第66話

 ところ変わって。

 潜水艦アフロディーテはレパルギュア港へと到着していた。

 レパルギュアはヘヴンズ・ゲート自治区の中でも大きな港町である。酒場はいつも栄えていて人の出入りが絶えない。深夜まで明かりが灯っている、そんな町だった。

 その町を海の方から眺めているのが、ヴァリエイブル連邦王国所属の潜水艦アフロディーテだった。


「……まったく、戦争が始まっているというのに呑気に酒を飲んでいる人が多いってわけね」


 マーズは甲板で独りごちる。

 統計をとったわけではないが、戦争中はいつもより酒場の売り上げが上がるのだという。そもそも酒は嗜好品の一種であり、国民によく愛されている。そしてそれを飲む時は様々なパターンがある。

 あるときは友と語らうときに飲み、あるときは悪いことを忘れたいために飲み、あるときは特に理由もなく飲む。人々を楽しませる飲み物、それが酒である。しかし、酒というものは人をその字のごとく変えてしまう。いつも寡黙な人間が酒を飲むことで話が進んだり、いつも怒りっぽい人が泣き上戸になったりと、そのパターンは計り知れない。


「酒は人を変えてしまう、魔法のようにね」


 そう言って、マーズの隣に立ったのは船長のラウフラッドだった。ラウフラッドは片手に何かを持っていた。それが酒瓶であることに気付くまで、そう時間はかからなかった。


「こんなところで?」

「ネオンを肴に飲むというのはいいものだぞ。ほら、君もどうだ」


 そう言ってラウフラッドはコップをマーズに手渡す。

 マーズははじめそれを拒否しよう――そう考えていた。

 マーズは酒をあまり好まない。別に『酒の味が嫌い』という子供じみた理由などではないのだが、単純に酒を飲みたがらないだけなのだ。


「酒が苦手だったかね? ならば済まないことをしたが……」


 そう言って、ラウフラッドはマーズの目の前からコップをどかそうとしたが、


「いえ、大丈夫です。いただきます」


 マーズはたまにはいいだろうと思い、そのコップを受け取った。

 その飲み物が喉を通るたびに、喉が灼けるような熱さになる。

 私はそれがあまり好きではないのだが、今回はなぜだかそれを味わいたくなった。それが懐かしくなって、それを飲みたくなったのだ。


「……旨いだろう? この酒はエイテリオ王国で造られた一級品だ。初めは辛口だが、徐々に甘い風味が広がっていくという少々特殊な酒だよ。滅多に入らないから、ちびちび飲んでいるんだが……今日は特別だ」


 マーズは少しずつそれを飲みながら、レパルギュアのネオンライトを眺めていた。ネオンライトは怪しく海面を照らしていて、ネオンライトは様々な場所から発せられていた。


「本当に明るい場所だ」

「しかし少し視点を変えると、そばには自然が広がっている」


 ラウフラッドの言うとおり、レパルギュアの周りにはすぐそばまで森林が迫っている。ヘヴンズ・ゲート自治区は人が住む市街地以外はほとんどが森林や山間部という自然が広がっていると聞いたことはあるが、こう生で見てみると感慨深いものがあった。


