第118話
桜を見終わり、もう夕方になり日が暮れかけていた。
「もう帰りましょうか。明日のためにゆっくりと休む必要もあるでしょうし、みんなそれぞれ門限もあるでしょうし」
マーズは言って、電車に乗り込んだ。
夕日が沈みゆくターム湖は、行きに見たそれとは違った風景であった。穏やかな、まるでその風景が一枚の絵画のように思えるほどの美しさであった。
電車では気が付けばみんな眠ってしまっていて、起きているのはマーズだけになってしまっていた。そのマーズもうつらうつらという感じだったが、彼女が寝てしまい駅を通過してしまうと何かと面倒臭いことになるので、何とかねてはいけないと必死に耐えていた。
ターム湖畔では疎らにしかなかったネオンが降りる駅についたころには全体的に拡散されている。
「それじゃみなさん、また明日」
学校の最寄駅についた頃にはとっぷりと日が暮れていた。一応マーズの方から家族には報告済みであるとはいえ、学生たちにとってこれくらい遅い時間で帰れていないのはあまりにも経験したことないらしく、少しだけ怯えているようにも見える。ファルバートもシルヴィアとメルも名家の人間だからそういう風に反応してしまうのは仕方ないことなのかもしれない。
シルヴィア、メルは駅の西側へ、ファルバートとリュートは駅南側へ、崇人とヴィエンス、それにマーズは駅東側にそれぞれ歩き始めて、彼らは別れた。
◇◇◇
「やっぱりサクラは綺麗だったなあ」
ヴィエンスと別れ、崇人とマーズは道を歩いていた。もちろん荷物はアリシエンスに借りたがま口財布に凡て入っているので心配することはない。
マーズは空を見上げて、笑みを浮かべる。
「そうね。サクラがだいたい咲くのはこの時期で……しかも生えている場所は限られているのよ。どうしてか知らないけどね。桜の苗を植えてもめっきり出来ない場所だってあるし。まあ、それはほかの植物でも考えられる話か」
「ウメ切らぬ馬鹿サクラ切る馬鹿……って言葉があってな」
「それってタカトのいた世界にあったってこと?」
マーズの言葉に崇人は笑みを浮かべて、頷く。
「ふうん……。面白いね、タカトの世界にもあったものがこの世界にもあるなんて。ほんと、共通点ばかりあるっていいよね」
そういうものだろうか。と崇人は思った。
彼は未だにこの世界がどういう仕組みで成り立っているのかとか常識的なことを理解できていないことが多く、だからたまに常識がない風に思われてしまうこともある。そのときは適宜調べるかマーズに訊ねるかのいずれかの方法を選択している、というわけだ。
「まあ、この世界にいたほうがはっきり言って楽しいけどな」
「前の世界はそんなに楽しくなかったの?」
「いや、楽しくなかったとかそういうわけじゃないんだが……。今自分が生きているのは紛れもなくこの世界だろ? だからこの世界に生きているのがとても楽しいんだよ」
「なるほどねえ……毎回思うけどあんたの人生観はほんとよく解らない。この世界の人間がもたない人生観だからかもしれないけれど」
「この世界の殆どの人間がこんな人生観抱いていたら、それはそれでどうかと思うけどな。人の考えはそれぞれだし、だからこそ『違い』や、それを『修正』しようとする何かがあると思うんだがな……。どれが正しいかなんて、結局誰にも解らないんだ」
崇人はそう言って空を見上げる。空には月がぼんやりと光っていた。
◇◇◇
次の日。
放課後の時間に騎士道部の面々は外部に『練習』しに出掛けていた。そこまではバスでそう時間もかからない。だから、騎士道部の面々は今バスに乗っているのだった。
幾つかバス停名がアナウンスされたところで、マーズがボタンを押す。止まります、という人工音声とともに甲高いブザー音がバスの中に鳴り響いた。
「それじゃあ次で降りるからねー。あ、運賃はこっちで持つから財布開いて運賃表と整理券の番号照らし合わさなくてもいいからね。あと整理券も一緒に回収するから」
マーズは後ろに座っている騎士道部のメンバーに向かってそう言った。
そして、その言葉の通りバス停に着くと全員がマーズについてきていることを確認して、八人分の運賃を支払った。
リリーファーシミュレートセンターの玄関に入るとメリアが珍しくそこまで出迎えてくれていた。彼女の目の下には相変わらずくまがあった。
「……ちゃんと睡眠取ってるのか?」
「これでも昨日は二時間も寝たわ」
……二時間『も』ということはそれより寝れない日もあるんだろうか、と突っ込むのはやめておいた。
