第5話 幸せが逃げて行く女、悪魔の匣(はこ)

 京都市中京区小川通り御池上がる―。


 京都市の街並みは碁盤の目状に道路が整理されている…。

 呼び方は大体南北に通る道路(たて道)の次に東西へ伸びる道路(よこ道)なのだが(*例“堀川五条”・“千本丸太町”など)、“四条烏丸しじょうからすま”・“十条烏丸”といった例外も存在する。


 何で??


 元々は“よこ道”を先に呼ぶ習慣だったのが、『言い易いから』との理由で逆になったと言われる。道具でも何でも使い勝手の良い方が後世に残るのは世の常。



「相変わらず発展しないところね…」

 弁護士、追風・静夜おって・しずやが前を歩く探偵、田中・昌樹たなか・まさきに溜め息交じりに告げた。


 御池通りと呼ばれる、日本三大祭りの一つ祇園祭の山鉾が巡行する一大イベントに欠かせない大通りに繋がる道路だというのに、この小川通りは、かつて民泊が乱立するも、オリンピックが終われば真っ先に息切れ・・いや、そもそも発展しきれなかった通りである。

 元々店舗の少ない通りだったことも一因とされる。


「昔からマンションや民泊が建っても、ご覧の通り、西側に高い建物が多いうえに観光名所の二条城は二筋先にあって見渡せないし、それに大通りの御池通りには信号が無いので車は左折するしかないもんな」


 律儀にも丁寧に理由を答えてくれる昌樹に、静夜はこめかみ辺りの髪をクルクルと人差し指に巻いて、またもや溜め息。


「ホンッと変わらないわね。その喋り。気が入っていないと言うか、その、ヘタな吹き替え映画を観ている気分になるわ。そんな喋りでよく仕事が取れるわね?」

 しかし、喋りとは裏腹に、見た目はとても目立つソウルフルな出で立ちへと大変身を遂げていた。


 民泊の成れの果て、今はフロアをぶち抜きにして間取りをテナント用に改装したビルの3階に“田中・昌樹探偵事務所”はある。ちなみに1階はトリミングショップを経営していて、昌樹が見つけてきた迷いペットたちはここでキレイに身だしなみを整えてから飼い主の元へと帰される。

 まるでヤドカリとイソギンチャクの共生のような関係にある。


 ただし、ご近所に獣医さんはいらっしゃいません。




「追風先生。お茶でも飲んで行きますか?」


「何を普通に誘ってるのよ?どうして私が貴方に付いて来ているのか?訊ねるのが先じゃないの?」

 勝手に付いて来ている事を、まるで気にしていない素振りに、ついつい自分の方から訊ねてしまった。


「さっきの“ふーりえちゃん”の件、あとの事は私に任せるって彼女に言ったくせに、当の私が貴方に付いて来ている事に疑問を抱かないの?まったく」

 呆れて溜息が出る。


「彼女の保護なら、先生のアシスタントの、えっと・・誰でしたっけ?」


釘打・理依くぎうち・りいよ。ちなみにアシスタントじゃなくてパラリーガルの」


「リーちゃんかぁ。スゴイですね!インターナショナルじゃないですか!」


「彼女は生粋の日本人よ。なのに、あの子、よく外国人と間違われるのよね。名前もそうだけど、普段着にハデな原色系が多いせいかしら?本人はコテコテの日本人とかほざいているけど。で?」

 “コテコテ”とはコッテリの他に“見た通りの”や“紛いも無く”に使われる(*例:コテコテの関西人など)。


「あの子たち、先生の事務所で手続きに入るんでしょ?なら、あのストーカーも今後は手が出せないはずです。しっかりと彼女を守ってあげて下さいよ」

 それは言われるまでもなく。後は事務所の他の弁護士に任せておけばいい。ちょうど、その手の犯罪に対して闘志を燃やしまくっている新米弁護士の手が空いたところだ。


 4人も乗ったら息が詰まりそうなエレベーターに乗って3階へと上がる。

(よくこんなエレベーターで民泊の申請が通ったものね?しかも遅いわ。階段で上がった方が早かったかも)

