第47話
カーネルの町外れ。
コルトの住む家は、大きなパラボラアンテナがあるために遠くからも見ることが出来る。
それが近づいていくと、そのパラボラアンテナの大きさがみてとれる。
「やはりあのパラボラアンテナは何度見ても、気味が悪いものだ」
ヴァルトの言葉に、マーズは首を傾げる。
「果たして、そうかしら? というより、あなたはまだ二回しか会っていないじゃあない。それなのに『疑う』というのもどうかと思うけれど?」
マーズの言葉は正論そのものだった。
しかしそれでもヴァルトは疑っていた。それほどに彼は疑り深い男だった。
もしかしたらそれは、彼だけではなく、彼の職業――テロリストという存在だからかもしれない。テロリストという存在は味方もいればその分敵もいる。だから自ずと疑心暗鬼になったり、人を見る目が鍛えられている……ということなのだろう。
「……ま、あなたの疑いももうすぐ晴れるでしょ」
そう言ったマーズの言葉と同時に、彼女たちが乗った車はコルトの家の前に停止した。
車から降りて、家に入る。前にやったように本棚のある書物を引き出し、隠し扉を出現させる。その後階段を下りて、たどり着いたのは機械があまりにも多く犇めき合い、それが壁に等しいほどに積み重なっている場所である。
「……おーい、コルト! どこに居るんだ?」
マーズの言葉は虚しく空間に消えていく。
「ふむ。居ないな……、いったいどこに行ったんだ?」
「ここ以外に彼が行く場所は?」
「いや、それはないな。あいつは変わり者で、買い物も凡て宅配に任せる。だから滅多に外出することはないはずだ」
崇人の問いに即座に答えるマーズ。
マーズは彼が行くであろう場所を必死に考えていた。
しかし、まったく出てこない。
何故ならば、彼をこの部屋と上にある部屋以外で見たことがないからだ。それ以外の部屋は行こうとも思わないし、そもそも行く理由がないから、まったく知識が無い状態であったのだ。
「じゃあ、コルト……彼に助けてもらう線は消えたということでいいか? これ以上探しても時間の無駄だ。恐らくカーネル側もこちらを探しているだろうし……」
「それもそうね」
意外にもあっさりとマーズが折れたので、一瞬崇人は失笑しそうになったが、それは抑えて、そこを出ようと階段に一歩足を踏み込んだ。
外に出て、崇人たちは再び車に乗り込み、カーネルをひた走ることとした。
コルトの協力を仰ぐ作戦は失敗に終わってしまったわけだが、かといって策が尽きたわけでもなかった。
「こうなれば仕方ないわ……一気に脱出する他ないわね」
「一気に脱出……って! そんなこと可能なのかよ?!」
後部座席にいたマーズがそう言い、思わず崇人はそれに食いかかる発言を口にした。
「可能よ。そんなもの不可能でも何でもないわ」
そう言って、彼女はあるものを取り出した。
それは小型ラジオだった。小型ラジオはいつも彼女が携帯しているものらしく、年季が入っていた。
そんな感じで崇人はそのラジオをじろじろと見つめていると、
「見るんじゃあないわよ。その姿を見せているのでなくて、問題は今流れているラジオの内容」
「ラジオの内容?」
そう言う彼女の言葉に従って、崇人はそのラジオの音声に耳を傾けた。
ラジオからは、こんなことが流れていた。
『――繰り返しお知らせします。本日リリーファーが壁外に居ることが当局から発表されました』
それを聞いて、耳を疑った。
キャスターと思われる男性の声はひどく焦っているようで、震えもあった。
しかし、そんな声だったとしても、さらにキャスターの言葉は続く。
『リリーファーのタイプは「ペルセポネ」。当局が掴んでいる情報によればペイパス王国のテルミー・ヴァイデアックスが起動従士であるということです。壁外にはそのリリーファーのほかにもペイパス王国のものとみられる軍隊が居り、ヴァリエイブルと協力してカーネルを陥落させるものと考えられ――』
「……解ったでしょう?」
そこまで聞いたところでラジオの電源が切られ、かわりにマーズの声が聞こえた。
マーズはラジオを手早くしまうと、車を引き続き運転しているヴァルトに告げた。