「それにしてもあなたがここまで出てくるなんて、珍しいわよね。いつもは受付経由で行くのに」
「なんか気分が良かったからね。たまには出るのもいいかなぁ、って」
「気分かー」
マーズとメリアのやり取りはなんと無くほのぼのとしたものだった。
メリアは白衣を翻し、踵を返した。
マーズたちはそれに倣い、ついていくこととした。
シルヴィアとファルバートはシミュレートマシンのある部屋に、それ以外の人間はコントロールルームにやって来た。
「シルヴィアとファルバート、それぞれシミュレートマシンに入ったか?」
ワークステーションに備え付けられていたマイクを使って二人に指示を送る。
『大丈夫だ』
『こちらは問題ないわ』
少し遅れて、二人からの返事が返ってくる。二人ともシミュレートマシンに乗るのは初めてだというのに、ひどく落ち着いていた。余裕すら見えていたのだ。
マイク入力がオフになっていることを確認して、メリアは椅子を回転させる。後ろの方に立っているマーズたちは何があったのかと思った。
メリアは小さく溜め息を吐いて、そのことについて答えた。
「二人とも初めてこれに乗る……だったよな? それにしては二人とももう同調が上手くいっている。完璧とは言わないけど、普通の起動従士と同じくらいにシミュレートマシンを動かすことが出来るわ」
「やっぱり才能ってもんかな」
ヴィエンスはメリアに言った。メリアはその言葉に頷く。
「才能が遺伝するなんて話は聞いたことがないないけれどね。今まで研究したことがないからかもしれないが……しかし興味深い。ああいうのを研究して発表すれば、その結果が若干微妙であっても学会デビューが出来るだろうな」
とどのつまり。
ヴィエンスが拍子に言ったその言葉は、きちんとした学者が本腰を入れて研究してもおかしくないことだったのだ。
「……そういうのを研究しててもおかしくないと思うがな」
「思うだろう? だがな、君たちも充分知っているように起動従士には『マッチング』がある。起動従士になるための適性がある。その適性はたとえ起動従士の親から産まれた子供でも遺伝しないことがある。完全にランダムなんだ。その不安定な状態にある適性をどうにか安定出来ないか? 適性の条件とは何か? 昔から研究されているのはこんなのばかりだ」
今の研究者が研究しているのは『才能』ではなく『|適性(マッチング)』だということだ。才能以前に適性が無ければ起動従士としては使い物にならない。確かにこれは比べようのない真実だが、かといってそのままでは初期レベルの勇者に伝説の剣を与えたようなもの。即ち全然弱いわけだ。弱い存在をリリーファー同士の戦闘が出来るまで鍛え上げるには、いったいどれほどの時間を費やせばいいのだろうか。そしてその方法はあまりにも時間がかかりすぎるのだ。
「……今君が言った才能くんだりについては、後で私のほうから話を通して、こちらのほうで研究開発を進めておこう。なぁに、あれほどのデスマーチを乗り越えたんだ。きっと今年中には完成するでしょうよ」
「すぐに完成する、ってねえ……。あれほどのデスマーチ経験したら普通はもう逃げ出したいって思うもんよ? あんたどんだけワーカーホリックなのよ。過労死でもしたら、大変よ?」
「大変って、それはあなたにとって大変なんじゃないの? あなたが連日シミュレートマシンに乗ることが出来るのはシミュレートセンターのトップにいる私が許可するからであって、私がその地位から外れたらそう簡単に許可は下りないからね」
ばれたか、と言いながらマーズは舌を出す。
いや、ばれたかってどういうことだよ……崇人はそうツッコミを入れながら、メリアに訊ねる。
「そういえば、メリア。どうやらもう準備が出来ているみたいなんだが……あんまりあっちを待たせるわけにもいかないんじゃないか?」
「そんなこと言うけどね、彼女たちは初めてこれに乗るだろ? だから登録しておく必要があるんだ」
そう言って、メリアはワークステーションの画面を確認する。
「おっ、終わったな。よし、それじゃ今から……ちょっと遅くなってしまったが模擬戦を開始する。準備はいいな?」
『はい。大丈夫です』
『……』
元気に答えるシルヴィアと対照的に、ただ頷くだけのファルバート。それは昨日まで見た彼とは違う、さらに落ち着いたものだったが、それだけではない。それ以外にも何か、強いオーラを感じる。これが――『本気』か。崇人はそんなことを感じるのだった。
「それでは――はじめ!」
刹那。
