第129話

 サラエナを火の海にしたリリーファー、マーク・ツーとマーク・スリー。それに乗っていたのは何れも似たような容姿の男女であった。

 正確には彼らは双子であった。それも双子ではスタンダードの一卵性双生児というやつだ。一応髪を伸ばすとかどうにか違いを見出だそうとしているが、裏を返せばそれ以外は完全に一致なのだ。


「どうだい、リア。調子は?」


 マーク・ツーに乗る起動従士が訊ねる。とはいえ、中に乗っているのは少年だ。起動従士の中でも珍しい。カーキ色の髪はとても鮮やかだ。まるで絵の具を塗ったようだし、もっというならば、彼の身体的特徴をも含めて、それ自体が一枚の絵画になる美しさだと言ってもいい。藍色の瞳、すらりと通った鼻、まるで女性めいた桜色の唇。痩せ型と言われがちだが、決してそうには見えず、世間一般に見れば普通の体型なのかもしれない。まあ、どちらかといえば少しだけ骨張った身体だろう(本人による総合評価であり、これが第三者による評価ではない)。

 そんな少年イグネル・エクシルは双子の妹であるリフィリア・エクシルと通信をしていた。


『調子は……特に問題ないよ。順調に作戦も進んでいるし』

「そうだね。ならば、それでいいんだ」

『リアは大丈夫。だってお兄様が一緒に居るんですもの!』


 その言葉に少しドキリとしてしまうイグネル。リフィリアは妹だが、けっこう外のことを気にしないでこういうことを話す。だからそれを聞いているイグネルからすれば少々恥ずかしいことではあるのだろうが、しかしそれが何年と続けばもう『日常』と化してしまった。周りもそういう考えを理解しているのが、彼にとって少々有り難かった。


「……まぁ、いいや。それよりもリフィリア。作戦の首尾はどうだい?」

『そちらも順調です。サラエナの三分の二が陥落しました。残り三分の一も時間の問題でしょう』


 そうさらりと言えるのは、彼女がそれを悪と認識していないからかもしれない。

 そもそも悪とは何か――と考える人間も居る。悪も正義も、その定義ははっきり言ってまちまちだ。

 だから国で『正義』を定義した。これが国法だ。国法で定義されているから正義、定義されていないから悪である。

 何も自分が悪だと思って活動する人間は非常に少ない。それが逆なら話が別であるし、誰もが皆『正義』を持っている。それが歪んでいないかどうか、その判断は本人か或いは他人かに委ねられてしまう。


「そうか。ならば、それほどまでに心配する必要性はないかな」

『当たり前です、お兄様。私はお兄様を守るために、戦っているのですから!』

「普通逆だよなあ……」


 頭を掻いて、笑みを浮かべるイグネル。

 リフィリアはさらに話を続ける。


『何をおっしゃいましょうか! 私はお兄様を大切にお慕い申し上げているというのに。私はただお兄様のことが……』

「解ったよ、済まなかった。別に君のことを責めているわけじゃない」


 そう言ってリフィリアを宥めるが、しかし彼としては少しだけ後悔しているところがあった。

 リフィリアとイグネル、兄はイグネルなのだが、リリーファーの類希なる才能を持っているというのは、どちらかといえばリフィリアだった。しかしこの二人、別に親が起動従士だったわけでもなく、ただ一般の市民だった。ほんの数年前、リリーファーを実物大に見た彼らはそれに一目惚れしてしまい、訓練学校への入学を決意したのだ。

 入学してから、その才能が発揮されたのはリフィリアの方だった。だからといって別にイグネルには才能がない――というわけではない。イグネルだって普通の起動従士と比べればある程度秀でている方だ。

 だが、妹であるリフィリアはそれ以上だった。彼女が持っているパイロット・オプション――『|真紅の薔薇≪ブラッド・ローズ≫』が彼女の凡てを変えてしまったといってもいいだろう。

