第92話

 崇人はコックピット内部で考える。頭の中にはたった一つのことが凡て占有していた。――どうやってあの三十機を倒すか、その作戦を考えていたのだった。


「三十機に対してこっちは僅か四機……勝てるのか?」


 普通の戦闘ならばその数量差が逆転することはないだろう。二倍までならともかく、彼らと聖騎士団は凡そ八倍もの差をつけられている。仮に地下の洞窟にいるメンバーが戻ってきたとしても、戦力差は然程縮まないだろう。


「どうする……」


 ならばどうするべきか。どのように八倍もの戦力差(あくまでも一機の強さは凡て同等として考えると)をどのように埋めるべきか、それは作戦の質で問われる。要は相手よりも高い作戦の質ならば、その差が八倍から四倍、四倍から二倍に埋まる可能性だって大いに有り得る話だ。

 だからこそ、彼は考えていた。この戦いに勝つための方法を。この戦いに勝つためのプロセスを。

 負けるなんてことは考えたくないし、考えるつもりもなかった。


「……どうすればいい、どうすれば……!」

『タカト、避けろ!!』


 だが、その思考はマーズの叫びによってかき消された。

 刹那、インフィニティは聖騎士からの右ストレートをモロに受けた。

 コックピットが受けた衝撃をなるべく抑えるために水平に保つ。が、それをしてもコックピットが大きく揺れることは避けられない。


「ぐは……!」


 崇人はコックピットからの衝撃をモロにうけた。

 だからといって、そんな簡単に諦めるほどやわな人間でもなかった。


「フロネシス、『エクサ・チャージ』だ!!」

『了解しました』


 崇人の言葉にフロネシスは短く応答する。

 そして、充電を終えた砲口から荷電粒子砲『エクサ・チャージ』が発射された。


「――甘い」


 だが、それで簡単に倒れる相手でもなかった。バルダッサーレはそうつぶやくと、彼のリリーファーに装着されていた大きなシールドを取り出した。盾やシールドというよりは調理に使うまな板のような、ただの板だった。しかしまな板めいた素材ではなくて、別の素材で作られたものであるが。

 エクサ・チャージがシールドに当たると、それは無効化したように吸収されてしまった。あれほどあった莫大なエネルギーが凡てだ。


「……馬鹿なっ!! どういうことだ、あれは!!」

『恐らくエネルギーを吸収する素材で開発されたのではないでしょうか』

「エネルギーを吸収する……!?」

『私のデータベースにはそのようなもの存在しませんが……恐らくそうであるとみられます。ですが、まさかエクサ・チャージを吸収できるとは思いもみませんでした。マスター、これは厄介な敵ですよ。いつもより慎重にいかないといけないかもしれません』


 とはいったものの、インフィニティに乗って崇人が戦った経験なんて両手で数えられる程度であるし、しかも彼はつい最近まで病人だった。リハビリをしたとはいえ本来の実力が戻っているとも思えなかった彼は、やはり不安でいっぱいだった。

