第5話 パーティナイト・中



 エセンの血は、ある時、天使の血を受け継ぐようになった。天使の血はどんな病も治す薬となり、血だけで悪魔を殺せる力を備えていた。エセンはその血が、体中に流れている家だった。


 ハドエとゼフは生まれてすぐにその力を使った。エセンの血統かどうか試すために、採血して枯れ草に1滴垂らすのだ。幸いなことに、双子はどちらも天使の血をひいていた。


 ハドエが自らはじめてその力を使ったのは、悪魔憑きの兄を助けたときだった。


 6年も前のことだ。


 暗い森を意識のないまま彷徨っている兄を見つけたのはアドエンだった。枝木に引っ掻かれたのか擦り傷だらけで白いシャツは血と土が混じり、あちこち黒く汚れていた。転んだのかジーパンから膝小僧は丸出しで、傷口は化膿して酷い状態だ。靴も履いていない。素足は赤黒く染まりながら、ふらふらと道なき道を歩いている。まるで痛みなどない様子だった。顔は土気色をし、目は虚ろで空を見上げたまま、木々の合間を縫うように歩く姿はまるでゾンビを思わせる。

 変わり果てた兄の姿に思わず、ハドエは自分の手首にナイフを当てた。自分の血で、すぐにでも悪魔祓いしようと思ったのだ。

「まて」

 その時のアドエンはとても落ち着きを払っていた。静かにハドエを制して、ナイフをしまうように言う。そしておかしいなと呟きながら、意識のない兄の手を躊躇なく掴んだ。

 ─悪魔憑きに易々と触ってはいけない。

 エセンである祓魔師の基本だ。容易に近づいて身体を乗っ取られてしまったら、自らが血を流さない限り退治出来ないからだ。だからその時のアドエンの行動はとても驚いたのだ。


 驚いたことに兄は抵抗しなかった。アドエンに手を引かれて導かれるまま、兄はふらふらとした足取りでついてくる。見つけた時と様子は変わらず、淀んだ翡翠色の瞳は、絶えず虚を見つめていた。


「このまま教会に行こう。安全な場所で悪魔祓いしよう」


 そういうアドエンにハドエは首を振った。いますぐにでも自分の血さえ兄に飲ませれば、悪魔は祓える。そこまで行く必要はないと訴えた。ハドエは血に過信していた。


 しかしアドエンは首を横に振る。


「ゼフがこんなに血だらけなのに、まだ悪魔が憑いている。これは絶対おかしい」


 そう言われてハッとした。確かに兄は満身創痍で血をたくさん流しているのにも関わらず、悪魔は憑依したままだ。エセンの血なら悪魔は血を流しただけですぐに消える。エセンの血なら──


 教会まで誘導するとアドエンは、兄を麻縄で身体を縛り身動きの取れない状態にした。そして兄を抱きかかえて祭壇の上に寝かせる。その間、兄は驚くほど静かで、祭壇に横たわる姿はこれから神に捧げる生贄のように見えた。アドエンがくるりと振り返ってハドエを見た時、思わずハドエは身震いをした。月明りで美しく彩られた教会のステンドグラスの赤が、アドエンを照らし出す。鳶色の美しい髪が、まるで血を纏っているように燦々と輝く。影を落としたその表情から覗く美しいゴールドの瞳が、まっすぐと、ハドエを貫くのだ。

 ─悪魔に見つめられている心地がした。


「ハドエ、で悪魔祓いしてほしい」


 それはまるでハドエの血も悪魔には効果がないと言っているようだった。ゴールドの鋭利な瞳から目をそらす。背中に冷や汗が伝う。ハドエはナイフの柄を強く握りしめてかろうじて頷き、アドエンの指示に従った。自分の腰に下げていたウェストポーチから、聖水の入った瓶と悪魔祓い用の魔法書を取り出す。

 兄に取り憑いた悪魔は聖水の匂いを感じとったのだろうか。兄は突然起き上がり、祭壇から飛び降りようとしたので、アドエンは兄の胸に飛びかかって体重をかけながら押さえつけた。今まで虚ろだった兄は、口を半開き、犬歯を覗かせながら、ゔぅぅと唸り声を上げる。翡翠色の瞳は虚を見つめながらも、真っ赤に充血し、黒目を残したまま赤く染まり始めている。悪魔だ。