 『真紅の薔薇』はその現象から名付けられた、稀有な例であると言われている。唯一と言ってもいい、『別対象型』のパイロット・オプションである。真紅の薔薇――そのパイロット・オプションははっきり言って明らかになっていない。それゆえに、彼女はこう言われている。



 ――真紅の薔薇と戦った者は、必ず勝つことが出来ない。



 それはおとぎ話めいたものにも思われるが、しかしそれは紛れもない事実であった。紛れもない事実であるのならば、それを誰も疑わなければいいのだが、しかし悲しいことに疑うことを忘れられないのが人間の|性(さが)というものだろう。

 ところで。

 人間とはどうして疑うことを忘れられないのだろうか。

 人間は信じ続ければ困ることもないというのに、どうして疑ってしまうのだろうか。実際、この内乱ですら、疑うことが結果としてこのような戦乱を招いてしまっている。だから、完全に疑ったことによって引き起こされたものだと言っても、誰もそれに異を唱えることができないのであった。


「……ほんと、どうしてだろうね。どうして人は信じ続けないのだろうか。でないと、今回のようなことが起き続けてしまうのに、さ」


 イグネルは言った。

 対して、リフィリアの返答は冷たい。


『人間を滅ぼすのは人間ですよ。たとえ強大な力を持った生物が現れたとしても、最終的には人間と人間の戦いに帰結する。それは悲しいことですけれど、しかし仕方ないことでもあります。仕方ないことではありますが、しかしながらそれをそのままにしてはいけません。蔑ろにしてはいけないのです。だから、私は起動従士としてこの世界を是正する。間違っていることを、正しくないことを、凡て正しくするために。「黒」を「白」とするために。それはお兄様にも何度も言っていることですし、いくらお兄様であってもそれを止めようと言うのであれば、私は全力でお兄様を潰す……そう言った気もしますが』

「君の言葉を僕が否定するわけないだろ、リア。君は君の世界を構築すればいい。僕はその中に少しでも居られるのであれば……それはとても幸せなことなのだから」

『お兄様はとても静かです。それでいて自分の意見を一切申しません。まるで私のボディーガードめいた……何かのような。いいえ! お兄様はそんなわけありません! そうでしょう、お兄様?』

「ああ、そうだ」


 イグネルは頷く。


『僕は君の唯一の兄であり肉親であり信頼できる人間であり……友でもある。そんな君を僕が見捨てるわけがない。だが、僕は君のことを見捨てることができない。君が僕を見捨てることができても、その逆は出来ない。僕は君を助けなくてはいけないんだよ』

「どうして……ですか」

『何度も言ったじゃないか。それが君にとっても僕にとっても最善の選択だ、と』


 エクシル家はかつては貴族として土地と財産を大量に所有し、その栄華を極めた。だが、極めるところまで極めればあとは落ちるだけ――それはどこでも道理で一緒のことだった。貴族もそういう社会の上に成り立っている。そして、エクシル家もその例に漏れず、一気に降下した。|名前(ブランド)も、資産も、凡て奪われた。

 残されたのは身体のみ――ではなく、慈悲により残された伽藍洞の家。その家に唐突に彼女たちは住むこととなった。

 そしてその出来事と同時に、彼女たちは誰も信じられなくなった。そして同時に信じられなくなったもの――それはお金だ。お金は人を恐るべき方向に変えてしまう。かつては純粋な青年がお金によって悪徳な性格へと変貌を遂げてしまったり、貧乏だった老人が大量のお金を手に入れることで贅沢に走るなど、それによっていい結果を生み出したのはほんのひとにぎりで、それも頭がいい人間ばかりだ。

 即ち凡人にはお金によって良い結果を生み出すことは皆無であり、それが起きたことは『奇跡』といってもいい……そういうことである。まあ、それが実際に実現出来るかどうかはまた別の話である。