 横目を見ると、アレスもアシュヴィンもガネーシャも苦戦しているようだった。

 ――即ち、今助けてくれる味方など無いに等しい。それを意味していた。


「厄介だな……ほんとうに」


 崇人は独りごちる。

 フロネシスはそれに応えることはなかった。


『……ならば、作戦を変えてみましょうか』

「いや、」


 そこで崇人はひとつの作戦を考えついた。

 これならば、倒せることが出来るかもしれない。

 崇人はそう自信を持って、フロネシスに訊ねた。


「なあ、フロネシス。エクサ・チャージを地面に放つことは可能か?」

『ええ。可能です。砲口は下にも向けることが出来ますから。でもこのまま放ちますと、皆さん地下に落下することになると思いますが……』

「それがいいんだよ」


 シニカルに微笑むと、崇人はフロネシスに作戦を説明し始める。

 それを聞いたフロネシスは理解すると、言った。


『……なるほど。それならば何とかなりそうですね。そしてそれは、私も考えていた作戦の中にあります』

「おっ? そうなのか。だったら気が合うな、まったく」


 崇人は呟いて、一つ溜息を吐いた。

 そして、インフィニティは行動を開始した。



 ◇◇◇



 地下。クラインに乗った起動従士十名はヘヴンズ・ゲートの目の前で戦慄が走っていた。

 当然のことかもしれない。ヘヴンズ・ゲートと呼ばれる門から腕が飛び出て、飲み込まれていったのだ。恐ろしいと思うに違いない。戦場は普通に思う彼らであっても、ここまでイレギュラーな場所になると違和を感じるのは当たり前である。


「応答! 応答願います!」


 吸い込まれたリリーファーに続き、あれから四機がヘヴンズ・ゲートに吸い込まれた。

 このまま自分もその場所に吸い込まれてしまうのだろうか。コルネリアはそんなことを考えると震えが止まらなかった。

 今残っている六機のうち二機がハリー騎士団、四機がメルキオール騎士団だ。ということは吸い込まれた四機は全部メルキオール騎士団の起動従士が乗ったリリーファー、ということになる。

 彼らも気が気ではなかったに違いない。突然現れた異形に驚いているに違いなかった。

 そんな静謐な雰囲気が立ち込めていた地下空間だったが。

 ひとつ、欠伸が聞こえた。

 その雰囲気に似つかわしくないものだった。

 なぜこのタイミングでそんなものが聞こえるのか? 彼らは疑問を浮かべる暇すらなかった。

 今はただ、その門の中へ意識を集中すべきだと思ったからだ。


「起きたばかりのエネルギー補給には足りないわね……。まったく、足りないわ。帽子屋ももう少し手回ししてくれればいいのに。あいつのことだから、私が起きる時間を解ってこの有様なのだろうけれど」


 エネルギー補給。帽子屋。

 この空間にはあまりにもイレギュラーな言葉。

 それが門の向こうから聞こえてきた。

 声だけを聴くならばどこかのお嬢様のような美しい声だった。声域でいうならアルトだろうか。しかし低いとも高いとも感じさせない、そんな声でもあった。

 そして。

 ぬるり、とヘヴンズ・ゲートの中から『それ』は出てきた。

 それは黒いゴスロリチックなドレスを着た女性だった。髪は金髪縦ロールがそれぞれ右と左に一本づつある。

 奇妙ななりだった。少なくともヴァリエイブルでは見たことのない人間だ。背格好からして年齢はコルネリアやヴィエンスよりひとつかふたつ幼いくらいだと思われるが、しかし彼女が放つオーラはそれをはるかに上回る何かを感じた。

 それは、こちらを見て笑みを浮かべる。

 そしてドレスの両端を釣り上げて、頭を下げた。


「はじめまして、えーと……あなたたちはリリーファーという存在でいいのかしら? まあ、よく解らないけれど人間が生み出したコピーの最高傑作よね。それを初めて、それもこんな間近で見ることができるなんて面白いわね。やっぱり長生きしているといろんなモノが見れるし、それに『眠って』いるといろんなものを一気に楽しめるからワクワク感も半端ないわね! ……あっと、話がずれてしまったようね。えっと、私は『アリス』っていうの。よろしくね」


 首を傾げて、アリスと名乗った少女は微笑んだ。その微笑みはまさしく少女のそれだった。



 その頃、ユースティティア外郭から襲撃を行っていたバックアップはあるものを見つけた。

 空を飛ぶ、何かだ。

 それは鳥にも見えたし、船にも見えた。

 だが、そうだろうか?

 実際にそれは鳥であり船であり人工物であるのだろうか?

