第3話 カファイユ
ボルク導師の教室には、もうすでにアドエンの姿があった。半円形の教室には教卓に向かって、弧を描くように階段があり、窓側の1番前の階段にアドエンは1人で鎮座する。もうすでにたくさんの生徒が座っている。ボルク導師の授業は人気だから、階段は端から端まで人でいっぱいだ。隣同士で仲良く授業を受ける仲じゃないが、アドエンの隣しか空いていない。
どんだけ嫌われているんだ、君は。
仕方なくアドエンの隣に座る。
なるべく彼を見ないようにしたが、きっとなぜわたしの隣なんだと内心俺に向かって罵詈雑言を吹きかけているに違いない。
そういうアドエンをついつい揶揄いたくなってしまう。俺の悪いところだ。
「魔道書忘れちゃったんだけど、見せてくれないかな」
アドエンは俺を睨みつける。口から何か発する前に、むっとした熱風が教室を包み込んだので、アドエンは口を噤んだ。雲が翳って日差しを妨げているわけではないのに、教室の明度がぐっと下がり、視界を仄暗くした。
教卓と言われるそれは、縦2メートル弱、横1メートルほどの大きなポプラの天然木の1枚板で出来ている。緩やかな波のようなカーブを描くテーブルの淵に、表面は優しげな色合いで両端に大きな目玉のような木目がある。
その2つの木目の間から、綺麗な円が、青白い光を放ちながら、浮き出した。魔法陣だ。
門の魔神テレトミスの呪文、古代ワシャルノ文字が弧を描きながら羅列し、そして行先を告げる天使の紋章が中央に大きく刻まれている。移動魔法の陣だ。
熱風はだんだんと和らぎ、麗らかな春の陽気の風が前髪を優しくかきあげていく。良い匂いがする。甘く、やわらかな、花の香りだ。と思ったら、花びらが吹雪いて視界を桃色に変える。
生徒たちは驚嘆の声をあげる。
教室全体が花びらの雨に包まれていた。絶え間なく、風と舞いながら、ゆっくりと俺たちに降り積もった。
「ようこそ、旧式魔法の世界へ」
その声に、生徒たちが次々と歓声をあげ、拍手喝采した。どうやら声の主は、俺たちが花びらに目を奪われている間に、陣から召喚されたようだ。
教卓の上に、緑色の長い髪をひとつに結いあげ、白いシャツにスラックスといったシンプルなスタイルの男性が現れた。妙齢なその人は目尻に笑い皺を作りながら、にこやかに微笑みかける。この人こそボルユーク=セントレイア導師である。
「ありがとうございます。移動魔法陣でこんな演出も出来るんですよ。簡単なので是非やってみて。授業の後に教えましょう。
さて、今日は移動魔法陣ではないです。部屋の明るさはこのままにしましょう。この暗さの方が魔法は見やすいからね。
予習しないでって言ったから、みんなは予想がつかないと思うけど、それが狙いですからね、アドエン気にしないで」
魔道書を鞄から出しかけたままのアドエンを予習し忘れて焦っていると勘違いしたらしい。ボルク導師はアドエンに笑いかけた。
生徒たちは笑う。
アドエンは俺をさっきより強く非難した眼差しを向けた。
「ごめん、俺が見せて欲しいだなんて頼んだから」
「話しかけるな、出血したいのか」
「ごめん」
ボルク導師は教卓から飛び降りた。パチンと指を鳴らすと、花吹雪は一瞬で消えてしまった。女の子たちが名残惜しげな声をあげる。
「次も楽しみにしてて」
なんてボルク導師が女の子たちに声をかければ、女の子たちは素直に頷き花のような笑顔を向けてくる。こういうボルク導師は大好きだ。いつかこの人みたいに女の子たちにちやほやされたい。胸に刻んだ。
導師は後ろの壁に魔法陣を描き、戸棚を出現させる。いつもここから授業で使う材料や魔道書、魔法道具など、なんでも取り出す。
今日はそこから、手のひらほどの、空の瓶をひとつ取り出しテーブルの上に置いた。
「さて、今日は今から見せる魔法のどこに魔法陣を使われているか、みんなに見つけてもらおうと思っています。さあみんな教卓の周りに集まって」
