第86話
その頃、マーズたちは侵攻を続行していた。山の中の行軍というものは、とても難しい。特にリリーファーは平地でも操縦が難しいというのに、傾きが入る山道にもなればその行動は難しくなりつつある。
「……マズイな」
そんな中で、マーズは前方を歩きながら小さく舌打ちした。
彼女はいくつかの可能性について危惧していた。そのうちの一つが『疲労』だ。メルキオール騎士団は特に問題ないが、問題はやはりハリー騎士団にあった。休憩なしの行軍は、作戦の経験が少ないハリー騎士団に肉体的にも精神的にも重く伸し掛る。
『おい、少し遅れているぞ』
通信が入った。それはマグラスのものであった。殿を務めるのはアシュヴィンであるため、遅れなどが生じた場合は報告するようにとマーズが命じていたのだが、それにしてもあまりにも早すぎた。
「……休憩を入れましょう。致し方ないわ」
そう言って、近くの平原を休憩スポットに選択した。
平原で十機のリリーファーを休ませていると、ヴァルベリーがマーズに声をかけてきた。
マーズは平原に流れていた川の水で顔を洗っていた。ここの水はとても冷たく、いいリフレッシュにもなっていた。
「大変だな、私が思っていた以上にこの作戦は厳しいものになるようだぞ」
ヴァルベリーの言葉にマーズは頷く。
「私もまさかここまでひどいものになるとは思いもしなかったわ。……とはいえ、ここまできたのだから頑張ってもらわないといけない」
「正直な話をしても構わないか?」
唐突にヴァルベリーがそう言ったが、特にそれを聞くのには差し支えないので、マーズはそれを許可した。
ヴァルベリーは「ありがとう」と短い言葉で感謝を示し、話を続ける。
「単刀直入に言おう。……ハリー騎士団は足手まといだ。ここで置いていったほうがいいのではなかろうか?」
その言葉が来ることはマーズも予想がついていた。しかし、メルキオール騎士団の団長であるヴァルベリー自らからそれを言われるとは思ってもみなかったのだ。
マーズはその言葉に、なるべく感情を隠して答える。
「……ええ」
「ええ、ではないぞ。マーズ、あなたにも解っているのだろう? 確かにハリー騎士団は優秀だ。最強のリリーファーであるインフィニティがいる。史上初めての二人の起動従士がひとつのリリーファーを動かすというアシュヴィンもいる。皆、素質はいい連中ばかりだ。だがな、所詮は『素質がいい』止まりなんだよ。ダイヤモンドだって原石を磨かなかったらただの炭素だ。それと一緒だよ。あなたはハリー騎士団側の人間だから、もしかしたら私の発言に対して嫌悪感を抱いているかもしれない。それで構わない。だが……このままいけば確実にあいつらは疲弊して、まともにリリーファーを操縦できなくなる。確実に、だ」
ヴァルベリーの発言はとても痛いところを突いたが、しかしそれは的確なアドバイスでもあった。彼女はこの作戦が成功することを願っている。それは誰にだって当たり前のことだ。だが、ここまで進言するのもヴァルベリーくらいだろう――マーズはそう思っていた。
ヴァルベリーの言葉を聞いて、マーズは小さく溜息を吐いた。
「……あなたの発言はほんとうに痛いところを突いてくるわね。そう、そのとおり。私もそう思っていたのよ。慣れない別のリリーファーでの操縦に、山道の行軍……いつかはガタが来るとは思っていたけれど、まさかこれほどまでに早く来るとは私も思ってはいなかった」
「なら……どうして早く見捨てようとしなかった! このままでは私たちも犠牲になってしまうのだぞ!」
ヴァルベリーは声高々に言った。
対してマーズはまだ冷静に話を続ける。
「確かに私は間違っているのかもしれない。でもね……この作戦のリーダーは私だけれど、ハリー騎士団の騎士団長は私ではない。タカト・オーノよ」
「確かにそうだが……!」
「だとしたら私に彼らを切り捨てる権限なんてない。強いて言うならそれを助言できるくらいよ。……でも、タカトがそれについて首を縦に振るとは私も思えないけれどね」
それを聞いてヴァルベリーは舌打ちする。
「……あんたが見捨てたくない気持ちも解る。そして、あのインフィニティの起動従士も、きっとそういう思いを抱いているのだということも解った。だが、このままでは戦況はいい方向には進まないぞ」
「そもそも、よ」
マーズはヴァルベリーの前に立っていたが、さらに一歩進んだ。
「いつからあなたはハリー騎士団が、そんな貧弱な精神の人間ばかりを揃えた軍団だと思っていたのかしら? 彼らは仮にも『大会』において、あの戦乱を乗り越えた人間なのよ? 限られた道具と方法で、あの戦乱を乗り越えた……そんな彼らが、弱音を吐いて、こんな場所で諦めるとでも?」
マーズの言葉を聞いて、ヴァルベリーは溜息を吐いた。そして、首を横に振って、小さく頷く。
「……あなたがそう言いたい気持ちも解る。あなたが騎士団のメンバーを信じたい気持ちも充分に解る。だがな、効率ってものを考えてみろ。十機で七機分の力しか発揮できないのなら、今ここにいるうち全力を出せていない半分を切り捨てれば効率も良くなるだろう?」
