第124話

 その頃。

 崇人はコロシアムの中をひとり歩いていた。理由は先程から感じていた違和感――これの正体を突き止めるためだった。しかし、そう簡単に違和感を突き止めることなど、果たして出来るのだろうか?

 歩きながら崇人は考える。試合中にもなれば通路を歩く人間は疎らだ。だから、人にぶつかることなんてない――。


「おっと、お兄さん。ちょっと立ち止まってもらえるかなあ?」


 それを聞いて崇人は瞬時に立ち止まった。なぜなら彼の背中には冷たい感触があったからだ。

 崇人はこれを一度感じたことがある。これは……拳銃だ。


「何の用だ。それに俺は『お兄さん』と呼ばれるような年齢でもないぜ?」

「いやいや……。何言ってるんだい、あんたそんな身体しておいてもう三十歳超えているんだろう?」


 それを聞いて崇人の表情が強ばった。何故それを知っているのか――と崇人の頭の中はそれでいっぱいになった。

 そして、まるでそれを読み取っているかのように、背後にいる男と思われる声は言う。


「不安だねえ? なんで自分の本当の年齢が解るのか、って疑問に思っているんだろう? だろうねえ、そうだろうねえ。確かに、僕も同じ立場だったらそう思うに決まっているよ。それに君はほんとうにインフィニティに乗りたがって、いるのかなあ?」

(こいつ……完全に俺の素性を調べ尽くしている……! となると、テロ組織が妥当か? ならば、こっからどう逃げれば)

「おっとぉ。こっから逃げてもらっちゃこまるんですよ。逃げたらここが|木端微塵≪こっぱみじん≫ですよ?」


 そう言って男は崇人にあるものを見せつける。それはボタンだった。ボタンは赤いもので、しかし蓋がしてある。恐らく誤射防止のためだろう。


「これを押すとですねえ、このコロシアムに仕掛けられた爆弾がどかーん! と爆発しちまいますよお。どうですか、それでも抵抗しようと思いますう?」


 嫌に間延びした声で、訊ねる。その間延びした声が崇人はいやだったが、それを言っても意味はない。寧ろ今の状況が悪化する可能性すら浮上する。

 しかし今の彼には、その言葉に屈服するほかなかった。



 さて、大会のキュービック・ガンナー第一試合は未だ続いている。

 残り時間三分を切ったところで動いたのはレックスだ。スピードタイプのリリーファー、イクスの名は流石と言ってもいい。その素早さは見るものを迷わせるほどだ。一旦、どこへ行ってしまったのか探してしまうほどの早業でアッシュの背後をとった。

 アッシュに乗り込むリザはそれに気がついたが、しかしあまりにも遅かった。

 刹那、ライフルから放たれた弾丸が見事三つの風船に命中――破裂し、試合が終了した。

 第一試合、北ヴァリエイブルの勝利。



「……というわけだが」


 ヴィエンスは大会の試合をまとめたメモを見ながら、横になっているマーズにそう言った。

 マーズは笑みを浮かべながら頷く。最初はヴィエンスが来たとき起き上がろうとしたのだが、体調が悪いのならそのままにしておくべきだというヴィエンスの助言から横になったまま話をしているということだ。


「それにしても……ごめんなさいね、ヴィエンス。急にそんなことやってもらっちゃって」

「いいんだよ、俺は暇だからな」

「それにしても……タカトはまだ戻ってきていない?」

「ああ。試合が終わって|中央≪おれたち≫が呼ばれてもタカトが来る様子は無かった。だから仕方なしではあるが……俺が代理だと嘘を吐いて参加した」

「ほんとにごめんなさい」

「あんたが謝ることじゃない。寧ろ誤って欲しいのはタカトの方だ。ったく、あいつはいったいどこで油売ってやがるんだ?」



 ◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇



 マーズとヴィエンスがそんな会話をしていた頃。

 コロシアム地下にある機械室。

 ゴウン、ゴウンと機械が動く音とパイプで埋め尽くされている空間に、ひとつのパイプ椅子が置かれていた。いや、ただのパイプ椅子ではない。後ろで手を縛られている人間、崇人が座っている。

