第159話

 夜の庭をフィアットは歩いていた。静かだが、仄かに虫の鳴き声が聞こえてくるなど、生き物の気配を感じられる。

 彼はこの空間が好きだった。だから何かあった時は必ずここを訪れるのだった。

 空を見上げると、ちょうど真上に満月が煌々と輝いていた。

 夜のウォーキングを楽しんでいた彼だったが、そこで違和感に気付いた。

 草花を見つめる、白いワンピースの少女がそこに居た。

 普段の彼ならばここが立ち入り禁止である旨を伝え、出て行ってもらうだろう。しかし、今は違った。

 彼女の美しさに、彼は見とれていたのだ。月光に照らされた、白い少女を――美しいと思った。

 そんな様子で少しフィアットが彼女を見つめていると、彼女もその視線に気付いたのか、フィアットの方を向いた。

 透き通るような白い髪、白磁のような肌、それとは真逆の凡てを吸い込むような黒の目。そのどれもが絶妙に調整され、尚且つ完璧だった。

 彼女もまたフィアットを見つめていたが、直ぐに事態を把握したのか、頬が赤く染まる。


「あ……! 申し訳ございません。お花がとても美しくて……その……門も開いていたので」


 門が? と彼は彼女の背後にある巨大な裏門を見た。裏門は確かに開放されていた。

 少女の話は続く。目の前に居るのが地位の高い人間だと察したのかどうかは解らないが、緊張している様子だった。


「それで……私は暫く花を見ていました。少しだけなら、という軽い気持ちでしたが……。きっと、もうとても長い時間が過ぎていることでしょう……。ほんとうにすいませんでした」


 深々と頭を下げる少女。それを見てフィアットは重い口を開けた。


「花は……綺麗だったか?」

「えっ?」


 意味が理解出来なかったのか、少女は一瞬たじろいだ。


「聞いているのだ。その花は綺麗だったか……と。感想をただ言えばいい」


 少女はそれを聞いて、小さく、しかしはっきりと頷いた。


「そうか……。なら、いい」

「月、綺麗ですよね」


 唐突に彼女は言った。


「ああ」

「月の光って、あんなに静かな光なんですよね。でも、それは太陽の光を反射させただけ……。太陽から出た光という点では変わらないのに、昼と夜を作り出し、ここまで違ってしまうんですよね」

「……そうだな」


 フィアットと少女は並んで月を見ていた。それはまるで恋人同士のようにも見えた。


「……もし君が、またこの花を見たいというのならば、この時間に門を開けておこう」


 唐突にフィアットが言ったその言葉を聞いて、少女はそちらを向いた。


「いいのですか? 私は勝手に……」

「今日は勝手に入ったのかもしれないが、次からは違う。私の許可が下りているのだからな。警備にもそう伝えておこう」


 それを聞いて彼女は微笑む。


「ありがとうございます……!」


 フィアットはその笑顔を見て、それに応えるように微笑んだ。

 フィアットはこの時点では理解しなかったかもしれないが――彼は彼女に恋をしたのだった。



 ◇◇◇



 その満月はマーズの居る独房からも見ることが出来た。


「ねえ、見て。月だよ! 真ん丸だよ!」

「ええ、そうね」


 彼女は隣に居るルノーに言った。当然、ルノーの姿はマーズにしか見えない。だからほかの人間にとっては彼女が一人芝居をしているか、精神が崩壊しかかっている状態で、別の人格を作り出しその人格同士で話しているか――その何れかを考えていた。


「ねえ、マーズ。あなた、このままでいいと思っているの?」


 ルノーは彼女に訊ねた。


「どうして?」

「だってあなた……あと三日で処刑されるのよ? かつて『赤い翼』なる組織の長も処刑されたという、あのギロチンで」

「そうね……」

「怖くないの、あなたは? 誰かに助けてもらいたいだとか、そんなことは無かったの?」


 マーズは考える。

 助けてほしくない、と言えば嘘になる。だが、彼女にはある考えが芽生え始めていた。


「ねえ、ルノー。実はこれは、私に対する罰なんじゃないかな……って思っているんだよ」

「罰?」

「そう。戦争で、リリーファーで、私はたくさんの人を殺していった。それが生きていくために仕方が無かったことだとしても……私はそれが許せない」

「でもあなた以外に……人間を殺したリリーファー、いいや、起動従士だって居たはずよ? あなた以上に人間を殺した、起動従士だって……」

「起動従士はいつか必ず裁かれる時が来る」


 マーズの返答は端的でかつ簡潔だった。


「それは平和になったタイミングか、何かの拍子にヘマをしてしまったか……いつのタイミングかは解らない。けれど私たち起動従士は人間を殺した。その罪は遅かれ早かれ裁かれることは確実」

