第157話

 崇人とコルネリアは通路を歩いていた。

 すでにあれから一週間の時が経っていた。

 時間というのは過ぎるのが早いものだ。崇人はそう思っていた。コルネリアの背を見つめながら、彼はひたすらこの通路を歩いていた。

 通路の左右は壁ではなく、無限にも広がる奈落。奈落ということは、落ちると無限にも感じる落下となる。しかしながら、そうならないように通路には柵が備え付けられている。


「この先に、何があるんだ?」

「……世界の希望、或いは絶望の種」


 コルネリアは彼の言葉に呟く。

 崇人はそれを聞いて首を傾げることしかできなかった。


「そう言って解らないのは確か。でも、それしか形容することが出来ないのもまた事実。そうだとしても、私たちはこれを知ることを許されているのは、僅かな時間しか与えられていない。そもそもこれが人間という低俗な存在に閲覧を許されること自体、不思議なことではあるのだけれどね」

「……つまり、人間がそれを知ること自体烏滸がましい、と?」


 コルネリアは頷く。

 なおも二人は歩く。通路は徐々に細くなっていくのを感じながらも、しかしコルネリアの足が止まることは無い。だから、彼もその足を止めない。


「人間が知ること、それが烏滸がましいと思えるものをどうしてここに用意してあった?」

「用意してあったのではなく、用意させられていたと言えばいいだろうか。十年前のあの出来事があって、私たちがレーヴという組織を結成して、ここをアジトとしたのも、それが原因と言えるね。この種が我々にとって、いや、人間にとって絶望となるか希望となるかは、解らない」

「だから、ここに来た、と? でも、そうだとしたら、僕がここに呼ばれる理由がまったくもって理解できないのだけれど」

「あなたがこれを知ることで、あなたも正確にレーヴの一員になったと言える。そう、他のメンバーも言っているから」


 即ち、これがメンバーへの登用試験ということになる。


「これが試験、ってことか?」


 ニヤリ、と笑みを浮かべながら訊ねる崇人。

 なぜ自分もそのような表情を浮かべることが出来たのか、彼自身理解することが出来なかった。何故だろうか――その答えは、おそらく一生解ることも無い。

 コルネリアは振り向くことも無く、かといって何か反応を示すことも無かった。


「……少しくらい、反応を示してもらってもいいのではないか?」


 崇人は訊ねる。


「着いたわ」


 しかし崇人の質問とは違う言葉を、示した。

 そこにあったのは巨大な扉だった。扉には刺繍のような細かい模様が刻まれていた。

 中央にはコルネリアが見たことのない文字で、何か書かれていた。


「これは……」


 崇人は目を見開いて、それを見る。

 コルネリアが続いて解説する。


「これは古代文明……旧時代とでも言えばいいかしら? その時代に書かれただろうと言われている文様。何かの規則に従って書かれているのだけれど……、タカト? どうかした?」

「何で……こんなところに……」


 心臓が高鳴る。

 どうしてこのようなところにあるんだ――崇人は信じられなかった。

 なぜこのような場所に――。


「どうして、ここに『日本語』があるんだよ!!」


 日本語。

 それは彼がもともと居た世界、その中にあった島国『日本』が公用語とする言語である。

 この世界には普通に日本語があると思われていた。しかし実際には、それは彼がそう見えているだけだった。ほかの人にはこの世界特有の言語に見えていたらしい。それは数少ない神様からの贈り物であると、彼は勝手に解釈している。

 だが、今は違う。

 彼女が見ても、崇人が見ても、紛れも無い『日本語』が表記されている。

 これは由々しき事態だ。先ず、どうしてここに日本語が書かれているのかということも問題であるし、その日本語は何が書かれているのかということも問題だ。


「……ねえ、タカト。もしかしてその言葉、読めるの?」


 頷く崇人。それを見てコルネリアは笑顔を見せた。


「なら、これを読んでみて。いったい何が書いてあるのか、教えて?」


 再び頷く崇人。

 そして彼はゆっくりと、その言葉を読み始める。


「――ここは、世界の始まりの場所。始まりは終わりであり、終わりは始まりを生む。世界の原初はこの場所から再び生まれることだろう」


 言葉を読む崇人。しかし、その意味が曖昧にしか理解することが出来なかった。

 世界の始まり――それをそのままの解釈で考えると、この世界は最低でも一回滅んでしまったということになる。再生、という言葉が盛り込まれていることからもそれは窺える。

 だとすれば、どうしてこの世界は一度滅んでしまったのか――という結論に至る。


「タカト?」



 ――そこで彼は我に返る。コルネリアの声を聞いて、崇人は今までの考えから一旦離脱することになる。


「世界の始まりとか書いてあるけれど、結局この扉を開く鍵にはならない、ということよね?」

「……そういうことになるな。今、言葉を読み上げたがそれによって何か発生するというわけでも無いし」


 それを聞いて小さく溜息を吐くコルネリア。


「そう。それは仕方ないわね。ひとまず、戻りましょう。作戦を考えなくてはならないし」

「作戦? これについて、ってことか?」

「それもあるわね。……これは人間が住むはるか昔からあると言われている扉なのよ。岩壁を壊そうとしても、あまりにも固い素材で出来ているらしく、破壊することはおろか傷をつけることも出来ない。だから、この扉を開けることしか出来ない。私は気になってしょうがないのよ。この扉の向こうに何があるのか。人はこう言うわ。この扉の向こうには、別の世界が広がっているのではないかって」

