第七章 進級試験編

第95話

 七二一年二月五日。

 タカト・オーノは実に四ヶ月以上ぶりにリリーファー起動従士訓練学校の門をくぐった。この学校の目的が起動従士を育てるためであるため、彼が通う必要もないように思えるが、しかし卒業はしなくてはならない。この学校では一般教養も学べる。起動従士の仕事ばかりに専念し過ぎて常識を知らない人間に育つのはよろしくない。


「……ふう」


 門を見て、彼は一礼する。

 普段はそんなことするはずもないが、なんとなくしたくなった。

 そして彼は学校に入り、起動従士クラスの扉を開けた。



 ――彼が入って最初に確認したのは、クラッカーの音だった。



 その音の意味を、崇人は理解することが出来なかった。だから彼は瞬きをするくらいしか出来なかった。


「タカト、退院おめでとう!」


 その言葉を聞いて、崇人は漸くクラッカーの真意に気が付いた。

 クラスに入ると殆どのクラスメートがこちらを見て微笑んでいた。

 それを見て、崇人は何と無く気分が和らいだ。もし誰もかも自分のことなんて居なかったと思ったら、どうしようかと思っていたのだ。

 なぜなら崇人はインフィニティという最強のリリーファーを持っていながら、この学校に入ってるからだ。その時点で目的を達しているのだから。


「……タカト、どうしたの。入口でぼうっとしちゃって」


 クラスメートからの指摘を聞いて、彼は我に返った。

「いや、何でもないよ」


 崇人はそう言って微笑むと、自分の席へと向かった。




「今日は転校生が来たので紹介しますね」


 担任代わりの授業補佐員であるファーシは情報端末を眺めながらそう言った。この学校、基本的にホームルームという制度は存在しない。ただし、今回みたくやむを得ない事情でホームルームをする必要がある場合は事前に学生に連絡を入れてスケジュールを変更するのである。

 それはともかく、ファーシが言ったその言葉にクラスが少なからずどよめいたのは事実だった。

 男子からは「女子なのかな!?」「可愛い娘がいいなぁ……やっぱり」「いや、待て。ボクっ娘もありだとは思わないかね」などと各々の欲望を思うがままに漏らしていた。

 対して女子からは「男子欲望垂れ流しすぎ……きっとイケメンが来るに決まってる!」「ショタよ、ショタ! ショタがいいわ!」「この際男の娘もありよね!」などとどちらかといえば男子よりも違うベクトルで酷い妄想を漏らしていた。


「はいはい。お互いがお互い意見を述べるのはいいことだけど、期待過ぎては悪いわよ。……可愛い娘なのは間違いないから」


 そしてファーシは「入っていいわよ!」と言って扉の鍵を開けた。

 そして教室の扉を開けて入ってきたのは……女性だった。腰まで伸びているその銀髪はきらきらと輝いているようにも見える。顔はとても小さく、凡てのバランスが完璧だった。

 彼女は見つめていた崇人の顔を見つめ返す。真正面から見た彼女の顔は眩しかった。輝かしかった。

 彼女はファーシの横に立つと、深く頭を下げた。


「はじめまして、リモーナ・ギスタピィといいます。二月という中途半端な時期に転校となりましたが、どうかよろしくお願いします」


 その声はとても透き通っていた。そしてそれは、男女問わず惹き付けたのは、その後の拍手喝采から解る話だった。

 拍手が鳴り止むとファーシは辺りを見渡す。席を探すためだ。

 しかし席は一ヶ所しか空いていなかった。崇人の右隣、かつてエスティが座っていた席だった。


「じゃあ、ギスタピィさん。あなたの席はそこね」


 指差して、ファーシはそこに座るよう命じた。

 リモーナはそれに頷き、何の感情も抱くこと無くその席に腰かけた。崇人はそれをただ見るだけしか出来なかった。

 かつて自分が一番好きだった女性の居場所を、突然やって来た女性に奪われる。その気持ちが彼にはとても耐えられなかった。

 エスティの居場所が書き換えられていく。エスティの居場所が、誰も知らない人間に置き換わっていく。それはとても辛かった。エスティは忘れ去られてしまうのではないか……それを思ってしまったくらいだ。


