第68話

「上々だよ、法王猊下。いやぁ、見事だね? 法王を引退したら俳優にでもなってはみないかい?」


 法王庁自治領首都、自由都市ユースティティア。

 その中央に位置するクリスタルタワーが、法王庁の中心である。そしてその二十七階に法王の部屋はある。

 その部屋には二人の『人間』が居た。一人は白い円柱型の帽子をかぶった老人、そしてもう一人は――。


「のう、帽子屋」


 法王はそのもう一人の名前を――法王の聖騎士団への命令を聞いて手を叩いて笑っていた――誰かに言った。


「ん、どうかしたかい?」

「お主が入ってくるということは計画にズレが生じているか、計画に遅れが見つかっているかの何れかだ。……どちらだ?」

「んー、まぁたぶん後者かな。少しばかり計画を早送りしないと予定の時間に間に合わない。なぁに、ハッピーエンドを迎えるまでの辛抱だ」


 帽子屋の言葉を聞いて、法王はため息をついた。


「ハッピーエンド、か……。お主がここにやってきて、お主の目的を話した時点で、私はその『ハッピーエンド』は人類にとってのそれではないことに気付かされたよ」

「いい線ついてるね。確かにこのハッピーエンドは君たち人類にとってのハッピーエンドでもない。かといって僕たち『シリーズ』にとってのハッピーエンドでもないんだ。……まぁ今それをここで話したところで、君たち人類がそれを理解出来るとは思わないけどね。もしかしたら暴動を起こして計画に支障が出るかもしれないし。そんなことをされたらたまったもんじゃないからね」


 帽子屋の言葉は暗にそれが誰のためのハッピーエンドなのか、言いたくないのだということを指していた。

 それがひとつのカテゴリーか、特定の団体か特定の人間かは解らない。何しろ、特定するのに必要なヒントがあまりにも少なすぎるからだ。


「……そんな卑下することではない。その『ハッピーエンド』が起きるとき、君たち人類はきっと何かに立ち向かっていて、その『ハッピーエンド』が誰のものなのかを考えることもない。……人類なんて愚かな存在だ。自分自身以外のことを考える人間なんて、そういないのだから」