「これから壁外へ脱出するわ。場所は南カーネルの住宅街、エル・ポーネ!」
「了解した」
そしてヴァルトは――ペルセポネが壁を破壊した、カーネルの住宅街、エル・ポーネへと向かうために、ハンドルを切った。
◇◇◇
「ただいま」
その頃白い部屋には帽子屋が帰ってきた。
「早かったね」
その場所にはチェシャ猫、バンダースナッチ、ハンプティ・ダンプティがモニターを眺めていた。しかし帽子屋の声を聞いて彼らは振り返った。
「意外と早かったね。残りはどうするんだい?」
「残り?」
ハンプティ・ダンプティから訊ねられ、帽子屋は首を傾げる。
「あれ? 話が噛み合っていない? 『残り』といったらそりゃ……計画が残りどれくらいで終わるか……ってことじゃあないのかい?」
「ああ。計画はあと二割くらいじゃあないかな。……それは飽く迄も、今回の結果がうまくいけば、という話だけれど」
「今回の結果、といえばデモは行われないようだね」
ハンプティ・ダンプティはそう言うとゆっくりと立ち上がる。
それに対して帽子屋は何も言えなかった。
ハンプティ・ダンプティはゆっくりと近づいていく。
そして、ハンプティ・ダンプティは帽子屋の頬を撫でていく。今のハンプティ・ダンプティは幼い少女の姿だった。しかし、ハンプティ・ダンプティはゆっくりと浮かび上がり、ちょうど帽子屋の頬に近いくらいまで底上げしていたのだった。
白磁のような滑らかな肌に、触ってしまえば折れてしまいそうな細さの指。
それが、帽子屋の頬に触れる。
そして、体温が伝わる。
あまりにも冷たい、それが――帽子屋に伝わる。
触れられて、帽子屋は身震いした。
ハンプティ・ダンプティの身体があまりにも冷たかったから?
いいや、違う。
(――なんだ、このそこはかとない不安は……)
帽子屋はそれを実感していた。
理由が解らないが、彼は不安に襲われていた。
ハンプティ・ダンプティに見つめられていたからかもしれない。
若しくは、自分で何か懸念材料があるのかもしれない。
だが、
「……デモに関しては行われるかどうか、それについて議論する必要もない。もともとプラスアルファに過ぎなかったのだから」
今はそれを考えることなく帽子屋はハンプティ・ダンプティの腕を払った。
「プラスアルファ……あれが? 君はあれほど大分そのデモに熱を入れていたじゃあないか。それを含めて『作戦』だ……ってね」
ハンプティ・ダンプティの言葉を聞いて、帽子屋は苛立った気持ちを抑えて、話を続ける。
「確かにそう言った。そう言ったよ。けれど、今はそれを討論する時間でもない。作戦のあるひとつのパターンが消滅しただけに過ぎないのだから」
「パターンの一つ……が、そのデモだった、と?」
「そうだ。そして、そのデモは本来ならばカーネルの反社会派組織が行う予定だったものだ。我々が情報を流し、そう誘導した……はずだったんだがね」
「だが、それは失敗に終わってしまったわけだ。ひどく残念な話だが……まあ、それは仕方ないことだ」
「仕方ない? まあ、そうかもしれないな。そもそも人間どもがこの計画を理解しているわけがない。裏切り者のロビン・クックですらこの計画の全容は知り得ていないからな」
帽子屋はソファに腰掛けると、テーブルに置かれていた、もう冷め切っている紅茶を口にした。
ふと、モニターを見やるとそこには崇人たちが車に乗っている映像が映し出されていた。
「これは?」
「彼らは今、壁外に行こうとしているらしいよ。何でも『ペルセポネ』というリリーファーが姿を現して、壁を破壊したとか」
そう言ってハンプティ・ダンプティは帽子屋に向かって何かを放り投げた。
それを無事に両手で受け取った帽子屋は、改めてその投げられた何かを見る。
それは一冊のファイルだった。青い半透明のファイルで、『reliefer's person』と黒い字で書かれていた。
表紙をめくると、
「それだ」
とハンプティ・ダンプティが告げた。
「テルミー・ヴァイデアックス……彼女がペルセポネの起動従士だと」
「ああ、そうだ」
ハンプティ・ダンプティの言葉はあまりにも味気ないものだった。が、今はそれを気にする時間ではない。帽子屋は改めてその資料を見始める。