 しかしながら、彼女たちは今までお金を信じてこなかった。お金が嫌いだからというわけではない。流石にお金をまったく使わない生活というのは無人島までいかないとほぼ不可能であるから、必要最低限のお金しか使用しなかった。そしてお金が欲しいと言ってくる人間は何が何でも突っ放した。だから彼女たちは友達を作らなかった。人間強度が下がるからではない。ただ、怖かったのだ。人間と関わるのが怖かった。またお金によって家が崩壊してしまうのが嫌だった。実際彼女たちがここまで上り詰めたのはほぼ奇跡に近いし、もしこれが奇跡でないというのなら、彼女たちは凡人ではなく天才の範疇に入るのだろう。実際、リフィリアはパイロット・オプションとしては稀有なものを手に入れている。

 対して兄のイグネルは平平凡凡と言ってもいい。リフィリアが天才だから、その代償なのかは解らない。しかしイグネルが平凡の才能を持っているということは事実である。ほかならない事実だ。それ以上でもなくそれ以下でもないしそれを変えることも出来ないだろう。努力に応じては変えることができるかもしれないが、まあ、それも無駄だと思っているのがイグネルなのかもしれない。二人共『天才』だということが証明されてしまえば彼女たちを組ませようとはしないだろう。それは国が認めない。なぜならそれによって彼女たちがクーデターでも起こされたら対応のしようがない。彼女たちの言い分をそのまま認めなくてはならない。

 だから、イグネルは凡人を『演じ』なくてはならなかった。あくまでも奇跡に操られている凡人を演じる。それが彼の役目だ。リフィリアの類希なる才能を隠すためではない。寧ろそれに隠れているのだ。その時のために、彼は力を隠しているといってもいい。


「命は金で買えない。だが、命は金で『変える』ことが出来る。貧乏だった人間が一日で貴族の仲間入り、逆に貴族で順風満帆だった人間が一日で街で情けを恵んでもらう立場に成り下がるかもしれない。そしてその権利は誰にでも与えられている。その結果までは保証されていないけれどね」

『結果まで保証されていたら、「ギャンブル」の意味がないですわ、お兄様』


 ギャンブル。

 リフィリアはそう言った。

 彼女たちはそれをギャンブルと呼んでいる。いつでも人間は金によって『変わる』ことが出来る。命を買うことは出来ないが金によって生活を変えることが出来る。生活を買う……そういえば言い回しも通用するかもしれないが、要するにそういうことなのだ。彼女たちはそのギャンブルに勝ち続けてきた。ひとつの目的のために。ひとつの義務のために。ひとつの任務のために。


「……それじゃ、聞くけどリア……そこにいる難民は死ぬべき人間だと思うかい?」


 イグネルは指差す。そこにいたのは怯えて立ち上がれなくなった難民だ。恐らくティパモールの人間だろう。

 リアは笑みを浮かべて、イグネルの言葉に答えた。


『……当然ですわ、お兄様。ですが、実際に死ぬかどうかはあの難民次第です……わねっ!』


 最後力を込めたのはパンチを地面に放ったからだ。パンチ一発で地面が砕け、その難民は地面の切れ目へと飲み込まれていった。

 それを見てリフィリアは一言。


『……あそこで死んだということはあの人間は死ぬべき人間でしたよ。そして私たちは二人人間を殺したから一万ルクス来月の給料に加算されるわけだ。……はっきり言って人間一人殺すごとに五千ルクスって安いですわよね、お兄様。どう思います?』

「うん。僕も安いと思うけれどねえ……。でも何度言っても改定してくれないんだよ。起動従士の給料が高いってのもあるんだろうけれどね。今度起動従士の給料を下げるって噂もあるくらいだし」

『それじゃ、ますます起動従士が減るのではありません? 流石に起動従士になった理由が金儲けなんて人間はいないと思いますけれど……』

「起動従士になった理由が普通の人間なんて居やしないよ。起動従士という世界の汚れ役を進んで受けている時点でそいつはかわりものだ。もちろん、僕とリアもそれに該当するけれどね」


