第85話
ハリー騎士団とメルキオール騎士団の連合騎士団の先頭を歩くのはインフィニティ、|殿≪しんがり≫を務めるのはアシュヴィンだった。いずれもハリー騎士団の所有するリリーファーであったが、意外にもメルキオール騎士団から苦情の類が来ることはなかった。
恐らくヴァルベリーがどうにか手を回してくれたのだろう――マーズはそう思って、心の中で感謝を述べた。
『こちら、インフィニティ。前方に異常はない』
前方を進んでいたインフィニティからアレスへ通信が入る。
マーズはそれを聞いて頷く。
「こちらアレス。了解。引き続き行軍せよ」
『了解』
短い回答ののち、通信が切れた。
今十機のリリーファーがほぼ一直線になって進んでいる。隠れる術もないので、前方から敵がやってきても全力で立ち向かえばいい話になるが、とはいえ、気がついているので気がついていないのではやはり前者のほうが戦術が組みやすい。隙をつかれて突然戦闘が始まった場合、対処できる起動従士がどれほどいるだろうか。
メルキオール騎士団は殆ど完璧だろう。しかし問題はハリー騎士団だ。半分のメンバーが学生である彼らは、実戦の経験がほかの騎士団に比べて極端に少ない。そのため実戦でのノウハウをあまり知らないのが現状だ。シミュレーションなどの時にマーズが教えたりしたことはあったものの、それでも未熟な点は多い。
マーズはそれを心配していた。対処出来なかった場合、実質的に戦力が減ってしまう。そうなったらうまく対処出来るかどうか、マーズは不安だったのだ。
「……ともかく、起きた時に考えればいいかもしれないが……」
そう、楽観的に考えることにして、マーズはその思考を一旦別の場所に置いた。そうすることで現実逃避とは言わないが、改めて別の考えが浮かぶこともあるからだ。リフレッシュ、ではないがそれに近い。
ともかくそれについては後で考えることにしよう――そうつぶやいて、マーズは行軍に集中することとした。
◇◇◇
その頃、もうひとつの攻略作戦も進行していた。
ガルタス基地には『バックアップ』のメンバーが到着しており、英気を養っていた。
出撃を目の前にしてここまで気を楽にできるのも、実戦をそれほど迎えていない彼女たちだからこそできる業なのかもしれない。しかし、バックアップは第一起動従士と相違ない実力を持っていることもまた、事実であった。
「……これほどまでに大量の食事が用意されているとはね」
ガルタス基地の食堂には、大きなテーブルがあった。バックアップのメンバーが来ることを知っていた基地の人間が腕を振るって大量の食事を作ったのだという。大変結構な話であるが、しかし実際彼らが空腹であったこともまた事実だった。
だから、大量の食事を前にして彼らは直ぐにその席に着席した。
しばらくして、コックがかぶるような帽子を被った女性がテーブルの前に姿を現した。
「皆さん、わたくしはこのガルタス基地でコックを勤めているミスティ・ネルクローチです。今回の食事につきましては、凡てわたくしが作成しました」
「この量、凡てか?」
「はい。凡てです。わたくしはひとりで料理をしないと気がすまないものでして」
「ほう……」
レナは彼女の言葉を聞いて、改めて眺める。
テーブルには大量の食品が並べられていた。混ぜご飯にミートボール、ハンバーグにうどん、ジュースにデザートのフルーツ盛り合わせまで用意されている。これをひとりで作ったというのだから、驚きである。
「混ぜご飯はお酢を少しおおめに入れてみました。疲れが取れるそうです。あとジュースには疲れが取れる効能がある紅茶をブレンドしてみました。是非飲んでみてください」
それだけを言って、コックは再び厨房の奥に消えた。
「……律儀な人だ」
グランハルトが尋ねると、レナも「まったくだ」と答える。
レナは両手を合わせて、言った。
「いただきます」
その言葉に従うように、ほかのメンバーもそう言った。
食事は彼らのお腹を大変満足させる出来であった。中でもジュースは一番の人気を誇り、コックが作っておいたストックがあっという間になくなってしまい、急遽作るハメになってしまったほどだ。
「……いや、ほんとにこのジュースは美味しい。あとで作り方を学びたいくらいだ」
食後、レナはジュースを飲んでそう言った。