 いいや。

 実際はそのどれもが違う。不正解だ。


「いや、あれは……」


 グランハルトはコックピットに備え付けられた双眼鏡を通してそれを見て確信した。

 それは撮りでもなく船でもなく――人間だった。

 杖を持った人間が、空を飛んでいたのだ。否、正確には空を飛んでいるのではない。


「飛んでいるのではなくて……こっちに落ちてくる!?」


 そして。

 その人間は、地面に落下した。いや、着地したといったほうがいいかもしれない。なぜならその人間は二本の足で確りと地面に着いているのだから。

 常識では考えられないその光景を目の当たりにしてグランハルトたちは目を丸くさせた。確かにそんな光景が目の前で起きたら、誰だってそうするに違いない。

 そこに立っていたのはまだ年端もいかない少年だった。少年は杖を持っていた。その杖は少年が持つには少々大きすぎるようにも見えた。


『お初にお目にかかる』


 グランハルトが様子を伺っていると、頭に直接声が響いた。少しテノールがかった声に聞こえたそれは、やはり誰が聞いても少年のそれとしか認識しないだろう。


『私はアタナシウスという。名字もあるが、それを今あんたたちに話す筋合いもない。理由は単純明解、私があんたたちをここで全員ブチ殺すからだ』

「若造が何を言っている? 第一この人間はリリーファーにすら乗っていない。そもそも立場ですら対等にないって言うに……」

『あぁ。きっと誰かはそう思っているでしょう。そうに違いありません。私がリリーファーに乗っていないから、そもそも対等に戦えるのか? ……という疑問を。えぇ、えぇ、構いませんよ。人間は考える葦だとどこかの誰かが言っていたくらいだ。そんなことを考えても何の無駄にはなりません。寧ろ考えることはいいことですから』


 長々と語り出したアタナシウス。そんなにも彼に余裕があるのには、理由があった。

 目の前にあるバックアップのリリーファーが一機たりとも此方に向かってくる気配が無いからだ。きっと様子を探っているのだろうが、長々と語っている内に攻撃されてもいいように幾重にもカウンターを張り巡らしていたアタナシウスにとっては、ちょっと骨抜きな話だった。


『考えると能力は飛躍的向上を見せると聞きます。考える分集中するのでしょう。私としては無心な方がさらに集中させやすいのでは? だなんて思いますが、どうやら人間は一極集中とは行かないようですね』


 関係のあるような無いような言葉を話すアタナシウスにグランハルトは怒りを募らせていた。

 そして彼はリリーファーコントローラを強く握った。刹那、彼の意識が、彼の命令がコントローラを媒体にしてリリーファーへ流れ込む。

 リリーファーは彼から受け取った『命令』を瞬間的に実行する。その命令とは、相手に打ち込む強力な右ストレートだった。

 だが、彼はそれを打ち込んでからというものの違和を感じていた。

 打ち込んだ『手応え』が、まったくなかったのであった。


『……話は最後まで聞く、って学校で習いませんでした?』


 声が聞こえた。アタナシウスの声だ。

 アタナシウスはどこに消えた――グランハルトは辺りを見渡すが。


『ここですよ、ここ』


 彼は漸く、その声が何処から聞こえてくるのかを理解した。

 アタナシウスは乗っていた。

 何処に? それは他でもない、リリーファーの腕だ。グランハルトが操縦するリリーファー、ムラサメが彼に一撃を食らわせるために伸ばした右腕に、彼は乗っていたのだ。

 まるで、そんなもの苦ではないと言わせるように彼は鼻で笑った。

 グランハルトはそれでも冷静さを欠くことはなかった。寧ろ、それくらい当然のこととも言えるだろう。こんなところで冷静を欠いていては、正しい判断を下すことが出来ない。


『あまりにも鈍い。鈍すぎる。こんなものが世界を、大陸を、国を支配するために流通しているのか。おかしな話だ。くだらなくてくだらなくてくだらなくて、ほんとうにくだらない』


