第6話 パーティナイト・下
「綺麗だねハドエ」
吹き抜けの玄関ホールの階段からハドエが降りてくると、アドエンが声をかけた。
ハドエはにっこり笑った。普段見られないアドエンの姿にだ。いつもは眉下できっちり揃えられている重い前髪が、こうしてオールバックに整えてられると、端正な顔立ちがはっきりする。
全身は黒のタキシードで身を包み、アドエンには珍しい赤色のネクタイを締めていた。もしかしたら、ハドエのイブニングドレスと合わせて用意されたものかもしれない。金色の優しげな眼差しでハドエに微笑み返すアドエンは、気品に溢れた異国の皇子を思わせた。
「ありがとう、あなたも十分素敵よ」
玄関の扉が開く。すでに身形を整えたゼフが顔を覗かせていた。ハドエの真っ赤なイブニングドレスを見て口の端を上げた。
「今夜は君のナイトが必要だね」
「頼りない兄貴にその役が務まるかしらね」
「なに、ナイトは2人だ、贅沢言うなよな」
ゼフはそういうとアドエンにウインクするので、アドエンはため息をもらす。
「貴様のお守りが2人がけなんだよ」
アドエンの皮肉にゼフは笑いながら手招きする。軽口を言い合う和やかな空気にハドエは笑みをこぼした。少し強張った心が解れてゆく。できればこのままでなんて思いながら、ハドエは外へ出た。
西空の朱色が厚い雲を幻想的に染め上げている。紫と青のグラデーションの上に散らつく一等星が雲の狭間から見え隠れる。上空は風が強いらしく、時折吹き上げる熱風が彼らの髪をかきあげていった。
玄関から出ると目の前には、2メートル弱の正方形をした麻布が広げられていた。風で飛ばされないよう、四隅を石で押さえ、そこには移動魔法陣が施されている。門の魔神テレトミスの呪文、古代ワシャルノ文字が弧を描きながら羅列し、そして行先を告げる天使の紋章が中央に大きく刻まれている。行先は"3アベニューと15番地"。ハルゼルフの家の通りの魔法陣の住所だ。
「うちの魔法陣使わないの?」
「父さんが招かれたのは子供だけだから、自力で行けだとよ。急いで書いたから身体バラバラになったらごめん」
「えーゼフが書いたの」
ハドエは不安げに魔法陣を見つめる。円が歪に見えるし、文字は走り書き、天使の紋章は悪魔の羽みたいにギザギザしている。不安だ!ハドエはアドエンに目線を送る。アドエンはじっくりゼフの魔法陣を見つめながら指先で撫でた。
「よし行こう」
「えぇ!?」
アドエンがゴーサインを出したのでハドエは自分の肩を抱いて、懸命に首を横に振る。ここは普通アドエンが書き直して安全に移動するくだりのはずだ。
露骨に嫌がるハドエをゼフは笑いながら腕を引く。
「アドエンがいいって言ったから大丈夫だよ。俺そこまで出来ないわけじゃないよ魔法」
「不安だわ、魔法事故こそ怖いのに兄貴なら秒で起こしそう」
「文字と紋章さえちゃんと書けてれば機能するから大丈夫だ。少なくとも身体がバラバラになったりしない」
2メートル弱の魔法陣の上に3人は窮屈で、ゼフは他の2人の背中に手を回して抱き込む。ハドエはドレスの端を気にしながら、目の前のアドエンの胸に頭を預けた。
「2人とも円からはみ出てない?」
「大丈夫」
「OKよ」
「それでは」
背中に回ったゼフの手に力が入るのが伝わった。
「行先は3アベニューと15番地!」
風が唸る。身体の外側を切るように吹くので、ハドエは目を瞑った。
「ハイ、エセン。いま着いたとこ?」
「やあ、……ステルジー!また会ったね」
頭上の声で目を開けた。建物の中だった。大きなドーム型の天上には幾何学文様を描いて作られた複雑な魔法陣が施されている。四隅の柱には大天使の彫像が優しげな笑みを浮かべて佇んでいた。ハドエたちが身を寄せ合っているのは大きな魔法陣の描かれた大理石の上だった。周りには到着したばかりの人たちが1箇所しかない扉に向かって談笑しながら歩いている。
ゼフはそっとハドエを抱き寄せて耳元で囁いた。
「アドエンが君にまじないをかけた。俺は自由にふらふらしてるけど、何かあったら心の中でお兄ちゃんを呼んで」
低い声に驚いてゼフを見上げたが、ゼフはこちらを見ずに先程声のかけられた方へ離れていってしまった。
ハドエは困惑しながら、アドエンを見ると、彼は何も言わず手を差し伸べた。ハドエは恐る恐るアドエンの手を取る。
「まじないって?」
「護身用」
「それだけ?」
アドエンは眉を上げて微笑んだ。
「両親のいない初めて来るシーラのパーティだよ。ミスエセンが手薄だとシーラの傘下やエセンに取り入れようとする奴等が集まってくるんだ。逆も然りだが、あいつにその自覚はないらしいな」
アドエンは鼻で笑いながら、ゼフの背中を横目見る。ゼフは金髪美人と腕を組み、ハドエの知らないグループの中に混じっていった。