 そう言って二人はリリーファーを動かしていく。

 彼女たちはこれまでも、そしてこれからも虫けらのように命を潰していく。その大きさ小ささには関係ないはずだ。

 彼らは人間一人殺すたびに五千ルクス支給される。それが高いか低いかで言えば、はっきり言って低いだろう。実際それによって人命の価値が決められていると言ってもいいのだから。

 五千ルクス。

 その価値が低いのか高いのか――それは誰も知ることが出来ない。知る手段が無いからでもあるし、それを定義出来るのはカミサマくらいだろう。せいぜい人間が勝手に位置づけしているだけに過ぎないのだから。

 そしてそれを起動従士たちは解って人を殺している。兵士だってそうだ。殺さなければやっていけない。戦果を上げねば食べていけない。平和な世界に彼らは不要だ。だから戦争を起こさねばならない。だからそういう種を蒔かねばならない。それが実際に『戦争』という火種へと発展するかは別だが、蒔かねば種は成長しないのだ。


「……蒔かない種は何も出てこないよ。それは可能性を捨てているからだ。それは可能性を生み出す機会を自ら捨て去っているだけだ。だが、たとえ一粒でも種を蒔けば、それは機会チャンスを生み出し、それは可能性を生み出す。一粒が確実に芽を出すかは微妙だ。何十粒ばら蒔いたとしても芽を出すのはよくても数粒だ。それだけでも案外いい方だと思うけれどね」

『……お兄様の話はたまぁに難しい話が出てきて、よく解りません。というか、解らないものだらけです。未確認です。天才とか謳われる私ですが、それでも理解出来ません』


 そう言ってリフィリアは小さく溜息を吐く。即ち彼女が呆れ返ってしまったわけだが、別にそれは今回が初めてなわけではない。月に一回、週に一回、一日一回、一時間一回……いつどのタイミングかは彼自身コントロール出来ていないところがあるが、そのような回りくどい言い回しをする。

 それが好きか嫌いかと簡単に決められることは、彼には出来なかった。何故ならそれは半ば発作的に、それでいて日常的に起きることだからだ。もっと言うならそれにリフィリアの鋭い突っ込みめいた何かが入って漸く完成と言える。毎回毎回飽きずに突っ込みをするリフィリアもリフィリアであった。


「まぁ……そんなことはさておき、とりあえず命令を確認しておこうか。僕たちの殲滅対象はサラエナのみだ……ただしそれはあくまでも今のところであるし、それが変更される可能性は充分にあるだろうけれど」

『お兄様、それはいったい?』


 リフィリアの声には疑問よりも濃いある感情があった。――それは『歓喜』だ。興味よりも恐怖よりも畏怖よりも強い感情、それが歓喜だ。

 とどのつまり、彼女はこう思っているのだ。



 ――もっとたくさんの人間を『殺す』機会に恵まれる



 無論、それが正しいかどうかと言われると微妙なところだし、彼女が短絡的にその考えに辿り着くだろうことはイグネルにも解っていた。

 だが彼女にとってそれが正しいか正しくないかは、もはや判別が付かなくなっていた。判別をつける必要が無かった――そう言ってもいいだろう。実際、彼女たちはそんな考えがまともに働かないくらい狂ってしまっている。狂っているからこそ、正しいことが間違っていると思う。間違っているからこそ、間違っていることを間違っているとは思わなくなる。前提が違えば、こうも違ってしまうのだ。


「それは簡単だ。サラエナ以外にも出てしまったんだよ、やはりティパモールの内乱はそう簡単に抑え込むことが出来ないらしい」

『……だから、それ以外も「潰す」ということですか? ティパモール内乱は確かに国にとっては悪なのでしょうが、はっきり言ってここまで無惨に殺す必要が無いようにも思えます』

「確かにな。それはその通りだ。そして、僕もそう思った。だが、やはり国はこのままティパモールを破壊する方向でまとまっているらしい。それ以上の許容も認められない、国にとってはさっさとティパモールを潰しておきたい気持ちが強いのだろうな……」