厨房で洗い物をしているミスティはそれを聞いて微笑んだ。
「ありがとうございます。そう言ってもらえることが、コックとしての一番の嬉しいことです」
「いやいや、これは素晴らしいことだよ」
グランハルトはレナの称賛に乗っかるように言った。
ミスティはもう洗い物に集中してしまったのか、返事はない。
「お前の女ったらしな性格がバレたのかもな」
「だから僕は女ったらしなんかじゃないって……というかあの一瞬の会話で解るものなのかい?!」
「正確にはそれに仕草とかも追加するだろうがな。よく言うだろう。右上を見ながら話していることは『嘘』だって」
レナはジュースのコップを傾けて、その様子を眺めていた。それを横から見ていたグランハルトは、彼女の横顔を見て小さく笑みを浮かべる。
「それじゃ君が今思っていることも仕草や言動で解るわけだ。……きっと今君は喜んでいるよ、残念ながら理由までは解らないけれど」
「正解だ。理由は簡単だよ、この食事があまりにも美味しかったことだ。いやはや、基地で食べるものといったら大抵がレーションだったからな。またあの消しゴム味のあれを食べなくてはならないのかと思うと胃がキリキリするもんで」
「それもそうだね」
グランハルトは頷く。レーションというのは軍事用に開発された栄養食である。味はともかくそれを一つ食べるとエネルギーが容易に取ることが出来る。その特性と引き換えにして、味は絶望的に悪い。レナがその味を『消しゴムのような味』と称したが、実際には無味無臭で、食感はジャリジャリと何かが混じっているような感じだ。その食感から彼女はそう言ったかもしれないが、それを棚に上げればレーションは容易に栄養を取ることが出来るので、非常に便利な代物だ(とはいえ、やはり味は味なので、兵士の中にはレーションが嫌いすぎて撤廃を唱える兵士もいる程だ)。
「でもまぁ、流石に全員の好き好みってのはカバー出来ないんですけどね。でも『レーションよりはマシだ』ってんでみんな食べてくれますけど」
「そりゃ傑作だ」
そう言ってレナはグラスに残っていたジュースを飲み干した。
食事を終えた『バックアップ』のメンバーは、当初食事中にリリーファーのメンテナンスを基地の整備士に行わせ、その終了後作戦の再確認を行った上で作戦実行に至る予定だった。
しかし食事の終了後レナが基地の代表者だと自らを名乗ったフランシスカから、まだメンテナンスが終了しておらず一時間程遅延するとの報告が入った。それについてレナがフランシスカを叱責することは無かったが、レナが苛立ちを覚えていたのもまた事実だ。
「……まぁ、こういうリフレッシュタイムもいいんじゃない?」
「確かにな。でも何故お前と一緒に散歩することになったのか、簡潔に答えろ」
そういうわけで空いてしまった時間を生かすために、グランハルトが提示したのはリフレッシュタイムの存在だった。
遅延してしまっている一時間は、そう簡単に縮めることは出来ない。ならばいっそ、その一時間を完全な休憩時間にしよう――というのがグランハルトの考えだった。
但し、何でも出来る訳ではない。一応、彼は幾つかの禁止事項を提示した。
例えば基地の施設の使用不使用に問わずトレーニングを禁止した。理由は簡単で、疲労を簡単に蓄積させないためだ。疲労が蓄積してしまっては、全力を出すことは難しい。
他にも外出の場合は基地の傍にあるクレイドという町の中だけに過ぎないし、さらにその場合は私服と変装を義務付けた。理由は言わずとも解るように、起動従士がこの戦時中に町をぶらぶらと散歩していることを町人が知ると厄介なことになるからだ。国に苦情が来て、クーデターが発生して、最悪国が滅びかねない。
「だけど基地の内部なら変装でなくても私服でなくても問題なし! みんな知らないんだよね〜、ガルタス基地の地下にはこんなに立派な庭園があるんだから」
レナとグランハルトが歩きつつ、その庭園を眺めていく。この庭園の綺麗さには目を見張るものがあった。
この地下庭園はガルタス基地の地下六階に位置している。広さはガルタス基地とほぼ同じ広さを誇る。しかしながらその利用は殆ど無いために、基地の人間の隠れ家みたいな感じになっていた。
