第48話
その頃。
エル・ポーネを目指していた崇人たちは、新たにフェムトに向かうことに決定した。理由は単純明快、ウルを助けるためである。
「普通ならばそんなことは絶対にしないはずだが……まあ騎士団長の命令だから仕方がない」
ヴァルトはぶつくさ言いながらも進路を変更し、今崇人たちを乗せた車はフェムトへと向かっている。
そもそも彼らが乗る車はフェムトでウルの兄が持っていた車だった。だからそれを返却すべきだ――崇人がそう言ったためである。
「……お前くらいだぞ。実際車を返却しに、わざわざ戻るのは」
「戻るんじゃあない。これは『任務』のためには必要なことだろう?」
崇人の言葉に、マーズはため息をつく。
マーズは別に崇人の意見に反対しているわけではない。むしろ賛成の立場である。
にもかかわらず、そのような反応をするのは、崇人がはっきりとそう物事を口に出したからということである。
この年齢で、そう物事をはっきりと口に出して行動出来る人間は居ない。彼がそれを出来るのは外見こそ違うが内面は三十五歳の企業戦士だからということなのだが、それを知るのはマーズやアーデルハイトといった数少ない人間だけである。
「『任務』……か。随分と、この時代には生きづらそうな騎士団長だな。まあ、≪インフィニティ≫のためには仕方のないことなのだろうが」
そう言ってヴァルトは皮肉を飛ばすが、崇人はそれを聞いてただ微笑むだけだった。
「そんなことを話している場合か?」
ヴィエンスが口を開いたのは、ちょうど会話の間となった時だった。
「どうかしたか、ヴィエンス?」
「お前たちがなんだかんだ色んな話をしているうちに、どうやら目的地が見えてきたようだぞ」
そう言ってヴィエンスは窓を開け、前を指差した。
そこに見えたのは、見覚えのある高層ビル群と破壊された壁だった。
「あそこまで破壊したのか……ペイパスのやつら、少し強引過ぎだ」
そう言ってマーズは舌打ちした。
彼らを乗せた車は、南カーネルの住宅街エル・ポーネへと進んでいく。
◇◇◇
エル・ポーネでは人々が逃げ惑っていた。
無理もない。突然のリリーファーによる壁の破壊は、人々に大きな不安を植え付けた。
逃げ惑う人々を、容赦なく踏み潰していく存在。
リリーファー『ペルセポネ』。
民有リリーファーだが、ペイパス王国に属するこのリリーファーは今、カーネルを壊滅させるために動いていた。
ペルセポネの目的は、カーネル壊滅。
そしてその後の、ペイパスによるカーネル支配も視野に入れた形で、という条件付きではあるものの、今、ペルセポネはそれを達成させるために動いている。
凡ては計画通り。
そんなペルセポネのコックピットにいるひとりの少女は――操縦しながら未だ考えがまとまらずにいた。
なぜ自分はこのようなことをしているのか? なぜこんなことをしなくてはならないのか? 彼女の頭の中は疑問だらけだった。
しかしながら、彼女にはそれを断る権利など存在しなかった。
理由は簡単、彼女の父親のせいだ。
彼女の父親が彼女を起動従士に推薦した。理由は彼の地位のためだ。
彼の地位をより固いものとするために、彼は自分の娘を起動従士としたのだ。
それにより彼はペイパス王国で絶対的な地位を誇り、今や王族すらも凌駕するほどだという。
その報告を、ひとり本宅から離れた起動従士の寮で聞いて、彼女は苛立ちを覚える。
――どうして、あの男のために、戦わなくてはならないのだ!
