第94話

「……終わりだ」


 その頃、ヘヴンズ・ゲートの方で戦闘を繰り広げていたインフィニティ率いるヴァリエイブル軍と聖騎士団の戦闘は唐突に終了してしまった。

 バルダッサーレの乗る聖騎士が踵を返し、立ち去っていく。それに従うように聖騎士たちも去っていく。


「おい! どうして逃げていくんだ!?」


 崇人は外部スピーカーを通して、聖騎士団に問いかけた。


「逃げるのではない、戦術的撤退だ。逃げるのではない。戦う理由が無くなったからだ」


 それだけを言って、聖騎士団は姿を消した。


「どういうことだよ、それって……?」


 崇人は呟く。

 崇人の乗っているコックピットに通信が入ったのは、ちょうどその時であった。


『ごきげんよう、皆さん。私はヴァリエイブル連邦王国国王のレティア・リグレーと申します』


 凛と透き通った声は、聞いた者を圧倒させる。そして自然と背筋がピンと伸びてしまう。これが国王の力――というやつなのだろうか、崇人には解らなかった。

 レティアと名乗った女性の話は続く。


『私は、国王としてあなたたちに命じます。現時刻をもって戦闘行為を終了します。繰り返します、現時刻をもって戦闘行為は終了です』

「それって……どういうことですか!」


 そう反論したのはマーズだった。


『もう決まったことです。決まったことは変えることはできません。大きな世界の流れには、逆らうことなんてできません』

「それじゃ、ここで私たちが逃げ帰るのも、その大きな流れの一つである……そうおっしゃるんですか」


 話口調こそ丁寧だったが、マーズの話し方は相手に喧嘩を売っているようにも聞こえる、とても乱暴な言い方だった。

 対して、レティアはそんな喧嘩口調の相手でも臆することなどなく、冷静に話を続ける。


『ええ。これ以上の戦いははっきり言って無意味です。必要がありません。あなたたちだって薄々気がついているのではありませんか? この戦争に意味はあって、この戦争に終わりはあるのか、ということについて』

「それは……」


 考えていない、と言ったら嘘になる。マーズだって崇人だってヴィエンスだってそうだ。殆どの人間がこの戦争の意味を、勝利条件を理解していない。

 どうすれば勝つことのできるのか。ヘヴンズ・ゲートの破壊? クリスタルタワーの制圧? いいや、細かい理由など聞いていない。ただ、法王庁自治領からの攻撃を耐えるグループとヘヴンズ・ゲートへと向かうグループ、その二つにしかわかれていない。


『……解ったのなら、返事くらいしていただけてもいいと思うんですけどね』

「……了解した。これから帰着する」


 その言葉に、レティアは頷いて通信を切った。



 ◇◇◇



 その頃、地下。ヘヴンズ・ゲートの目の前の彼らにも異変が起きていた。


「……どうやらもうタイムアップなのかもね」


 そう言うと少女はニヒルな笑みを浮かべる。


「そうだよ、アリス。迎えに来たんだ」


 気がつくとアリスの隣にはひとりの青年が立っていた。こんなに多数のリリーファーがあるにもかかわらず、誰も彼がやってきたのに気がつかなかったのだ。


「いつの間に……!?」


 ヴィエンスは驚いて目を丸くする。

 それを見て青年は唇を緩める。


「僕の名前は帽子屋。残念ながら君たちにはこれくらいしか話せない。情報公開のレベルが違うからね。残念なことだけど、これくらいは理解して欲しい」


 帽子屋は言うと、アリスに向き直る。


「アリス。そろそろ僕たちの場所へ帰ろう。ここに長く居続けてもいい結果は出てこないよ」

「お腹すいたよ」

「おいしいお菓子とお茶が待っているよ。チェシャ猫が淹れてくれる紅茶は格別だからね。ティータイムは大事だよ、まったく」

「ティータイムってのがよく解らないけれど、そこでご飯が食べれるなら、そこで私のお腹が膨らむのなら行く」

「行こう。それがいい。行くべきだ」


 帽子屋は微笑むと、頷いて指を弾いた。

 そして、彼らの姿は消えた。



 ◇◇◇



 巨大潜水艦アフロディーテに残っていたイグアスはレティアの話を聞いていた。ただしそれは各リリーファーに流したものではなく、彼女と直接会話しているということになるが。


「……しかし驚いたよ。まさかお前がそこまで頑張れるなんてな。見直したぞ、レティア」


 電話の相手であるレティアがとても頬を紅潮させていることなど、イグアスには解らない。

 レティアはそれを聞いて少し詰まりながらも答える。


「そんなことないです。お兄様が……お兄様こそ正式に国王になるべきです。そうであってこそ、ヴァリエイブルは真に復活するのです」

「そーかあ? 別に俺はお前が王様になってもいいような気がするぞ。特にこの和平交渉を了承したってのは随分と大きいからな。これだけで国民の支持率はうなぎのぼりになるんじゃないか? 当分はデモも起きないだろ」