「……ヘヴンズ・ゲート自治区、か。この風景さえ見ていればただの国なんだがな」

「だが、我々はこの国を破壊せねばならない。根絶やしにせねばならない」


 ラウフラッドの言葉に、マーズはそう答える。マーズの声はいつもよりとても深く、憎悪の感情がこもっているようにも思えた。


「……この国に恨みでもあるのか?」


 ラウフラッドはまた酒を一口啜り、訊ねる。


「何も。ただ『戦え、滅ぼせ。』などと命令があるからそれに従うまでだ」

「命令に従うだけ、か。ならば無茶な命令も従う……そう言いたいのか」

「何が言いたい?」


 マーズはほろ酔い気味なのか、いつもより舌が回るようだった。


「我々は国王直属の騎士団だ。一般兵士だって元を正せば国王が全権を担っている。即ち国王の命令は絶対……ってことだ」

「それがたとえ、とてつもない不条理でも?」

「変わらないだろうな。それが私がハリー騎士団に属している意味になる。それが為されなかったとき、私は騎士団の一員として最低な存在だ」

「ははっ、そこまで言うかね。随分と真面目なことだ。そして随分と国王に忠誠心があるようだ。まるで『国王の死が自らの死』と位置付けるみたいに、な」

「悪いことか?」


 マーズはラウフラッドを睨み付ける。


「悪いことではない。それも一つの可能性だ。間違ってなどいない。それが間違いだなんて、今の段階ならば誰も決めることが出来ないからだ」

「……饒舌だな。酔いが回ってきたか?」


 マーズの問いにラウフラッドは笑い、「そうかもしれんな」とだけ言った。

 ラウフラッドはもともと寡黙な人間であった。だからそれを所々で見ていたマーズはそう思ったのだ。


「……まあ私が酔っ払っていようとも世界は何も変わらない。いや、常に蠢いている。動乱とはよく言われるが、まさにそうだ。世界は動き続けているのに、自分がそのままでいられるとは限らないだろう? つまり世界は一人死のうが十人死のうが百人死のうが、或いは一人生まれようが十人生まれようが百人生まれようが、それには関係をもたない……ということだ。しかしたまには生まれただけで、或いは亡くなっただけで世界に多大な影響を残すケースもある。ただし、それは本当に稀なケースだ」


 本当にラウフラッドは酔いが回ると饒舌になるのだ――ということを、彼女は心の中だけに留めておいた。


「……さて、マーズくん。この後のスケジュールを覚えているかね?」


 ラウフラッドが自棄に親しく話し始めたので、マーズは彼の急所を蹴り上げてしまおうかと考えたが、それをすんでのところで理性が制止した。

 もしかしたら酒のせいで理性が鈍っているのかもしれない――マーズはそう考えた。

 ラウフラッドの話は続く。


「スケジュール? はて、何の事やら……?」

「酒のせいで忘れているのかもしれない。或いはその作戦があまりに惨たらしいと思ったからか、忘れたいと思ったのかもしれない。でも作戦は容赦無く実行される。人々を、町を、一瞬にして灰塵に帰す作戦だよ」


 そこまで聞いて、マーズは漸く思い出した。このあと、この潜水艦アフロディーテが何をしでかすのか。そしてなぜラウフラッドが『惨たらしいもの』だと言ったのか。

 マーズは気が付けば唇が震えていた。その作戦は誰がどう見ても人道上に良い作戦だとは言えない。寧ろ悪い方だ。

 この後の歴史でも、その作戦の惨たらしさ、ヴァリエイブル連邦王国が行った人道上極めて凶悪な行為が語り継がれている。


「……さすがの『女神』様も恐怖することもあると言うのだな。安心したまえ、怨嗟の声がこちらに届くことはない」


 そうではない。

 マーズ・リッペンバーが考えているのは、それではないのだ。怨嗟の声が聞きたくないわけではない。この作戦をしたくないというわけでもない。

 この作戦をする意味はあるのか、ということだ。この作戦をすることによって、ヴァリエイブルは結果としてレパルギュア港を占領することとなる。

 だが、それは正しいことなのだろうか? 元を正せば戦争自体が正しい行為なのかと言われてしまうのだが、あくまでこの作戦のみに限定すれば、それの正しいか否かが一発で解る。


「……まあ、いい。マーズくん。この世界は不条理で満ちているが、それはこなしていかねばならないのだ。それは長年やってきた経験から解る。……それが嫌なら、上を目指すか自ら国を立ち上げるか。後者は勧めないがな、そんなことをしたらいろんな国から潰されるのがオチだからだ」

「ハハハ、まあそれは考えだけにしておく」


 マーズはそう言って空になったコップを見つめる。

 そして無言でそれをラウフラッドに差し出す。


「まだ飲み足りねえ、ってか。ははは、けっこうやるなあ!」


 そう言いながらラウフラッドはマーズのカップに酒を並々に注ぐ。

 マーズはそれをまたちびちびと飲み始める。それを見ながらラウフラッドは小さく笑った。


「……まあ、いいか。ともかく作戦はやらねばならん。それはマーズくん、君にも解っているはずだ」


 マーズはそれに反応しない。

 だが、ラウフラッドの話は続く。


「作戦は絶対に実行しなくてはならない。実行して、成果を示さなくてはならない。そしてその成果は成功でなくてはならない。……ここが大変なことだ。これを示さなくては我々は我々としての価値を失ってしまうだろう。この作戦が、この戦争が表に出る第一歩となる」

