第8話 悪魔は言い損ねた
「君の天使になる、だって?」
意味がわからなくて、呆けた顔で聞き返してしまった。悪魔は頷きながら、真っ赤な指を舐め始める。
「そのままの意味だよ。君は1度死んで魔法使いをやめて、天使に生まれ変わる。そういう契約をしたんだよエセン」
実にシンプルな答えだが、逆に思考を混乱させる。この悪魔は僕を殺して天使にしたいのか?
そんなこと出来るのか?
そもそも何故、悪魔が脅威であるエセンを、敵陣地に放り込んで天使の助力になるようなことをするのか、わからない。敵にナイフを渡して殺してほしいと言っているようなものだ。頭がおかしいんじゃないか?
まるで理解出来ないと眉を顰める俺の内心を察したかのように、悪魔は続けた。
「天使の友達が欲しくてね、天使の力を有していてスパイに相応しく、且つ俺に従順な天使」
友達ってより忠実な家来が欲しいようだな。そういうの、天使ってよりかは小間使いかもっと悪くて奴隷って事だろう。要するにハイスペックな奴隷が欲しくて、俺を天使にする。何も天使になった俺を敵陣地に放り込むことはしないで、道具としてこき使うのか。エセンを根絶やしにするより、そっちの方が強大な力を得るのだろう。天使からも、あるいは悪魔からも。
それを理解した上で承諾する訳がない。そもそも死ぬつもりもない。
「嫌だと断れば?」
悪魔はおどけた仕草で笑った。
「何言ってんだ、君に拒否権はない。だって6年前に俺の天使になることは契約済なんだよ。
契約者ハインゼはハルゼルフを犠牲にしてゼフを殺せと命じた。しかし、エセンとシーラの息子が同時に死ぬのはおかしいだろう。だからそこにいるアバズレを利用した」
そういって悪魔は背後で立ちつくしたままのアドエンを指差した。悪魔の肩越しにアドエンと目があう。何も語らず彼はジャケットの内側から15センチほどの長さの杖を出した。いつも魔法で使用する杖だ。抜け目のない、その冷静さが俺を安心させる。ハドエを抱える手に力が入った。俺はなるべく表情に出さないように、視線を悪魔に戻し、話の続きを促す。
「それが俺とアドエンにかかっている契約魔法か。しかし何のために」
「頭の回転が遅くて困るなエセン。彼の出自を知っているだろう、エセンで差別しないのは君くらいなんじゃない?」
アドエンの出自?そう言われて彼の出自を振り返ってみる。
アドエンは呪術師、まじないを専門とする術師と呼ばれる種族だ。魔法でなく、自然や精霊、天使や悪魔、魔物と直接介して術を行い、それらと共存しながら生を繋ぐものである。厳密には魔法使いとは違う生き物だ。アドエンの世代になると術師の純血は少なくなって、混血種が多い。
祓魔師であるエセンが嫌うといえばアドエンのこの部分だと思った。
「……呪術師の家系ってことか?」
「彼は呪術師。家業を継ぐ実に真面目で堅実なヤツ。そしてエセン家の敷地の中で唯一、悪魔を呼び寄せることができるヤツだ。
彼とエセンを契約魔法で繋いでおけば、契約履行後、エセンとシーラが死んだ理由を彼が黒魔術を使って悪魔を呼び出したってことになる。実に良い計画を立てたんだよ、ハインゼは」
「なんて酷いことを……」
ハドエが小さく批難の声を上げる。同意見だった。
ハインゼは俺と息子を殺すだけでなく、アドエンに罪をなすりつけて、悪魔との契約の隠蔽工作まで行っていたのだ。そしてこの計画は、まさに俺が死にさえすれば、達成してしまうのだ。
この未知の契約魔法は、6年もアドエンを縛り付けた上に、苦しめようとしている。呪いだ。この時ばかりは俺が常々思っていたことを強く肯定した。そして確信した。これは呪いだ。
この契約魔法にエセンへの呪いが集約されている。
悪魔の話はこれで終わりではなかった。
「しかし計画はすでに崩壊していた。12歳の少年が、この契約魔法の意味を理解するとは思ってなかった。この契約魔法は相手の同意の下で成り立つ、主従魔法の一種。エセン、この魔法のこと、どれくらい知ってるの?」
悪魔は肩に刺さったガラスを抜きながら、気だるそうに質問した。明らかに気持ちに陰りが見え始めている。悪魔の動作は気だるい一方で、怒りを宿した火のようにぼうぼうと燃え盛っているように感じた。緊張感が途絶えないのは、この妙な怒りを感じるからだろう。
俺は一呼吸おいて答えた。
「この契約魔法はエセン家が生んだ特殊な魔法だと聞いてる」