『それほどまでに攻撃する必要が?』


 イグネルは首を横に振って話を続ける。


「これ以上ティパモールを潰しておきたいんだろう。だが、近い将来アースガルズとの新たな交易拠点にでもすればここの旨味も幾分出てくる。少なくとも今の土地よりかはより良い場所と化すだろうな。……まぁ、それがどこまで続くかどうかははっきり言って解らないが」

『確かにそれは正しい知己によるものだと思われますし、正しいことでしょう。ですが、それをヴァリエイブルが考えているのでしょうか?』

「考えているだろう。そこまで考えているはずだ。……にもかかわらず、こんなことになっているのは甚だ疑問だけれどね。そこまでする必要はあるのか? と疑問を投げ掛けたくなるくらいだよ」


 ティパモールを交易の拠点として活用する――この考えは何もイグネルが初めて考え付いたものではない。昔から学者がそう国に進言しているのだ。しかしながら、国はその進言を一切無視しており、学者たちとの間で軋轢が生じている。なぜそれほどまでに軋轢が生じる必要があるのか――それは彼らにも理解できなかったし、だから何度も反論した。

 国はそれに対して強硬姿勢を取った。国の言葉を批判した学者を次々と投獄したのである。流石に処刑まではしなかったが、それに大きな批判が上がった。解放運動も繰り広げられた。しかし、最終的にティパモールの制圧が完全に終了するまで学者たちが解放されることはなかったのである。


『それでも……納得行きません。どうしてこんなことを……』

「それを僕たちが考えたとしても、何も変わることはないよ。今の状態では、ね」

『やはりそうでしょうか……』

「そうだよ。実際にはこれを行うことが出来るのはやはり難しい。理想論だ。そして、現実的にその可能性を排除しているのが国だ。僕達は国に忠誠している以上、やらなくてはいけないんだ」

『でもそれはあくまでも形だけ、でしょう?』

「ああ、まあ、そうだ。形だけだ。何も完全に虜になれ、なんてことは言っていないよ」


 イグネルは言って、頷いた。

 彼らがそう考えたとしても、それが実際に適用されるわけではない。それでいて実行されるわけでもない。そして、それに対して不満を抱いているわけでもない。

 ただ、気になるだけ。疑問を抱いているだけなのだ。どうしてこれをするのか、なぜこうする必要性があるのか、それについて気になっているだけに過ぎないのだ。

 彼らのリリーファーに同時に連絡が入ったのは、その時だった。

 その命令は大層シンプルなものであった。

 それを聞いたイグネルは了承すると連絡を切る。それを確認して大笑いした。


「どうやら軍は余程リリーファーに惚れ込んでいるらしいな、リア。仕事だよ、さらにお金が増えるぞ」

『お金が増えることについては割とどうでもいいのだけれど……、それで? 何をすればいいの?』

「レステアに進撃する。そしてまた大量の人を殺すんだ」


 それを聞いて、リフィリアは笑みを浮かべた。しかしながら映像は見ることが出来ないから、それをイグネルが目撃したわけではない。

 だが彼は彼女がきっと笑っているだろうということは薄々気付いていた。彼女はそういう性格だから、そういうことは手を取るように分かるのだ。やはり兄妹と言ったところだろうか。


「さあ、向かおうか」


 そしてイグネルは長い通信を切って、リリーファーコントローラを強く握った。



 ◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇



 その頃、レステアにあるベクター医院。

 日に日に増え続ける患者にベクターは疲れていた。しかしそれでも患者が回復するわけではない。彼は疲れている身体にムチを打つかたちで頑張っていた。


「ベクター先生や、最近思いませんかね?」


 患者の一人、老人がベクターに問いかけた。もちろん突然というわけではなく、老人の怪我を治療していたというおまけつきだが。


「最近思わないか……ってなんのことでしょうか?」

「内乱ですよ。収まる気配がない。それどころかお互い戦力を疲弊している。噂だとこっちにはどこかの国がパトロンとして存在しているんじゃないかなんて言われているくらい」