「確かにそれは間違いないだろうな。そしてこの作戦は酷いものだと語られてしまうのかもしれない」

「歴史とは強者が作るものだ……とは聞いたことがあるが、我々もそれになれるのかは甚だ疑問だがね」


 その声と同時に、アフロディーテの砲塔、そして主砲が震え始める。

 それがコイルガンを発射するためのエネルギー充電であることに気がつくまで、マーズはそう時間はかからなかった。


「何をするつもりだ……?!」

「だから言っただろう」


 ラウフラッドはぽつりと呟く。


「この作戦が、この戦争の第一歩だ、とね」


 そしてアフロディーテの主砲からコイルガンによって究極に速度が上昇した弾丸が放たれた。

 速度があまりにも加速しすぎると、弾丸の周りは高熱になる。普通の素材で作った弾丸ならばそう時間が持たずに溶けてしまうだろう。

 だが、考えてみて欲しい。

 もし、その弾丸が溶けることなく熱を吸収し続ければ?

 想像に容易い。それは、自然発火を起こし、それ全体が大きな火の玉へと変化を遂げるのだ。

 そして、その火の玉は――一瞬でレパルギュアの港に到達した。



 さて、時間は少し巻き戻り、さらには舞台も代わって法王庁自治領と地続きにあるガルタス基地ではバルタザール騎士団の面々がリリーファーに乗り、最後の確認を行っていた。

 緊張しているわけではないが、確認は大事だし気を緩めてもいけない。このガルタス基地は法王庁自治領との国境に程近い位置であり、ここが陥落するということは、即ち敵に国内への侵入を許すこととなる。

 ガルタス基地は、北方の安全を守るために設立された。そして今まで敵に負けたことなど一度もなかった。

 気が付けばガルタス基地にとって『全戦全勝』という言葉が重くのし掛かっていた。負けてしまえばこの基地の名前に傷がつく――そう思って一日の業務にあたる兵士も少なくない。


「さて……と」


 フレイヤは手短に確認を済ませ、一息ついた。

 法王庁自治領のリリーファー、聖騎士。それは戦ったことのない、未知なる存在だ。そんなリリーファーと彼らは戦って、倒すことが出来るというのか? 否、倒さねばならない。倒さなくては、この国が大ダメージを受けてしまうからだ。


「……シミュレーションは完璧。あとは、どのようにたち振舞うか。そしてそれをどう再現していくか……」


 フレイヤは常にシミュレーションを行っていく。その回数は計り知れず、実戦ではシミュレーションとまったく同じの行動を取るほどである。


『バルタザール騎士団、準備は万端ですか』


 フランシスカがスピーカーを通して、フレイヤに訊ねる。


「問題ないわ。全員がきっと同じ気持ちでいるでしょうね」

『その通りだ、団長』


 そう言ったのは、別のリリーファーに乗り込んでいるバルタザール騎士団のメンバーの一人だった。彼は量産機型リリーファー『ニュンパイ』の一つである『ホワイトニュンパイ』に乗り込んでいる。性能はハリー騎士団の持っているニュンパイと変わりない。ニュンパイに乗り込んでいる起動従士は騎士団長・副騎士団長以外の人間であると決められている。少し前まではマーズがバルタザール騎士団の騎士団長、フレイヤが副騎士団長であった。しかしマーズがハリー騎士団へ移動となったために、繰り上げでフレイヤが騎士団長へと昇格したのだ。

 フレイヤも最初騎士団長にそのまま就任してもおかしくない実力であった。にもかかわらず、マーズがその座についた。マーズは『大会』によって選ばれた逸材だ。そういうポストに突然付くのも、もはや当然のようにも思える。

 とはいえフレイヤを支持していた人間――ひいては旧バルタザール騎士団の一部――にとってマーズが騎士団長になることは面白くない。だからマーズに対して様々な妨害を試みようとした。

 しかし、それを未然に発見したフレイヤは彼らを咎め、王へ報告した。当然彼らは騎士団の一員から職を離れ、ヴァリエイブルからも離れた。――その後彼らがどうなったか知る人間は居ない。

 即ちフレイヤ・アンダーバードはそれほどに熱狂的な人気を持つ起動従士だということだ。起動従士の腕も高いし、その可憐な姿に目が釘付けになった人間も多い。

 フレイヤはこれがバルタザール騎士団にとって大きな転換点になるものだと考えていた。騎士団は起動従士ばかりを集めた存在だが、今までバルタザール騎士団は『補欠』のような存在として扱われていたからだ。国の存亡がかかったとき、ヴァリエイブルの存亡に関する重要な任務を任されたとき、彼女たちは出動する。