「……彼女の実家であるヴァイデアックス家はペイパス王国の貴族として名高く、起動従士の輩出も多い。さらに彼女の父親であるクロウザー・ヴァイデアックスは財界人として経済にも王政にも介入できるほどの権力を持っている。……何だいこりゃ、つまり彼女はコネクションを最大限に使った結果起動従士になったってこと?」
「そうとも言えるが、しかしそうでないとも言える。彼女のパイロット・オプションの項を見てみてくれ」
言われた通りに帽子屋はテルミーのプロフィールに書かれているパイロット・オプションを確認する。
「……なんだよ、これ。『皇帝の意思』……、それを発することで『誰もが』行動を停止する……って、まるで」
「言うな。私もそれを一度は思ったが、しかしこの時代において『彼女』の代わりになる存在は、帽子屋、君が言ったアーデルハイト……彼女だけのはずだ。まあ、その彼女も今は精神が疲労してしまって、もはや戦線に戻ってこれるかも怪しくなってきたがね。誰かさんのせいで」
そう言って、ハンプティ・ダンプティはチェシャ猫の方を睨みつける。
対してチェシャ猫は済まなそうな仕草を見せたが、何もいうことはなかった。
それを見た帽子屋は立ち上がり、チェシャ猫の胸ぐらを掴んだ。
「……チェシャ猫、おまえなんてことをしたんだ……! 計画に支障が出たらどうするつもりだった?!」
帽子屋の声は震えていた。それほど怒っていた……ということだ。
対してチェシャ猫は、先程までの様子を変えず、
「だって君がいったことじゃあないか。僕は忠実に守ったんだよ? 『アーデルハイトと兄を対面させろ』って」
「その結果がこれ……だけどねえ」
バンダースナッチがそう言うと、彼女が手に持っていたリモコンのようなものの何かのボタンを押した。
するとモニターの流れている映像が突如にして、変更された。
それは先程、チェシャ猫によってアーデルハイトとその兄が対面した場面だった。
映像は常に鳥瞰になっており、誰がどういう仕草をしているのか一目で解るものだった。
アーデルハイトは兄と対面し、チェシャ猫と会話する。
アーデルハイトは兄が死んでいるとして、銃弾を放っていく。
そして――六発目。
紛れもない、彼女の兄に、銃弾が命中し、その命を散らしていった。
その映像が、帽子屋の目に焼きついていった。
そこまでを見て、帽子屋はチェシャ猫の胸ぐらを持つ手の力を強める。
「……そこまでする必要はなかった!! 兄と逢わせ、いや、見せるだけで良かったんだ!! それなのに貴様は……!!」
「何をそんなに怒っているんだい? 僕らは人間とは違う、別の次元の存在だ。別に人間ひとりくらいにそんな気持ちを傾けていちゃあいけないさ。君はシリーズになったのが僕たちに比べて早かったから、僕たちの役目を一番理解しているものだと思ったけれど」
「何も、彼女だけの話ではない……! 計画を円滑に進めるために……、どうして最短ルートでの活動を行わない!」
「だってそんなことしたらつまらないじゃん。考えても見てよ、人々の死にゆく様を見ていかないで、計画を遂行したら僕たちの本来の役目である『観測者』が成り立たない。だったら少しくらい別の仕事をやってもいいじゃあないか、ねえ? ほかのみんなもどう思う? 君たちも観測者としての役目に疲れ始めているから、様々なことを試しているんじゃあないの?」
チェシャ猫の言葉に、シリーズのメンバーは何も言い返せなかった。
それは、帽子屋も一緒だった。
「君も一緒だな、帽子屋。そういう点では、ね」
「一緒にして欲しくないな、少なくともチェシャ猫……お前とはな」
帽子屋はチェシャ猫の胸ぐらから手を離した。チェシャ猫は鼻を鳴らして襟を正し、再びソファに腰掛けた。
モニターの映像は気が付けば元に戻っていた。未だ崇人たちは着いていないのか、車中の映像が続いていた。
「私たちの本来の役目に戻るとしようか」
バンダースナッチのその言葉に、誰も従わないことはなかった。
◇◇◇
その頃、崇人たちは未だ車中にいた。
しかしとてもドライブを楽しめる様子でもなかった。
