第84話

 メイルとイサドラがティータイムに興じてから、大体三十分程経ったとき、ドアがノックされた。


「どうぞ」


 イサドラは溜息を吐きながら、本日三杯目の紅茶が注がれたティーカップをテーブルに置いて、そう言った。

 メイルはそれを見て、立ち上がる。誰も見られていない場所ならば、メイルはイサドラに気にせず接して良いと彼女から言われていたのだが、とはいえ他人が入ると、それを知らないわけであるから、カンカンと怒られるに違いないからだ。怒られるだけで済めば良いが、それ以上のことになってはメイル以上にイサドラが大変だからだ。


「失礼します」


 しかし、入ってきた相手がラフターだとわかると、少しメイルもほっとした。

 ラフターは二人を見渡して、ソファに腰掛ける。


「ふたりだけのようですが……いったい何を?」

「ティーブレイクに興じておりましたのよ。あなたもどうです?」


 そう言ってイサドラはティーカップを再び持ち上げ、ラフターに見せつける。

 それを見て、ラフターは一瞬考えたが、


「いただきましょう。少しばかり落ち着いたほうが話もしやすいでしょうし」


 そう言って頷いた。それを見てメイルはすぐさまテーブルに置いてあったティーカップに紅茶を注いだ。そしてそれをソーサーにのせて、ラフターの目の前に置く。


「ふむ、ありがとう。では」


 ラフターは紅茶を一口すする。

 そして紅茶の香りを嗅いだ。


「……いい香りだ。この紅茶は誰が?」

「私が選びました。疲れも取れるということで、国王陛下にぴったりであると」

「ふむ……なるほどね。さすがだ、メイル」

「ありがとうございます」


 メイルはその言葉を聞いて、頭を下げる。

 ラフターはティーカップをテーブルの上において、小さく頷いた。


「さて、今回は大事な話があってやってまいりました」

「……話?」


 イサドラは首を傾げる。


「ええ。それはそれは大事な話です。……これからの世界について、そして陛下がおっしゃられていた『平和な世界』を実現するためのひとつのステップになるであろう、大事な話になります」

「……聞かせてもらおうかしら」


 イサドラの言葉にラフターは頷く。

 ラフターは人差し指と中指を差し出して、言った。


「私がこれからお話する内容は全部で二つです。ですがどちらもそのステップには関係のあることであると思います。関係度は後者のほうが上ですが。……どちらから話しましょう?」

「どちらでも構いません。まあ、関係度の低いほうから聞いても問題はないでしょう」

「わかりました。それでは関係度の低い方から、お話することとしましょう」


 そう言って、ラフターはあるものを取り出した。

 それは書類だった。そこには文字がたくさん書かれているようで、一瞬でそれがなんの書類であるか判別することは出来なかった。


「……それは?」

「これは書類です。とはいえ、これに署名をいただくだけでこの書類の効力が発揮されてしまうので、出来ることならきちんと話を通しておきたいところなのですが、何分時間が……」

「いいから掻い摘んでも構いません。だから、解る程度に説明してください」

「かしこまりました」


 ラフターは恭しく笑みを零すと、その書類の詳細について述べ始めた。


「この書類は……直属騎士団に関する書類になります。もっというならば、直属騎士団を設立あるいは追加するときに、国王陛下が署名してそれに同意する書類となるわけです」

「ふむ……。それで、私は何をすればいいわけ? 直属騎士団を設立するにも、起動従士は育っていないわよ」

「そこが問題です……そして、私がこれから行おうとしているのは『設立』ではありません。もっというならば、『追加』する方になります」

「追加……?」

「私は何も騎士団を新たに作るなどとは言っておりません。すでに私たちには起動従士がいるではありませんか。騎士団が存在するではありませんか」


 そこで、漸くイサドラも気づいた。ラフターが何を言おうとしているのか。彼が何をしようとしているのか。


「でもそれは問題が……あるのではなくて?」

「起動従士は国外では何をされても問題ないという国際条約で決まっています。言うならば奴隷のような扱いを受けてもいいのです。それを逆手にとって、私たちが改めて『直属騎士団』としてしまえばいいのですよ。……ヴァリエイブルのカスパール騎士団を」


 それを聞いてイサドラは耳を欹てた。そして、飲んでいた紅茶を吹き出しそうになった。

 しかしそこは流石に冷静に一口飲んで、ティーカップをテーブルに置いて、それに対する反応を返す。


「……そんなことをして、ヴァリエイブルが攻め込んでは来ない? 一応、ペイパス軍がペイパス王国にいるヴァリエイブル軍を無力化しているとはいえ、それで攻めてこられたら国内のヴァリエイブル軍の士気を高めることになってしまうのではなくて?」

