第158話

「……ひどい状況ね」


 ハリー=ティパモール共和国、リリーファー倉庫。

 先の戦いにおいて一番の被害を受けた場所である。

 そこに似合わないヘルメットをかぶって現場の指示にあたっていたのは、メリアだった。


「やあ、メリアさん。大変忙しいように思えますが」


 声をかけたのはフィアットだった。フィアットもまたヘルメットを被っていた。安全対策、ということである。

 それを見てメリアは鼻を鳴らした。


「ふん。まあ事態は徐々に回復しつつある、と言えるだろうな。実際問題、これを直すのは随分時間がかかることだろう。しかしながら、急いで直さなければ業務に差支えが出てくる。そのためにも、急いで修理せねばなるまい」

「それはその通りです。いつレーヴが襲い掛かってくるか解りません。そのためにもここが前線基地と成り得るのですから」


 フィアットの言葉に溜息を吐き、手元の資料を見るメリア。

 フィアットは一歩前に――即ちメリアの隣に立つ。


「……マーズ・リッペンバーですが、精神状態はやはりあまり宜しくないとのことです」


 それを聞いてメリアの目つきが変わった。

 フィアットはそれを知らぬ顔で続ける。


「私としても出来ることならば彼女を回復させてあげたいのですが……なかなかうまく行きません。どうやら、別の人格を作り上げてしまったらしいのですよ。そして、その人格と彼女自身がもともと持っていた人格とで話をしていて、これが大変盛り上がっているらしいのです」

「別の人格、ですか。確かにその考えはありましたが……。成る程、いやはや、さすがはフィアットさんですね。そう簡単に考え付きませんよ、その答えには」

「いえいえ。……というわけで、あなたに一つ相談が」

「相談、ですか」


 ええ、と言いながらニコニコと微笑むフィアット。

 やはりこいつは苦手だ――そう思いながら頷くメリア。


「ありがとうございます。取り敢えず話だけでも聞いていただければ、と」


 そう前置きして、フィアットは話を続ける。


「実は、マーズ・リッペンバーに対する世間の評判が酷評、というものになっておりまして」


 出だしは最悪だった。


「折檻されていることを、国民に知らせてしまったのか!?」

「そんなことはしませんよ。でも、噂というのは国民が好きなものです。次々と広まっていきました。果ては、現実ではありえないことでも」

「……例えば?」

「『マーズ・リッペンバーは国家転覆を企んでいる』、とか」

「そんなの出任せだ、言わせておけばいいではないか」


 メリアの言葉に、フィアットは首を横に振った。


「ところが、そういかないのですよ。国民はその感情を、その不満を国にぶつけつつある。どこかでガス抜きをしなくてはならない。これは、私だけではない。国全体の決定事項ともいえます」

「……何をするつもりだ」


 何となく、フィアットが何を提案したいのか――その目論見が解ったような気がした。

 そしてそれはフィアットの計画通りだった。

 フィアットは笑みを零しながら――あくまでも営業スマイルであるが――結論を告げた。


「マーズ・リッペンバーを国家転覆罪として、公開処刑をしよう……そのような意見がまとまりつつあるのですよ」

「……そんなことを言われて、私はなんと言えばいい? 流石に、やめろと言っても無駄だろう?」


 それを聞いてフィアットは顎に手を当てる。彼の癖、とまではいかないが、考える時によく行う行動である。

 フィアットは告げる。


「そうですね。流石にそれは無理でしょう。国民感情を落ち着かせる代替案を出していただけるのであれば、例外ではありませんが」


 とどのつまり。

 フィアットはマーズを殺そうとしているのだ。精神状態が安定していない、今の状況を狙って。

 メリアは唇を噛む。このままではマーズが殺されてしまう。だが、国民感情というのは国を経営していく上では重要であることを、メリアはマーズから聞いていた。だからこそ、どうしようもないことを実感せざるを得ない。

