第3話
ふかふかとした土へ赤や黄、茶色に染まった葉が少しずつ、降り積もってきた。木枯らしと言っても違いないだろう冷たい風が、色付いた葉の数々を吹き飛ばしてゆく。冬はすぐそこまで来ていた。
ある朝、お客さんが女将さんに相談事を持ちかけた。
その男性客は、一匹の猫を女将さんに指し示す。
生まれて二年ほどの猫だろうか。白と淡い茶のまだら模様の二毛だった。避妊去勢されているらしく、耳の上部に切り込みがある。雌のようだ。
「お時間をお取りしてすみません。この子を引き取りたいと思っているのです。野良の子であると従業員さんにお聞きしましたが、この旅館の敷地内の事。一言お伝えした方か良いと思いましたので」
「あら、わざわざありがとうございます。何も言わずこの子がいなくなっていたら、きっと心配しましたわ。確かにこの宿屋には、太陽の恵みを求めて野良猫達が集います。この子も例外ではありません。ところで、その子に一緒に暮らしたい旨はお伝えで?」
男性は首を傾げる素振りを見せた。
「いえ……。どのように伝えればいいのですか。うちに来ないか、と語りかけても、伝わらないではないですか」
やれやれと言わんばかりに女将さんは肩を竦めて、
「二人で散歩にでも行ってみてはどうでしょう。話はそれからですわ」
男性は女将さんの助言通りに、猫と散歩を始めた。と言っても、猫の後ろを歩いているだけだったが。
猫はそれに気づいているだろう。シャクシャクと、枯葉を踏む音がするからだ。
しかし、男性が追いつける速度でしか移動しなかった。高い所にも、人が歩くには厳しい道を歩くこともしなかった。
一際大きな風が吹き、木々の葉を吹き飛ばした。地面に溜まっていた葉も、ふわりと翻る。それを見た男性は、ふと郷愁に浸った。
此処は自分の故郷ではないし、見知っている人もいない。最近は、広い父親の背が細く頼りなくなっていくのを見て、寂しくなっていた……。この風景は、その心を癒しはしないものの、自然な事であると、認めてくれるかのようだった。
この猫は、きっとそれを忘れないように、傍にいてくれるだろう。そして、その恩返しとして、自分はこの子を幸せにするのだ。
宿屋へとゆっくり猫は歩き出した。その隣を男性は歩く。
言葉が無くともそれは、契約の瞬間だったと言えよう。
宿屋に着いた時には空が茜に染まっていて、男性は、そんなに長い時間散歩していたのか、と驚いた。確か、昼食を済ませてから散歩に出たはずなのだ。それだけの間、当たり前に猫と過ごしていた。
猫は男性の顔を見て、白い髭を揺らしながら「にゃあ」と鳴く。男性は頬を緩ませた。
「あら、二人ともおかえりなさい。お気に召していただけたかしら。紅葉も最盛期ですから、綺麗だったでしょう」
女将さんに迎え入れられ、宿屋の館内へ足を踏み入れた。やはり猫は、男性の足元をついていった。
「沢山お話できたようで、何よりです笑。そろそろ夕食ですから、客室でゆっくりしてらして」
男性と猫は共に夕食を済ませ、睡眠をとり、翌朝、一人と一匹で家路に着いたということだ。
「正直なことを言いますと、最初あの二人は相性が悪いと思いましたの。あの子は人の心に敏感ですし、語り合うことが好きですから。でも、余程良いお散歩だったのでしょうね」
女将さんは、とても嬉しそうだった。
「私、相性と感情は、密接に関係していると思っていますの。感情は本来言葉より先に、表情で伝えるものですわ。表情は顔つきだけでなく、身振りなども示す言葉です」
女将さんがよく笑う理由が、わかった気がした。宿屋経営を、心から楽しそうにしているからだ。
「確かに言葉は便利ですが、感情を表すには表情が最も適している。私はそう考えていますわ」
女将さんは笑顔で、そう口にした。
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