ファルバートの乗るリリーファーと、シルヴィアの乗るリリーファーがそれぞれ仮想空間に放たれ、模擬戦が開始された。
二人の戦いは、崇人たちが思った以上に平行線をたどっていた。最初はファルバートが猛攻を繰り広げていたのだが、思った以上にシルヴィアが抵抗を続けていたのだ。
だが、抵抗をするだけで倒せるわけではない。もちろん、それなりに頑張る必要だって存在するわけだ。
「……しかしまあ、ここまで拮抗していると面白みもないねえ」
メリアはそう言ってペンをくるくるとまわす。
「あ、そうだ。ねえ、マーズ知ってる? 北の大陸ペステリカ王国が何かまた新しいロストテクノロジーを探すために遺跡とかそういうの発掘するんだって」
「ロストテクノロジーを発掘? くだらない、いつまで昔のことを引っ張っているんだか……」
メリアの言葉をマーズは一蹴する。
「昔……ってどういうことだ? 昔はそれほど科学が発展した世界があった、とでも言いたいのか?」
「タカトはあんまり世界の歴史を知らないかもしれないけど……この世界はかつて、超科学がある科学文明だった。それこそこの世界にある科学技術の大半はその科学文明のロストテクノロジーから成るものだよ。もちろんオリジナルだって存在するが……それでも大半がそうだ」
「ロストテクノロジー……その世界はすごい発展していたってことか」
「そうだよ、一番の例がこれ」
そう言って彼女はスマートフォンを取り出す。
それを見て崇人は首を傾げる。
「……スマートフォン?」
「それもそうだけど、これ」
マーズは待受画面に写っているあるものを指差す。それは、ほかでもないリリーファーだった。
「リリーファーも……なのか?」
「世界最初のリリーファー、アメツチは遺跡から発掘されたものらしいよ。つまり過去の人たちが、どういう理由なのかは知らないけれどアメツチを埋めたってこと。それからもこの世界の昔の姿が、どれほどの世界だったのかが想像つくでしょう?」
リリーファーのような巨大ロボットを作ることのできる世界。
それはどういう世界だったのか。崇人にも想像ができなかった。だって彼がもともといた世界だって巨大ロボットは夢のまた夢と言われる世界だったからだ。寧ろ災害用にコンパクトなそれが求められていた世界。巨大ロボットなんてそれこそアニメーションや漫画、小説の中の話だった。
だが、今崇人はこの巨大ロボットを動かすことができる世界、巨大ロボットが目の前にある世界へとやってきている。別に彼はロボットが極端に好きというわけではないが、男の子ならば一度はそう思い描く夢でもあるだろう。
「ロストテクノロジー……どれくらいの時間が経っているか知らないが、それくらい昔にあった文明がこれほどまでの巨大ロボットを作ることができて、なぜ滅んでしまったんだろうか?」
「世界の科学者の疑問はそこ。今歴史学者がずーっと考えている議題のひとつ。これほどまでのロストテクノロジーを遺した人類はいったいどこへ行ってしまったのか、ということ。滅んだといっても、それはないと思うのよ。だって、そうだとしたら私たちは何者? って話になる。どこからやってきた人間になるのか、解らないでしょう? だから定説として私たちがロストテクノロジーを作り上げた人間の子孫であることを前提条件としているのよ」
「前提条件……ねえ。なんというかその条件がネックだよね。どうしてそういう条件が成り立つのか、って話」
「だってそうじゃないと――」
「俺の読んだSF小説の話なんだが」
ヴィエンスが人差し指を突き出し、言う。
「過去の人類は冷凍保存されてしまって、冷凍保存に漏れた人類は細々と生き残った……なんてことがある。あくまでもその場合だとやっぱり人類としては血筋が続いているのかもしれないが、冷凍保存された側とそれをしていない人間を考えるとあまりにも親等が離れて……親族というよりもはや親戚、いいやもしかしたらそれよりももっと違う扱いになるかもしれない」
「そんなことが可能だと?」
「巨大ロボットを作っちまうほどの科学力だ。それくらいあっても何ら不思議じゃない」
その頃、模擬戦を行っているシルヴィアとファルバートは未だ拮抗状態が続いていた。どちらかが攻撃をしてそれが受け流す、またどちらかが攻撃してそれを受け流す……そんなことを繰り返し続けている。それはただ両方の体力を無碍に失っていくだけであるということを二人共理解していた。
それでも、決定打を導くことが出来ない。倒すことが出来ないのだ。それは二人が同等の実力を持っているからだろうか?