生徒たちはわくわくした様子でテーブルの周りに集まり出す。俺は前へ行くことをせず、その場で立ち上がって少し上から導師の手元を窺った。
「先入観を捨てて見てください」
ボルク導師の授業はエンターテイメントだ。
彼は空の瓶の蓋を2度指先で叩く。
空の瓶は金色の光の粒を放った。中から透明な液体が渦を巻きながら湧き出してきた。
また瓶の蓋を2度指先で叩く。
瓶は金色の光の粒を放った。今度は透明な液体が、琥珀色の液体に変わる。ねっとりと粘り気のある液体はゆっくりと渦を巻いていた。
生徒たちは笑った。
簡単な水魔法だと思ったのだ。金色の光の粒が証拠だ。魔法陣を使うとき、陣の痕があるように、魔法だって使うとき、痕が残る。
「じゃあ、誰か、瓶の蓋を2度指先で叩いてみてください、シャンドール?」
手を挙げた生徒の中から、赤毛のショートヘアの女の子が選ばれた。知らない女の子だ、上級生かもしれない。シャンドールは前のテーブルに進み出た。
「シャンドールが何もしなくても、何かが起こります、さあ、叩いてごらん」
シャンドールの美しく細い指先が、瓶の蓋を2度叩いた。
瓶は金色の光の粒を放った。
液体は急に重さを感じて、渦を巻くのをやめ、瓶の底に沈みはじめた。
パチンパチンと瓶のガラスを弾く音がする。
液体の表面が、マグマのようにグツグツと泡を出し、小さな爆発を繰り返している。いや、音を出しているのはこれではない。爆発で飛び散った液体が固体に、粒に変わっているのだ。
これは砂金だ。
生徒たちは顔を見合わせた。
「シャンドール何かしたの?」
「まさか!何もしてないわ」
「シャンドールは何もしていない」
ボルク導師はいたずらっぽく眉をあげた。
「さてここまで。どこに魔法陣があったでしょうか!」
教室が騒めく。生徒たちは友人と相談しながら、考えを口々に言い合った。
「魔法にしか見えなかったな」
「物質を変える魔法だと思うけど……」
「途中まで水魔法じゃなかった?」
「もしかしたら瓶の底に陣を彫ってあるのかもしれない」
「いや蓋の裏だよ」
「2度叩いたら、魔法がかかる仕組みかしら」
導師は砂金をテーブルの上に広げて、瓶を空にした。
「では、誰かに瓶を確認してもらいましょう、ジェイン」
導師の提案にすぐ手をあげた男子生徒が進み出る。大柄なジェインは、懐中電灯をローブのポケットから取り出す。瓶底を後ろの生徒に向けながら、懐中電灯の光を当てた。
眩しくて目を細める。俺は瓶底を見つめるのをやめたが、真面目な生徒たちは検証結果を口々に言う。
「陣は見えない」
「瓶の中から見てみてジェイン」
「いやないな」
「じゃあ外側からライトを当ててみたら」
「見えないね」
「じゃあ次、蓋の裏は?」
ジェインは蓋の裏にも懐中電灯を当てる。
首を横に振った。
あの懐中電灯はもちろん魔法道具だ。光を当てると魔法の痕跡が浮き出て見えるのだ。
一目で見分けられない生徒たちにとって必須アイテムなんだ。俺も持ってるけど、常に持ち歩いてるわけじゃない。あんなの、真面目ちゃんの持ち物だ。
「考えが煮詰まった?ヒントは必要ですか?」
生徒たちはイエスと首を縦に振る。
真面目ちゃんたちはまったく面白くないね。
導師がヒント出す前に俺は手をあげた。
「エセン、何か思いつきました?」
「きっとこれは移動魔法陣だと思います、導師」
ジェインは首を傾げながら、馬鹿にしたように笑った。
「エセン、導師は今日は移動魔法陣じゃないって言ってただろ?話聞いてなかったのか」
生徒たちはどっと笑った。こういうあげ足を取るような指摘の仕方は気にくわないけど、俺も笑っといた。ノリが良い方が好かれるだろう。
それに導師は笑っていなかった。
「あっはっはーそうかもしれない、聞いてなかったかも」
「続けて」
と導師が言う。いいでしょう続けましょう。
「指先で瓶の蓋を2回叩いた時、金色の光の粒を放っていた。それは魔法だ、わかるでしょう?