 そう言うと、アタナシウスはムラサメの関節を杖でトンと叩いた。

 刹那、グランハルトの乗るムラサメの右腕の関節が外れた。

 グランハルトは同調を弱めていたため、レナのように大きなダメージを受けることもなかった。

 だからといって、右腕が外れてしまっているのは変えられようがない事実だ。


「今使えるのは左腕だけか。……ちくょう、難易度が一気に跳ね上がった」


 グランハルトは独りごちる。あまり考えたくなかった、リリーファーの破損ということが、まさかこれほどまでに早く起きてしまうものだとはグランハルトも思わなかった。自らを落ち着かせるため、精神統一も兼ねているのだ。

 アタナシウスは杖を再びトンと叩いた。

 すると今度は彼の足元から大量の水が出てきた。何処かの川から丸々水を写し変えてきたかのようだった。

 ムラサメはそれを押し止めようと画策する。しかし、当然ながらムラサメが水を押し止められる範囲は限られているし、とても狭い。だから彼がしている行為はまさに焼け石に水なのであった。


『無駄無駄。無駄だ。もしかしたらその水を押し止めて、或いはこちらに押し返そうとでも思っているのかもしれないけれど、そんなことなんて出来ないしさせないよ。私は聖人だ。岩を簡単に破壊することも出来れば海を割ることも出来るし、人を凍りつかせることも出来れば人を燃やし尽くすことだって出来る。可能性だとか机上の空論だとか考えだとか、そんな甘いものじゃない。現に私は「出来る」。私は有言実行で動いているのだよ。……さて、もう手応えも無くなってきたことだし、そろそろとどめでも刺しちゃおっかな〜』