 扉が開く音がして、崇人は振り返る。と言っても足も縛られておりパイプ椅子も固定されているため、扉の方まで向くことは出来ないのだが。


「久しぶり……といえばいいかな。タカト・オーノくん」


 やってきた男はそう言った。その声色にどこか聞き覚えがある。だが、まだ確証は掴めていなかった。顔が見えないからである。機械室は必要最低限の蛍光灯しか置かれておらず、しかもその蛍光灯も切れかかっているのばかりだ。だから、満足に空間を照らしきれていないのだ。

 ゆっくりと男は近づいてくる。そして、次第に顔が明らかになってくる。

 そして、その顔が崇人を見下ろす、ちょうどその位置までやってきていた。


「……あんた、確か」


 崇人の声には明らかに怒りが篭っていた。当然だろう、崇人の目の前に立っているのは、崇人の姿を見下しているのは、今まで崇人が会ったことのある人間で、崇人たちとともに戦った人間なのだから。

 男は笑みを浮かべて、頷く。


「久しぶりだね。私は『新たなる夜明け』のリーダー、ヴァルト・ヘーナブルだ」

「あんた……仕事をするパートナーとか言っていたじゃないか……!!」


 崇人は何とかここから抜け出そうとする。しかし虚しくもパイプ椅子を揺らすだけだ。

 ヴァルトは煙管を取り出して火を点ける。室内だからすぐに煙が充満する。とはいえ換気設備が設置されているためか、完全に煙が充満することなく外へ排出されていく。


「ああ、そうだ。だから、これから『仕事』をするんだよ。大人の付き合いという名の仕事を……な?」

「騙したのか」

「騙した? 何を言うんだ。騙してなんて一度もしてないぞ。そもそもあの時共闘したのはカーネルに共通の目的があったから。そうだろう? あんたは国の起動従士で俺たちは世間的に見ればテロ集団だ。世間は今のところ、どっちを支持するだろうな? どっちを『正義』とするだろうな? 恐らく百人中百人があんたを正義とみなすだろうし、あんたを支持するだろうよ。だが、共闘も終わり。これからは単なる仕事の付き合いとして、これからよろしく頼むよ。タカト・オーノくん?」

「仕事……ねえ。それじゃあ、これから俺はあんたたちにこき使われるってことかい?」

「こき使う。そうさね、そういう可能性も出てきては来るだろうが、少なくともそういうつもりはない。あくまでも、君がきちんとそれをこなしてくれれば、こちらだってこき使うつもりもない。裏を返せば君がきちんと仕事をこなさないのならば……こちらにも手段というものがある。まあ、楽しみにしていたまえ。これから行われる、楽しい『仕事』をね」


 そう言ってヴァルトは。

 パチン、と。

 指を鳴らした。

 その音に呼応するように天井から何かが降りてきた。どうやらこの部屋は相当な改造を施しているらしい。


「これはモニターだ。果たしてどこを映しているのかといえば……」


 真っ暗になっているモニターが色を映し出す。

 そこに映されていたのは、たくさんの子供だった。

 その子供に共通しているのは皆縛られている、ということだろうか。手足を縛られている彼らが自由に動くことは出来ない。それどころか監視されているから、尚更だ。


「おい、そこに映っている子供……どうするつもりだ」

「どうするもなにも。先ずは『見せなくては』いけないからね。君がきちんと仕事をこなさないと、こういうことになるんですよ……ということを」


 モニターに映し出されたのは、男だった。男は何かを持っていた。

 それが斧だと解ったのは、男が映り始めて直ぐのことだった。男が身動きの取れない子供に向かっている。そしてその男は斧を持っている。さて、そこまで考えれば誰だってこの男の行動が想像出来てくる。


「オイ……何をするつもりだ……!」

「だから言ったでしょう。見せしめだって」


 そして、男は身動きの取れない子供の――男の子の足を手にとった。男のもう片方の腕には斧が装備されている。それを見て男の子は震えている。当然だ、きっと彼らは誘拐されてきたのだろう。突然誘拐されて身動きが取れない状態で、目の前に斧を構えた男が居る――それで正常にいられる子供が居るはずがない。