彼女は何度も何度も反抗しようと考えた。
しかし、ヴァイデアックス家の後ろ盾を無くしてしまうと彼女の地位が無くなってしまう。
即ち、彼女の存在が無くなってしまうということと同義である。
彼女はそれを知っていたから、思い切って父親に反旗を翻すのが難しかった。
だが、もう――。
「……私はこのままだとヒトで無くなってしまうかもしれない」
彼女が行ったことは、人間としてやってはいけないことだった。
人間の大量虐殺。
それを考えて――ふと彼女は自分の手を見た。
彼女の手は白く透き通るような美しさだった。しかし、今の彼女にはそれが血に塗れているような錯覚に陥っていた。
「もう……戻れない……」
彼女はもう、まともな考えを持ってはいなかった。
気がつかないうちに、人間という考えから常軌を逸脱していたのだ。
エル・ポーネの郊外に到着した崇人たちは、その光景を見て目を疑った。
「何てことだ……」
そこに広がっていたのは、まさに地獄絵図といえる光景だった。
人々の死体が転がり、建物は破壊され、残っている建物も血に塗れている。彼らが車中から見ていたあの高い建物は、もはや建物の形を保っているのが奇跡ともいえるほどに崩壊していた。
「……いったいどうなっているというんだ……」
崇人はそれを見て嗚咽を漏らす。エスティも、ヴィエンスも、コルネリアも、それを見て何も言えなかった。
当たり前だろう。この状況を見て吐き出したり精神に異常を来たしたりしないほうがおかしい。
「一先ず、先に進むぞ」
そう言って、マーズたちはエル・ポーネの街を歩く。
歩けども歩けども、破壊された区々と、人々の死骸が散乱していた。
血の匂いが強く、鼻をつまむほどの匂いが漂っていた。
「……こんなこと、誰が」
「解っているはずだ、ペイパスのあいつだよ」
先頭を歩いていたマーズが目の前を指差した。
そこにいるのは、ペイパスの民有リリーファー『ペルセポネ』だった。
対して、ペルセポネに乗るテルミーはそれを発見していた。
「あれは……」
かつて、彼女が戦った相手。
かつて、彼女が倒しかけた相手。
ヴァリエイブルの女神、マーズ・リッペンバー。
そして、彼女が『その戦いを止めざるを得なかった』元凶。
≪インフィニティ≫の起動従士、タカト・オーノ。
「あの二人が……リリーファーも乗らずに……」
もはやテルミーは人間の思考をしていない。
況してや、起動従士間に課せられた暗黙の了解となっているルールなど、忘れているに等しい。
起動従士はリリーファーに乗ることで、その存在意義を満たす。
即ち、リリーファー対リリーファーとなることが可能である人間同士の戦いであるならば、そうあるべきだ――というルールが存在するのだ。
そのルールを誰が作ったのかはわからない。
しかしそのルールは、気が付けば起動従士は誰しも守るルールとなっていた。
それが、精神に異常をきたしていない常人であるならば、普通にそのルールに則っていたことだろう。
しかし彼女は、ペルセポネに乗るテルミー・ヴァイデアックスは、なぜかそんなことを考えられる余裕は無かった。
そして。
「――――――シネ」
容赦なく。
その右足を、その持ち上げた右足を、地面に叩きつけた。
◇◇◇
少しだけ、時間は戻る。
「……おい、あれって……俺が最初に戦ったリリーファーじゃあないか?」
崇人が訊ねると、マーズは頷く。
その表情は、どことなく強張っていた。
「そうよ、あれこそがペルセポネ。ペイパスに居る民有リリーファーよ」
「そうゆっくりと説明していてもいいのか……? ここだと格好の的だぞ」
「いいえ、大丈夫よ。そういう暗黙の了解があるの。『起動従士同士での戦いの際、決して起動従士がリリーファーに載っていないタイミングで攻撃してはならない』……ってね」
そんなルールがあったのか――崇人はそう思っていたが、しかしそのルールがイマイチ理解できなかった。
理解できなかった、というよりは信頼出来なかったというほうが正しいだろう。
崇人はこの世界の住人ではない。だからこの世界独自のルールというものがイマイチとっつきにくいのだ。
「心配しなくていいわ、タカト。別にそんなルールを破るほど残酷な人間でもない。そんなことをすれば、それは起動従士の風上にもおけない……いや、人間でもないわね」