 アタナシウスは杖をくるくると回す。

 まるで彼にとって今の戦いはどうでもない、つまらないものだと思わせるようだった。

 だが。

 刹那、アナタシウスの右半身が消し飛んだ。

 否、正確には右手と胸の一部。顔と足には被害はない。

 だがそれでも彼に多大なダメージを与えたことには間違いなかった。

 それを放ったのはリミシアのリリーファーだった。彼女はちょうどアタナシウスを、動くこと無く狙うことの出来る位置に居たためだ。


『……ほぅ。少し、驚いたよ』


 だが、アタナシウスは笑った。笑っていた。狂ったように、壊れたように、笑っていたのだ。

 左手に持っていた杖を振り翳し、それを自分の右手があったところに触れる。そして、その部分が徐々に輝き出した。


「不味い! 回復する気か!!」


 グランハルトはそれに気付き、単独でコイルガンを放つためにリリーファーコントローラを握った。

 しかし、その直ぐに彼が見た光景はコックピットが真っ二つに切り裂かれていく様だった。

 それは彼の身体も例外ではなかった。


「…………あ?」


 そして。

 ムラサメは真っ二つになり、溜め込んでいたコイルガンのエネルギーが暴発して――そのまま爆発した。


「なんだ、君か。別に出てこなくてもよかったのに」


 ムラサメを真っ二つにした存在は、アタナシウスの隣に姿を表した。それは、背中にとても巨大な剣を構えていたドレス姿の女性だった。

 彼女の名前はキャスカ・アメグルスといい、彼女もまた『聖人』だった。だが彼女の聖人としての力は、アタナシウスのそれとは大きく異なる。


「……あなたが『僕だけでやるから構わない』なんて言ったから傍観していたけど、なんだかヤバそうだったから参戦したまでよ。貸しなんて思わなくていいから」

「大丈夫。私だってそう思うつもりはない。……ところで、もう戦いに飽きてしまったんだよね」


 小さく欠伸をしながら言ったアタナシウスに、「また?」とキャスカは冗談めいた笑みを浮かべ首を傾げる。

 キャスカの言葉にアタナシウスは頷き、そして一歩後ろに下がった。それは即ちキャスカがこの戦いを好きにしてよい――そんな意味を孕んでいた。

 キャスカは溜め息を吐いて剣を構えた。


「どれぐらいぶりかしらね……。この剣にそれほどの量の血を吸い込ませるのは!」


 ニヤリと笑みを浮かべて、舌で刀身を舐めていく。別にこのことに何の意味もないように見えるが、これをすれば心が落ち着くのだという。

 そして、そのやり取りを少し遠くから眺めていたバックアップのメンバーは焦っていた。リーダーであったグランハルトがあっという間に一刀両断されてしまったのだ。

 このままだと勝ち目など、ない。誰がどう見ても敗北のヴィジョンしか見えなかった。それは避けねばならなかった。それはヴァリエイブルがこの戦争で勝利を治めるためには、非常に重要なことだ。


「……さて」


 キャスカは剣を持ち替えて、正面に剣を構えた。目を細めて、ターゲットを確認す。

 そして。

 キャスカの姿は視界から消えた。

 リミシアは何処に消えてしまったのか、辺りを見渡すが、もう遅かった。

 彼女の視界が大きく二つに割れたのだ。


「クーチカ」


 彼女はコックピットに乗っていたうさぎのぬいぐるみ――クーチカを抱き寄せた。もうダメな気がしたから、もう終わってしまうような気がしたから。弱気な彼女だったが、しかし、彼女は悲しかった。

 悲しい。

 悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい――!!

 辛かった。悔しかった。そんな感情の渦に巻き込まれながらも、彼女はたった一言呟いた。



 ――死にたくない。



 そして。

 リミシアの乗ったムラサメが、グランハルトの同様に、爆発した。

 そしてそれを切欠にして、キャスカは他のリリーファーも一刀両断した。真っ二つに別れたリリーファーはそのまま凡てが爆発した。


「……終わりましたよ、アタナシウス。これで構わないのでしょう?」

「あ。もう終わったのか?」


 アタナシウスは立ったまま眠っていた。器用な男だった。

 キャスカに言われ彼が目を開けると、そこは焼け野原だった。


「いち、にー、さん……。うん、きっちり全部破壊されてある。この感じからすると起動従士の身体は左右対称と言えるくらい綺麗に真っ二つ、といった形かな? やれやれ、君の技にはいつも惚れ惚れするよ」

「止してください、本心でもないことを。神は凡てお見通しであられている。嘘をつけばそれは神にはまるっとお見通しですよ」


 それを聞いてアタナシウスは笑った。

 気がつけば、もう日は沈んで夜になっていた。真ん丸とした月が彼らを空高くから眺めていた。

 ただそれだけの、なんてことはない。

 その月を眺めて、聖人と呼ばれる二人は、再びクリスタルタワーへと戻っていった。



 ◇◇◇



 その頃。

 クリスタルタワーを歩いていたフレイヤとアルジャーノンは『第一研究室』という場所にやって来た。外にかけられていた看板とは違うような気もするが、中にある埃の被った古い看板にはそう書いていたのでそれで間違いないのだろう。フレイヤはそんなことを思いながら、探索を続けていた。


「ねぇ、アルジャーノン。起動従士の着る服ってないかしら。無いなら女性用の衣服でも構わないのだけれど……」

「ないことはないはずだ。聖騎士団だって女性も居るからね。きっと何処かにあるはずだ、ほら」


 そう言ってアルジャーノンは指差した。そこにあったのはクローゼットだった。

 そのクローゼットには、『起動従士用衣服(改良を加えると判断されたものばかりであり、必ずしもその品質を保証したものではない)』とラベルが貼られていた。フレイヤは括弧書きの部分がとても気になっていたが、今のこの状況を変えるには、それしか方法が無かった。

 フレイヤはクローゼットの扉を開けた。そこには色とりどりの服が並べられていた。どうやら神に仕えているからといって質素にする必要も無いらしい。その服を見てフレイヤは溜め息を吐くと、彼女の目に最初に入った、オレンジを基調とした服を手に取った。彼女が前も着ていた服もオレンジが基調となっていた。別にオレンジが好きだというわけでもないが、何と無く今まで慣れ親しんでいた色を選んでしまったのだろう。