「……帽子屋、ひとつ質問しても構わないか?」


 法王の言葉に帽子屋は頷く。

 法王は帽子屋と何回か対面し、対話したことがある。しかし、それでも解らないことが多すぎた。

 だから、彼は、思い切ってそれを言った。


「――帽子屋、お前は昔何者だったんだ?」


 帽子屋はその問いに、ただ静かに微笑むだけだった。

 法王はその表情に恐怖すら覚えた。もしかしたらこの話題は彼にとってタブーだったのか。言ってはいけないことだったのだろうか。

 しかし、そんな感情を予測しているかのように、帽子屋はフッと鼻で笑う。


「……僕は僕だ。『シリーズ』の帽子屋――ただそれだけの存在だよ」

「だとしたら、ここまで人類に関与する理由にはならない」


 帽子屋はどうしてここまで人類に関与するのか? それが彼の疑問だった。

 もしかして、ただのお人好しで……帽子屋に限ってそんなことは有り得ない。そう法王は思っていた。


「もしかして僕がただのお人好しで、人間に関与していると思っていたり……そんなこと考えてはいないだろうね?」

「……見透かされていた、というのか」

「そりゃ、僕は人間とは違うカテゴリに属する存在だ。それくらい解ってもいい」

「そういうものかね」


 法王は鼻を鳴らす。


「そういうものさ」


 帽子屋は小さく微笑む。


「そうだ。あとでこう言っておいてね。『バルタザール騎士団のリリーファー及び騎士団員は全員回収』って」

「それは構わない……が、いったい何を?」

「聖騎士の改良材料にもなるだろうし、洗脳でもしちまえばいいんじゃない?」


 それを聞いて法王はニタリと口を緩める。


「相変わらず、イヤラシイ考えばかりが浮かぶ男よ」

「それはお互い様だろう。ウーム・エヴォルゲイト」


 そうして、彼らの会話は、静かに終了した。



 ◇◇◇



「どうして……」


 リーフィ・クロウザーとフランシスカ・バビーチェは戦闘の様子を屋上から見ていた。

 一瞬にして、戦いの決着はついてしまったのだ。

 それを見ていた彼女たちですら、いったい何が起きたのかさっぱり解らなかった。


「……リーフィ・クロウザー。あなた、あの状況、理解できた……?」

「いえ、さっぱり」


 それを聞いて内心フランシスカはほっとする。もしこれが自分だけ解らないのであれば、それは上司失格であると考えていたからだ。

 連れて行かれたリリーファー。そして起動従士。

 それを見て、彼女たちは何もできなかった。

 それを知った国民はきっと、叫ぶだろう。どうして救わなかった。俺たちの血税で働いているんだろう、と。

 だが、その国民に問いたい。

 リリーファーが一機たりとも存在しない状況で、一騎士団を殲滅するほどの実力のあるリリーファー三十機を相手に、どう戦えというのだろうか?

 きっとそれさえ知っていれば、彼女たちの行動を蔑む者などいない。いるはずがない。もしいるとするなら、その人間は完全にリリーファーのことなど考えない、エゴイストである。


「……連絡だ、」


 思い出したように、彼女は呟く。


「連絡を早くしろ!! 急いで本国へ、今回の戦果を報告するんだ!!」


 フランシスカの怒号を基点に、再びガルタス基地に喧騒が舞い戻ってきた。



 ◇◇◇



「何たることだ……。ガルタス基地にいたバルタザール騎士団が一発にして全滅にさせられ、さらにリリーファーと起動従士まで捕まってしまうとは……」


 ラグストリアルはガルタス基地のリーダー、フランシスカからの情報を聞いて小さくため息をついた。

 戦争の状況は、著しく悪い方向へと向かっている。先程報告を受けたとおりでは、潜水艦アフロディーテを用いてヘヴンズ・ゲート自治区へと向かっているハリー・メルキオール両騎士団は水中でのリリーファー襲撃を受けたが、その後復活。現在は起動従士及び躯体を確保して、改めて目的地へ向かっている。

 それとは対照的にバルタザール騎士団は全滅、しかもリリーファーと起動従士が敵の手に捕らわれてしまったというのだから、問題だ。

 ヴァリス王国は全部で四つの騎士団を保有している。うち二つがヘヴンズ・ゲート自治区へ、残り一つづつでペイパスの治安維持とガルタス基地での国土保全――今回の戦争は概ねそういう方向で進む予定だった。

 だからこそ今回のバルタザール騎士団の一報は、ラグストリアルにとって寝耳に水だった。

 だが、勝負とは常に運を必要とするものである。実力が天と地の差があったとしても、『運』によってはその実力差は大きく埋まることだってある。

 とはいえここまで圧倒的に大差を取られるとは――流石にラグストリアルも想像していなかった。


「誰が想像出来る……。我が国の優秀な騎士団が数瞬のうちにやられたなんぞ……!」


 ラグストリアルは下唇を噛み締め、その身体を細かく震わせていた。あまりに唇を強く噛んでいたために、その唇から血が一筋滴り落ちる。


「大臣! ラフターは、ラフター・エンデバイロンは何処にいった!」


 ラグストリアルが激昂し、その名前を呼ぶもラフターは現れない。


「大臣は現在ペイパスの方に向かっておいでで御座います」


 代わりにやって来たのは一人のメイドだった。デッキブラシを持った、一人のメイドだった。

 そのメイドは微笑み、さらに話を続ける。


「また、今日はペイパス総領事館での会合があり、そちらで調印式を行います。軍縮及び技術廃棄についての調印式……であると大臣から聞いておりましたが」

「レインディアか……。あぁ、済まなかったな。そういえば忘れていた……」


 そう言うとラグストリアルはその背中を椅子の背もたれに預けた。


「つまり大臣は、今日は帰ってこない……そういうことだったな?」

「そのように聞いております」


 それを聞いて、ラグストリアルは少しだけ安心した。

 『レインディア』というメイドは、代々国王の傍に仕えるメイドの役職のことをいう。レインディアがその役職にいる間は、自らの名前を名乗ることは出来ない(役職を解かれた後は可能)。

 そしてレインディアはただのメイドではなく、副大臣級の地位を与えられる。即ち、一般兵士についてはある程度ならば指示を出すことが可能だということだ(騎士団は国王直轄のために国王以外の指示は法の下では受け付けない)。