庭園には川が流れ、噴水もある。太陽は人工太陽が設置されており、日の出とともに電源が入り、日の入りとともに電源が落ちる。そして『夜』には人工月が浮かび上がり人工太陽の六割程暗い明かりで庭園を照らす。
資料を辿ればここは昔シェルターとして使用する予定があったそうだが、別の場所にさらに巨大なシェルターが建設されたために、僅か半年でその役目を終了することになった。
その後は閉鎖が決定していたが、ある科学者が言った一言によって、この場所の運命が大きく変わることになった。
――シェルターとして使えないのであれば、ここに様々な装置の設置を施して、一つの『楽園』を作り上げよう。
その言葉の意味を理解出来た人間はそう多くない。そして、その『楽園』という単語の意味を、ある単語をもって変換されることになった。
庭園。
それは楽園に程近いものであった。しかしそれと同時に庭園はカミサマが考えていた楽園とは程遠いものになる可能性もまた孕んでいた。
「……ここが『楽園に一番近い場所』だって聞いたが……それにしては手入れもなっていないが」
「手入れは誰一人として行っていないそうだよ。植物が病気にかかったとしても、その植物自体が持っている力でどうにかこうにかするらしいね」
レナとグランハルトは再び庭園の道を歩く。なるほど、そう言われてみれば今彼女たちが歩いている道は舗装されていない畦道であった。人の手は必要最低限しかかけていないようになっているらしい。
「……だからといって、私とあんたが一緒にいる理由にはならないが?」
「ボディーガードだよ。ほら、レナは肉弾戦に強くないから」
「本音は?」
「レナのおっぱいを揉みたい!」
グランハルトは大声でそう言った。
グランハルトという人間は、とても馬鹿正直な人間だった。
レナは拳に力を込め、低い声で呟く。
「祈る時間だけは与えてやろう」
――数瞬の時をおいて、グランハルトの腹にレナの渾身の右ストレートが命中した。
一時間が経過するのは、実にあっという間のことだった。
食堂に置かれている大きなテーブルには、もう何も置かれていない。それに新品のようにピカピカに磨かれていた。
「あのコック……ただ者ではないな。なぜこんな辺境の基地に居るんだ?」
「さぁね。でも確かにここに置いとくには勿体無い人材なのは確かだ」
レナとグランハルトは食堂に居た。因みに今は集合時間十分前だが、未だ誰も集まっていない。だが、元々バックアップのメンバーは然程時間について厳しくしていないため、寧ろこれくらいが普通だった。
「皆さん、遅いですね……これが普通なのですか?」
そう言ったのはミスティだ。ミスティはお盆に全員分の水を入れたコップをのせて持ってきたのだ。
「別にそこまでしてもらわなくてもいいのよ。作戦会議とはいえ、そう時間もかからないから」
「いえいえ。でも、これぐらいはしないと……」
ミスティはレナが言った言葉を流しつつ、テーブルにコップを置いていく。こういう人間はもう何度言っても止めることはしないとレナ自身も解っていたので、これ以上言わないことにした。
結局、メンバー全員が着席したのは、それから八分程――即ち集合時間二分前のことであった。
「……まあ、まだ早いほうね」
これがいつものことなら、五分遅れてやってくるメンバーがいてもおかしくはない。だが、今回はきちんとした作戦だからか、皆時間に対してルーズであってはならないと思ったのだろう。
レナは溜息を一つ吐くと、話を始める。
「さて、それじゃこれから作戦を再確認していくわ。これから我々は法王庁自治領に潜入する。……まあ、堂々とはいるのだから潜入というと違和感があるけれど、とりあえず法王庁自治領に入る。表現が変わろうともそれは変わりない」
その言葉にメンバーは頷く。
「そして法王庁自治領の首都、ユースティティアに聳え立つクリスタルタワー。これを襲撃する」
「クリスタルタワーはどのあたりにあるんだ?」
質問をしたのはグランハルトであった。
「クリスタルタワーはユースティティアの中心にあると言われているわ。とはいえ、そこまで潜入するのが大変ね。ユースティティアは壁で囲まれた町だと聞くから」
「敵はもう待ち構えていることも考えられるな」
メンバーのひとりがそう言って、相槌を打った。
「そうね。それに厄介なのは独立と法王庁側からの参戦を表明したペイパス王国……。あそこはどれほどの戦力を所有しているのか解らない。そもそも、私たちの戦闘に介入してくるのかも怪しいところだけれど」