どうやらハルゼルフ以外にもハドエを狙う者がいるとアドエンは案じているらしい。周囲を見ると招かれたのは、同級生だけではなさそうだ。そこらの名家が主催するパーティ並みの顔触れが揃っている。最も"子供"のバースデーパーティにこのレベルの方々は普通来ないはずだろう。
ハドエは唾液を飲み込む。自分のエセンという偽のカードはいつ期限切れになるだろう。こういった場はいままで全て両親の影に隠れていれば済む事だった。挨拶して将来はエセンの跡を継ぐ。それさえ言えば客人は喜び、父は謙遜しながら上手にセリフを言えた娘を撫でる。それ以上の干渉は父や母が許さなかった。それだけやっていれば良かったのに。こんなに心細くて面倒な事はないとぼやきながら、ハドエはアドエンの腕を握る手に力を込めた。
「わたしが隣にいる限り、シーラの面倒な奴等は絡んでくると思うがな。穢らわしい一族が毎日エセンの敷居を跨いでいると思うと、吐き気がするってな」
「……誰かに言われたの?」
「みんなに言われる」
「……ねえ、約束した事、覚えてる?」
「……」
「私がエセンのまま無事成人して跡を継げたら、悪魔を喚び出して契約魔法を解いてあげるってやつ…」
「……覚えてるよ」
「本気よ。自由にするわ、何がなんでも。あなたを縛りつけて傷つけた魔法なんて私が解く、必ずね」
アドエンは何も言わなかったが、震えたように深呼吸したのがハドエには伝わった。
「さあ出よう。扉を開けたら、ハルゼルフ・シーラのサロンだ」
シーラのサロンは実に立派だった。エクソシストらしく黒を基調としたシックな建物に調度品の数々はかなり値の張るアンティークばかりだ。3階まで吹き抜けた高い天井には、天使の輪っかが何枚にも連なったようなデザインのシャンデリアが燦々と輝く。
もうすでに人が集まってきており、食事を始めて話に花を咲かせているグループが出来ていた。
「ミスエセン、来てくれたんだ」
背後から声をかけられて、振り向くと主役がにっこりと笑って挨拶した。
「ハルゼルフ、お招きどうもありがとう」
ハルゼルフは会釈する。真っ白な燕尾服に身を包み、瞳と同じ翡翠色をした蝶ネクタイに雫型のピアスを耳元で揺らしてる。キラキラと瞬くピアスを見ながら、もし紫か金色のああいうピアスをアドエンがつけていたら絶対に似合うと夢想する。オリエンタルちっくな彼をより美しくさせるだろう。
「もしよかったら、サロンを案内しよう。うちのサロンは初めてでしょう」
「ええ。お願いするわ」
「ミスターエセンの方は……」
ハルゼルフは辺りを見回すが、ゼフの姿は見当たらない。ハドエは恥ずかしくなってハルゼルフを促した。
「ゼフはいいの、仲のいい友人と一緒だから、先にどこかへ行ってしまったの。兄のご無礼をどうかお許しくださいね」
ハルゼルフは快活に笑いながら、ハドエの腰に手を回した。ハドエは驚いてアドエンを振り返ったが、アドエンは黙ってこちらを見るばかりで何もしなかった。ハルゼルフの方もアドエンを一切見ようとせず、まるでそこに何も居ないように扱う。ハドエが何か言おうとする前にハルゼルフはハドエを抱えたまま、アドエンにくるりと後ろを向けて歩き出してしまった。
「いえいえ!ミスターはお顔が広いからね!さあこちらに」
ハルゼルフが力強く導くので、ハドエはアドエンに声をかけれぬまま、奥の方へ進んで行く。去り際、ハドエは目の端で、アドエンがハドエを見ながら左胸辺りで左手で拳を作り、ゆっくりと開く動作をとらえた。まじないだ。何のまじないだかわからなかったが、何かかけられたようだ。少なくともアドエンの加護はハドエについているはずだ。ハドエは静かに呼吸をした。
ハルゼルフは実に丁寧な紹介をしていった。調度品や部屋、肖像画、すれ違う人々、慣れた調子でスラスラと受け答えをしながら、ハドエの素朴な質問や相槌にも、丁寧で爽やかな対応をした。甘やかされたシーラの子というイメージや学校での高慢な態度から、あまりにも想像出来なかった姿だった。今まで抱いていた嫌悪を一掃出来るものではなかったが、爽やかな対応に少し歩み寄りたくなった。さりげなくハドエは尋ねる。
「とてもお話がお上手なのね、こういう案内係は何度もこなしているのかしら」
「ええ、客人が来れば毎度。うちは広いので化粧室を探しに迷子になる方が多い。暇さえあればご案内を買って出ているんだ」
「だからね、とても楽しいわ。どの部屋や骨董品にもユニークなエピソード付きで、まるで博物館を見学に来てるみたい」
ハドエが素直な感想を述べると、ハルゼルフは困ったように目線を落とす。
「そうだったらいいがね」
「えっ?」
