第130話

 その日レステアはとても晴れ晴れとした天気だった。ヴァリエイブルも強い戦力を投入することもなく、内乱による衝突も無かったから、人々は平和を味わっていた。

 ティパモール内乱で各地から戦火が上がっていたが、レステアでは皆無だった。レステアの病院に運ばれてくる患者の大半は戦火とは関係ない怪我によるものである。


「……それにしてもほんとうに怪我が多い。内乱だって終わる気配が皆無、ならばいつまでも医者は必要とされる、イコール、いつまでも医者は食いっぱぐれが無いこととも言えるだろう。しかし早くこの内乱が終わってほしいものだ……」


 ベクターの言葉はどちらかといえば平和な場所から物言いしているようにも思える。しかしながら、実際、このレステアから彼が出たことは一度も無い。だから彼はティパモール内乱の影響を、どちらかといえば間接的に受けているし把握しているだけに過ぎない。実際に見聞きした訳ではなく、内乱が活発となっている場所からやって来た患者から会話を通して情報を得ることしか出来ない。

 ベクターは立ち上がると、窓から外を眺めた。

 そこにはただゆったりとした景色が流れているだけに過ぎなかった。ひっきりなしに患者がやって来るためか休むことが出来ないところが唯一の不満と言えるだろうか。

 いや、それは実際に。

 ほかの人間からすれば、戦場を体験している人間からすれば、あまりにも幸福な悩みであることだろう。あまりにも贅沢な悩みであることだろう。それくらいなのだ。


「先生、ちょっといいかい?」


 ふと声がかかって、彼は扉の方を見た。そこには袋を持った女性が立っていた。この前彼が彼女の子供を治療したのを、思い出した。


「これはこれはエイミーさん。どうしました?」

「先生、あんまり体にいいもの食べていないような気がするからさ! アニーちゃんが居なくなってから、きっと不健康な生活を続けているんだろう? アニーちゃんが戻ってきたとき、先生の体調が芳しくなかったら彼女も悲しんじゃうと思うのよ!」


 よくあるお節介を聞きながら、ベクターは笑みを浮かべる。


「そうですかねえ。それにエイミーさん、わたしとアニーにはなんの関係もありませんよ? 何か知ったふうな口で言っていますが、そんな関係なんてまったくないんですよ」

「そうなのかい? わたしゃ、絶対付き合っていると思っていたけれどね! あ、もしかして事実婚ってやつかい!?」

「事実婚、って……。別にわたしは彼女にそういう感情を抱いたつもりも無いので……。あくまで彼女は仕事上のパートナーですよ」

「ふうん、そうなんだ。ちょっと残念ですね、先生」


 それを聞いて彼は振り返る。

 そこにあったのは窓だった。

 いや、それだけではなかった。

 そこに居たのはひとりの少女だった。

 そして彼はその女性に、見覚えがあった。


「アニー……?」

「先生、言いつけを破ってしまってすいません。でも先生のこと、どうしても見捨てられなくって」


 アニーはそう言って後ろから彼を抱きしめた。エイミーはそれを見て小さく「青春だねえ……」と呟いて、袋に入った何かをそのままテーブルに置き、立ち去っていった。




「何ですか、これ?」


 アニーはエイミーからもらった袋を手に取り、ベクターに訊ねる。


「そんなことよりアニー、どうして戻ってきたんだい? ここは危険だから一先ず退散してくれ……そう言ったじゃないか。というか、ルナはどうしたんだ?」

「彼女は私の親族の家に預けました。あそこならば信頼できるはずだと思ったので」

「……そうか」


 ベクターが気がかりだったのはそれだ。ルナは――幼い子供が無事であるかということ。別にルナとベクターは血の繋がった親子などではない。しかし、ここで育てたのだ。育ての親としてそれくらい気になってしまう。

 対して、アニーは頬を膨らませ、


「先生、心配していたんですよ? きちんと食事はとっているかとか休んでいるとか。何だかたくさんの人を治療して今にも倒れそうですけれど。確かに病院があることは大事ですが、クオリティーがこのままだと落ちるのは確実です! 一人しかいないのに休みを無しにして頑張るとか無茶過ぎます!」