「……あなたはこのままでは作戦が失敗する、そう言いたいんですか?」
「そういうわけではない」
ヴァルベリーは肩を竦める。
「だが、不安なのだよ。このままでいって百パーセントの完成度を誇れるかどうかが、な。仮に少しでも失敗して、敵に余裕を与えてしまっては、この作戦も無駄になってしまう。それくらい、女神と謳われた君なら充分に解ると思うがね」
ヴァルベリーとマーズの口論の光景は、ハリー騎士団の面々からすれば少々異様にも感じ取れた。
なぜなら、ヴァルベリーの容姿はまるで子供――ヴィエンスやコルネリアよりもとても小さく見られたからだ。にもかかわらず、彼女はマーズよりも年齢がいっているはずだった。マーズよりもヴァルベリーのほうが先輩で、少なくとも今騎士団長を勤めている起動従士の中では一番のベテランなのだ。
「……女神と名付けられた真の理由をあなたはご存知かしら?」
しかし、マーズは唐突に話の話題からそれて、そんなことを言い出した。
ヴァルベリーはその言葉の意味こそ理解できたが、なぜその話題になったかが解らず、首を傾げる。
「女神と呼んでいる人の殆どは、私が戦場に行くと必ず勝つ……だから『勝利の女神』だなんて、言っているのかもしれないけれど。それは私からすれば単なる皮肉に過ぎない。『女神』と呼ばれたのはもっと別の理由だし、それにその名付け親は……今はもう死んでしまったラグストリアル元国王陛下なのだから」
「ラグストリアル元国王陛下……が?」
その真相は、どうやらヴァルベリーも知らなかったようだった。
マーズは頷き、さらに話を続ける。
「ラグストリアル元国王陛下がそういう称号を私につけたのも、それは私が起動従士として国に務めることになった『事件』によるもの。その事件によって、結果的に多数の人間を救うことが出来た。だから私は、起動従士になる時に『女神』という称号を与えられた。だから、勝利の女神などではなくて、人々を救ったから女神だと言われるようになった。そして、私は今……ヴァリエイブルの人々が不安に思っていることを消し去ろうとしている。その意味は……いくらあなたでもわかるでしょう?」
マーズの微笑みを見て、ヴァルベリーは心の中で舌打ちする。
「ほんとうにあなたは……ハリー騎士団をあのまま使っても作戦に支障が出ない。そう思っているんだな?」
「ええ。当たり前よ」
マーズの言葉を聞いて、ヴァルベリーは頷くと、踵を返してその場を立ち去っていった。
それを見てマーズは溜息を吐く。
――なんとか、反対意見を誤魔化すことに成功した。
マーズはそう思っていた。彼女の言うとおり、そしてマーズが危惧していたとおりのことが、今起きている。
だが、それでも彼女はハリー騎士団とメルキオール騎士団にひとりの欠員も出してはならない――そう思っていた。
だからこそ、反対意見が出ることを彼女は恐れていた。でも、それをどうにか丸め込まなくてはならない。彼女はさらにそこまで考えていた。
「……いつまでそれを誤魔化すことができるのか……解ったものではないけどね」
彼女は独りごちると、その場を離れて声高々に言う。
「さあ! 休憩も終わりだ! 急いでこの山を越えるぞ!!」
彼女の声に呼応するように、騎士団の面々は猛々しい声を上げた。
◇◇◇
レナ率いる『バックアップ』が乗り込んだリリーファー隊が静かにガルタス基地から出動した。
ガルタス基地から国境までの距離はそう遠くなく、かといって直ぐに法王庁自治領に入れるほど簡単でもない。相手だってここから入ってくることは充分承知だったろうし、レナたちもそれを想定した上で行軍を行っていた。
しかし。
「……おかしい。あまりにも静かすぎる」
レナはリリーファーのコックピット内部で、静かに呟いた。法王庁自治領にバックアップが足を踏み入れて、もう随分と時間が経ったが、彼女たちを襲う敵が一切登場してこないのだ。
おかしい。あまりにもおかしすぎる。狙ってきてもおかしくない。今の彼女たちは格好の的だというのに、誰もやってこない。それどころか近くにリリーファーの気配すら感じられないのだ。
『リリーファーの駆動音を消して、岩陰に隠れている可能性も考えられないか?』
そう通信を入れたのはグランハルトだった。彼は開口一番にそう告げた。
「リリーファーの駆動音を消す……そんなことが可能なのか?」
『ハリーとメルキオールが水中で駆動できるリリーファーと戦ったとの情報があったのは、君も聞いていただろう? だとすれば駆動音を消したようなリリーファーがいてもおかしくはないさ』
「だとすると、とても面倒なことになってしまうな。……駆動音を消したリリーファー、か」
レナは呟くと、再びあたりの探索に入る。これほどまで静かなのは絶対何か裏がある――そう思っていたからだ。
しかし、いつまで探していても何も見つかることなどなかった。
『……どうやら、ほんとうに何もないのかな?』