「いや、さて、こちらの部屋も見ていってよ。ここで一息入れよう、ドリンクサーバーがいくつか置いてあるから」
そう言われて案内された部屋は、薄暗くてハドエは立ち止まったが、ハルゼルフに強引に押し込まれてしまった。安心させるような声音でハルゼルフは言う。
「明かりをすぐつけるから。ここ、蝋燭しかないんだ待ってろ」
ハルゼルフは外から漏れる明かりを頼りに、ハドエをソファに座らせた。そしてすぐに姿を消した。どうやら蝋燭を探しているらしい。ハドエは背中に隠し持っていた杖を取り出して腿とソファの間に隠した。
後ろの方でマッチが擦れる音がすると、すぐに部屋が明るくなった。ハルゼルフは、青のステンドグラスが散りばめられたカンテラをソファの前のテーブルに置く。ハドエはギョッとした。テーブルの上に置かれていた装飾品の数々は全て、黒魔術に使うものだったからだ。骸骨や何かの粉末、髪の毛、黒魔術の禁書、禍々しさを放つ燭台や黒光りするナイフ類、15センチほどの高さの瓶が何本も連なり、その中身は全て血のようだった。
ハドエは青ざめた顔でハルゼルフを見上げると、ハルゼルフは銀色のナイフをハドエに向かって振り翳していた。
「お兄ちゃん────!」
「おい、エセン!」
俺はハッとして振り返った。そこには顰めっ面をしたアドエンが仁王立ちしていた。振り返った衝撃で、持っていたグラスの中身が溢れて、隣にいたステルジーにぶちまけたのを横目に、アドエンの顔を見て強張った。
「君じゃない」
「どういうことだ」
俺はアドエンを避けると、会場内を見渡した。気配がない。隣でステルジーがヒステリックな悲鳴をあげながら、メイドを呼ぶ。
「ハドエは……?」
「ハドエはハルゼルフと一緒にサロンを案内に」
「どっちに行った、場所は?何で目を離した?シーラだから?」
会場内を見渡しながら、畳み掛けるようにアドエンを問い詰めると、アドエンは小さく息をのんだ。アドエンは俺の腕を鷲掴むと、会場の奥の方へ駆け出した。
「離れる前にまじないをわたし達だけ可視化出来るようにしておいた。糸を辿れば居場所がわかる……シーラだと油断した。すまない……呼んだんだな?」
「だからこうして走ってんだろ!」
俺たちは、事前にハドエのドレスに2つのまじないをかけた。1つはハドエが心の中で俺を唱えれば、俺の脳にハドエの緊張が直接響くようにするちょっとした仕掛けテレパシーのようなもの。
もう1つはハドエのドレスからアドエンのネクタイに見えない糸で繋いで、ハドエの居場所をわかるようにしたもの。これは恋まじないを応用しなくちゃいけないから糸を繋ぐ対象同士は赤色でまとめる。
こんな風に応用が利くなんて思っちゃいなかったけど、アドエンとまじないには感謝を述べるべきだろう。誘拐しエセンの血を全て抜かれてしまう怖い話は、実際に過去あった話なんだ。
アドエンのネクタイから伸びる糸に沿って、サロンの3階まで上がると、円形に開かれた吹き抜けの空間が目の前に現れた。下には1階のサロンの様子が見える。
「ゼフ!」
アドエンが真向かいの扉を指差す。赤い糸は円の空間に直線を結んで、黒い扉を指し示していた。
アドエンと駆け出す。目標の黒い扉から、金色の光の粒がちらりと現れた。魔法か?気持ちが焦る。アドエンと俺はジャケットの内ポケットから杖を取り出して、扉の前で構えた。
「わたしが扉に魔法がかかってないか確認」
「そんなの待ってらんない、開ける」
躊躇なくドアノブを回す。扉は簡単に開いた。黒い靄と酷い硫黄臭に思わず腕で顔を覆いながら、叫ぶ。
「ハドエ!ハドエ!」
「お兄ちゃん!」
ハドエの声に黒い靄が一瞬で晴れてゆく。目を凝らすと、ハドエは腕から大量に血を流し、ハルゼルフによってテーブルに顔を押し付けられいた。ハルゼルフは血まみれの銀色のナイフを掲げ、空を見上げながら、ニヒルな笑みを浮かべていた。
宙に浮いていたのは、悪魔だった。
人の姿をしていた。禍々しさを放つ赤黒い羽や悪魔の象徴である角もない、ただ人がふわふわと宙に胡座をかき浮いてるのだ。黒い長髪が蛇のように宙をうねり、髪の間から赤い瞳が覗かせる。その赤い瞳が悪魔だと名乗っていた。
悪魔の瞳と目が合うと、悪魔は微笑んだ。その笑みはとても柔らかで美しく、神を思わせる慈愛に満ちたものだった。俺は茫然と立ち尽くしてしまった。
ゆっくりと宙を泳ぎながら近く悪魔を、ただ恍惚として見つめながら、そこにいる全ての状況を放棄してしまった。悪魔は優しく俺の襟足をかきあげながら、抱き寄せて、耳元で、甘くこう囁いたのだ。
「久方ぶりだね、俺のエセン。とっても会いたかったよ」
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