 子供は震えていた。打ち拉がれていた。どうすればいいのか解らなかった。自分が何をすればその場から脱することが出来るのか、ただそれだけを考えていた。

 だが、テロリストはそんな甘い考えが通用する人間ではない。

 直後、男が構えていた斧が男の子の足に振り下ろされた。崇人はその光景を見たくなくて、目を瞑った。

 しかし、それはヴァルトによって遮られた。ヴァルトが崇人の直ぐ横に行き、囁く。


「きちんと見てくれよ、タカト・オーノくん。でないと君の『見せしめ』にならないだろう? 君が見てくれないとこれからの仕事に差し支えが出るってわけよ」


 モニターからは嫌というほど子供の絶叫が聞こえてくる。声にならない絶叫。それよりも声にできない痛みが彼に襲いかかってきた。それを見ていた子供は次にやられるのは自分なのではないかと怯える。肩を震わせる。当然だろう、自分と同じように誘拐させられた子が目の前で足を切断させられた。それを見て、自分には起きないことだと思わないのは――希望的観測であるともいえる。

 自分がそういうことにならないという絶対的証拠など、とうに存在しないというのに。


「しかしまあ……タカト・オーノくんはそれを見ることができなかった。見せしめということですらない。彼は無駄に足を失うことになった、君のせいでね! おい、オリバー! 見せしめを見せられることが出来なかった! だから、別の子供を使って見せしめを行え!」


 いったいどこに通信設備があるのか崇人には解らなかったが、ヴァルトの言った命令はモニター越しにいるオリバーという斧を持った男に聞こえたらしい。

 オリバーは無言で頷くと、足を切断されて悶えている少年から離れ、ゆっくりと別の場所へと向かう。

 そこに居たのは少女だった。崇人より二歳くらい若いだろうか。それくらいの少女だった。恐怖のあまり失禁してしまったようで、その周りは濡れてシミになっていた。


「おやおや……シミになっちゃってますねえ。そんなに怖かったですか、あの光景は。まあ、仕方ないですねえ。これも凡て君たちが『英雄』のように謳っている起動従士が見せしめを拒んだからです。私たちの命令……いいや、私たちとのより良い関係を築くためには必要なことなのですよ。あなたたちはその|礎(いしずえ)となる。光栄でしょう! さあ、さあ、さあ!!」


 オリバーは笑いながら、少女の足を取る。膝を曲げて何とか拒もうとしているが、しかし足は縛られているからそう動くこともできない。さらに少女は壁に背を向けている。だから逃げられることもできない。

 目に涙を浮かべながら、少女は言葉を紡ぐ。しかしそれは口が震えるだけで、誰にも聞こえることではなかった。


「オリバー。少女がかわいそうだ。ひと思いにやってあげなさい」


 ヴァルトの言葉に、再び無言で答えるオリバー。

 オリバーは笑ったような気がした。しかしそれは崇人には見えない。それを目の当たりにしているのはオリバーが足を持っている子供だ。オリバーの笑顔はとても素直な青年めいた表情だった。それだけを見ていれば愛する女性に見せる笑顔にも見えた。それさえ見れば新しい玩具を分け与えられた子供めいた笑顔にも見えた。

 だが、オリバーが見ているのは少女の足だけ。そしてオリバーが持っているのはそれを切断することが出来る斧だ。

 少女はオリバーの笑顔とは対比して恐怖に包まれていた。怯えていた。怖かった。この状況から脱したかった。

 だが、容赦なく。

 オリバーは少女の足を切り落とした。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 少女は絶叫する。オリバーはそれを見ながら、恐らくカメラがあるだろう位置を見た。

 それをモニター越しに見ていた崇人は、ヴァルトを睨みつける。

 ヴァルトは笑みを浮かべながら、歌うように答えた。


「どうしてそんなに睨みつけるんです? あくまでも見せしめをしたかったのにあなたはそれを見ようともしなかったじゃないですか」

「これをする意味は何だ。あの子達は無関係だろう!?」

「無関係……。果たしてどうかな、国を救う役目を担っている起動従士は国民皆関係者とも言えるのではないか? 救う者、救われる者の関係。救う者が起動従士、ひいてはリリーファーだとすれば救われる者は国民だよ。そして国民は奪われる者であるとも言える……」