「それが、もうひとつの話と絡んでくる問題です」


 そして、ラフターは人差し指を立てた。


「これは簡単です。ですが、これを実行する前と後で文句を言われるのは避けられません。国を揺るがすことになるかもしれませんが、確実に良い結果を生み出すものだと思います」

「……ラフターさん、私はあなたを信頼して、改めて大臣職に就いていただいているのです。はっきりと物事をおっしゃってもらって構いません」


 これを言ったのは、決して早く言わないラフターへ対して苛立ちを顕にしているわけではない。

 早くその事実を知りたかった。早く楽になりたかったからだ。況してやラフターは『平和の世界に一歩近づくための方法である』と言った。だとしたらそれを使わない手はない――イサドラはそう思ったのだ。


「わかりました。それでは、お話させていただきます」


 そう言ってラフターは再び書類を取り出した。しかし先程の書類とは違って簡素な文章だ。だから、直ぐにそれがなんだか読み取ることができる。


「……ヴァリエイブル連邦王国との和平交渉及び条約締結について……?!」


 そしてイサドラはその見た文章をそのまま口に出して言った。

 それほどのことだったのだ。彼女にとってそれは、それほど驚くべきことであったのだ。


「確かに驚くべきことではあると思います。私でも、苦渋の決断でありましたから」

「ならばなぜ、これを私に提示したのです?」

「それはもちろん、先程もおっしゃったとおり、『平和な世界へ近づくための』……」

「それが他国へ媚びへつらうことであるというのなら、私は断じて違うと言えますが」

「和平交渉は決して、媚びへつらうためのものではありません。……寧ろ、逆ですよ」


 ラフターはそう言ってシニカルに微笑む。

 それを聞いて、イサドラは目を丸くした。


「逆……?」

「ええ、そうです。今ヴァリエイブルは『どうしたことか』国王が変わったばかりで|政≪まつりごと≫もうまくいっていないそうなのですよ。そして法王庁との戦争についても戦果が芳しくない……そう聞いています。ならば、我々が先に和平交渉を結んでしまおうという戦法です」

「で、和平交渉を結んで……どうなるというのですか?」

「和平交渉は、恐らくではありますが、ある程度無理難題を言いつけても、ヴァリエイブルは了承すると考えています」


 きっぱりと、ラフターはそう言った。


「どうして、そうきっぱりと言い切れるのかしら?」


 イサドラはそこが疑問だった。ラフターがどうしてそこまではっきりと言い切ることができるのか、そこが気になるところだった。なんらかの確証を持っているのかもしれないが、しかし会話の中ではそれが見えてきていない。それが彼女の不安の種にもなった。

 しかし、ラフターはそれを聞いて微笑むと、大きく頷いた。


「ええ、わかっております。気になるのでしょう。私がここまで言える確証が、証拠が、どこにあるのか……と。答えは簡単です。私の、ヴァリエイブルにいたときの見聞によるものですよ。現在、ヴァリエイブルはお世辞にも法王庁に勝っているとは言えません。一騎士団が奪われ、さらにカスパールは我々の手にあるのですからね。そして本国を守れる立場にある残り二つの騎士団も『ヘヴンズ・ゲート』を確保しに行った……つまり本国にリリーファーも起動従士もいないんですよ、『バックアップ』という存在こそ居ますがね」

「バックアップと起動従士に違いは?」

「ヴァリエイブル独自の制度で、バックアップも起動従士に入ります。ですが、バックアップは基本的に自分のリリーファーを持ちません。そして実戦にも参加することがめったにありません。そういうタイミングというのは、起動従士……この場合は騎士団に所属している『第一起動従士』という存在になるのでしょうが、それがケガなどでリリーファーの操縦が出来なくなってしまった、その代わりに出撃する存在ですね」

「替え玉、ということね」


 その言葉にラフターは頷く。どうやらイサドラの理解は早いようだ。


「そうです。替え玉です。|替え玉≪バックアップ≫は様々なパターンこそ経験していますが、実戦の経験は極端に少ない。言うならば、実戦で何かあったとき対処しづらい存在なのです。そんな彼らが騎士団と同等或いはそれ以上の実力を発揮することなど、そうありません」

