第6話 彼の名はエイジ…
ふわりと舞うカーテンへ探るように手を伸ばすと、昌樹は1センチほど開いたテラス戸を勢いよく開けた。
あまりにも勢いが良過ぎたために、一度は全開したテラス戸が反動で戻ってくる。
丁度ベランダへと出ようとしていた昌樹は無様にも挟まれる形となった。
「
「ん?」
勝手にダメージを負っている昌樹に気付き…。
暇そうに飛行機雲を眺めていた静夜が手にしていたのは、電子タバコではなく、超音波式ミスト発生器が付いた疑似タバコ。つまり“禁煙電子タバコ”だった。そもそも静夜は元から喫煙家ではない。
彼女は暇を持て余すために以前はハンドスピナーを持ち歩いていたが、周囲の目もあり現在では禁煙電子タバコから発生するミストを眺めることで暇を解消している。だけど、ミストを鼻付近で発生させておくと、花粉症が幾分か和らぐので結構重宝していたりもする。
「あらマッキー。お客さんを置いて何やってんの?」
訊ねてきた。
「何を白々しい。アンタ、俺と彼女との会話を盗み聞きしていただろ?」
後ろ手でテラス戸を1センチほどの隙間を残して閉めてみせ「こんな風によぉ」。
問い詰められるも「いえ」何食わぬ顔で頭を振った。
とぼけているようには見えないが、弁護士と言う職業柄、表情に出さない芸当くらいはお手の物だろう。
しばらくして。
「ああ、もしかして、窓を閉める時にカーテンを挟んだまま閉めちゃったのかな?ピシッと閉め切った記憶が無いわ。そう言えば」
半笑いでの答えに、注がれる昌樹の眼差しは冷たい。
「本当か?」言い訳のようにも聞こえなくも無い。未だに疑いの眼差し。
「本当よ。細かい事を気にするのね?」
告げつつアフロヘアーをかわして依頼人のサンジェルマンを見やろうと首を伸ばし。
「彼女、トイレ?」
唐突に訊ねた。
「え?」
「いないわよ。彼女」告げつつ不思議そうに唇を尖らせると「おかしいわね?持っていたスーツケースも見当たらない」
静夜の言葉に咄嗟に振り返る。
本当にいない。
どういう事だ??話はまだ終わっていない。彼女からの依頼の返事もしていない。
依頼を受けるor受けない。それすらも聞き届けないで立ち去るなんて。
とにかく優先すべきは。
ベランダから部屋へと入るとテラス戸を閉める。
またもや反動で隙間が生じた。
咄嗟に、その隙間に静夜の指が掛けられるも、昌樹がテラス戸を締め直したせいで「アウッ!」4指すべての第二関節あたりを挟んだため反射的に引っ込めると、すかさず内側からテラス戸を閉め切られて、さらに!カギまで掛けられた。
静夜が窓を叩きながら「何のつもり?マッキー!ここを開けなさい」訴えを聞き入れることなく、さらにピシャリ!とカーテンまで閉め切られてしまった。
弁護士先生の盗み聞き疑惑はまだ晴れてはいない。彼女に好き勝手に部屋の中を歩き回られる訳にはいかない。
さっきから言い合う場面が続いたせいか、喉がカサカサする。
テーブルにはちょうどコーヒーの注がれていたカップがあった。
口紅の跡は無い。
やはりサンジェルマンはコーヒーを口にしなかったようだ。一口含むと「苦い・・」余計に喉が渇く。と。
都合よく個別包装された飴がテーブルに置かれていた。
サンジェルマンが置いて行ったのか?
国を問わず、オバちゃんは常に飴玉を持ち歩くものなのか?(特に大阪のオバちゃんの飴玉所持率はとにかく高い)
「ほへぇー!最近の飴ちゃんは銀メッキを施しているみたいにピッカピカなんだなぁ」
しかも錠剤型。まさか本物の金属ではないだろうなと疑いつつ包装を開けて口に入れた。
甘い。見た目はともかく確かに味は甘い。ちょっと舌がピリピリするけどクエン酸かな?思っている矢先、錠剤飴がスルッと喉の奥へと流れ込んで行った。
いかん!
慌ててカップのコーヒーを飲み干す。
幸い、喉に詰まる事は無かったが、今日日何で命を落とすか分かったものでは無い。気を付けねば。
改めてテーブルに目を移す。
!?