俺はこう考えます。導師の唱えた魔法は、きっと作動スイッチを押すようなものだと。陣を作動させる魔法だと考えました。
例えば別の場所に、そこにある瓶と同じような瓶を3つ用意する。それぞれに、透明な液体、琥珀色の液体、砂金を入れる。そして、3つの瓶本体の方に移動魔法陣を彫っておく。
導師が瓶の蓋を2回叩く。それがスイッチとなり、陣が作動する。
こんな感じ」
教室はしんと静まっていた。俺の推察に賛同し頷く顔や反芻し理解する者、ジェインが両手をあげて、降参の意を示すのが見えた。そんな中、導師は拍手したので、俺の推察は当たったかと思ったのだ。
「惜しいですね。確かに移動魔法陣は使っています。先ほど出てきた瓶の中身は僕の研究室にありました。別に同じような瓶でもないし、瓶自体に魔法陣を施したわけではない。転送のための、諸々の条件はかなり省略しています。
僕は、自分の研究室にある魔法材料を、この瓶に入るくらい欲しいな、と思って瓶の蓋を2度叩いただけ。
でも魔法はいっさい使っていない」
教室は騒めいた。不思議でいっぱいといった感じだ。
魔法は使っていないのに、金色の光の粒?
なぜだろう。しかも魔法より条件が緩い。導師が欲しいなと思った量だけ移動させている。
陣の描かない魔法は、条件や代償の大きさ・正確さが成功に繋がる。召喚魔法は特にそうだ。なるべく転送元と転送先が同じ環境であるほど、成功する。
だから、同じような瓶を用意して、目的の中身だけ移動させる。魔法をかけた時、現れた中身は、確かに"金色の光の粒を放っていた"。
俺が考えた"作動スイッチのような魔法"、それこそ推測だ。そんな魔法があるのかもわからないけど、魔法は確実に使っていると思っていた。だから魔法を使うなら陣が作動するタイミングだと考えたのだ。
でも、だとしたら、条件や代償はなんだろう。そこまで細かく考えていない。となるとこれは筋の通らない魔法になるのかな。それじゃあ失敗する。
そして、これは、魔法を使わない。
これまで無表情で腕を組み、じっと導師の授業に耳を傾けていたアドエンを、導師が名指しした。
「アドエンはどう見破りますか?」
アドエンは少しはにかみながら、肩をひょいっとあげた。おいおい、珍しく自信なさげな様子だ。
「最初はわたしもエセンと同じことを考えてました」
その答えに何人かの生徒が俺を見て、指をさしたり、ウィンクをしてきたり、小突いたりしてきた。揶揄うなよ。優等生と同じ思考回路だってたまにはなるんだ。
「それで?」
導師は先を促す。
「魔法はフェイクだってことですよね」
「魔法はフェイク。そうだよ」
それを聞いたアドエンは何か掴んだらしい。
「もしかして、陣に書き込んでいたのでは?魔法のように見えるよう、あらかじめ魔法陣の命令式に入れ込む。
だから、魔法をかけたように金色の光の粒が出てきた」
「そうだね、例えばどこに?」
導師はアドエンの言葉を促す。
「例えば……わたしだったら爪とか皮膚とかにかきますね、呪術師はよく身体に刺青を入れたり、シスという魔力が伝導しやすい木の樹液で呪文をかいたりするので」
「なるほど」
と導師は言って微笑むと、再び空の瓶の蓋を2度叩いた。やはり金色の光の粒を放ちながら、今度は黒い液体が渦を巻きながら現れた。
「答え合わせをしましょう」