 イグアスは微笑む。それは成長した彼女を見ることができたからだった。

 今までレティアはずっとイグアスについているか、ずっと自分の部屋に閉じこもってばかりだった。箱入り娘、といえば都合がいいがそれを抱えている人間からすればただの荷物であった。

 だが、彼はそうだと認識したくなかった。彼女と彼は血の繋がった強大なのだから、そんなことをしてはならない――そう思っていたのだ。


「でも、私は……やはり不安です。私でやっていけるのでしょうか?」

「やっていけるさ、お前なら。別に俺がいなくなるわけじゃあない。ヘヴンズ・ゲートの方から戻ってくるリリーファーと起動従士を載せたらそのままそっちに戻ることになるから、それまでの辛抱だよ。そうしたら一緒にいろんな話をしよう。おみやげ話は、徹夜をしても語りきれないくらい用意しておくからな」

「はい、楽しみにしております」

「ああ、またな」


 そうして、二人の通話は終了した。



 ◇◇◇



 その後、和平交渉について簡単に述べることとしよう。詳細に述べる必要などないからだ。

 結論から言って、和平交渉にはその後ペイパスも出席したので、戦争の参加国凡てがちょうど同じタイミングで和平交渉をすることとなった。

 そして、和平交渉は良い形で終了を遂げ、それぞれの国が調印を行った。



 ――ここにひとつの戦争が終了を迎えたのであった。




 夜の海を潜水艦アフロディーテは航行していた。潜水艦ではあるものの、現在は『戦闘行為に近い行為は行わないこと』とレティアに命令されたために潜水は行っていない。

 甲板にはマーズが立っていた。彼女は海を眺めていた。暗い暗い海だ。黒く塗りつぶされたようになっていて、凪の状態が続いているから波が立っているわけでもない。ごくごく穏やかな海がそこにはあった。


「……居ないと思ったらここに居たのか」


 声が聞こえた。その聞き覚えのある声を聞いて彼女は振り返った。

 その声の主は紛れもなく崇人だった。彼は甲板と潜水艦の中を結ぶ階段への入口の前に立っていた。


「あら、タカト。どうかしたの?」

「どうかしたの、じゃないよ。食事の時間だ。今日はシェフが腕によりをかけて作った最高傑作の噂があるぜ?」


 それを聞いてマーズは微笑む。


「それは面白いわね。基地の食事では一番のクオリティというガルタス基地を上回るのかしら」


 そう言って、彼女は溜め息を吐いた。

 それに疑問を浮かべた崇人は、疑問をそのまま彼女にぶつけた。


「どうした、マーズ。元気がないみたいだけれど」

「……あぁ、やっぱりそう映っていたりする? それは厄介な話ね……」

「なんかあったのか? そう……胸に突っ掛かるものがある、とか」


 それを聞いて鼻で笑うマーズ。


「タカトには誤魔化しきれないようね。……なんでだろ、まだあなたと出会って一年も経っていないというのに」

「一年。あぁ……そうか」


 崇人はマーズの隣に立って、空を見上げた。

 一年。この異世界にやって来てあと少しで一年になるというのだ。それは彼も忘れていた事実だった。異世界にやって来たのは、まだつい最近のことのように感じていたからだ。


「そういえば一年近くずっとこの姿なんだよな……。一度も戻ってすらいないし。というかこれって戻ることは可能なんだよな?」

「そりゃあもちろん。因みに今の姿のままでいればそのまま成長するよ。別に身体は若返ったが新陳代謝とかの機能はそのままで一ミクロンも身長が伸びない……なーんてことはないから」


 それを聞いて崇人は少しだけ安心した。というかどうして今まで聞く機会が無かったのだろうか……崇人はそんなことをふと疑問に思ったが、これ以上考えないことにした。

 月を眺めながら、マーズと崇人は想い耽っていた。


「あぁ……月が綺麗ねぇ……」

「そうだな。欠けることのない月だ。……月?」


 月。それは崇人が生まれ育った世界でもよく聞いた言葉だった。しかも使い方も同じである。異世界、とはいったがうどんといいこれといい、どこか元の世界を感じさせる点が幾つもあった。


「そう、月よ。それ以外に何の呼び方があるというの?」

「うん。いや……そうだよな、うん。何も間違っちゃいないよ」

「もしかして、あなたが来た世界でも、『月』はあったのかしら?」


 その言葉に崇人は頷く。


「ふうん……そうなんだ」


 マーズも月を眺めた。月は朧気な光を湛えながら夜空に浮かんでいた。


「そういえばタカト。帰ったら学校に通い始めたら? もう暫く通っていないでしょう。出席日数の件はこちらから言っておくから、行った方がいいわ」

「騎士団の団長になっている俺が居なくなっても大丈夫なのか……?」

「ハリー騎士団はあくまでもインフィニティをヴァリエイブルに置いておくために新設した騎士団に過ぎないわ。それに、殆どの国がこの戦争で疲れてしまった。戦争が直ぐに起きる可能性は低いでしょうね。噂だと今回結んだ和平交渉により不可侵条約が結ばれたとのことらしいし」