「ああ、そのようだな。グランハルト」
レナは小さく溜息を吐いて、通信を切った。
レナもそうだが、グランハルトもこの風景に違和があった。
普通に考えれば、自分の領地にそう簡単に敵を入れることがあるのだろうか。いや、有り得ないだろう。どうしてか知らないが、それも敵の作戦なのだろうという一言で簡単に片付いてしまうのが現状だ。
だが、そう簡単な思考をしているとも思えない。やはり何か裏があるとしか思えないのであった。
――その二人の不安は、直ぐに的中してしまうことに、今の彼女たちは知る由もなかった。
◇◇◇
砂煙が上がった。
それと同時に砂を巻き上げる轟音が響いた。
その音が聞こえたのは――バックアップの背後からであった。
「後ろか!!」
レナは振り返る。
しかし、一瞬だけ相手のほうが早かった。
刹那、相手のリリーファーが撃ち放った『何か』によって、バックアップのリリーファーが三機同時に行動を停止した。
「おい、どういうことだ……!」
レナはその光景を、直ぐに理解することは出来なかった。
レナの考えたとおり、確かに敵は隠れていた。しかし、それから先の行動が理解できなかったのだ。敵のリリーファーは地下に潜っていたのだ。そしてそこから抜け出し、バックアップめがけて『何か』を放った。
そして、その『何か』を受けたバックアップのリリーファー――ニュンパイ三機は行動を停止してしまった。まるで人間が金縛りにあったように、まるでそのリリーファーだけ時間が停止してしまったように、静かに停止してしまった。
「……どういうことだ……。まったく理解できんぞ……!」
レナは思考をフル回転させた。でも、答えはまったく出てこない。
そうこうしているうちに相手のリリーファーが一歩、レナの乗るムラサメに近づいた。
相手のリリーファーは人間、特に女性の身体に近かった。曲線的なフォルムと艶やかな黒が相まって、それがまるで人間が巨大化したものなのではないかといった、万が一にも有り得ない考えを巡らせてしまうほどだった。
胸から下腹部にかけてのなめらかなラインは、どちらかといえば成熟した女性のものともいえる。それをモチーフにして制作したものなのだろうか。レナはそんなことを考えていた。
頭に相当する部分はフルフェイスのヘルメットを被っているように、身体に比べると一回り大きいものだった。
それをずっと見ていたレナだったが、相手のリリーファーが一歩近づいたのを見て、身構えた。
相手のリリーファーが――ムラサメに対して、最初の行動を起こす。
『どうも、はじめまして』
相手のリリーファーはムラサメに向けて攻撃をするわけでもなく、それよりも先に頭を下げた。いわゆる挨拶というやつだ。挨拶は昔から存在するルールではあるが、これを戦闘で、しかもリリーファー同士の戦闘においてやったことのある人間を、レナは少なくとも見たことがなかった。
しかし、挨拶というものは返さねばならない。それが流儀というものだ。それが例え、今まで挨拶をしたことがない場面であったとしても。
「どうも」
ムラサメも頭を下げ、それに答える。
戦場であるにもかかわらず、敵対するリリーファーはどちらも頭を下げている。その状況は一瞬戦場ではないのかと疑うほどの、静謐な雰囲気に満ちていた。
『……さて、話を戻しましょう。私の名前はアルバス・レムーリアといいます。一応、法王庁自治領の聖騎士を操る起動従士としては、それなりに強いと自覚しております』
「どうも。私も名乗ったほうがいいのかね。私の名前はレナ。それだけで構わない」
『敵に名乗る必要などない、と』
ムラサメは首肯する。
『まあ構いませんよ。私とて覚えるつもりは毛頭ありません。それがどういう意味か……おわかりですね?』
「ああ」
レナはそういうと、コックピットに座る彼女の目の前にあったキーボードにコマンドを打ち込んだ。
それはムラサメを前方へ動かし、戦闘を開始するコマンドを意味していた。
だが、当の相手は戦う素振りを見せることがない。
『……やれやれ。頭の固いお人だ。すぐ戦闘で、力で見せつける。それが果たして「平和」を導くのでしょうか? ペイパスの国王も言っていましたっけ。言っていたかどうかはちょっと正直曖昧なところですけれど、「平和を求める」だなんてそんな戯言、今の世界でそんな手段を用いて言っているんですから笑い話ですよ。平和なんてものはもっとこう――』
そう、長い話を言いながら、アルバスの乗るリリーファーは再び何かを撃ち放った。
それがムラサメに命中したと同時に、行動を停止した。
『――こう、スマートにしなくちゃ。ね?』
レナはリリーファーで見えないアルバスの表情がどことなく想像できたような気がした。
――ニヒルな笑みを浮かべている。彼女はアルバスの表情をそう想像して、それに返すように彼女もニヤリと笑みを浮かべた。
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