「仕方ない……。それは僕が下した判断なのだからね。それくらい自分でけじめをつけるよ」

「だーかーらー! どうして一人で背負い込んじゃうんですかー! もうちょっと頼ってくれてもいいじゃないですか……」


 アニーはぽかぽか彼の背中を叩いていく。しかし本気で叩く気などないようで、彼にとってそれが痛手を負うわけでもない。

 ベクターは彼女と向き合って、彼女の肩を掴んだ。途端に彼女がその行動をやめて、ベクターの顔を見つめる。彼女の顔が紅潮しているのを見て、彼は目を背けようとした。

 だが、それじゃ彼女に悪い――彼はそう思って、そのまま見つめる。


「アニー。まさか君が戻ってきてくれるとは思わなかった。はっきり言って、これからの仕事は忙しい。何が起きるか解らない。噂だとレステア以外は陥落したという情報が流れているくらいだ。まあ、それは噂だからあまり真にうけないほうがいいかもしれないが、それでもここが危険ということにはかわりない。それでも、僕と一緒に治療してくれるかい?」

「当たり前ですよ、先生。じゃないとここまで戻ってきた意味がありません」


 そう言ってアニーは頷く。

 それを見て彼もまた頷いた。




 高台からレステアの街を見つめる二機のリリーファー。『マーク・ツー』と『マーク・スリー』だ。

 二機の中にいるイグネルとリフィリアは笑みを浮かべていた。

 イグネルが彼女に訊ねる。


「リア、どうしたんだい。何だかとても楽しそうじゃないか」

『ええ、お兄様。だってこれから始まるのは残虐で残忍で非道でどうしようもない、真っ赤に染まった殺戮ですよ。そこには希望もない。絶望しかない。そこには歓喜はない。叫び声が空間を支配する。何とも楽しいではないですか! ああ、早く戦いたい。殺したい。消し去りたい! 全てを灰燼に帰し、絶望を与えたい!』


 それを聞いて彼は溜息を吐いた。リフィリアの病気めいた言動は今に始まったことではない。考えてもみればそうだ。彼らの家族は小さい頃に崩壊し、いわば底を味わった。腐った水の底を味わったのだ。水の底は暗い。ずっと居れば精神が崩壊してしまうのは自明だ。

 だから、彼女はいつしか精神が崩壊してしまっていた。イグネルへの依存もそれが原因であると言われている。しかし彼はそれをどうとも思わない。寧ろそうすべきだと思っていた。彼女の好きにやらせればいい。彼女が飽きるまでやらせればいい。自分はただそれに付随していけばいい――そう思っていたのだ。

 だから彼は今も昔もリフィリアについていく。それは彼が決めたルールであり罰にも思えた。別に彼自身罪を背負っているわけでもないし犯したわけでもない。ただ、慰めだ。彼女を慰めるためにその罰を受けているだけにすぎない。


「……そうだね。それじゃ、行こうか。さっさと真っ赤に染めてしまおう。この戦いを終わらせるんだよ」

『そうだね、終わりますね。終わるといいんですけれどね』

「終わるよ、きっと。いいや、必ず」


 訂正して、彼は言った。

 そして、リリーファーは起動する。目指すはレステア。ティパモール最後の『楽園』と呼ばれている、彼の地へ。




「『マーク・ツー』及び『マーク・スリー』、レステア殲滅作戦を開始したもようです」


 ラグストリアルは兵士からの言葉を聞いて小さく頷いた。レステア殲滅作戦が開始されたということはティパモールがそれほど潰されたということだ。作戦は順調であると言える。

 別にレステアが最後の牙城というわけではない。最終的に残ってしまったのがそこだけなのである。騎士団が本部を持っているのもそこだから、結果的にそこへと集結してしまう。


「さしずめ、最終決戦というわけだ」


 そう言ってラグストリアルは持っていた盃を傾ける。まだ勝利が確定したわけではないが、もう確定と言ってもおかしくないほどヴァリエイブルが優勢だった。


「これで一先ず、私も休むことが出来る」


 だが、油断は出来ない。作戦の最後が始まっただけで、まだそれが終了したわけではない。最後に何か大仕掛けをしくんでいる可能性だって考えられるのだ。しかしそれは無いだろうというのがラグストリアルの考えであり兵士の大半が考えていることであるが。


「……とにかく、あとは彼らの報告を待つのみ、だな」


 そしてラグストリアルは立ち上がると、ふらふらと歩いていく。

 兵士の一人が彼に手を貸そうとしたが、ラグストリアルはそれを断った。


「私はすこし眠る。何かあったら起こしたまえ。首尾よく進んでいるならば起こす必要はない。その場合の判断は君たちに任せる」


 兵士はそれを聞いて敬礼をひとつする。それを見てラグストリアルはゆっくりと部屋を後にした。




 ラグストリアルはゆっくりと自室に向かう。早く眠りたかったからだ。作戦の終了が現実味を帯びてくると、様々な思考よりも睡眠欲が湧き出てくる。早く眠りたい、眠りたい……そういう思いが彼の中を徐々に支配しつつあった。