 即ちバルタザール騎士団は良く言えばピンチヒッター、悪く言えば補欠のような存在だった。

 しかし今回は違う。ハリー騎士団とメルキオール騎士団は海を渡りヘヴンズ・ゲート自治区に向かった。カスパール騎士団はペイパスの治安を守るために向かった。そして残されたバルタザール騎士団が今、国を守るためにガルタス基地にいる――ということだ。


「それは即ち、漸く我々が『必要』とされている……ということだ」


 フレイヤは独りごちる。それは誰に向けたメッセージでもない。自分に対して言った言葉だ。

 フレイヤ・アンダーバード率いるバルタザール騎士団は今まで補欠として甘んじてきた。そして、今回。その地位を脱するチャンスを得たのだ。


「これがうまくいけば……バルタザール騎士団は大きく進歩するだろう。バルタザール騎士団が進歩すれば、私だけが優遇されることはない」


 そう。

 フレイヤはそれが辛かった。

 フレイヤは一般兵士の出だ。だから批判がたらふくやってくる一般兵士よりも『英雄』と謳われる起動従士の方がいいと思っていた。

 そして彼女は奇跡的なタイミングで起動従士となった。

 そして、その起動従士の世界は、一般兵士と変わらない、エゴとエゴが混ざり合う世界だったのだ。

 彼女はそれが嫌いだった。

 彼女はそれが辛かった。

 一般兵士で彼女はそれを味わったからこそ、起動従士がそのような存在ではないのだと信じていたのに。

 かくも世界はここまで醜いものだ、と彼女はこの時初めて実感した。しかしながら、それは実感し後悔するにはあまりにも遅すぎることだ。

 フレイヤは自らが持つ起動従士の才能を別段凄いものであると思ったことはない。寧ろその才能は劣っており、自分は本当に騎士団長に向いているのか――と卑下することもある。

 しかしながら外部(それは誰だって構わない。たとえば国王、たとえば他の起動従士たちなど)から見れば彼女の才能は素晴らしいものであると評価されている。また、戦闘実績からしても彼女の圧倒的な強さが計り知れる。

 にもかかわらず彼女はその後に『まぐれだ』『自分にそんなことが出来る才能などない』などと謙遜していく。テレビのインタビューなどでは――それを彼女が意識しているかどうかは別の話になるが――クールな態度に見えるのだという。スタイル抜群でモデルとして活躍してもおかしくない体型に、雷を放つリリーファー、さらに全戦全勝を挙げ、勝ったときもクールな態度を崩さない――これだけ見れば、フレイヤ・アンダーバードにファンが多数付くのももはや当然の出来事のように思える。

 フレイヤがこういう行動を直していけばいいのだが、如何せん彼女のマイナス思考は相当根深く存在している。

 さて。

 説明はこれまでにしよう。

 フレイヤは今まで考えていたことを振り切るために、首を大きく振った。


「戦いの前に不安になるだなんて……私らしくない。いや、これこそが私なのかもしれないけれど」


 その一歩は。

 小さな一歩に過ぎなかった。

 しかし、


「総員!!」


 フレイヤは凛としてそれでいて透き通った声で、マイクに語りかけた。


「これから始まるのは、後世に語り継がれていくだろう戦争の第一歩だ! それが今の『ゼウス』のように小さな一歩かもしれん、だが!」


 さらにゼウス――フレイヤの乗り込むリリーファーは一歩踏み出す。

 その一歩は先程よりも深く確りと大地を踏み締めた、大きな一歩だった。


「この戦争によるこの戦いが小さかろうが大きかろうが……そんなことは我々の知る問題ではない! ただ戦って勝つ、それだけだ!!」


 さらに一歩踏み出す。

 ゼウスは外に出るまであと一歩のところまで辿り着いていた。


「さあ!」


 ゼウスは踵を返し、右手を高々と掲げた。


「この戦い、勝とうではないか!!」


 その言葉を聞いて、バルタザール騎士団団員が乗り込んでいるリリーファー全九機も右手を掲げる。

 それを見て、ゼウスは再び向かうべき方角に進路を変え、その一歩を着実に踏み出した。



 ところ変わってカスパール騎士団はヴァリエイブル連邦王国領ペイパス自治区、その総領事館へとやってきていた。もちろんリリーファーも持ってきているが、今彼女たちはリリーファーに乗っていない。そのほうが身軽でいいからだ。……それだけを言われれば、寧ろ当然のようにも思える。


「さあ、諸君作戦の時間だ」


 そのリーダーであるリザが呟く。それを聞いて彼女の周りに立っている黒いマスクをかぶった男たちは頷く。

 彼らもまたカスパール騎士団の一員であるが、今回は作戦の都合上顔を見られてはまずいのでこういうことになっている。しかし、顔を隠してないリザは顔が丸見えになっている。

 ならば、どうするのか?