「つまり、バックアップにそれほどの対応能力は存在しない……そういうことになりますね」


 イサドラの言葉にラフターは頷く。


「ですが……解りません。いったいそれからどうやって、ヴァリエイブルとの和平交渉に持ち込むつもりなのですか? 幾ら何でもある程度対等な条件を提示せねば、向こうだって首を縦には振らないと思いますが……」

「いいえ。ヴァリエイブルは絶対に和平交渉に参加します。そしてそれに、絶対に同意するはずです。陛下、この文書はその和平交渉に関する書類ですが、何か書いてありませんか?」


 そう言ってラフターはその文書をイサドラに手渡した。イサドラはそれを受け取ると直ぐに文書を読み始めた。

 その文書にはタイトル通り和平交渉について長々と文章が書かれていた。和平交渉時には大臣と国王が参加することや、相手国が同意する条件を必ず提示しなければならない、などといった国際条約で決められている文章が長々と並べられているに過ぎなかった。

 だが、彼女は最後の一文に目がいった。

 その文とは文書の最後の方にある、ペイパスが提示する条件についてだった。



 ――我が国に勾留されている貴国所属のカスパール騎士団をリリーファーも含めて返還する。



「ちょっと、ラフターさん。これって……!」


 それを聞いて、ラフターは恭しく笑みを浮かべる。


「いけません、国王陛下。私はあくまで一端の大臣に過ぎないのです。『さん』付けなどされてしまった会話を他の方に聞かれてはいろいろと噂が立ってしまいます」

「……それもそうですね」


 イサドラはそう言って口をつぐんだ。イサドラが王位を承継したことについては何の疑いも持たれないが、ラフターやカスパール騎士団が協力していることが一部の貴族にとって疑問だった。

 ただ、ラフターも昔はペイパスに居たこと、そしてスパイとして活躍していたことを知っている人も少なくないため、今は彼を支持する人が大半を占めている。

 とはいえラフターとしても慎重に行動すべきであることは充分に理解しており、だからこそイサドラとの関係を悟られてはならないのだった。


「……ともかく、これはいったいどういうことなのですか。和平条約の締結に伴ってカスパール騎士団を返還する? それじゃ最初の議題と矛盾することになりますよ」

「それでいいのです。そうすることだけで構わないのですよ」


 イサドラは首を傾げる。ラフターの言っていることは少々難解だったからだ。

 ラフターは溜め息を吐いて、話を再開した。


「いいですか? 先ず、カスパール騎士団を直属の騎士団にすると明言します。そして、それを世界に大々的に発表するのです。そのニュースはそう遠くないうちにヴァリエイブルに流れることでしょう。そのタイミングを見計らって……こちらから和平交渉を行います。ですが、この時に二つの条件を提示します」

「二つ……? カスパール騎士団の返還だけではない、ということですか……」

「ええ。そしてそのもう一つこそが重要です。不可侵条約を結ぶのですよ」


 不可侵条約。

 それは名前の通り、お互いがお互いの領地を絶対に侵略しないという条約のことだ。勿論のこと、この条約には両国の同意が必要不可欠である。

 そのためこの条約は他の条約に比べれば締結がしづらい。当たり前だ。こう世界各地で戦争が繰り広げられていれば、いつかどこかで『手違い』が起きる。それによって、新しい戦争が起きてしまうのだ。そうなってしまってはもう堂々巡りにほかならない。


「その堂々巡りを無くすために不可侵条約を締結させます。今まではそういうことがあったものですから、嫌悪感から条約を締結しないケースばかりでしたが、今回は確実に可能になります。何せ不可侵条約は国際条約の一つ。破ったら最後、多額の賠償金と領地分割が行われます。場合によっては国が消えることだってある、恐ろしい条約です。……まぁ、普通に守っていればそんな事態にはならないと思いますが」

「それを、不可侵条約を、ヴァリエイブルは了承してくれるのでしょうか」


 そう言ってイサドラは少し温くなってしまった紅茶の入ったティーカップを持ち上げ、一口紅茶を啜った。

 さらにイサドラは残っていた最後の一枚だったバタークッキーを口の中に放り込んでいく。そのあいだ、彼女が言葉を発することはない。


「……ご理解いただけたでしょうか」


 恐る恐る、ラフターが彼女に訊ねた。


「少し、時間を戴けないかしら。別にすぐそれを実施する訳でもないのでしょう?」

「まぁ……そうですね」


 ラフターは彼女から返ってきた言葉の内容に少しだけ驚いた。彼女は昔から直ぐに物事を、どんなに重要だったとしても、素早く決めることがあったからだ。だから今回もそう時間がかからないうちに結論が導かれると思っていた。その言葉を理解して驚いたとともに彼女が成長したのだという事実を、ラフターは見せつけられる結果となった。