導師は後ろの棚から巻物を取り出し、教卓いっぱいに広げた。巻物の中身は真っ白だった。それから導師は黒い液体の入った瓶に人差し指を突っ込む。その人差し指は瓶の蓋を叩いていた指だ。アドエンは、はっとした様子で導師の指先を一心に見ていたが、俺には導師が何をやっているのかさっぱりわからなかった。真っ黒になった人差し指を生徒たちに見せながら、導師は話し始めた。解答の時間だ。
「これはただのインクです。アドエンに意見を求めたのは、今回呪術師的な魔法陣を試したからです。彼ならどこに魔法陣を描くか。期待通りの意見が聞けました」
導師はインクまみれの人差し指の先で、そっと白い巻物に触れた。その瞬間、触れた指先から弧を描きながら紙が波打った。紙には米粒大の黒点がついた。それを摘むように人差し指と親指を合わせ、広げた。その動作に合わせて黒点が拡大する。ああ、それは
「魔法陣ですか」
「そうです」
呟いたアドエンに導師は満面の笑みを浮かべた。
それは実に簡易的。あんなに注文をつけた複雑な魔法は、円の中に三角が縦一列に5つ並んでいるだけの魔法陣に込められていた。さすがカファイユ(簡素な魔法陣)と呼ばれるだけある魔法使いだ。
一体どうしたら、この実に簡単な魔法陣で、魔法に見せかけるフェイクや移動魔法、指で2回叩けば作動するという様々な仕込みが出来るのだろう!
「呪術師的な魔法陣、と言いましたが、僕は今回、人差し指の指紋に魔法陣を施しました。指先の指紋ってね、横線が多くて、しかもまっすぐではないんですよ。それを円に動かすのは実に難しかった……」
何を言っているんだこの人は……指紋を、作り変えたということか?魔法陣に?ただ皮膚に彫ったりするんじゃなくて、指紋から。動かしたと言ったから、もしかして、ピンセットのようなもので、指紋を摘んで動かして…いや、想像出来ない。だって皮膚の模様だ、終生不変であり、簡単に動かしたり消したり出来ない。なのに拡大した魔法陣の黒い部分には指紋と思われる線は写っていないのだ。
「呪術師の中には、指紋を操って色んな術をかける
僕の得意技は簡素ですから、陣は最小限かつ簡単に。移動魔法陣の円、魔法に見せかけるフェイクの三角、そして液体や固体を小瓶の量だけ取り出すそれぞれの三角3つ、指先で決められた回数だけ叩けば起動する仕掛けの三角、それらが今回の魔法陣の仕組みでした。
とはいうものの、これは皆さんが使えるような、見かけより簡単な魔法陣ではありません。三角には無数の呪文が施してありますし、移動魔法として使った円にはきちんと、門の魔神テレトミスの呪文、古代ワシャルノ文字、そして行先を告げる天使の紋章が施してあります。今回は対象と目的地の距離が短いので省略版ですが」
教室は息を飲む。
拡大された魔法陣にはそんなものどこにも見えない。細かすぎてインクが入り込む前に紙に写したのかもしれない。
「いまここで紹介した魔法陣の中で、皆さんが使えるのは移動魔法陣くらいでしょう。しかし、世にはこんな術や陣、魔法があるんだという知識を得てほしかったのです。もし、使わなくていけない機会が来たら、手段としての出口を与えています。
使い方が分からなければ、調べる方法はいくらでもあります。しかも君達は学生だ、優秀な魔導師の集う場所にいる。協力者がいることを頭の隅に置いておきなさい。僕もその1人ですから。
では、今日の授業はここまで!」
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