第145話

 崇人は水の中にゆっくりと佇んでいた。

 少し気を緩めてしまえば、何もかも溶けて無くなってしまうような……そんな感じになっていた。

 だが、そんな状況であっても、彼は慌てることなどなかった。というより、何も考えたくなかった――というのが正しいかもしれない。

 何もかも捨ててしまおう。考えることをやめてしまおう。

 そこはかとなく彼はそのまま浮かんでいた。


「――あなたはそれでいいの」


 声が聞こえた。

 彼の目の前に、光の塊が出来た。


「君は……いったい?

「ここで諦めても、あなたは後悔しないの?」

「どういうことだよ……。僕はそんなことよりもただここに居たいんだ。気持ちいいし、嬉しいんだ」

「それはあなた自身が造り上げた『嘘』。あなたが生きていて一番気持ちいいと思えた感情を、そのまま世界にして造り上げただけのこと。この世界に囚われてしまっては、あなたはあなたで居なくなる。それでも構わないの?」


 ……自分が自分で居なくなる、ってどういうことだろうか?

 彼にはそれが理解出来なかった。理解しようと思っていても、それをしたくなかった。


「……急ぎなさい。この世界はゆっくりと終焉に向かっています。だけれどそれはあなたたち人間のせいではありません。もう一度『あの世界』を再現しようとした彼らが悪いのです」

「彼ら? 再現?」


 そこまで来て、漸く崇人の頭はまともに考えることが出来るようになった。

 というよりも、そうしないとやってられない……ということが案外近いかもしれない。


「彼らは観測者でした。神に命じられ、一度は滅んでしまった宇宙をもう一度はじめからやり直すために、その役目が与えられたのです。そして神はそのまま安寧の時を過ぎていくものだろう……そう思っていました」

「……いました?」

「彼らはある時、見つけてしまったのですよ。……かつてあった宇宙が、どのような歴史を辿ってきたのかを。その歴史を今ここで長々と話していてもどうせ無駄になりましょうから言わないでおきますが……、要するに酷い歴史だったのです。かつての民がどのように生き、そして滅んでいったのか。それが事細かに書かれていたのですから」


 光の声は続く。


「それを見て神は焦りました。このままでは大変なことになってしまう、と。だから神は、あるシステムを組み換えることにしました」

「……それは?」

「アリス・システム。『シリーズ』の名前は聞いたことがあるでしょう? シリーズを一元に管理するために開発されたマザーシステム……それが『アリス』。これは神が初めに世界に備え付けておいた、ただのプログラムに過ぎませんでした。……あの時までは」


 空間にノイズが走り出した。

 それを見てかどうかは知らないが、光も徐々に消えていく。


「……あとはあなたが自分で真実を求めるしかありませんね。私はただ、その橋渡しをしただけに過ぎません。だけれど忘れないで。あなたにとっての希望は何なのか、あなたの本来の目的は何なのか……ということについて」

「ま、待ってくれ! もっと話を――!」


 そして。

 大量のノイズとともに、唐突に空間が崩壊した。

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