 ラフターはそういう意味で、状況の整理などを行うために、彼女の質問から若干の余白を置いた。


「……わかりました。それでは明日までに決定をお願いします。本当はいつ情勢が変わるかおかしくないので、今日のうちにでも大使を向かわせたいところなのですが……致し方ありません」

「ありがとう、ラフター……いや、大臣」

「呼び捨てでも職業名だけでもどちらでも構いませんよ」


 そう言ってラフターはソファから立ち上がった。


「もう、何処かへ行かれるの?」

「様々な用事があります。例えば書類の整理、例えば要職の配置を考えたり、例えば起動従士を新しく任命したり……まぁ、要するに雑務ですね。起動従士を本気で愛していた国王に仕えていた時とは違った忙しさがありますよ」


 そう言ってラフターは口元を緩ませると、「では、私はこれで」とだけ言い残して部屋から出て行った。


「……私にはラフターさんが何をおっしゃっていたのか、解りません。何をしたいのかも、です」


 メイルがラフターが出て行ったのを見て、そう言った。

 それを聞いてイサドラは頷く。


「あなたの気持ちも解る。けれどこれは大事なこと。ラフターさんはずっとペイパスの王家のために活動してくれていた人です。彼は我々のために活動しているのに、信頼しないわけにはいかないでしょう?」

「陛下がそうおっしゃるのであれば……」

「こら。二人きりのときは、お互い堅苦しいことのないようにしましょう……でしょう?」


 そのイサドラが言った言葉に、メイルはぎこちなく頷いた。それは、彼女の心に、まだラフターの言動に対して疑問が残る現れなのかもしれなかった。



 次の日。レパルギュアの町の入口にて、十機のリリーファーが並んで立っていた。しかし、今そのリリーファーには起動従士は乗り込んでいない。まったくの無人である。

 その中でも一番大きく、目立っているのが崇人の乗るリリーファー『インフィニティ』であった。

 そしてアシュヴィン、ガネーシャ、アレスと続く。残りの六機は凡て同じ機体である。これが『クライン』であるということは彼らも知っているが、こう普通のリリーファーと比較してみると、クラインはあまりにも小さかった。

 通常リリーファー――アレスを基準にして考えると、アレスの実に三分の一程しかない。数レヌル程の躯体は起動従士の彼らを不安にさせる要素しかなかった。

 作戦では洞窟内にあるヘヴンズ・ゲートの破壊となっているが、それを主立って実行するのはインフィニティやアシュヴィンといった通常のリリーファーではなく、その通常のリリーファーよりも数段とダウンサイジングされたクラインだった。


「……作戦は昨日の会議で示したとおりだ。それについては今説明する必要性もないだろう」


 そう言ってマーズは全員の顔を嘗めるように見ていく。ゆっくりと歩いて、立っている各隊員の表情を見ていくのだ。

 もちろんここにいる人間の殆どが数々の戦場をくぐり抜けて来たベテランといっても過言ではない連中ばかりであるため、そこまで心配することもない。


「質問はあるか? あるのなら、今のうちに訊いておいたほうがいいぞ。あとで訊くとなると戦闘中では大変だからな!」


 マーズの言葉に、反応を示すものなどいなかった。

 最後に、マーズは崇人の表情を見た。今日の彼は、少なくとも昨日よりはすっきりとした表情だった。疲れも見えないし、先ほどの問答もはっきりと答えていた。



 ――心配する必要もなかったかもね。



 マーズは声に出さずに独りごちると、再び全員が見える位置に立った。


「それでは、諸君。これから作戦を決行する。目的地はヘヴンズ・ゲート。最終目標はヘヴンズ・ゲートの破壊、だ! これを成功させることにより、ヴァリエイブルの勝利は確固たるものへ変わっていくだろう!」


 拳を掲げ、宣言は続く。


「我々に許された結果は勝利のみだ! いいか、決して悪い結果を国内へすごすごと持ち帰ってはならない。我々の後ろには、三百万人のヴァリエイブル連合王国全国民の命がかかっているのだから」


 その言葉に、彼らは静かに頷く。

 そして。


「それでは、出動だ――!!」


 その声とともに、ハリー騎士団及びバルタザール騎士団の面々はそれぞれのリリーファーへと乗り込んでいった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る