 ハドエはサッと兄の頭上に回り込み、その上で自分の手首を勢いよくナイフで切った。飛び散った無数の血は、はじめ、兄の頬を伝った。兄は暴れたままだ。それから手首からどくどくと流れ出す血は、ハドエのか細い腕を伝い、兄の唇に垂れた。兄は暴れたままだ。


「ハドエ!何をやっているんだ!血じゃない!聖水をかけろ!」


 ハドエは諦めきれず兄の顔に自分の手首を擦りつけた。真っ赤に染まる兄の顔には変化はなく、ただひたすらに虚を一心に見つめながら、唸り声をあげていた。

 ハドエは震えながら、持っていた聖水をかけ、悪魔祓いの呪文を唱え始めたのだ。




 このことは、6年もの間、アドエンと秘密にしていた。兄の悪魔はハドエの血で祓ったことにして、家族にもこの秘密を打ち明けることは決してしなかった。





 ゼフと自分の血では悪魔は殺せない。


 ハドエが毎日思うことだ。

 そして今夜、ハルゼルフのパーティに呼ばれた理由をハドエは何となく予想がついていた。ハドエがエセンだから。エセンの血の流れた者がシーラに嫁ぐ話はよくある。シーラは受け継がなかっただけで、エセンが嫌っているわけではない。シーラと婚姻を結んで子を成せば、より強いエセンが生まれることもよくある話だった。

 ゼフは知らないが、よく父とハドエは叔父のハインゼとよく会っていた。これは暗に許嫁と認めたようなもので、ゼフと切り離されて会う内に段々とハドエも理解していた。先日、その場にハルゼルフも現れたので、ハドエは背筋が凍るような思いで自分の立場を再認識したのだ。

 自分はハルゼルフと結婚させられる。

 血縁上、ハドエとハルゼルフは従兄弟だ。ハルゼルフは1つ年上で、学校ではエセンをよく知らない子らに威張りちらしている性根の腐ったやつだとハドエは思っていた。白い肌に目立つそばかすや、ずんぐりとした豚っ鼻、ぶくぶくに太った体型を兄は可愛く"クマちゃん"なんて例えて笑うけれど、ハドエには醜い豚にしか見えない。笑えない程の嫌悪感を抑えながら、敢えて口の端を上げるのが精一杯なのだ。

 昔から嫌悪しか沸かないやつのお嫁に行くのなんてあんまりだとハドエは常々思っていたが、今回のパーティになって焦り出した。これは正式に発表される場か、もしかしたら前段階かもしれない。ノーはない。敷かれたレールの上をただ走るのもエセンと生まれた運命なのだから。


 でも、自分はエセンの血を引いてないかもしれない。もし話せば、この婚姻の話はなくなるだろうが、自分はエセンを去らなければならない。シーラとして生きていくのがとても怖かった。きっと父は自分と会ってくれないだろうし、母は悲しむ。そして、最悪の場合、エセンの血はそこで途絶えてしまうかもしれない。


 思考が堂々巡りをしながら、用意されたイブニングドレスに袖を通してため息を吐いた。肩から胸元まで大きく開いた赤一色のロングドレスは、ハドエのボディラインをくっきりとあらわし、細身の彼女を美しく色っぽく引き立ていた。公式のパーティや茶会に何度か参加したことはあるが、こんな露出の高いドレスを着るのは初めてだった。

 ハドエは鏡台を覗き込みながら、髪は結わないと決心した。1つは大きく開いた背中を隠すことと、もう1つは用心のためだ。

 昔、髪は魔力を溜め込みやすいと言われ男女問わず長髪が流行った頃がある。特に結わずにそのまま流していると、外からの魔力が身体に流れ込みやすく、力が増大すると信じられていた。

 きっと厳格な集まりやパーティなどだったら結わない髪は、特に年配の方から敵意があると思われるだろうが、同い年が集まるただのバースデーパーティだ。そんな昔の言伝えなんて知らないだろう。


 もしかしたら、自分の身を守る為に魔法を使うかもしれないからね、と心の中で呟きながらハドエは部屋を後にしたのだった。

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