 即ち、今ここに居る彼女――レインディアは、大臣が居ない今、国王の次に発言力がある人間といっても過言でなかった。


「……レインディア、今回の戦争における現時点での被害状況は?」

「まずまずといったところでしょう。バルタザールが敵に渡ってしまったのは惜しいものですが、まだ本国には|彼(か)の存在があります」

「『バックアップ』、か……」


 その言葉にレインディアは頷く。

 バックアップとは自身の専用機を持たない起動従士のことをいう。リリーファーはそれぞれ個性が強く、また軍備の均一を図るためにヴァリエイブルでは騎士団の人数をある程度固定している。しかしながら、完全に固定はしておらず、数年に一度人数を増やすことが行えるが、経済力が無ければそれを行うのは非常に難しいし、リリーファーの数が足りない。

 そのため、ヴァリス王国ではバックアップの制度を導入したのだ。何らかの原因により専用機を保有していた起動従士がその操縦を不可能としたとき、バックアップが操縦する――そういうシステムである。

 現在バックアップは二十二人。騎士団が二つ作れる計算にある。しかしながらリリーファーの数が足りないために起動従士になることが出来ず、涙を飲んでバックアップとなる人間も少なくはない。


「今の欠員はバルタザール騎士団の十名か……。しかし、リリーファーは足りているのか?」

「カーネルから接収したムラサメが五機、自国にて生産したニュンパイが五機御座います」


 リリーファーは合計十機――補填すべき人数と偶然にも合致している。

 ラグストリアルはそんなことを考える余裕などまったくなかった。


「レインディア、今すぐドックに指示しろ。バックアップ十名及びムラサメとニュンパイ五機づつ、早急に出動準備に入れ、と」

「御意に」


 そう言って。

 レインディアの姿は、王の視界から消えた。




 レパルギュアの港が、轟轟と燃えている。人の呻き声、叫び声、赤子の泣き咽ぶ声、人の声。栄華を誇ったであろう何もかもが、あっという間に音も立てずにただ燃えていく。


「炎とは悲しい。だが、美しいときもある。世界はゆっくりと破滅と再生を繰り返している。強いて言うならば、今この町はその中の『破滅』の部分になるのだろう」

「そういう言い訳を重ねて、自分に正当性を求めているのですか?」


 ラウフラッドの言葉に、マーズは厳しい言葉を投げ掛ける。

 レパルギュアは順当に月日を重ねてさえいれば、成長に次ぐ成長によって世界に誇ることの出来る場所となっていたであろう。

 しかし、レパルギュアは今日で終わった。否、終わらせたのだった。幾重にも存在していた『未来』の可能性は、呆気なく散ってしまった。


「……この世界は弱者には生きづらい世界だ。絶対に生きられない訳ではないが、弱者がこの世界で生きるには大きな困難があるだろう」


 ラウフラッドの酔いはまだ醒めないのか、舌がよく回る。ポエムめいた言葉を、ぽつりぽつりと話し始めていった。


「だが、弱者は強者になることが出来るし強者が弱者に陥落することも十二分に考えられる。誰も彼も皆そうだ。世界を完璧に理解している人間など何処にもいない。何処にもいるはずがない」