 エレベーターが到着して扉が開くと、また溜め息。


「先生、溜め息ひとつつく度に幸せがひとつ逃げて行くんですよ」

 大きなお世話だ。と、目を逸らせて廊下を見やると、キャリーケースを持った一人の外国人女性の姿が。


 他の部屋は未だ民泊を続けているのね。

 さも化石でも眺めるかのごとく、もの珍しそうに周囲を見やる。


「あっ、サンジェルマンさん!」

 他に誰もいない廊下で昌樹が女性の名を呼んだ。女性が二人の方へと向き直った。


「御一人じゃなかったのね、探偵さん」


「いえ、彼女は弁護士さんの追風・静夜先生で、暇を持て余して私に付いて来たんですよ」

 紹介されたのでお辞儀をしようとしたら、とんでもない紹介をされたので、彼の脇腹に肘鉄を食らわせた。


「ど、どうぞ」

 痛む脇腹を抑えながらカギを開けて事務所へと案内した。


 ワイルドな彼の見た目とは裏腹に、整理整頓がとても行き届いたこざっぱりした事務所内。

 思えば、彼の頭にはホコリひとつ付いていない。身だしなみには気を使っているようだ。


 昌樹は二人に座るよう促して彼女たちにポーションを見せて。

「抹茶とコーヒー、どちらをお召しになります?」

 サンジェルマンはコーヒーを静夜は抹茶を注文した。


「早速ですが、どういったご用件でしょうか?」

 コーヒーマシンの騒がしくコーヒーを抽出する音が響く中、昌樹は用件を伺った。

 音も大層気になるが、静夜の事も気になる様子。


 続いて静夜の抹茶を抽出…てか、一回マシンのお湯を空出し(洗浄作業)もしないのかよッ!?

「あいよ」と差し出された抹茶からは純粋な抹茶の香りはしなかった。明らかに香りにブレンドが掛かっている。まあ、いいわと気にせずカップに口をつける。


「あの、探偵さん?この方がご一緒されても・・」

 サンジェルマンの問いに。


「ああ、気にしないで下さい。彼女、元検事さんなので警察に顔が利くと言うか、身に危険が及ぶような案件でしたら、とても頼りになる人です」

 ちゃっかり営業活動までしてくれている。静夜から思わず笑みがこぼれた。

 ならば期待に応えねば。

「そのような案件でしたら、ぜひ私どもにお任せ下さい」


 傍ら。

「どうぞ、コーヒーが冷めないうちに」

(どういうタイミングでお茶を勧めているのよ!)

 思わず昌樹の顔を見やる。

 しかし、勧められるも、サンジェルマンは一向にカップに口を付けない。


「マッキー、喫煙はベランダで?」

 静夜はジャケットのポケットから電子タバコを取り出し訊ねた。


「え?あ、うん」

 気を利かせてくれたことに気付くも冴えない返事。サンジェルマンにさえ静夜が気遣ってくれたのがバレバレだ。「気を遣わせちゃってゴメンなさいね」彼女の言葉に小さく手を振る。


 ベランダへと出た静夜が外から窓(テラス戸)を閉めた。


 そんな静夜を見届けると、サンジェルマンは昌樹へと視線を向け。

「探偵さんにひとつ質問してもいいかしら?」


「どうぞ」


「あなたはどのような手段を用いて私を見つける事ができたのかしら?」

 唐突な上に、理解に苦しむ質問を投げ掛けてきた。


「どのような手段も何も、迷い犬を追い掛けていたら、たまたまそこに貴女がいました…では納得してもらえませんか?事実は曲げようも無く、そうなのですが…」

 サンジェルマンは何故か首を横に振って。この答えでは納得いかないのか!?。


「え?えぇ…」ただ困惑…さらに困惑…仕舞に「うーん」

 絞り出すも、納得させられる言葉が思い浮かばない。すでに事実は伝えているのに。


「偶然ということかしら?」

 それを答えにしてしまうには、いささか納得いかないが、事実は正に“偶然の産物”。だけど、本当にそれでいいのか?考えるも、的確な言葉が思い浮かばない。


「あなたは、こういった経験を何度も体験している。違うかしら?」

 探偵なるものが依頼人に詮索されている。決して洞察力に優れていると自負している訳ではないけれど、これは逆なんじゃないのか?そう思えて仕方が無い。だけど頷く事だけが今の彼にできる事。


「“ギフト”。貴方はこの言葉を耳にした事は無いかしら?」


「ギフト?直訳すれば“贈り物”ですよね」

 自身でも呆れるほどに間抜けな答え。後悔しつつも、その間も何か他の意味があるのか?とにかく頭は巡らせたまま。


「メジャーリーグで三振を奪っていく投手ピッチャーや連続ホームランを放つ打者バッターに対して世間は“ギフト”を神から授かった者と呼ぶそうよ」


「神から授かった者?」

 この女性は何を言っているのか?


