第67話

 廊下の奥にはひとつの小さな扉があった。その隣に寝そべるように警備員の二人が眠っている。どうやらこれはハローの仕業らしく、リザがそちらを向いたところ、ハローは小さくウインクした。

 それを見てリザは頷くと、ゆっくりと扉を開けた。

 そこは小さな部屋だった。ベッドがあり、ソファがある、ただそれだけの部屋である。

 そしてその中のソファに腰掛けている二人の人間がいた。片方は黒い長髪の女性だった。女性はメイド服を着用しており、どこか落ち着いている様子である。もうひとりは淡い金色の髪の女性だ。身体を細かく震わせて動揺が隠しきれない様子であった。彼女の服装はどこか気品高いものを感じる。


「お迎えに上がりました。イサドラ様」


 それを聞いたのと、リザの顔を見て彼女は首を傾げた。


「あなたたちは……?」

「ご心配なく。私は味方です。無論、この後ろにいる連中も」

 そう言ったリザの言葉にカスパール騎士団の面々は頷く。


 それを見て、女性は震えが止まった様子だった。立ち上がり、リザの顔をまじまじと眺める。

 そして、何かを思い出したかのように頷いた。


「あなた……もしかしてリザ?」


 確認するように訊ねた。


「はい。リザ・ベリーダでございます」


 その言葉を聞いて、彼女はリザに抱きついた。

 リザはそれを見て眉一つ変えず、彼女の背中にそっと触れた。


「ああ、リザ、リザなのね! 今までどうしていたのよ!」

「申し訳ございません。このようなときを待っていたために、私はここをでなくてはならなかったのです」

「……このようなとき?」


 イサドラは顔を上げる。


「ええ。ヴァリエイブルはいつかこのペイパスを併合するだろう……そうあなたの父上、エムリス・ペイパスから聞いておりました。そのために私はその命を受け、ペイパスにて起動従士を募り、充分な訓練を行った上でヴァリエイブルに潜入したのです」

「……でも、ヴァリエイブルはそんな簡単に余所者を入れてくれるはずがないでしょう?」


 イサドラはそこで疑問をぶつける。いくらそういうところを偽装するとはいえ、国境には警備隊がいる。

 その警備隊の目を掻い潜って行くのは、そう簡単ではない。それを彼女は知っていたからだ。


「もちろん、我々には協力者がいました。今のラグストリアル王を憎む人間がね……。ですが、ラグストリアル王も残念なことですよ、一番敵に近い人間を一番自分に近いポストに置いたのですから」

「まあ、それが陛下のいいところでもあり欠点でもあるが……な」


 その声を聞いて、リザは振り返る。

 そこに立っていたのは、シルクハットを被った妙齢の男性だった。

 そしてそれがヴァリエイブル連邦王国大臣、ラフター・エンデバイロンであることに気付くまでそう時間はかからなかった。


「ラフターさん……!」

「いやはや、久しぶりだね。やっとここまでやって来れたよ」


 イサドラはラフターと握手を交わし、話を続ける。


「君と会ったのは久しぶりだ。……それに、メイル?」


 そう言ってラフターはイサドラの隣に立っているメイドに声をかける。

 メイル――と呼ばれたメイドはそれを聞いて、顔を上げた。


「どうなさいましたか」

「いや。ずっとイサドラの傍についていてくれたのだな、君は」

「当たり前です。私はずっとこのペイパス王家に仕え、今はイサドラ王女陛下の傍についていなくてはならなかったのですから」

「……その言い回しを聞くのも随分と懐かしく感じるよ。いやあ、向こうの陛下は口煩くてなあ……。事あるごとに『マーズちゃんが』とか言うんだぞ。勘弁して欲しいものだ、まったく」

「あのラグストリアル王がマーズ・リッペンバーの熱狂的ファンだという噂は本当だったのですね……」


 そう言ってイサドラはため息をつく。

 ラフターは話題を変えようと、手を叩いた。


「さて、話し合いはここまでだ。続きは場所を変えて行おう」

「ここから逃げるというのですか?」

「逃げるのではないですよ、イサドラ王女陛下。戦術的撤退です」


 そう言ってラフターはニコリと微笑んだ。



 ラフターはそう言ったが、イサドラ・ペイパスはそれを聞いて不安にしか思わなかった。

 先ず、彼の父親――エムリス・ペイパスをなぜ誰も救いに行かなかったのか、という話から始まる。エムリスはペイパスがヴァリエイブルに併合される直前にその位から退き、今はヴァリエイブルが実質的に支配している。もはやペイパスは王国の形を成しておらず、ただの領地と化しているのだ。