「奪われる? なら奪う者は……」

「我々、赤い翼だよ」


 ヴァルトが口にした言葉は、かつて崇人がインフィニティを使役して完全に破壊したテロ集団の名前だった。

 赤い翼。それはかつてヴァリエイブル連合王国にあったティパモール地域を独立させようという動きから始まったテロ集団のことだ。一年前、『大会』の行われた会場を占拠したことで正式にそれが世界中に発表されたが、直後に崇人がインフィニティを用いてリーダーを殺害、結果として赤い翼は解体へと踏み切らざるを得ず、残党も別のグループを組んだりしていた。赤い翼が復活するのを、彼らはずっと待っていたというのだ。時が満ちるのを待っていたというのだ。

 そして、今。

 『新たなる夜明け』が赤い翼としての復活を果たす。

 崇人はそこまで理解した。

 となれば、疑問が一つ浮かぶ。


「……『仕事』とは、いったい何をすればいい?」


 崇人はヴァルトに訊ねた。ヴァルトはそれを聞いて、崇人の顔を舐めるように見る。


「物分りがよくて助かるよ、タカト・オーノくん。つまりは、君が我々に入ってくれればいいのだよ。入ってさえくれれば、あの子供を殺すことなどしない。みんな安全に解放してあげるさ。……だが、君がここで断るというのなら、君をここで殺し、子供も皆殺しだ。君は作戦に必要な人間だから、出来ることなら生かしてあげたいところだが……、作戦に使えないのならばそれも致し方ないね」

「人の命を……お前は何だと思っているんだ!!」

「人の命? そんなもの、軽視しているのはヴァリエイブル連合王国……即ち国家だろう。国家が我々を……ティパモールを軽視したからこそ、今我々はこうして活動しているのだ。即ち今の活動はヴァリエイブルがなにもしなかったからと言えるだろう」

「だったら謝罪すればいいのか? 謝罪すればお前たちの怒りが安らぐとでも言うのか?」


 その言葉を崇人が言った瞬間、ヴァルトは崇人の頬を叩いた。

 崇人は一瞬の行動で何が起きたのか解らなかった。


「お前はいったい何を言っている? 謝罪すれば気分が安らぐ? そんなわけがないだろう。それどころかお前はロクにティパモールのあれを知らないくせによく言えたものだな。我々の苦しみを……」

「なら、なぜ僕にそれをやらせようとする。お前の言う通りならば、ティパモールのことについてなにも知らない」

「知らない人間も居る。だが、その人間が知った風に言うのが腹立つのだよ。そして、ティパモールの歴史が、忌むべき歴史が風化されていくのがとても悲しい訳だ。どうして人は喜ぶべき事象ばかり覚えておいて、悲しいことは凡て忘れようとするのだ? 風化するのが早いのだ? ……悲しい記憶はいつまでも忘れてはならない。その記憶の価値は、嬉しい記憶も悲しい記憶も変わることはない。どれも等しい価値なのだよ。なのに国は、ヴァリエイブルはそれをしておいて、それだけのことをしておいて、記憶を消し去ろうとしている! ティパモールにあったあの出来事を無かったことにしようとしている!!」

「無かったことにしようとするのは当然だろ。全員が悲しく生きるよりも、悲しく生きる少数を切り捨てて楽しく生きるのは当然のこととも言える。確かに切り捨てられた悲しい記憶を覚えている人間には忍びないことかもしれないが、世界とはそういうこととは言えないか?」

「見知ったような口を聞きやがって……。まるでティパモールのことを見てきたかのように!!」

「見てきてはいない。でも言えるよ。地球という名の異世界で三十五年の人生を歩んできたからな。いったいどうしてこんなことになったのかは解らないが……この世界に呼び出されたということは、きっと俺には何か役目があるんだと、そう思っているよ」

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