「彼らは努力だけでは成し得ない結果を出す者。超人とか超能力者と呼ばれる人たち」

 女性の説明を理解できずに、ただ「はぁ・・」生返事。


 そんなハナシはともかく、偶然の出来事を超能力と呼ぶには、いささか飛躍し過ぎではないか?

 彼女は何を期待しているのか?


「あのー」思わず口に出してしまったが、後の言葉が何も思いつかない。


「このはこを預かって欲しいの」

 サンジェルマンは唐突に、A4サイズ高さ3~4センチくらいの箱を取り出した。

 今はジュラルミン製の外見だが、包み紙を被せれば十分饅頭などのお土産としてカムフラージュできそう。


「結構、頑丈そうな箱ですね?厳重に管理されていると言うか…」

 女性の手元から離れていない匣の外見からでは、中に何が入っているのか判断できない。

 でも持っている感じ、とても軽そうに見える。


「3ヶ月でいいの。この匣を守って欲しい」

 サンジェルマンはキャリーケースを開けて中から厚さ10センチくらいの紙包みを取り出した。タテ×ヨコ×高さから推察して。


「ちょっと待った!」

 両手を胸の前でかざして、話を中断させた。


「この間の外国人もそうでしたが、いきなり報酬をちらつかせて依頼するのが、それが貴方たちのルールなのか?私はまだ引き受けるとは言っていない。お金を出されても困ります」

 大きさからして、たぶん1000万円はあろうか。


 大金が動くという事は、中身は違法な何かに違いない。麻薬か?盗難ダイヤモンドか?それとも、もっと荒稼ぎできる何か、か?


「中を確認してもよろしいですか?」

 問いに、サンジェルマンは難しそうな顔をして、しばらく考え込んだ後。


「この匣の中に未来の私自身が入っている」

 呟くようにサンジェルマンは昌樹に伝えた。


「はい?」

 何かを訊き間違えたのか?いま、“未来の私自身が入っている”と言ったのか?


「いま匣を開けたら、その時点ですべてが終わってしまう。また、一からやり直すほど私には時間は残されていない」

 いや、質問の答えになっていない。中身が違法なものではないと立証してもらわないと、後で犯罪の片棒を担がされるのはゴメンだ。


「貴方が懸念を抱いているようなものは一切入っていないと断言できます。前金1千万円、3ヶ月間守り通した後、成功報酬として5千万円支払うわ」

 やはり1千万円。厚みから察していた通りだ。だけど、そうじゃない!


「答えになっていない!そのような依頼なら、金で何でも言う事を聞く連中にでもすればいい。俺が言っているのはお金の事じゃない。匣の中身コイツが世間に出回って被害者を出すようなものなら、俺は貴方の依頼を受ける事はできないと言っているんです」


「だから貴方なのよ。貴方なら彼らからこの匣を守る事ができる。だからお願い。この匣を、未来の私を守ってちょうだい」

 解らない。そもそも『未来の私』とは何なのか?解らないの上に、さらに彼女は意味不明な“彼ら”と口走った。

 『解らない』が次々と上塗りされてゆく。


「いま、“彼ら”と仰いましたね?仮に、この匣が“彼ら”の手に渡ったらどうなるのですか?」

 しかし、この状況、最悪の事態を回避する手段を講じねば。


「人類史に“本物の神”が現れる。強いて呼ぶなら、この匣は“悪魔の匣”。決して彼らの手に渡ってはならないもの」

 サンジェルマンの曇りなき瞳は真っ直ぐと昌樹に向けられていた。が。


 何を言っているのか?さっぱり解らん!



 彼女のあまりにも真剣な眼差しから逃れようと、ふと、窓の方へと目線を移す―。

 

 カーテンがふわりと風にあおられて・・・。



 すると、1センチほどの隙間が。



 追風・静夜。



 他人ひとには“守秘義務も守れない人に探偵業をさせる訳にはいかない”とかほざいておきながら、手前テメェは盗み聞きをするなんざ、弁護士の風上にも置けないヤツ…。





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