「『反乱の騎士団』はそれを一切私たち市民に報告しませんからねえ……。まあ、あまり私たちに恐怖心を植え付けたくないだけなのかもしれませんが」


 反乱の騎士団はティパモール内乱を推し進める派閥のことであり、ティパモール内乱の総監督を務めている。しかしながら、市民の殆どはその存在を名前だけしか知らず、構成とかメンバーとか何をしているのかとかそう言ったことを知らないのである。それは反乱の騎士団が徹底的に秘密主義を貫いたからだと言われている。

 老人の話は続く。


「でも、少しくらい市民を信用してもらったっていいと思うんですよ。バチも当たりませんよ、ティパ神様だって、きっとお許しになられることでしょうよ。でも、騎士団はそれをひた隠しにする。それって何だかおかしくはないですかね?」

「……というと?」


 ベクターは包帯を巻く腕を止め、老人に訊ねる。


「この内乱……人為的に起こされたものではないんですかね?」


 人為的。

 要するに偶然ではなく必然。奇跡ではなく確実。不可能ではなく可能だったということだ。この内乱が起きたのは偶然ではなく必然であり、それは人為的である。

 しかし、ベクターはそれをこう捉えた。


「なにをおっしゃっているんですか。そもそもこの内乱の始まりは不平不満を訴えた市民が国軍に殺されてしまって、それのために戦ったと言われています。それが正しいだろうし、それを疑う人間もいません」

「そうです、そこですよ。疑う人間がどうしていないんでしょう?」


 包帯を巻くのを再開し、ベクターは頷く。

 老人はさらに饒舌になっていく。


「しかしていったいどうして人間は戦うこととなってしまうのか……。確かにわしが若かった頃は今みたいに戦っていたが、今はそれだけではない。言葉もあるし紙もある。言葉を伝える手段が充分に備わっている。だというのにどうして戦ってしまうのか。はっきり言って戦いは何も生み出しません。お互い血を流しあって、当たり前のことを決めるだけのためのこと。負けた者は勝った者に従う。それが自然の摂理であるし戦いの法則でもある。そうでしょう? この内乱だっていざこざがあったからだ。私たちが全面的に悪いのかもしれない。しかしその意見を言おうとすると……どうなるかお分かりですかね」

「まあ、罰せられるでしょうねえ」

「ええ、そうです。罰せられます。どうしてでしょうね? どうして、わしはただ意見を言っただけだというのに、どうして罰せられにゃいけないのでしょうかね?」

「うーん……どうしてでしょうね。そういう意見に誘導して欲しくない、とか」

「そう、わしは考えておるのですよ」


 包帯を巻き終わり、笑顔でベクターは老人を見つめる。


「はい、これでおしまいです。あとは安静にしていてくださいね。後ろ未だ来ている人が居るのでおしゃべりはほどほどにお願いします」


 事務的な対応をしてベクターは机に向かう。老人は頭を下げて立ち上がり、診察室を後にした。

 一人になったベクターは老人の言葉を考える。所詮老人の戯言だ――彼はそう考えていたが、しかし気になることは浮かび上がってくる。

 そもそも、今回の内乱を起こした理由はなぜだったのか。

 不平不満。それは協会によるものだ。水を売り出してそれを高値につり上げたから……そう言う人間もいるし、しかし協会が水を買い占めたのは内乱が始まってからだから関係ないのではないかと言う人間もいる。

 とどのつまり、内乱が起きた要因を知らないか、或いは曖昧な理由を知っている人間が殆どであるということだ。

 となると、ひとつの仮説が浮かび上がる。それは――。


「おや、先生。どうなさいましたかな?」



 ――現実に引き戻されたベクターは、机から患者の前へと向き直った。そこに居たのは青年だった。よく見ると頭から血を流している。しかしかすり傷程度のようだった。



 ベクターはそれを見て、青年の治療を開始した。

 ベクターがその一瞬の想像で考えたそれは、頭の奥底へとあっという間に追いやられていった。


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