「なんだって、そりゃほんとうか?」

「私がここで嘘をついて何の意味があるのか教えてほしいものね?」


 マーズは首を傾げる。

 そういうつもりで言ったわけではないのだが。崇人はそんなことを思ったが、弁解すればさらに立場が悪くなる。


「……まぁ、いいわ。きっとあのクラスも今は平和になっているはずよ」


 違う。

 そんなわけはない。崇人は、学校に行きたくないと思っていた。堅い意志を持っていた。


「怖いんだよ」


 湧き出てくる想いを、彼はそのまま紡いでいく。


「マーズのおかげで何とか乗り越えたかもしれないけどさ……それでも学校に行って、あの席に座ったら嫌でも悲観にくれてしまうと思うんだ。隣で笑ってくれた彼女の顔を、うどんをいつも食べる俺のことを面白い人だと言ってくれた彼女を、いつもみんなのことを心配していた彼女を……。今でも思うよ、彼女がもしも起動従士になっていなかったら……って」

「タカト、それは無理な話よ。彼女はあんなことにはなってしまったけど、起動従士の才能は持っていた。だから彼女はハリー騎士団に抜擢されたことも、彼女が持つ才能によって選ばれたまでだ。たとえあのタイミングで彼女が起動従士にならなかったとしても、別のタイミングでなっていただろうよ」


 マーズの言葉は正しかった。

 マーズの話は続く。


「私だって、彼女が生きていればって思う。もし生きていたら様々なことを話したかった。笑って、泣いて、怒りたかった。だからね、タカト。エスティが亡くなったのを見た時……あなたはもうダメになっちゃうのではないか、って思ったのよ。あなたはもう、戻ることが出来ない……そこで暴走してしまって、人間じゃない存在にでもなってしまっていた方が案外良かったかもしれないのに。でも、あなたは立ち直ることができて、今はここにいる。二本の足で立っているのよ」


 崇人は答えない。


「あなたはそれに誇りを持ちなさい。戦争で持て囃されるのは敵をたくさん殺した奴と国のために死んだ奴。だけれど後者は忘れ去られる。死んでしまうのだから、当然のことよね。……死んだ人間の周りはいつまでも忘れることはしないだろうけど、世界はそんな甘く設計されちゃいない。人ひとり死のうが世界は回るのよ、その人間が生きていようが死んでいようが、世界の仕組みには何の影響ももたらさない。もたらすとすれば……その人間は相当に世界の権力を握っている人間なんでしょうね。でも、裏を返せばそれくらいじゃなきゃダメ。それでも年月とともに風化していくけどね」


 崇人は答えない。

 マーズの言っていることは凡て事実だ。でもそれを受け入れたくなかった。

 だが受け入れなくては先に進めない。そんなことを彼女は望むだろうか? ノーだ。そんなことは有り得ない。死人に口無し、とはよく聞く話だがそれでも崇人は自信を持って違うと言える。

 ならばそれを実行すればいいのに、出来ない自分が居た。非常に悲しいことだった。

 エスティはきっとこんな崇人を見て悲しんでいるのだろう。そんなことをしてはいけなかった。


「……時間はかかるかもしれない。前も言ったかもしれないが、乗り越えなくちゃいけないんだ。それが人間だ。辛いことをひとつ乗り越えるたびに強くなっていく。そしてそれを繰り返していけばいい。だが、それはあまりにも長い時間との戦いになるがね」


 マーズは腰を叩いて、背伸びした。


「よし、タカト。食事の時間だとか言ってたな。急いで戻らなくては他のメンバーにどやされてしまう」

「あぁ、そうだな」


 二人は頷いて、甲板を後にした。

 まだ、月の光が甲板を煌々と照らしていた。



 ◇◇◇



「……ねぇー、もっと食べたいんだけど」


 白の部屋でアリスは言った。アリスの目の前のテーブルには大量の皿が置かれている。


「はい、おかわり」


 しかし直ぐにそれを片付けて新しい料理を持ってきたのがいた。チェシャ猫だった。

 チェシャ猫は料理を作るのが得意だ。だからこんな感じになっているのだが、幾ら得意だからといって限度というものがある。チェシャ猫の顔には疲れが見て解るくらいに蓄積されていた。


「それにしてもまさか初代が目を醒ますなんてね、帽子屋」


 紅茶を啜る帽子屋に訊ねたのはハンプティ・ダンプティだった。ハンプティ・ダンプティはどうやらこのままの姿の方が話しやすいらしく、少女の姿となっている。白いワンピースを着て足をバタバタさせている(ハンプティ・ダンプティが座っているソファは、ハンプティ・ダンプティの足が届かないくらい高い。だから座るときはいつもジャンプしているのだ)その光景は少女のそれにしか見えなかった。

 帽子屋はハンプティ・ダンプティの発言を聞いて頷く。


「そりゃ、僕の計画は完璧だからね。それくらい考慮した上で行っているのさ」

「計画?」


 顔を上げたアリスは訊ねた。

 対して、帽子屋は微笑む。


「そうだ。……もうすぐ始まるよ、大きな号砲が鳴り響き、世界を大きく変えようとする人間が行動を示す、その瞬間が。そして、そこに現れたその首謀者こそ……二代目のアリスにふさわしい人間だ」

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