「違う……違う……こんなのじゃないはずだ……」
ファルバートはコックピットで独りごちっていた。しかしそれは誰かに呼びかけている声でもあった。
ファルバートの話は続く。
「おい……なんでここまで拮抗状態にあるんだよ……。僕は、力を手に入れたはずだろう……?」
その声を聞いて、どこからか白いワンピースの少女が姿を現した。
彼女は欠伸をひとつして、
「そりゃ相手が強いかあなたの補正値限界まで引き上げても弱かった。ただそれだけのことじゃないの?」
「もっと、引き上げてくれよ」
「ダメ」
白いワンピースの少女はあっさりとそれを否定した。
踵を返し、彼の操縦席の後ろに座る。
「そんなことしたらあなたが『人間』に戻れなくなってしまう。まあ、今も半分そういうもんなんだけど……。そしたらこれから非常につまらなくなるよ? リーダーの権利は手に入れても人語が喋れないんじゃ、意味ないでしょう?」
即ち、これ以上行うと精神が破綻する可能性がある――少女はそう言っているのだ。
さすがにファルバートもそれを聞いて躊躇った。それはさすがにまずい。そんなことをしてしまえばドーピングが疑われ、彼だけでなくザイデル家全体に泥を塗ることにもなるからだ。
「でも……方法がないわけじゃない」
少女は悪戯っぽく笑みを浮かべる。
「何だ?」
すぐにファルバートは訊ねた。
「簡単よ。同調を強めるの。リリーファー……今あなたが操縦しているそれは電子的に表現された『0』と『1』の羅列に過ぎない。けれど、同調は強められる。それを利用してリンクするのよ。あなた自身の精神と、リリーファーを。それを行えばより体感的にリリーファーを操縦できるから、少なくともラグは無くなると思うけど」
それを聞いて、彼は考える。
同調。それはまったく考えていなかったことだ。同調して、リリーファーと心を一つにする。彼は考えた。これからどうせ起動従士となって戦場に駆り出されることになるのだ。そういう機能はフル活用していったほうがいい、と。
だから、彼は訊ねた。
「その方法を教えてくれ」
それを聞いた少女は、ファルバートの隣に移動する。ほのかに花の香りがする、それくらいの距離にまで彼女は近づく。
「『同調』については幾つか方法がある」
少女の話はそこから始められた。
「だが基本的には起動従士がリリーファーに合わせるのが一般的だし簡単。それ以外の方法は無いわけではないけど、それでもこの方法に比べれば難易度はグンと跳ね上がる」
「御託はどうだっていい。いいからその方法を教えろ」
ファルバートは焦っていた。それはきっとシルヴィアが健闘しているからだろう。ファルバートは契約して多大な力を手にいれた(あくまでもそれは契約の一種に過ぎないのだが)。にもかかわらず、ファルバートが力を発揮出来ないか、或いは――それは彼が出来ることなら考えたくなかったが――シルヴィアが強すぎるか。
この差を埋めるには、さらに何か策を講じる必要がある、というわけだ。
「簡単ですよ、念じればいい。そして、我を忘れる程に……狂えばいい」
「それで同調が完了すると?」
「ええ。ですが『やりすぎ』には注意してくださいね?」
そう言って少女は再び姿を消した。この判断は自分で決めろ――彼女はそう言っているようにも思えた。
同調のメリット、デメリットについて少女から凡て聞いた。あとは彼がどう判断を下すか、だ。
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