「……だとしても、別に問題はないのでは? 最初から世界を完璧に理解せずとも、生きているうちに世界を理解すればいい」

「それは正しいことなのだろうか?」


 ラウフラッドはすっかり空になってしまったコップを傾け、その僅かに残った滴を啜る。


「……『歴史は強者が造るもの』である、そう私はいった。そんな偽りの歴史が蔓延していれば、世界を理解することなど到底不可能なのではないか?」

「……、」


 マーズはとうとうその哲学めいたラウフラッドの言葉に答えることは出来なかった。

 これがアルコールによるものなのか、そもそも彼自身がもともと考えていたことなのかは解らない。しかしながらラウフラッドの言っていることは言い得て妙だった。


「……それじゃ、レパルギュアがこうなってしまったのも」

「完全に運が悪かった。誰しも強者から弱者に、弱者から強者になりうる世界だ。こんなことがあっても、強ち間違っちゃいない」


 彼らはそう言って会話を一旦打ち切ると、轟轟と燃え盛るレパルギュアの町並みを眺めていた。

 こちらから放ったのはコイルガン一発のみ――しかしエネルギーを極限までに凝縮したため、その威力は計り知れない。


「コイルガン一発だけでここまでのことになろうとはな……。進みすぎた科学は人間を滅ぼすなどと聞いたことがあるが、これを見ていると本当にそうにしか見えないな」

「そのコイルガンと、それ以上の兵器を所持するリリーファーは、さしずめ大量殺人兵器になるがね」

「間違っちゃいないけど、そうまであっさり言い切られるのは気持ち良いことではないわね」


 マーズは呟く。

 それを聞いて、ラウフラッドは肩を竦めた。


「……さて、あの火が収まれば我々の行動開始の合図になる。生き残りがいたら、徹底的に潰す。あの町をヴァリエイブルのヘヴンズ・ゲート自治区攻略の足掛かりにするために……ね」

「ここを、ヘヴンズ・ゲート攻略の前線にすると?」

「そういう命令で我々は動いている。それは、騎士団の皆さんにも聞いていた話だろう?」


 確かにマーズも、ハリー騎士団の面々もその話は出動前に聞いていた話だった。

 だからとはいえ、全員を抹殺してまでその地を制圧することは――マーズも求めてはいなかった。

 もともと今回の戦争はテロ行為をしかけたメル・クローテ一派に対する報復であった。そのためには、メル・クローテを早急に見つけ出し、衆目の下に曝け出す必要がある。

 しかし彼は、ヘヴンズ・ゲート自治区のどこかにいるということ以外判明していない。完全に雲隠れしてしまったのだ。


「メル・クローテを探し、衆目の下で裁きを下すのがこの戦争の目的では……」

「それは大義名分だ。元々国王は法王庁が面白くないと思っていた。そして今回のテロ行為だ。それに乗じて法王庁を叩き潰し、世界の大半の国土を手に入れる……それが国王の真の狙いだったんだ」


 法王庁自治領及びヘヴンズ・ゲート自治区を合わせると全世界の三分の一となる。それをもし凡て手に入れることができたとするなら、ヴァリエイブルは今後世界での最高の地位を確立することになるだろう。

 ともなれば、これは大きな賭けだ。賭けに勝てばよいが、負けてしまえばヴァリエイブル連邦王国は解体され、挙句その首都を持つヴァリス王国滅亡――ということにもなりかねない。即ち、背水の陣で挑んでいるということになる。


「国王がそんなことを考えていたなんて……騎士団には何も知らされていなかったのに」

「知って、どうする? 国王に逆らうことが出来るか? ……まあ、リリーファーがあれば国王に逆らうことは容易だろう。しかし『バックアップ』の存在と、国という大きな後ろ盾を失うことは、騎士団にとっていいことではないはずだ。きっと国王はそこまで考えて……今回の一番の目的を騎士団には言わなかったのだろうな」

「ならば、どうして」


 ここでマーズの頭には一つの疑問が浮かんできた。


「そのことを騎士団に言わなかったか、って? 当然だ。そんなことをいって、謀反でもされたらやはりたまらないからだろう。さっき言ったことまでも考えていて行動する起動従士もいないだろうからな。突然怒りに包まれて」

「違います」


 ラウフラッドが言った答えは、マーズの疑問を解決するものではなかった。

 それを聞いて、ラウフラッドは首を傾げる。


「……ならば、なんだというんだ?」

「なぜあなたはその作戦の真相を知っているんですか。あなたは騎士団以上に情報を得ている。……どうして」


 それを聞いたラウフラッドは笑った。

 まるでそんなことを聞くのか、と言いたげだった。


「なんだ。そんなことだったのか。私はこの作戦の最高責任者でもあるからな。そういうのは聞いておかねばならなかったのだよ」

「そんなことは……!」


 理由にならない。

 答えた意味にならない。

 マーズは思って立ち上がったが、それよりも早くラウフラッドは立ち上がりその場をあとにした。


「これから後片付けが始まる。一応リリーファーも出動しろ。話は以上だ」


 そして、話は強引に打ち切られた。

 マーズはそのあと何かを言おうとしたが――命令に従うほかないと思ったのか、直ぐにその後を追った。

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