「……リーダー、ほんとにマスクかぶらないんですか? 顔が丸見えになりますよ」

「いいのよ。私は無事にあんたたちと一緒に総領事館へ入るという重要な役目を持っているのだから。それに私マスク系が苦手なのよね。髪はボサボサになるわ肌は荒れるわで」

「まさに女性にありがちな悩みだらけですね……」


 男はそれだけを言って、またうつむく。

 対して、リザは辺りを見渡す。ここは総領事館裏の道路だ。裏には裏門が存在している。しかし表門よりは警備は薄いし、入ることは簡単である。既にリザによる緻密なチェックの結果、この総領事館を警備している人間の連携性は非常に低く、裏門と表門で連絡を取り合ってすらいないという。


「ほんと滑稽だ。もっとここは重要な場所であるべきはずなのに、こんなザル警備で。まるで奪ってくれと言いたげだ」


 リザが呟くとほかの人間も頷く。


「しかしこれほどまでの警備であるからこそ、我々がその存在を手中に収めることが出来る……そうでしょう、リーダー」


 その男は細身だった。しかし細い体の中にも筋肉はしっかりとつているようだった。声色からして年齢は十三歳程度に思えるが、その身長は百六十センチあるリザとひけをとらない大きさだ。

 男の名前はハローという。苗字は誰も解らない。それは無論リザもである。

 ハローという男は少々奇特な存在だった。突然大臣であるラフター・エンデバイロンが『知り合いの子だから』と言ってこの騎士団に置いていったのだ。それ以降はハローの姿を見ることもなく、時間が過ぎ去っていった。

 だから騎士団内部では『ほんとうにラフターの知り合いの子供なのか?』という疑問がつきまとう。現にそれは彼が苗字を公開していないところからもいえるだろう。彼の凡ての公式となる証明書は『Hello』で統一されている。

 だが、このカスパール騎士団は一つの鉄則を設けている。



 ――構成員の前歴をむやみやたらに詮索しないこと



 無論、構成員が何か悪事を働いたときなどはその鉄則に違反しなくてはならない時もあるが、あくまでもそれは特例だ。だから、そのような『特例』と呼ばれるような状態にならない限り、それは適用されるのだ。

 だからそのような噂が真しやかに言われようとも、彼の前歴を詮索しようなんて考えには一切至らないのだった。


「……それではこれから向かうとしよう。作戦内容は覚えているな?」

「愚問ですよ、そんなもの」


 その返事にリザは頷く。

 そして彼女たちは足音を立てることなく、裏門へと向かった。

 裏門はこじんまりとしており、警備員も表門と比べればあまりにも少ない、たったの一名だ。その一名もうとうとと居眠りをしている。

 ここから入るには、絶好のタイミングだった。


「あれで『警備』というのだから、警備員のレベルも落ちたものね」

「警らとかポストの殆どが一般兵士にすり替わっている、とはいえ人手不足なのには変わりないですからね」


 ハローはこんな状況であっても冷静である。常に冷静でなくてはならない作戦中だが、必ず人はどこかで感情が揺らいでしまう。それはどんなに経験を積んだ兵士でも起動従士でも変わらないのである。