だから国や医療機関にコピーはなく、原本そのものはこの悪魔が焼いた。アドエンは俺に同意しただけでどのように魔法をかけられたか知らない。専門家に診せてもこのような主従魔法は見たことがないと言うばかりで、魔法の解き方はおろか、この魔法がどういうものか、まだよくわかっていない。
「あまりに奇特な魔法だったので長年使われず、記録としてしか保存していなかった。記録していた本が焼かれたので解除方法は専門家でもわからない」
「そうだね。エセンに憑依した俺が焼いた。魔法は関係を結ぶ相手と一緒にかけないと成功しない。だから12歳の彼と共に、魔法をかけたんだ」
それは俺の知っている情報と異なる。アドエンは同意しただけで、魔法の手順は知らないと言っていた。
その時、「ファ・ソマーレ《襲え水よ》!」という呪文の掛け声と同時に、悪魔の頭上から、ぶくぶくと激しく音を立てながら小さな水の泡が現れた。水は塊になって悪魔の全身を包んでしまった。アドエンが魔法をかけたのだ。水の塊の中に閉じ込められた悪魔は凄い剣幕でもがいている。水は激しく動く悪魔の動作をゆっくり包みながら、水圧で固定してゆく。口から空気を激しく出しながら何か話している。
「聖水だ」とアドエンは呟いて、杖をジャケットの内ポケットにしまった。
「急ごう、長くはもたない」
アドエンはこちらに近づいてハドエと俺を立たせた。
「ハドエ、傷は?」
「もう直ったわ、貧血で少しクラクラしてること以外平気」
ハドエの手首の傷は、もうすでに完治していた。傷跡すら残っていない、白くて美しい素肌に戻っていた。悲しくなって傷のあった場所をぎゅっと握りしめた。
「はやく出よう」
「でも下の人たちに知らせなくていいのかい?無関係な人を巻き込むのは危険だ。避難させないと」
「シーラのうちに悪魔がいることが世に広まることの方が大変だ。はやくここを出てエセン家に知らせるんだ。この惨状を見ればこのハインゼ・シーラが裏切っていたことが証明される。少なくともお前の『エセン総轄』は証拠を見せろというはずだ」
『エセン総轄』と聞いて身震いする。たしかに、そういう人だ。ここの惨状をはやくエセンに知らせるのは大事だ。
「ハドエ、鏡を持っていたらこの惨状を写して保存しておけ」
アドエンがそういうとハドエは弱々しく首を横に振った。
「持っていないわ、というか、ハルゼルフに捕まったとき割られたの……あっ」
「なんだ?」
ハドエは何か見つけたらしく、水溜の悪魔を通り過ぎてハルゼルフの死体に近づいていった。ハルゼルフの顔あたりにしゃがみ込み、何かしているようだ。おいおい、死体に近づくのはやめた方がいい、まだハルゼルフの魂が周囲にいたら霊として何かアクションしてきてもおかしくないんだぞ!
俺が何かいう前にハドエはすぐ立ち上がって、こちらに戻ってきた。
「これならどうかしら?」
ハドエの手の中には雫型をした翡翠色のクリスタルのピアスが2つあった。
「鏡の代わりになるな」
「いえ、これが鏡みたいなの。気づかなかったけど小型の携帯鏡だったみたいで、きっとハルゼルフがわたしにしたこととか、ここの惨状も改めて記録しなくても写ってるわ」
ピアス型の鏡か。鏡といえば、薄い手帳サイズのものを割れないようにタオルに包んで持ち運ぶのが常だ。ピアスの方が出し入れも命令も簡単そう。
感心しながらピアスを覗いていると、アドエンがそれを着けるようハドエに言った。怪訝な顔をする俺たちに「ピアス型の鏡は手で持っているより身につけた方が安全なんだ」とアドエンは言うが、死人の持ち物を身につけたくない訳でこういう顔をしているんじゃない。
「エセンの傷はすぐ治るの。ピアスは開けられないわ」
ハドエが言うとそうだったとアドエンはぼやき、呪文を口の中で唱え、耳に穴を開けた。アドエンの耳元で、翡翠色のクリスタルがチラチラと輝いている。
アドエンはジャケットの内ポケットから杖と四つ折りにされた5センチ四方の紙を取り出した。
「わたしの部屋に繋ぐ魔法陣を持っている。ただかなり小さいので少々荒っぽい手を使う」
そういうとアドエンは俺とハドエを抱き寄せた。来るとき俺が書いた魔法陣より不安だ。アドエンが開いた紙はハドエの顔より小さい。ええ。不安。
「出来るだけわたしに近づいて。わたしのどこかを掴んでいてほしい。準備はいいか?移動するぞ
─行き先はわたしの部屋!」
次の瞬間、アドエンは紙を杖で突き刺した。
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