 ここで彼女が少しでも政治に関して詳しい知識があるのならば、打開策をフィアットに告げることが出来たのかもしれない。

 しかし彼女は研究者。自分の専門分野に関しては一流かもしれないが、それ以外は素人と言っても過言では無い。


「……因みに、処刑日時は決定しているのか?」

「ええ、決定していますよ。三日後です。早朝にやろうかと」


 三日後の早朝。今がもう夕刻になろうかというタイミングなので、実質あと二日ということになる。


「そう、か。解った。私から『騎士団』には伝えておこう」


 それを聞いてフィアットは少しだけ喜んだように見えた。


「そうですか! ありがとうございます。それでは、よろしくお願いしますね」


 フィアットはそれだけを言うと、踵を返し、倉庫を後にした。

 フィアットが立ち去ったのを確認して、メリアは大きく溜息を吐く。


「あと、三日……か」


 空を見上げ、考える。

 しかし――一人で考える時間など、とっくに存在しなかった。


「先ずは、情報共有から始めなくてはならないな」


 そう呟くと、資料を近くに居る副監督に押し付けて、早々と休憩に入った。



◇◇◇



「マーズが処刑される、だと……!?」

「ええ。少なくとも、あと三日だと言っていたわ。高らかにね。あの男、きっと最初からこれを狙っていたのよ」


 ヴィエンスはメリアから事実を聞いて、机を叩いた。

 信じられなかったのだろう。信じたくなかったのだろう。


「三日、ですか。しかし実際にはあと二日程度、ということになりますよね」


 言ったのはシンシアだった。シンシアもまた、マーズに救われたと言っても過言では無い。だからこそ彼女に対する思いは人一番強いのだった。

 シンシアの言葉に頷き、メリアは話を続ける。


「確かにその通り。だけれど怪しいのよね……。私は一応研究部門を担当している。と言っても政治には何の関係も無い、素人と言ってもいいのよ? どうしてマーズのことを言ったのか、まったく解らないのよ」

「それはその通りだ。……まさか、罠か?」


 ヴィエンスは言った。

 その言葉に、空間が凍り付く。

 それは彼女の子供であるダイモスとハルも同じだった。


「……そうだとしたら、そいつを俺は許せない」


 口火を切ったのはダイモスだった。彼はマーズのことが好きだ。もちろんそれは母親として、好きなのである。マーズのことが好きだから、彼女を助けようと思っている。助けねばならないと思っている。彼女をこのようにした『国』が許せなかった。


「……確かにその通りだ。私だって許せんよ。このように人間の命を弄ぶことについてね」


 メリアの手は震えていた。怒りを抑えきることが出来ないのだ。

 そう思ったヴィエンスは、メリアの手を優しく握った。

 それを感じたメリアは思わず顔を上げる。

 そして二人は目を合わせると――、同時に顔を赤らめた。

 そこからが早かった。二人は瞬時に目を背ける。顔を赤くしているのに、未だ気が付いていないらしい。


「お二人とも……いったいどうしたのでしょう?」

「男と女の話題だ。放っておけよ」


 ダイモスとハルは案外クールにそれを受け流した。

 それはそれとして。


「取り敢えず、考えをまとめましょう」


 一、と言って人差し指を立てるシンシア。


「マーズは捕まっていて、明々後日の朝には処刑される。おそらく公開処刑になるでしょうね。今、マーズに対する評価が最低らしい。仕方ないことなのかもしれない。実際、タカトが未だ『罪人』とされている以上、その関係性は裁かれてしまうことになるからね」

「……関係性、ねえ。実際問題、そこまでタカトが危険視されているのか?」

「どういうこと?」


 それを聞いて、メリアは一瞬言葉の意味が理解できなかった。

 ヴィエンスの話は続く。


「タカトはインフィニティを使って『あれ』を引き起こした。しかし、あれがほんとうにタカトによるものなのか、というのが疑問視されつつある。だが、それを無視して国は、それを正当化しようとしている……。国民は真実を知らないから、それで操作されていると言ってもいい。どう思う、この現状を?」

「どう思う……ですか」


 答えたのはダイモスだった。


「もしかして、国は何かを隠そうとしていて……その代わりに今回の処刑を行おうとしている、ということですか?」


 ハルの言葉に無言で頷くヴィエンス。


「そうだ、その通りだ。マーズの処刑のバックで何かを行おうとしている。……まったく、昔からあいつは食えない野郎だと思っていたんだよ、フィアットって奴は」



◇◇◇



 フィアットは食事をしていた。

 ワインに分厚いステーキ、サラダ、ライス。見るからにして豪華な食事が並べられていた。ステーキをナイフで切ると、力をかけることなくすっとナイフが入っていく。ナイフで切り分けられた断面から肉汁が溢れ出す。