 しかしハローという男は、あくまでもリザが見てきた中で、冷静を欠いたことは一度もなかった。


「ハロー、裏門を抜けたら急いで『ターゲット』の場所を把握して私たちに素早く報告しろ」


 リザの言葉に、ハローは何も言うこと無く小さく頷いた。

 ハローは人に見つからずに行動することが出来る。それがなぜ出来るのか、何度も当たり障りのない質問で訊いたことがあったが、しかし彼は、それについて何も答えなかった。

 言わなかったからといって、彼を咎めることなどはしない。それをするならば、実際にそれを見て学ぶのだ――正確には技を『盗む』といった方が正しいかもしれない。

 それがカスパール騎士団の強味ともいえるだろうー―もっともそれだけが強味であるわけはない。

 カスパール騎士団はリリーファーを操縦するだけでなくリリーファーを用いない作戦でも素晴らしい手腕を見せている。そのためか王の信頼も厚い。

 そんな彼女たちがこれから行うことは、信頼している国王らからすれば非常に酷なことだといえるだろう。だが彼女にはそんなことなどどうでもよかった。元々彼女たちはこの作戦を考え、それに『あのお方』も賛同していたのだ。今更躊躇う必要など、全くないのである。


「長かった……我々の、カスパール騎士団最後の任務ともいえる、この作戦……失敗は許さない」


 リザの言葉に既に単独行動を取るハロー以外の人間は頷いた。彼らは今日のために何度もシミュレーションを重ねてきたのだ。もはや失敗は許さない。

 その頷きを合図にリザは既にハローが開けておいた扉から入った。たった一人の警備員は『もう休んでいるようだな』とリザが呟いた、その先に横たわっていた男を指差した。男はもはや人間の形を保つのが精一杯のようだった。

 何故かその男は内側から何か強力な攻撃でも受けたようだった。茹ですぎたウインナーを想像すれば解りやすいが、そのように皮膚が弾けている。黄色くぶよぶよとした何かがその中にある白い棒状の物体にくっついている。その黄色い何かには細長い管がたくさんくっついており、仮に外すとしたら外すのが難しそうだった。


「……ほんと、彼の『魔法』は相変わらずえげつない効果を発揮するわね」


 魔法。

 リザはそう呟いて、裏門から総領事館の敷地内部へと潜入した。

 魔法――それが使える人間はカスパール騎士団ではハローただ一人である。魔法については彼が進言した。『魔法が使えます』とだけ、短い一言だったが、騎士団の一員はその確証もあまり掴めない一言を何故だか信じてしまった。

 以来カスパール騎士団は唯一となる『魔法剣士』を保有していた。


「あいつ、本当に強いな。魔法さえ使えばピカイチなんじゃねぇの?」

「まぁ、そんな人材が貰えたこの騎士団はそれほど優秀だった……ってことだな。今になればただの皮肉な話にしか過ぎないが」


 騎士団のメンバーがそんな話をしながら廊下を歩いていた。既に昼間の内に潜入して確認したため、廊下の場所は把握出来ている。

 しかしターゲットの場所はわからなかった。だから彼らが直接入って確認しよう……そうなったわけだ。

 月明かりが、窓を抜け、身体に当たる。それは影を作り上げた。


「恐ろしいほどに静かだな……。まさか我々の計画がバレていたのか?」

「騎士団に箝口令を敷いたから問題ありません。仮に騎士団から出たとして内通者を演じるだけ。最悪に面倒臭いです。正直に申し上げるとメリットなどまったくありません」


 騎士団のメンバーの一人がそう答える。


「……そうよね。そんなメリットなどまったくないから内通者が生まれる訳がない……とはいえ闇討ちも考えられないことでもない。調査をするだけ調査しましょう」


 そう言ってリザはこの話題を早々に打ち切った。あまり後ろめたい話をしても、意味がないし、逆に悪循環に陥ってしまうからだ。

 リザたちがこの総領事館に侵入したのは、彼女たちの決断以外に別の力が働いている。それは彼女たちを管理している存在である。

 騎士団は確かに、全部の騎士団が国王管轄の下で活動している。カスパール騎士団もその例外に漏れず、国王管轄の騎士団である。

 しかし、それはあくまで表向きだ。実際に、彼女たちは国王に忠誠など誓ってはいない。

 ほんとうに、ラグストリアル・リグレーは人を簡単に信じる、そんなことを思いながらリザはある場所を探していた。

 その時だった。

 目の前に、突如ハローの姿が出現した。


「……びっくりしたわよ。もう少しきちんと登場することは出来ないの」


 ため息をついて、リザは呟く。

 それに対して、ハローは小さく頭を下げた。


「すいません……。ですが、いい情報は手に入れました。ターゲットはこの廊下の奥にある部屋に軟禁されています。警備は既に停止させておきました。ですが時間はそうありません」

「解った。では、急ぎましょ」


 そう言ってカスパール騎士団の面々はハローに案内される形で音を立てることもなく走り出した。

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