「ちょっと、アルジャーノン。着替えるから見張っていてくれない?」

「別に覗きなんてしないさ」

「いいから」


 フレイヤに念を押されて、アルジャーノンは後ろを向いた。即ち、ちょうど彼は入口の方を向いた形になる。

 視覚はそれで遮っても、聴覚は耳を塞がない限り聞こえてくるし嗅覚も鼻を摘ままなくては駄目だ。

 布が擦れる音、微かに匂う汗とそれに混じる血の匂い。そして呼吸の音。その他凡てが彼をそういうベクトルの想像へと誘わせるには充分すぎるものだった。

 アルジャーノンはそんな|邪(よこしま)な想像をして|唾(つばき)を飲み込んだ。


「いいわよ」


 フレイヤの声を聞いて、アルジャーノンは振り返った。律儀にも前に着用していたボロボロとなっている服を折り畳んでいたフレイヤの姿がそこにはあった。彼女は初めて着たはずの服であったが、しかし彼女はすでにそれを着こなしていた。


「……この服、けっこういい感じね」


 彼女は服を一通り見てみて、言った。


「法王庁の研究班が開発した最新鋭の起動従士用制服、そのプロトタイプって書いてあるよ」


 アルジャーノンは机の上に散乱していたレポートを見て、そう彼女の言葉に答えた。

 フレイヤはそれを聞いて「ふうん……」とただ曖昧な答えをするだけだった。

 それはそれとして。

 彼女が乗っているリリーファー――ゼウスを探さねばならない。それを見つけてここから脱出することで、彼女は漸く安堵することが出来るのだから。

 意外にもあっさりとゼウスは見つかった。ゼウスは研究室に設置してあったのだ。まだ解体こそされていないようだったが、エンジンの幾らかが抜き取られていた。


「エンジンだけを先ずは調べようとでも思ったのかしらね……。全力は出せないけど、ここから退却することは出来る」


 彼女はコックピットに乗り込み、そう言った。

 その時だった。


「居たぞ、捕えろ!!」


 声が聞こえた。

 その声が法王庁の人間――彼女たちの敵であるということに気付くのに、彼女たちはそう時間を要さなかった。


「アルジャーノン!! 急いでリリーファーに乗り込め!! 私のコックピットでもいい!!」


 フレイヤは外部スピーカーを接続して、アルジャーノンに告げた。

 しかしアルジャーノンが彼女の言葉に、素直に従うことはなかった。アルジャーノンが向かったのは研究室の端にある機械だった。


「捕まえろ!! 裏切り者は殺せ!! リリーファーは機能を停止させろ!!」


 銃を構えている兵士たちは容赦なくアルジャーノンとゼウスに弾丸を撃ち込んでいく。ゼウスはリリーファーだからそんな攻撃屁でもない。

 だが、問題はアルジャーノンの方だ。彼は人間だ。いくらなんでも何発も弾丸を喰らえば、死んでしまう。

 彼は撃たれても撃たれても諦めることなく、何かを動かしていた。


『――聞こえるかい、フレイヤ』


 不意に、ゼウスのコックピットに声が聞こえた。

 それはほかでもないアルジャーノンの声だった。


「アルジャーノン、何をしている!! 急いでこちらに走ってこい!!」


 フレイヤはリリーファーコントローラを強く握って、『意志』をリリーファーに流し込む。

 だが。


『無駄だよ、フレイヤ。拘束具がエネルギーを奪っている。そしてその拘束具を外すのと、ゲートを開くのに僕は必要なんだ』

「ダメだ、アルジャーノン! お前のような人間が死んではいけない!」

『それは君だっていっしょだ! 君は平和のために戦っているんだろう。何か、強い意志のために戦っているのだろう。だったらそれは尊重すべきだ。僕のようなちっぽけな命でそれが守られるというのなら、安いもんだ』