 そのお世辞にも小さいとは言えない、切り分けられた肉塊を頬張る。

 汚い食べ方ではないが、口に入れたときに肉汁が口の中から溢れ出し、膝上に置かれたナプキンに零れる。


「お飲物は如何でしょうか」


 クライムがワインボトルを持ってきてそう言った。それを聞いてフィアットはクライムを一目見る。そしてクライムの姿と、彼が持っているワインボトルを確認すると、グラスに残っていたワインを飲みほした。

 それをテーブルに置いたと同時にワインが注がれる。

 今の彼にとって、ワインは血肉と同等だった。

 ワインを飲むことで、それが彼の血となるのかもしれない。そう思う人間が表れてもおかしくはない程、彼はワインを飲んでいた。しかしながら、ワインにはアルコールが含まれていないのかと錯覚してしまう。

 なぜならば、彼は一切酔っているようには見えないからだ。


「気分は最高だよ、クライム。私は凡てをレールに乗せている。プロットを作ったと言ってもいい。いや、今や私がこの物語のストーリーテラーになったと言っても過言では無い。そう実感させるほどに、物語が進行している」

「……『騎士団』は、うまく動きそうなのですか」


 クライムの言葉を聞いて、彼はすぐそれに返答せず、ナプキンで口を拭いた。


「当然だよ。私の言葉を聞いて騎士団は必ずや行動に移すことだろう。そうしてもらわなくては困る。私の計画のためには、ね」

「……『チャプター』の計画、ですか」

「そうだ。チャプターはシリーズとは違う組織であり存在であり概念である。ならば、私の計画はシリーズとは違う。僕たちが考えた、新たな世界へと昇華するプログラムだよ。シリーズはインフィニティを使おうとしているらしい。ならば、その都合のいい存在を使ってしまえばいい」


 その間、クライムは一度も相槌を打つことは無かった。する必要が無いのだ。寧ろ相槌を打ってしまうと彼の邪魔になってしまう――ということを、クライムも知っていたのだ。

 フィアットの話は続く。


「インフィニティは非常に『好都合』な存在だ。何しろ、使い勝手がいい。起動従士の心があれ程までに弱いのは、おそらく帽子屋が何か仕組んだのだろう。ならば、それを使ってしまうほうがいい。使うことにより、僕たちの考えた計画もまた、新たな段階へと進む」

「つまり、インフィニティを使うことはシリーズとチャプターの共同認識である、と?」

「だってインフィニティはこの世界を救う存在だとも言われているんだよ? 救う存在ならば破壊する存在であってもおかしくはない。寧ろ表裏一体と言ってもいいくらいだ。正義と悪、その両方が介在する……それってとっても面白いことだと思うのだよね」

「そうですか……。わたくしは別に否定するつもりはありませんが、しかし少々急すぎる気もしますが」

「そうかな?」


 フィアットは最後の肉塊を口の中に放り込んだ。

 肉塊を数回噛んで、ワインで体の中に流し込んだ。


「たとえそうであったとしても、僕は別にかまわないと思うよ?」


 人称が安定しないのは人格が安定していないことの表れだろうか。


「それが彼らの選んだ道ならば、ね。けれど僕はそれを認めない。認めるわけがない。僕はこういう人間だということは知っているだろう? クライムは、ずっと僕の執事をやっていたのだからね」

「ええ……。存じ上げております」


 空のワイングラスにワインを注ぐ。


「ならば僕の性格は知っているはずだ。最低で最悪だ、と。それは僕だけでは無い。チャプター全員が当てはまることだよ。チャプターはシリーズから生まれた。もともとはシリーズの欠員を補填するための存在だった。だから、補欠とも揶揄されたよ。けれど、僕たちの実力はそれだけじゃない。それだけではないということを、シリーズに見せつける。そして僕らの実力を証明するんだ。その第一歩が、これということになる」


 フィアットは凡ての食事を終えると、ナプキンで口を拭いて席から立ち上がった。


「就寝なされますか」

「いや、少し散歩する。今日は月がよく見えるからな」

「……解りました」


 頭を下げてフィアットを見送るクライム。

 そしてフィアットは、部屋を後にした。

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