「……あ、あのっ。よろしくね、えーと……」


 不意にリモーナが言ったので崇人は答えた。


「タカト・オーノだ。タカトで構わない」

「解った、タカト。よろしく」


 彼女はそう言って微笑んだ。

 それを見ていたファーシは転校生――リモーナを名簿に追加していた。



 ――lemona gistlapy



 珍しい名字だ。こんな名字をファーシは見たことが無かった。エスティの番号は既に消去しているため、あとはリモーナを追加するだけだった。

 とはいえこの時期の転校生を、ファーシは何処と無く疑っていた。何故この時期なのだろうか、何故起動従士クラスにすんなりと編入出来たのか? 疑問は募っていく一方だった。


(まぁ、それを授業補佐員である私が考えても仕方がない話……か)


 ファーシはそう考えるとリモーナの欄にチェックを入れてホームルームを再開する。


「そうだ、このタイミングだから言っておきますが……。あと二週間もすれば進級試験ですね。皆さん、きちんとやっていますか? 今年は『いつもと違う、新しい』試験になるとのことなので油断しない方がいいですよ。それでは、解散!」


 そしてホームルームは終了し、クラスメートの大半はリモーナの座る席へと直行していった。転校生への試練その一、質問攻めの時間だ。

 崇人はそれで自分の席の周りが騒がしくなると思ったのを嫌ったのか、席を離れ、窓際に寄りかかった。

 その間、リモーナが崇人をずっと見つめていたことに、崇人が気づくことはなかった。



 ◇◇◇



「試験がこんな早くにやるなんて知らされてない、ですって? あらあら……。確かにタカトさんはインフィニティの起動従士として戦争に出続けていましたからね……。本来ならば出席日数が足りないので試験に参加できるはずもないのですが、なにせあなたは『英雄』として様々な武勲を立ててきた。その代償として、出席日数は多めに見ている……と言っても理解できないでしょうけど」

「そんなことよりスケジュールが知らされていなかったことを重要議題とすべきだと思うんですが!」


 崇人は一人アリシエンスの教員室にまでやってきていた。この学校には職員室という教員が一緒くたにされている空間はない。ひとりひとりに『教員室』が設けられており、各教員はそこで過ごしているのだ。

 アリシエンスの教員室はどこかクラシカルな感じだった。大きな時計が天井に設置されており、長針がゆっくりと回転していた。本棚は壁に接するように置かれていて、その本棚の量からもはや本棚が壁と化していた。その本棚にも入りきらないのか、テーブルにも大量に本が積んである、そんな部屋だった。

 アリシエンスはソファに腰掛けながら、窓から外を眺める。


「……まあ、そうだというのなら、少しあなたにもチャンスというか、ヒントを差し上げましょう。まだ誰も知らない、試験の内容について」

「試験の……内容? それを僕が知っても問題ないんですか」

「スケジュールを詳しく理解していなかったのはあなたの責任ですが……、戦争などのやむを得ない事情で起動従士を続けていたのですから仕方ありません。それくらい与えても問題はないでしょう。口外してはいけませんよ、あくまでも広い範囲で知れ渡ってはいけませんから」


 それって狭い範囲なら問題ないのだろうか、なんてことを考えたが言わないでおいた。

 わざわざ言って自分から墓穴を掘るなんてザラだが、そんなことがあっては困るからだ。

 アリシエンスは大量に置かれた本の下にあるキャビネットを取り出した。キャビネットを開くと大量のプリントが挟まっていて、その一番上にあったプリントを外して、崇人に手渡した。


「それが、今回の試験内容です」


 そのプリントに書かれていた文言を、崇人は読み上げる。


「……今回の試験は従来とは異なる方法で行われる。それは日夜進歩しているシミュレートマシンを用いることだ。仮想現実及び拡張現実はもはや我々の範疇を越える予想も立つほど進歩が著しい。よって、今回は……『シミュレートマシンを用いたアスレティックコースの走破』、これを試験内容とする……!?」


 崇人の驚いた表情を見て、アリシエンスは柔和な表情を見せた。

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