 そう言ってアルジャーノンはスイッチを押した。

 ゼウスを拘束していたものは凡て外れ、それと同時にゲートは開かれた。

 ゆっくりとゆっくりと、壁が二つに割れて左右に動く。


「何がちっぽけな命だ! 命にちっぽけもクソもあるか!」


 フレイヤは涙を流していた。彼女がそれに気づいていたかどうかは――解らない。


『泣いてはいけないよ』


 アルジャーノンは声を聞いて、彼女が泣いているのだと理解した。そして、アルジャーノンの声が徐々に掠れていくのも、彼女は理解していた。

 もう――時間がない。

 決断するなら今だ。

 彼女はそう思って、リリーファーコントローラを強く握り締めた。

 その力は、今まで彼女がそれを握ってきた中で、一番強いものだった。

 ゼウスは動いて、ちょうど兵士たちの銃撃をアルジャーノンが喰らわないようにガードした。

 それを見て、アルジャーノンは叫んだ。


「何をやっているんだ! 早く君は逃げろ……」

「ふざけるな!!」


 外部スピーカが、あまりの声の大きさにハウリングを起こした。

 フレイヤの話は続く。


「何勝手に死のうとしている! 何をそうすればそういう結論へと導かれる! 何をどうすればお前は死ぬという選択を選ぶ! 何もかも、ちゃんちゃらおかしい!」

「君は生きなくてはならない……。大きな目的を背負っているのだから」

「目的に大きいも小さいもない! 況してや、人間の命の価値の違いなどあるものか! アルジャーノン、お前の命も……私の命も凡て等価だ! 価値が違うはずがない!!」


 アルジャーノンはそれを聞いて微笑む。彼の頭からは血が流れていた。


「君は……優しいよ、フレイヤ。君は死んではならない。君は生きなくてはいけない」

「お前も一緒に生きるんだよ! 私が命令していないのに、勝手に死のうとするな!!」


 フレイヤの言葉を聞いて、アルジャーノンは目を丸くした。その言葉がとばされるのが

、彼にとって予想外だったと言いたげだったが、それをフレイヤは無視する。

 もう扉は完全に開かれている。即ち、今なら出ることは可能だ。


「さあ、出るぞ!!」


 フレイヤは、ゼウスは、アルジャーノンに手を大きく伸ばす。

 彼はそれを見て、頷くと、その手のひらに乗った。

 それを確認してフレイヤはリリーファーコントローラを強く握った。

 命令はここからの脱出。

 もう戦いをするには、彼女の体力が疲弊しているのもあるし、ゼウスが全力を出せないこともあった。

 扉から出ると、そこは街が広がっていた。そしてそれが自由都市ユースティティアだというのはもはや自明だった。

 そのユースティティアが、破壊されていた。


「これは……」


 アルジャーノンはその光景を間近に眺めて、思わず言葉を失っていた。

 彼ら法王庁の人間はユースティティアが直接攻撃されることはない――そう教えられていた。

 なぜか?

 それは、法王猊下の力がその場に働いていると考えられていたからだ。法王が放つ聖なる魔法の力によってユースティティアは守られ続けている。だから人々はユースティティアへと集まり、法王に敬意を表するのだ、と。

 だが、それも今日で終わりだ。ユースティティアへの直接攻撃が確認されたということは、法王が魔法を駆使していたなんてことはなかったということを、証明してしまったことになる。

 きっとそれを避けたかったであろう法王庁だったが、しかしもう遅かった。人々は騒いでいて、その列はクリスタルタワーに集まっているようだった。『絶対に安全だ』と言われてここにやってきたのだから、その怒りも当然であるといえるだろう。

 そして、人々は徐々に考えるはずである。




 ――この戦争の意味とは、なんだったのだろうか?



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