何て事だ。
サンジェルマンは“悪魔の
さらに。
カップの底跡が残るメモ書きまである。
先にカップに口を付けてしまったが、カップを
メモには。
『随分と強引な方法と思われるでしょうけど、やはり貴方にこの匣を託します。彼らはいずれきっと匣の持ち主が貴方だと突き止める事でしょう。その時に、この錠剤を飲んで下さい。必ず貴方の力になるはずです。どうか、お願いします』
サインは無し、か。
メモを読むまでもなく、すでに錠剤は飲んでしまっているし、まあ毒の類いではないのは現在ピンピンしている事から分かるけど、とにかく依頼を受けるとは一言も言っていないぞ。
匣と紙包みを手に…いや!これらは良い具合に静夜の持っていたバッグに収まったので、それを手にサンジェルマンを追い掛ける事にした。まだ遠くへは行っていないはず。
ここのエレベーターはあてにはならない。非常階段を駆け下りて通りに出ると辺りを見渡す。案の定サンジェルマンの姿は見当たらない。
「やっぱり御池通りか」
大通りに出て、もう一度周囲を見渡す。やはり見当たらない。
信号は無いので南へと向かうはずは無い。西へ向かえば地下鉄の駅へと降りられる。
しかし。
距離はあるけど、東に進んでも地下鉄の駅はあるぞ。
どっちだ?どっちに向かおうか。
とりあえず。
「サンジェルマンさぁーん!」
大声で叫んでみた。
道行く人々が昌樹へと向く。が、皆して、間を置かずに元の方向へと向き直った。
手短に西へと向かうか。
歩き出した。
「今、あの女の名前を叫んだよな?」
大通りを挟んで定食チェーン店前でたむろしていた数人の男性の一人が他の者に問うた。
銀のラインの入ったジャージを着込んだ男性たち。行き交う人々は、いかにも危なそうな出で立ちの彼らを避けて通る。
「追うぞ。他のヤツらに先越されてたまるか」
男性たちは信号が青に変わる前に横断歩道を渡り始め、急ブレーキで停車した運送屋のトラックのバンパーを蹴ると、昌樹目指して追跡を始めた。
一方、田中・昌樹探偵事務所のベランダにて開放的に監禁された静夜は。
事務所に連絡を取ろうにもスマホを入れておいたバッグをソファーに置いたままなのを思い出して嘆いていた。
しかも。
こうもカーテンをキッチリと閉め切られてしまっては中の様子は全く分からない。
当然、昌樹が外出している事など知る由も無い。
「参ったなぁ」
何とかして、ベランダから脱出する手段は無いものか…禁煙電子タバコから吹き出るミストを顔に当てながら考えあぐねていた。
探偵事務所から歩く事5分の距離に地下鉄二条城前駅の東降り口があった。
ちょうど地下鉄が到着したらしく、地下から風が吹きあがってくる。
ここをサンジェルマンが降りたかどうかは定かではないが…。
地下へと降りようと、微かに風に揺れるアフロヘアーの男性の肩を見知らぬ男が掴んだ。
「兄さん、ちょっと付き合ってくれねぇか?」
振り向くと男性は一人ではなかった。
4人。
「いま立て込み中」
短く告げて、腕を振り上げ男の手を振り解く。
「言う事を聞いたほうがいいぜ。兄さん」
後ろに立つ男の仲間の一人がポケットからナイフを取り出した。
自分一人なら問題は無い。
しかし、駅へと向かう数人の女子高生たちが傍を通過していっている。
いま、無暗に抵抗すれば彼女たちに危害が及ぶ。
昌樹は仕方なく男の指示に従った。
男たちに囲まれ向かったのは堀川押小路橋、橋の下。
意外と近場であった。てっきりワゴン車にでも乗せられて拉致されるものかと思っていた。
彼らはチンピラの中でも最下層だと察しが着いた。
移動手段を持たない、イキがって周囲に怒声を響かせてはいるものの、いつも群れていないとコンビニひとつ立ち寄れない。まあ十中八九支払いするヤツ意外の連中も揃ってレジ前に立つ面倒(店員から見て)な
「ぐぁっ」
到着するなり右脚の後ろ大腿部を蹴られて無理やり跪かされた。
と、昌樹をこの場所へと案内した男が顔面を蹴り飛ばす。
たちまち4人の男たちに囲まれ体中を蹴られ、踏みつけられた。
(コイツら、理由も告げずにいきなり袋叩きにするのかよッ!)