「そんなまさか……」

「そんなことが有り得るのよ。並行世界、とは言わないけれど。そのような世界が広がっていてもおかしくはない、という意見が大半を占めている。一度は崩壊しかけたこの世界に絶望を抱いているかもしれないけれどね。この世界を見捨ててでも、あの扉の向こうに行きたい気持ちは解る。私だって、出来ることならこの世界からあの扉を潜っていきたい」

「……この世界を捨てる、ってことか?」


 崇人はふと前の世界のことを考えていた。

 志半ばで見捨てることとなってしまった仕事、会社、日常。

 一人ぼっちだったが、忙しかったが、今ではあの時代がとても彼にとってかけがえのないものとなっていた。


「ええ、そうよ。この世界はもはや崩壊寸前、いや、崩壊しているといってもいい。人間はいつも戦争をしている。それも、リリーファーを使って。少年少女に、私たちよりも将来がある少年少女に無理やり操縦させて、世界を自分たちのものにしようとした。あの時代は終わったのよ。今はもう、残り少ない資源を、リリーファーを使って手に入れようとするだけ。リリーファーで、力で、制する時代になった。それは前の時代と変わらないかもしれない。けれど、この世界は、もう破綻している。いつシステムが崩落してもおかしくない。あなたが眠っている十年間に、ここまで世界は堕落してしまったのよ」

「……そうだとしても、見捨てるという選択には未だ至らないんじゃないのか」


 崇人の答えは一つだった。

 たとえそれ以外の選択が、あったとしても。

 彼はきっと――その選択しか選ばないだろう。


「間違っているよ、コルネリア。この世界も、いや、どの世界であっても、見捨ててはいけない。この世界をそうしたのはいったい誰だって言うんだ? 紛れも無い、人間だろ。僕たちだろ。だったら、責任を取るのが筋だ。この世界を崩壊させてしまったから、食いつぶしてしまったから、あとは別の世界に移動して、この世界に居た別の存在に任せてしまおう……そんなの虫が良すぎる。それは許されないよ」

「だったら……だとしたら! どうすればいいのよ! この世界は、もう疲弊している! 資源も使い切ろうとしている! この世界に明るい未来なんて存在しないのよ……」


 崇人はコルネリアに手を差し伸べる。


「そうだとしても、たとえそうであったとしても、僕たちは生きていくんだ。この世界を守るんだよ。この世界がこれ以上ひどくならないように、未来の世代に託していくんだ。問題を先送りにしないで、この世代で問題を解決することが出来れば一番いいのだけれど……そういかないのが現実だ。だから、なるべくひどくならないように努力する。それだけでも違うとは思わないかい?」

「……それは違う」


 しかし、コルネリアはそれを否定した。

 崇人はそれを聞いて、少しだけ狼狽える。それ程までに『他の世界』への執着心は強いのか――そう思わせた。

 コルネリアの話は続く。


「確かに崇人の意見も正しい。それは間違っていないよ。けれどね、この世界はもう終わりを迎えようとしている。もうこの世界が発展していくことは、きっとないと思う。なら、終わりにしてしまったほうがいいの。僅かでも良い可能性を夢見て……その結果がこれ。もうこれしか何も出来ないのよ……」


 コルネリアは言う。

 しかし、そうだとしても。

 崇人は納得することが出来なかった。


「……頼むよ。どうにかこうにかして、僕が何とかする。この世界をどうにかするよ」

「どうにかする?」


 それは、彼が別の世界からやってきた――そういう意味もあったのかもしれない。

 元の世界へと戻る手段が現時点で見つからない今、もう世界を見捨てたくなかったのかもしれない。

 それは、かつて社会人だった崇人にとって、心情の変化ともいえるだろう。


「どうにかする、ってどうするのよ。言いたくないけれど、この世界をここまでの状態へと加速させてしまったのはあなたにも原因があるのよ? それを理解しているの?」

「それは……」


 そう言われても彼には十年前の『その時』の記憶がないのだから仕方がないことである。

 コルネリアは彼を言葉で捲し立てる。


「あなたがどうこう言ったとしても、確かに世界は変わらないのかもしれない。それをあなたに言うのも間違っていると私は思う。けれどね、この世界が『戻る』なんて簡単に言ってほしくないの。この世界はもう終わり。終わりの段階まで来てしまっている。いつ世界のシステムが崩壊してもおかしくない。その段階にまで……。そうならば、別の世界に行こうと思う私たちの気持ちだって、充分に解るのではなくて?」

「そうなの……だろうか」


 崇人は俯いたまま、その言葉しか紡ぐことが出来なかった。

 コルネリアは踵を返し、数歩歩く。

 立ち止まり、告げる。


「……ごめんね、こんなこと言って。けれど、私はこの世界を変えたいなんて思っていないの。この世界をここまでにしたのは、最終的にリリーファーのせいだと思っている。リリーファーが生まれたからこそ、この世界はここまでリリーファー主導の世界へと化してしまった。リリーファーが生まれなければ、インフィニティだって生まれなかった。もしも過去に戻る技術があるのなら、私はリリーファーが生まれなかった世界にしたい。それすら考えているの」


 コルネリアの決意は固かった。

 だからこそ、彼も止めることは出来なかった。

 せめてもの、罪滅ぼしだったのかもしれない。世界をここまでにしてしまった罰を償うためだったのかもしれない。

 彼はコルネリアについていこう、と思った。

 彼女とともに、歩いて行こうと思った。

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