「今回のこれはそれに則ったもの……ってこと?」

「偉い学者が旧時代に書かれた本からまとめた文献に、こう書かれていたわ」


 但し書きして、マーズは言った。


「人間は生まれた瞬間を以て何もかも決定される……と。寿命も、行動も、死因も、家族も」

「……聞いたことはあるわね、古い文献だったと記憶しているけれど」

「そう。古い文献。そもそも旧時代の文献はあまり信用されていないから、その文献も結果的に信用を失っているのだけれど」

「……でも、あなたはそれを信じているのでしょう?」


 マーズは無言で頷く。


「だったら、それでいいじゃない。あなたがそれを思うなら、あなたがそう実感しているのなら。……私はあなたの生き方についてあれこれ言うつもりも無いし、否定するつもりも無い。だからこれで終わり。あなたの生き方について、これ以上言わない」

「それでいいよ。私もこの生き方を変えるつもりは無い。ただ、もしもそれでも私を助けてくれる人が居るのなら、私はそれに従うよ」


 二人の会話はそれで終わった。

 それが二人の会話に見えたのは、マーズとルノー以外に居なかった。



◇◇◇



「月が綺麗ですねぇ……」


 その満月を眺めるのは、メリアも同じだった。

 研究室には小さなパソコンが置かれており、電源が点いていた。画面に映し出されていたのは、マーズの身体情報についてだった。


「……満月はとてもきれいだ。だが、それよりもマーズのことが心配だ。検査の結果異常が無いことは解った。しかし……でも、まだあれは観測されているという」



 ――マーズのもうひとつの人格、その析出。



 それが行われたことについての疑問。精神的に異常が無いのならば、その原因が改められることになる。


「だとすればさらに疑問が浮上する。もし私の仮説が当たっているならば……」


 そこまで言って、メリアはキーボードから何かを打ち込んだ。

 それは記録だった。一人の女性に対する様々な記録だったのだ。

 それを見てメリアは首を傾げる。データに違和感があったためだ。

 そしてそれは彼女の考えていた『仮説』と等しいものになる。


「私は数年もの間……ずっとこれを危惧していた。だが、それを誰も理解しようとはしなかった。いや、もしかしたら薄々その事実に気付いていたのかもしれない」


 気付いていたとしたら、さらに事態は悪化する。事態が悪化する――それは価値観と考え方が大きく異なることを意味している。

 もしもそれを見て見ぬ振りしていたのならば――それを看過することは出来ない。看過してはならないのだ。


「リリーファーは強い。それによって戦争のシステムを大きく変えたのだから」


 だが、だからとしても。


「だがリリーファーを開発する際、ベースとしたものは紛れもなくあのシリーズという異形だろう」


 ならば、そうだとすると。


「シリーズと同じ成分が含まれている。その成分は人間には含まれていない。強烈な拒否反応を示すのは間違いない」


 パソコンの下にある机から一冊の本を取り出す。

 それは古文書だった。旧時代からある本には、こう書かれていた。



 ――人はいつしか、恐れを忘れる。そして、それと同時に驕りを覚える。

 ――一度驕り始めると、人はそれをグレードアップさせていく。ならば、驕りを無くせばいいのか?

 ――そのために私は考える。そして私はそれを『シリーズ』と呼んだ。



 どこかの国、いつかの時代に書かれたそれは、彼女の目を引いた。そして直ぐに、彼女にとってこれは有益情報であることを確信した。

 メリアにとってその事実は、彼女の研究を、彼女の仮説を位置付ける有力な証拠と成り得た。


「……この世界は仕組まれている。リリーファーのことも、起動従士も……。いいや、そもそも、どうしてこの世界はリリーファー同士による戦争を強いている? それっていったい……」

「それ以上はいけない」


 声が聞こえた。

 振り返ると、そこに立っていたのは白いワンピースの少女だった。

 少女は長い銀髪を風に靡かせていた。ほのかに笑みを浮かべ、メリアに言った。


「はじめまして……でいいのかしら? 私の名前はクック・ロビン。シリーズの番外個体と呼ばれている存在です。ああ、そのままで結構。私はあなたたちに危害を加えることはありません。それをする必要もありませんからね」

「……それをどう信じろ、と?」


 メリアの言葉を聞いて微笑むロビン。


「それもそうですね。その通りですよ。確かにそれについて疑問を浮かばれるのは間違っていません。寧ろ正しい認識だといえましょう。でも、私はそうだとしても、こう言い切りますよ。私はあなたたちに危害を加えるつもりはありません。忠告に訪れたのですよ」

「忠告……ですか」

「ええ」


 ロビンは微笑み、もう一歩。


「あなたの考え以上に、この世界は大きく変貌を遂げようとしている。その点の中心に立つのは、タカト・オーノ。ただ一人なのよ。……あなた、『ツクヨミ』というリリーファーを聞いたことがある?」

「ツクヨミ……? 聞いたことも無い。第一世代か?」

「いいえ。それは第一世代でも無い、もっと言うなら世代という概念にとらわれていない……。あなた、インフィニティの真の意味を知っているかしら?」

「インフィニティの……真の意味?」

「そう。インフィニティがなぜインフィニティという名前を与えられたのか。少しはそれを考えてもいいかもしれないわね」


 それだけを告げて、クック・ロビンは姿を消した。


「インフィニティの、意味……ですって?」


 それを反芻するが、すでにもうロビンの姿は無く、彼女も目を疑うだけだった。


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