マーズの言葉は、ほかのメンバーを安心させるものだった。
しかし、それでも。
崇人はまだ不安だった。
ペルセポネはゆっくりとこちらに向かってやってくる。
そして、その右足を、持ち上げ――。
それが崇人たちに向けられた『攻撃』であることに気がついたのは、その時だった。
崇人たちは、攻撃を見てその攻撃が届かない場所へと走る。
エスティも、それを追いかけようとした。
「タカト!」
エスティの声を聞いて、崇人は振り返る。
するとエスティは倒れていた。顔だけをあげて、ただそこに倒れていた。
「どうした、エスティ!」
崇人は急いでそこへ向かおうとする。
「――来ないで、タカト! あなたも死んでしまう!!」
しかし、それをする前にエスティに遮られる。
そして。
崇人たちの目の前に――『ペルセポネ』の右足が地面に着地した。
ペルセポネは、崇人たちを一瞥し、そしてそのまま去っていった。
「……たす、かった?」
マーズは拍子ぬけた、とでも言わんばかりにため息をつく。
崇人は、ペルセポネの右足があった場所をただ眺めていた。
そこには人の形など残っておらず、ただ右足の形に沿って血が広がっていた。
それを見て、マーズは崇人の肩を叩く。
「……行こう、タカト」
「…………許さない」
崇人は、彼女の言葉を聞かず、駆け出した。
「タカト!」
「追うなよ、どうせ逃げ出したんだろう」
ヴァルトが言って、マーズは崇人を追いかけようとした意思を既のところで踏みとどまった。
「あなたは……、タカトとエスティの関係を知らないから言っているのよ!!」
「ならば、どうした? 私の言葉を気にせず、彼を追いかければ良いではないか」
ヴァルトの言葉はマーズの心に鋭く突き刺さる。
なぜ彼女は直ぐに崇人を追いかけなかったのか。
なぜ彼女は迷ってしまったのか。
それは。
崇人を信じていないからではないのか?
崇人がまた戦いから逃げ出す――そう思っていたからではないのか?
マーズは心の中で苦悩する。
「おい」
しかし、それに割り入るようにヴァルトは言った。
マーズはヴァルトの顔を見た。ヴァルトは怒っているのか、それとも常にこの表情だったのか、仏頂面だった。
もしかしたら今のマーズを蔑んでいるのかもしれない。
今のヴァルトの顔は、咄嗟に行動出来ないマーズを蔑んでいるようにも見えた。
「……今はお前がリーダーだろうが。お前が行動出来なくてどうする。お前が指示出来なくてどうする。今の私たち……『新たなる夜明け』はお前たち『ハリー騎士団』の命令で動いているんだ。お前が何か言わなくては、私たちは何も出来ない。『リーダー』とはそういうものだろう」
ヴァルトの言葉は尤もだった。
しかし今のマーズには、それを考えることが出来ない。
考えられない、のではなく――考えることがあまりにも多すぎるのだ。
しかし、それも今は言い訳に過ぎない。
彼女は、早く決断しなくてはならない。
崇人の心情は、もはや誰にでも察することが出来るだろう。それほどに衝撃的な出来事だったからだ。
「……急いで、追いかけないと」
マーズはそう呟いて、改めてハリー騎士団全員が見えるように向き直った。
「これから、騎士団長を追う! そう遠くに行っていないはずだ! 見つけ次第確保、或いはわたしに伝えること!」
その言葉を聞いて、全員が同時に頷いた。
崇人は街を走っていた。
ひたすら、ひたすら、ひたすら、どこへ走っているのか、解らなくなるくらいに。
エスティが死んだ。
木っ端微塵になって、死体も残らなくて。
死んだ。
その事実は、激しく彼の心に突き刺さる。
死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ――!!
エスティが、死んだ。
その事実は、忘れたくても、忘れられることができない。
『なあ、誰が彼女を殺したんだと思う?』
「違う、俺は殺していない……!」
『逃げているだけだ』
「違う!」
『違わないだろ? 現に彼女は死んじまった。最後までお前のことを見ていたじゃあないか』
違う違う違う!! 崇人は顔を左右に激しく振って、さらに走る。
目を瞑れば、またあの光景が蘇るからだ。
エスティの、最後に見た、救いを求めた、だけど拒んだ、あの目。
なぜ彼女は死ななくてはならなかったのだろうか?