 だから、もう父上は死んだのではないか――そうイサドラは毎日のように考えていた。

 彼女が王城からこの総領事館に軟禁という形で移されると、さらにその不安が倍増していく。

 彼女がその気持ちに押しつぶされないように、ずっと支えていたのが、彼女の身の回りを担当していたメイルだった。元々彼女はそのポストから外れ、一般市民として戻るか或いは死罪とされ秘密裏に処理される予定だった(それは彼女たちにとって知らなくていいことである)。

 しかしそれをイサドラが否定した。イサドラは『彼女とともに生活できないのならば、私はあなたたちの命令に従いません』と言い切ったので、ヴァリエイブル連邦王国側がその条件を飲んだ。だからメイルはここにいて、今も彼女の傍について彼女を守っているということだ。

 彼女たちは駆け出していく。リザを先頭にして、ハローを殿にする。そうして彼女たちは最低限の防御のみを行う。

 だが、その必要などないようだった。なぜならラフターが来る前にここの人間を全員眠らせておいたのだという。そしてそこで死んでいる警備員を見つけた。 


「うまく作戦通り働いているとはな……流石、国王が作っただけはある」


 ラフターは呟く。

 隣にいるリザは顔だけラフターの方に向けた。


「我々は凡て今日の日のために訓練を積んでヴァリエイブルにカスパール騎士団と偽っていたのです。そして、今日。これが実行できたことはとても嬉しいことですよ」

「まだ作戦は終わっていない。気を抜くなよ。……にしても、このハローという男は、流石というべきだな」

「やはりハロー……彼はあなたの知り合いの子供というのは狂言だったのですね?」

「まあ、そうだ。騙すつもりなど毛頭なかったが、済まなかった」


 ラフターは頭を下げる。


「いえ、別に大丈夫です。今はここまで活躍出来るほどになったのですから。……積もる話もありますが、とりあえず安心出来る場所へ行きましょう。大臣、案内をお願いします」

「私の呼び名は『チーフ』だと言ったはずだが……まあいい。先ずはここを出ることが先だ」


 そして彼らはここから出ることに専念しだした。



 時間と空間は変わり。

 ガルタス基地からバルタザール騎士団の面々が出動した。

 目標はこちらへと向かってくる『聖騎士』合わせて三十機。

 対してこちらはバルタザール騎士団のみのリリーファーで、合計十機。

 どれほどお世辞を言っても、勝てる戦いとはいえない。戦術を考えるのならば、第一に逃亡するべきだろう。

 だが、彼女は『勝てる』と思った。

 彼女はこの圧倒的大差の状況にもかかわらず、勝てると思っていた。

 なんで? どうして?

 そんな疑問が浮かぶことだろう。しかし彼女はそんな疑問をものともしない、ある作戦を立てていたのだ。


「……そんな作戦、ないわよ」

『……リーダー。今リーダーが何を言ったのか、まったく聞き取れなかったんだが』

「そう? それじゃあもう一度言うわ。作戦なんて無い。私はあなたたちのポテンシャルを信じるわ」


 よく言えばそれほどまでに仲間を信頼しているのだろうが、悪く言えばただの無鉄砲……そんな発言だった。

 たしかに起動従士になるほどの人間なのだから、ポテンシャルは一般兵士よりも幾らか高い(その『高い』部分の殆どがリリーファーとのマッチングである)。だからある程度大きな枠組みは決めておいて、それ以外は個人の裁量に任せる……という作戦はよくある。