体を丸めて、ひたすら暴行に耐える。期待は出来ないが、通りすがりの誰かが声を上げたら、彼らに一瞬の隙ができる。そうすれば、この囲みから抜け出して携帯している伸縮式の警棒で自衛できる。とはいえ、それまで意識があればのハナシだが。
「ナニ大事そうにバッグ持ってんの?」
男たちの一人が抱えているバッグに気付き、必死に抵抗する昌樹から奪い取った。
無遠慮にバッグを開くと「おぉーッ!これ、もしかしてお金じゃね?」
紙包みを取り出して歓喜の声を上げている。
彼らのオツムが足りないのは一目瞭然。
掻きむしるように包み紙を破りはがすと、中から覗く1千万円に再び「おぉー」
日中に平然と強盗を働きやがった。
「兄さん。サンジェルマンてBBAから、これを貰ったのか?」
訊ねつつ、脇腹に蹴りを入れてくれる。
「お前ら・・どうして彼女の名前を・・?・・」
「訊いているのは、こっちだ!」
今度は、まるでサッカーボールを蹴るかのように顔を蹴飛ばして。
「まあいい。あのBBAは何処だ?さっさと言え!」
今度は肩を蹴り。
これじゃあ、拷問だな。
全身に痛みが走る中、意外にも冷静さは保っていた。
彼らもエグリゴリ氏からサンジェルマン捜索を請け負っていたのか?いや、違うな。
ただ単に、こういった連中にも金をばら撒いて網を張っているのだろう。たぶん、自分が依頼を受けた時のような大金は積まれてはいないはず。
いいところ一杯引っ掛けられるくらいのはした金を見せ金に釣られた連中だろう。
「答えろッ!!」
金に群がっていた他の連中も戻ってきて、またもやリンチ。
(やべーな…。誰も見ていないのか?この場所。もう意識が…)遠退きそう。
「おっ?バッグの中にスマホの他に何かあるぞ」
馬鹿みたいにはしゃぐ声が耳に届いたが、肝心の体が動きそうにない。
ちょっと派手にやられ過ぎたみたいだ。
“それを開けるな”上げなければならない声が掠れて出ない。
その時。
「ぐああぁぁぁ!」
こ、こんな時に。
昌樹は目を剥いて叫びを上げた。
猛烈な腹痛が昌樹を襲った。
激しい痛みによって動かないはずの体が激しく波打つ。
呼吸も苦しい。
弓なりに仰け反り、激しく痛むお腹を両手で押さえても、なおも痛みは襲ってくる。
「何やってんだぁー!テメェ!」
男は驚き周囲を見やって、見ている者がいないのを確認すると、またも昌樹の脇腹を思いっきり蹴った。が。
昌樹は蹴りの痛みには反応を見せずに、ひたすらお腹の痛みと苦しみを訴え続けていた。
「な、何がどうなっているんだ?コイツ、気味が悪いぜ」
男の顔に、少しずつ焦りの色が浮かんできた。
すると、他のメンバーのひとりが腰を抜かして悲鳴を上げた。
悲鳴を上げたのは一人だけでは無い。
逃走を図るも、腰が抜けて思うように立ち上がれない者までいる。
「ど、どうした!?お前ら」
異様な状況に、冷静さを失った男の取るべき手段は。
昌樹へと目線を戻すことだけ。
!!?
昌樹の腹部から、何と!人間の右手が突き出ているではないか!
しかも動いている。
男の脳裏に遠い記憶が蘇る。
それは洋画のワンシーンで、怪物が人間の腹部を中から食い破って現れるシーン。
こんな事があるはず無い!!否定するも。
右手ばかりか、腕が、肩部までもが次々と現れた。
さらに銀色の繊維のようなものまで現れ。
ついに頭部が現れて男と目線が合った。
「ひ、人が!人の中から人が出てきているぅーッ!」
凝視する視線に耐えられず、とうとう男までもが腰を抜かしてしまった。
みるみる内に上半身が現れると。
不思議な事にヘンリーネックのシャツの上にジージャンを羽織った青年の姿。
なおも苦しむ昌樹には、体の中から人間が出てくるという異常過ぎるこの状況よりも、激しい痛みを何とかしたい思いの方が強かった。
ふと、思いついた。
もしかして、この痛み、妊婦のそれではないのか?
だったら。
ラマーズ法(心理的無痛分娩法)が効果的ではないだろうか?
思う付いたが早速試してみた。
「ヒッ・ヒッ・フー」×3
少し痛みが和らいだような。
なおも続けて。
「ヒッ・ヒッ・フー」×3
その間もお腹の中から“人間”は這い出てくるように姿を現している。
そして、ついに全身が昌樹の体から抜け出した。
カツン、カツン。現れ出てきた青年は生まれたばかりの赤子と異なり、すでに衣服を着用しているばかりか、革靴まで履いていた。
ヘンリーネックのシャツの上にジージャンを羽織り、ジーンズを着用。
体は羊水にまみれる事無く乾いたまま。
髪はサラサラと風になびき、その色はまさに白銀。そして両目はやや青みを帯びた銀色。
青年は男たちを見やり。
ゲボゲボゲボォ。目線が会うなり青年は口から液体を吐きだした。
その超常現象とも言える青年の異様な登場を目の当たりにした男たちは、ヒィヒィ叫びながら腰を抜かしつつ何とか這いずり回って一目散にその場から立ち去ってしまった。
まるで食べている最中の焼き芋の如く半分包み紙を剥かれた札束も放り出して。
日頃から何の努力もせずに、ただ街中でたむろしているだけの連中が、不測の相手に立ち向かおうとする気概を持ち合わせている訳が無い。
全身を現した青年の姿を目にして、昌樹はようやく痛みから解放された。
「お・・お前は・・だれ・・だ?」
激しく息を荒げながらも何とか訊ねる事はできた。
青年は静かに告げた。
「
「エイジ…と・・言う・・のか」
聞き違えた名前を聞き届けた昌樹はその場で意識を失った。
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