なぜ彼女は救いを拒んだのだろうか?
なぜ彼女は死の直前まで、他人を助けたのだろうか?
なぜ――なのか。
それが彼には解らなかった。
解りたくなかった、ともいえるだろう。
『解りたくなかった? そんなのは嘘だろ。解ろうとしなかったんだろ。ほんとはエスティが死んで、せいせいしたんじゃあないか?』
「そんな……そんなわけが!」
『いいや、それは欺瞞だね。お前は自分を欺いている。お前はお前だ。そして人間は……自分さえ生きていればいいと思うのさ。それが人間なんだからな。人間らしい生き方をしているんだよ、お前は』
「うるさい……うるさい……」
崇人は走る。
気が付けば壁の外まで出ていたが、それでも彼の足が止まることはない。
「……どうすれば」
『あいつを倒せばいい』
其の時、崇人の耳に悪魔の囁きが聞こえたような気がした。
「……あいつ?」
『そうだよ。エスティを踏み潰したリリーファーを。エスティの死体が無くなるほどにした、リリーファーを倒せばいい。そうすれば彼女への手向けにもなるだろ?』
「確かに……たしかにそうだ」
エスティを殺した、あのリリーファーを倒す。
今の崇人の頭には、それしかなかった。否、それを考えるほかなかった。
まるで誰かに口添えされたように、冷静に叫んだ。
「来い……≪インフィニティ≫!!」
誰に命令されたわけではなく、彼自身の意思で、インフィニティを呼んだ。
◇◇◇
「これを予想していたのか……帽子屋。相変わらず君は下衆な考えを持っているよ」
白の部屋、ハンプティ・ダンプティがモニターから目を離し、帽子屋の方を見て小さくつぶやいた。
対して、帽子屋はすまし顔でハンプティ・ダンプティの方を見た。
「ほんと帽子屋、君は気分の悪いことをするのはピカイチだよ」
チェシャ猫の言葉は褒め称えるようにも蔑んだようにも見えた。
「私から言えば最低な行動にも見えるけれどね」
しかし一人だけ、素直なのかどうかは知らないが、バンダースナッチがばつの悪そうな表情でそう言った。
「……随分と手厳しいね、バンダースナッチ。だけれど、別にそれは悪いことじゃあないさ。あぁ、そうだ。悪いことじゃあない。僕がやっている……この『インフィニティ計画』は、人類にとってもそう悪い話じゃあないんだ」
「悪い話じゃあない? 少なくとも今やっていた行為は最低に見えるけれど?」
「僕がエスティ・パロングの死を招いた、と? 確かに計画には入っていたよ。だがね……早すぎた。彼の『覚醒』はもう少し後の予定だったんだ」
「覚醒?」
バンダースナッチは帽子屋が言ったその言葉を反芻した。
バンダースナッチは困惑の表情を浮かべていた。それを見て、帽子屋は微笑む。
「まぁ、それは、僕が言うよりも実際に見てもらった方が早いだろうね。……ちょうどインフィニティも来た頃だし」
そう言われてバンダースナッチは改めて視線をモニターに移した。
そこで彼女はふと考えた。
インフィニティ。
タカト・オーノが乗る、リリーファーだ。彼しか乗ることの出来ない専用機であるとともに、この機体が世界最初のリリーファーである。
そんなリリーファーの名を冠した『インフィニティ計画』とはいったいどのようなものなのだろうか?
名前を冠したものなのだから、恐らく何らかの関係はあるのだろうが、少なくとも現時点ではイマイチその関係性が見えてこない。先程、帽子屋がリリーファーについて何か言おうとしていた気がしたが――そう思いバンダースナッチはそちらの方を向くと、もう帽子屋の目線はモニターに釘付けになっていた。
今質問してもうやむやにされるだけだ――そう思った彼女は、改めてモニターに視線を向けた。
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