 自室に着いて彼は布団に潜り込む。そしてそう時間もかからずに微睡みの中へと落ちていく――。


「やぁ、王様。眠ろうとしているところに申し訳ないけれど、ちょいと失礼するよ」



 ――あと数秒で眠りにつくところだったが、何者かの声で、彼は強制的に目覚めさせられた。



 そして彼は、その声の主を知っていた。ニヤリと笑みを浮かべ、ゆっくりと起き上がる。


「帽子屋……だったな」


 そこに居たのは黒い影だった。そういう比喩的表現ではなく、直接的表現だ。ラグストリアルの目の前に、紛うことなき黒い影が立っていたのだ。

 影の高さはラグストリアルより頭一つ分大きいくらいだろうか。その影は笑みを浮かべると、ゆっくりと彼の方に近付いてくる。


「いかにも。僕が帽子屋だ。ヴァリエイブル国王、ラグストリアル・リグレーで間違いなかったか?」

「あぁ、そうだ。……なぁ帽子屋よ、いい加減このやり取りは止めにしないか? お互いがもう双方を理解しているじゃないか」

「と言ってもねぇ……。実際、このやり取りはとても大事なんだよ。本人確認、という面ではね」


 自分の名前を名乗っただけで何故本人確認となり得るのかが、彼には解らなかった。名前だけで評価しているならば、全くの別人(但し声色は似ているものとする)が自分の名前を名乗っても同じではないか?


「いいや、そんなことは無いよ。名前を言ってもらうときには声紋、それが認証されれば虹彩だ。声紋はうまくやれば誤魔化せるかもしれないが虹彩は厳しいだろうね。実際、虹彩は誰一人として同じものが無いと言われているくらいバラエティに富んでいるのだから」

「その虹彩とか声紋とかは解らないが、即ちそれによって個人を特定することが出来る……ということか?」


 帽子屋は頷く。

 ラグストリアルはそれを鼻で笑った。


「まぁいい。そんなものが我々の技術で実現出来ればと思ったが……流石に難しいだろうな。そう簡単に出来るのならお前たちが使っている訳がない」

「解ってくれると助かるよ、ラグストリアル。僕らにとっては容易に実現できるが、人間には少なくとも今の技術では実現不可能と言ってもいいだろう。それが実現出来るのは遥か未来でもあるし数年後という決まった未来であるかもしれない。少なくとも、今の人間には到底実現出来ない技術を使っているから、それをどうにかしようと言うのは半ば不可能という訳だ」

「ほんとうか? ほんとうにそうだと言えるのか?」

「あぁ、ほんとうだ。……違う、違うよ。そもそも僕はそんな水掛け論をしにここまでやって来たわけではない。もっとれっきとした理由があるんだよ」

「ティパモール内乱の事ならば、もう最後の地区を殲滅し始めている。何事も無ければあと数時間で終わるだろう。何もかもが順調だ。……まるで、お前が予言したようにな」


 そう。

 ティパモール内乱を指示したのはラグストリアルだが、その指示を彼に指示したのは帽子屋だった。帽子屋が計画し、ラグストリアルに指示。それを彼が国軍の総力を挙げて開始した。


「……ティパモール内乱についてはまさかここまでうまく行くとは思わなかった。上々だよ、ラグストリアル。最高だ、褒美をあげよう。何が良い?」

「褒美、か」


 ラグストリアルはそう言って小さく溜息を吐く。

 はっきり言ってラグストリアルは何も考えちゃいなかった。考える必要が無かったというのと、考えるまでもなかったということである。そもそも、この内乱は帽子屋がやれと命じられたものをただそのまま行っただけにすぎない。とはいえ国民は『帽子屋』の存在を知らないわけだから、結果として彼がその反論を受ける羽目になるわけだが。


「……そうだな、褒美か。とりあえず平穏が欲しいね。今後五年くらいは平和で暮らしたい。少なくともこんなことは懲り懲りだよ」

「それくらいでいいのかい?」


 帽子屋は目を丸くする。どうやらラグストリアルの願いが相当予想外だったらしい。

 平穏を望む。それはどんな価値の宝にも代え難いものなのかもしれない。


「ああ、それで構わない。それでいいんだよ。もうこれほどの内乱を起こしてはならない。繰り返してはならないんだよ」


 帽子屋はそれを聞いてつまらなそうな表情を見せたが、


「まあ、約束は約束だ。反故にするつもりはないから安心してくれ。五年程かな、それくらいでいいんだね?」


 言って、確認を求める。


「ああ、それで構わない」


 それを聞いたと同時に帽子屋は姿を消した。

 ラグストリアルはそれを見送り――意識を失った。

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