「でも、ペイパスが攻撃してくる可能性も考えられる……そういうことか?」
メンバーの問いに、レナは頷いた。
レナとしても、出来ることなら戦闘中の敵を増やしたくはなかった。明確に『法王庁が敵である』と決まっているため、その決まっている敵さえ倒すことができればいいと思っているからだ。
しかし、ペイパスが参戦を表明したことで――戦況は一変した。法王庁としては味方が出来、ヴァリエイブルとしては隣国に戦々恐々とする、そういうことになってしまったのだ。だからといって、今のヴァリエイブルに再びペイパスへ攻め入るほどの余裕もない。結局はそういうことだったのだ。
「可能性として考えられる、一番最悪な話がそれになる」
グランハルトは慎重な面持ちでそう告げた。確かにペイパスの参戦の可能性はゼロではない。いつどこで交戦するのか、裏を返せばその可能性は無限大に存在する。人間の考えられることは必ず実現出来ることだ――そんなことを言う学者が居るくらいである。
「とはいえ……そんな可能性に脅えていてはろくに本気を出せないのもまた現実だ。本来出せるはずの実力が周りを気にしすぎて出せなかった……なんて笑い話にもならない。だから決してそんなことのないように」
その言葉にバックアップのメンバーは頷いた。
会議終了後、レナたちはリリーファーを格納する格納庫へとやって来た。メンテナンスが漸く終了した、という報告が入ったためである。
レナは自らの乗るリリーファーを眺めながら、これまでの作戦について脳内で再確認していた。
「ムラサメ、カーネルの開発した現段階で一番新しい世代のリリーファー……か」
誰に言ったでもない呟きを漏らす。
レナは正直な話、このリリーファーに乗るのが怖かった。何故怖かったのかは解らない。しかし、これだけははっきりと言えた。
あるタイミングからリリーファーを操縦すること自体気持ち悪くなり始めていたのだ。それが身体的な問題なのか肉体的な問題なのかは、はっきりと解らない。
ただ、リリーファーに乗ると吐き気を催すのだ。あまりにも恥ずかしい話題だからとレナは誰にも告げたことはない。
リリーファーに乗って吐き気を催すほうが、起動従士にしてはおかしいのだ。起動従士はリリーファーに乗るために強靭な肉体になる必要がある。リリーファーに乗っている時はリリーファーの装甲が守ってくれるが、乗っていない時ではそうもいかない。自らで自らの身を守ることが重要なのだ。
「レナ、どうしたの? リリーファーをずっと眺めたりしてさ」
声をかけたのはグランハルトだった。彼女はそちらに振り返ると、グランハルトが笑顔で此方に手を振っていた。
「……別に。何でもないよ。まったく関係ない話だから」
「そうかい? でも、何かあったら僕に言ってくれよ。君には僕が居るんだからさ」
レナは無言で頷くと、グランハルトは踵を返した。
「なぁ、レナ!」
グランハルトは彼女に背を向けたまま、言った。
「……どうしたの」
「いや、特に重要な話でも無いのだけれど……」
「焦らさないで言いなさいよ。私だって苛々しているのだから」
レナの言葉を聞いて、グランハルトは大きく頷いた。
「もし、今回の戦争がうまく行ったら、永遠に君の傍に居たい……そう思うんだけど、どうかな?」
グランハルトは照れ臭そうな表情で言った。レナの方も一瞬自分が何を言われたのか解らないようだった。
レナは何を返せばいいのか解らなかった。きっと今、彼女の顔は真っ赤に違いない。もじもじとさせながら、顔を真っ赤にしている彼女もまた立派な『女性』だったのだ。
「……いいわよ。十年でも百年でも、一生あんたの傍にいてあげる」
やっとのことでレナが紡いだその言葉を聞いて、グランハルトは笑みを浮かべた。
「参ったな……。好きな女の子にそんな可愛らしい表情付きで良い返事を貰っちゃうと……俺だってもっと頑張ろうって思えちまうな」
グランハルトはそう言って、彼の持ち場へと戻っていった。
「絶対に死ぬなよ……グランハルト」
レナのその瞳は、ずっとグランハルトの背中を捉えていた。
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