなこ”は昌樹から離れること50メートル、彼の後を追って歩き出した。
歩く速度は。
「何なのよ、あのオヤジィ…早歩きでやっと追いつくのが精一杯だわ」
昌樹の、あまりの速さにキナコは苛立ちを覚えた。
「キナコ、もしかしたら彼に気付かれているのでは?ここは一旦距離を置いて様子を見てはどうだろうか?」
提案するも。
「そんな事していたら、ますます置いていかれるじゃない!」
歩行者信号が青の点滅を始めた横断歩道を昌樹は悠々と渡ってゆく。
「交通ルールも守れないのかよ!あのオヤジ!」
悪態をつきながら全力疾走して横断歩道を渡り切る。最後の方ではせっかちな乗用車のドライバーからクラクションを鳴らされ、さらに苛立った。
「キナコ、ここは一旦退こう。我々の尾行は気付かれている」
再三の警告を「うるさいわね!」一蹴してキナコはなおも尾行を続ける。と。
大学の廃学生寮の前で昌樹の姿を見失ってしまった。
「え?マジ?まかれたの!?」
辺りをキョロキョロと見渡す。も、昌樹の姿はどこにも見当らない。
「あのオヤジ…」
キナコの視線は廃学生寮へと向けられた。
正面玄関は予想するまでもなく鍵が掛けられていた。ならば。
うっそうと茂る木々をかいくぐってて裏口へと。
裏口のドアのガラス窓が一部分だけ割れていた。故意に割られた様子ではなく、自然に割れた感じの窓ガラス。手を突っ込むと、ドアのノブに手が届いた。
中から鍵を開けようとロック部分に指を掛けると。
「あ、開いてる」
外からドアノブを回して学生寮の中へと脚を踏み入れた。
先程の割れた箇所から木の葉が風で飛ばされてきたのだろう。屋内には枯葉がたくさん散らばっており、差し込む光は這い散るホコリをキラキラと光り輝かせていた。
幻想的な光景ではあるが、はやりホコリ臭い。
思わず手で口を覆ってしまう。
「ダメだろ、お嬢さん。不法侵入で訴えられるぞ」
男性の声。
すると壁の陰からアフロヘアーの男性が姿を現した。
「何で俺の跡を
単刀直入な質問。
少女は手で口を覆ったまま声の主を凝視して、彼が一歩踏み出すのを目にするなり何も答えずに180度転回して昌樹に背を向けて走り出した。
「お、おい!待てよ。キミは何者なんだ?」
追っていた者が逃げ出し、追われていた者が後を追う逆転した展開となった。
少女の脚は見るからに運動が得意ではない走り方。足の裏で地面を蹴っているので姿は見えなくなってもその足音で十分居場所が把握できるうえに追跡も容易だ。
「ん?」
昌樹は何かを踏んだ事に気付いた。グニュリとした感覚。
少し足に粘り気を感じる。ちょうどガムを踏んだ、あの感覚だ。
あの娘、噛んでいたガムを吐き捨てたのか?余所様の建物内で。まったく…
少女に呆れながら足の裏を確認しようと足元へと目を移す。
「なっ!?」
足が地面から離れない。
ガムだと思ったのに接着剤の類いか。
もう片方の脚を踏ん張って地面に引っ付いた足を持ち上げる。
少し固いが気合を入れると何とか足は持ち上がった。と、すぐさま足の裏を確認。
「ウソだろ…」
黄色いガムのようなものがくっ付いているが、乾燥はしていない。まだ粘り気を帯びている。しかも引っ付いていた方の地面を見やるも、地面には欠片すら残っていない。綺麗さっぱりと足の裏に引っ付いている。
違和感を覚えてならない。
足音が遠くから聞えてくる。
黄色いガムのようなものを踏んだ足を地面に付けることなく、ケンケンで壁へと寄った。
どうやら先程の少女は、寮の反対側の階段を迂回して回り込んできたようだ。
しかし、詰めが甘い。足音で十分居場所を特定できるんだよ!
様子を伺っている最中、黄色いガムのようなものを踏んだ足が背を預けている壁に吸い寄せられるようにくっ付いた。
「何っ?」
そんなバカな。
足はどこにも付かないよう用心して離していたはずなのに。
もしかして、この黄色いガムみたいなのが勝手に壁に張り付いたのか!?
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