 しかしこれほどまでに大雑把で無鉄砲な作戦(もはや作戦と呼べるのかも怪しい)は無い。

 だがこれはフレイヤがほかの騎士団以上に個を大事にしている……ということの象徴でもあるのだった。


『とりあえず、「いつも通り」ということか』


 そう言ってバルタザール騎士団の一人は騎士団から別れた。

 要はいつものことなのだ。彼女は常に個を尊重する。だからこそほかの騎士団には出来ない大胆な行動に出ることが可能なのだという。

 しかし。

 裏を返せば、それは『チームとしての行動についてはまだまだ未熟』だということを意味している。

 だから究極にチームにこだわった敵と戦うときは非常に不利なのだ。

 尤も、それに出会うのは――今回が初めてのことになるのだが――。



 ◇◇◇



 対して、聖騎士サイドでは今回の作戦のリーダーを務めるバルダッサーレ・リガリティアは恍惚とした表情でバルタザール騎士団の方を眺めていた。


『リーダー、敵はどうやら団体行動という単語を知らないようです。個々でそれぞれ活動する模様』

「……だとすれば我々には絶対に勝てない、な」


 バルダッサーレは呟く。

 聖騎士は何機かで『騎士団』を結成する。しかしヴァリエイブルのそれとは異なり徹底的な団体行動を取るのがこれの特徴だ。

 徹底的、というのはどこまでを指すのだろうか。……それは簡単なことだ。騎士団一ユニットにつき六機――即ち今回の攻撃は五つの騎士団が協力しているのに等しい――で行動するが、まるで中の起動従士が皆同じ人間なのか、そう思えるくらい一糸乱れぬ行動を取る。その行動の正確さに、戦いの最中であるにもかかわらず、惚れ惚れする人間も居る程である。


「我々には団体行動で敵うはずがない。しかし個での行動は団体行動には適わない。……この意味が解るか、ドヴァー」

『徹底的な団体行動を持つ、我々に彼らは適わない……ということですね』


 ドヴァー、と言われた声は答える。対してバルダッサーレは声にならない笑みを溢した。

 バルダッサーレの心は愉悦に満ちていた。この聖騎士と戦うリリーファーが、どんな性能のリリーファーなのか。

 だが――その思考に割り入るように、通話を受信した。

 忌々しげにため息をついて、バルダッサーレはそれに応答する。


「こちら、バルダッサーレ」

『私だ』


 バルダッサーレは、その声を忘れたなどとは思わない。いや、寧ろこの声を、少なくとも法王庁に居る人間は忘れる人間などいるはずがなかった。

 嗄れた中にも奥ゆかしい深みを持ったその声を、バルダッサーレは知っていた。

 だから、彼は。

 その名前を呟く。


「げ、猊下……! 法王猊下ではありませんか……!」


 そう。

 バルダッサーレも相当の地位を持つ人間ではあるが、彼はそれ以上の地位を持つ――一言で言えば、法王庁のトップに君臨している人間だった。

 法王。

 それは絶対にして、不可侵なる存在だ。

 法王庁の人間が法王のいかなる権限を侵してはならない。そうであると決められているのだから。

 そもそも『法王』とはカミの生まれ変わりであると教えられている。カミが死に、同時に法王が生誕した。法王庁では新たな法王が生まれることを『聖誕』と呼ぶのも、法王がそうであると法王庁の人間に信じ込んでいるからなのである。


『バルダッサーレ、お前に聖騎士団を五つも渡した真の意味……理解しているだろうな?』

「滅相も御座いません。きちんと理解し、その上で行動しております」

『ならば……さっさとその力、異教徒に見せつけよ』

「ははっ……」


 そして、通信は切れた。

 バルダッサーレは通信が切れてから暫く考えることが出来なかった。

 なぜ法王自らがそのような命令を下すのか、そもそもそんな命令は下されていたか?

 あくまでも今回の目的は戦争をなるべく被害を少なくして終わらせるための前段階、であった。

 だからあくまでも脅かし程度だ――そういう方向で行くと合致していたはずだった。

 しかしこれはあまりにもちぐはぐ過ぎる。『脅かし』で済ませる割には語気が強すぎるのだ。


「……総員、全戦力を用意。バルタザール騎士団を殲滅する」


 だが。

 彼はそれに逆らうことは出来ない。否、逆らえないのだ。

 逆らったら最後、彼は不敬罪で処罰されてしまうからだ。

 だから、彼はその命令をそのまま、渡す。ただ、それだけだ。


「発射ァァッ!!」


 そして。

 出動したばかりの――いうならば丸腰の――バルタザール騎士団目掛けてバルダッサーレ率いる聖騎士団の一斉射撃が開始された――。

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