「くそっ……! やつら感づきやがった……っ!!」
ヴァルトはそう言いながら、ハンドルを細かく切っていく。
彼らが乗る車の背後には、迷彩色の車――恐らくはカーネルの警察車両ともいえる存在だろう――が数台迫っていた。
迷彩色の車は、崇人たちの乗る車に対して警告をすることもなく、だからといって銃を撃ち放つこともなく、ただ車を追いかけているだけだった。
「急げ! 急ぐんだ!」
「これが限界だ! アクセル踏み抜いている……っ!!」
崇人は後ろを何度も確認しながら、運転席のヴァルトに告げる。その様子は徐々に緊迫を増していた。
しかしヴァルトはもうアクセルをこれでもかというほど踏み抜いていた。だが、思った以上に車は加速しない。それほどまでに、彼らが乗る車は古い車だということなのか、それとも整備を怠っていたのが原因なのだろうか……それは今の彼らに考える余裕などない。
「なあ」
ここで今までカーネルの地図と睨めっこしていたヴィエンスが漸く口を開いた。
「どうした?」
それにマーズは答える。
ヴィエンスはそれに対して、マーズの目の前に、彼が見ていた地図のページを見せた。
「これはカーネル……特に南カーネルの地図だ。そしてここが今走っている場所だと思われる」
そう言って彼は指差した。
その場所は地図の右から伸びる真っ直ぐな道の途中だった。
「それがどうかしたか」
「問題はここからだ」
そう言って、ヴィエンスは左ページのある場所を指差した。
「ここが今向かっているエル・ポーネだ」
そこには『El pone』と書かれていた。
それにマーズは頷く。
「そして」
ヴィエンスは指を下に動かす。ゆっくりと動かして、エル・ポーネから少し東にあるスラム街、そこで彼は指を止めた。そこには『Femto』と書かれていた。
それを見てマーズは目を大きく見開いた。
「まさか……」
「そうだ」
ヴィエンスは地図を改めてマーズに見せつけた。
「今から向かっているエル・ポーネ……そしてそのそばにはウルが住んでいたスラム街、フェムトがある」
ヴィエンスのその表情は、真剣な目つきだった。
フェムトというスラム街は、食に困っていない数少ないスラム街である。
そもそもスラムというのは町が行う公共サービスを受けられない極貧層が居住する過密した地域のことを指し、だから『食に困っている=スラム』というのは少々お門違いなところがある。
フェムトでは畑を共同管理して、それから出た産物を管理時間の割合で配分する――というシステムを導入しており、つまり貧しい生活ながら食に困ることはそうない、ということである。
共同管理システムによる食料管理。
これを実現させた数少ないスラム街、それがフェムトである。
その町に暮らすひとりの少年、ウルは今日も取り分である産物の入った袋を抱え、彼が住む家へと向かった。
家に入り、荷物をキッチンに置く。キッチンとはいうが、実際には木箱の上にまな板代わりの小さい板とサバイバルナイフ、水桶があるだけという簡素なものである。
麻袋の封を開け、中から産物を出していく。じゃがいも、さつまいも、大豆、人参、トマト、豚肉、それぞれ一個(またはひと切れ)づつ出した。
これが彼の夕食の材料である。主食がないように見えるが、そのような贅沢をする余裕など彼にはない。
「今日はどんな料理を作ろうかな……」
そんな長閑な風景が広がっていた。
そんな、時だった。
その音を聞いたとき、ウルは最初にこう思った。
――巨大な獣が、叫んだ声だ
しかし、直ぐに彼はその考えを撤回することとなる。
なぜか?
スラム街から見える、カーネルを囲う壁が破壊されていたのを見たからだ。壁は破壊されて、そこからあるものが覗いていた。
「リリーファー……」
ウルは、それがリリーファーであることを直ぐに理解した。
黒い躯体に、引き立てるように存在するピンクのカラーリング。
彼がリリーファーに詳しかったならば、直ぐにそれが『ペルセポネ』であると解っただろう。しかし彼はリリーファーがリリーファーであることが解っただけでも、普通の人間ではできないことだ。恐らくは、彼の兄がリリーファーの起動従士訓練学校に入っていたから――だろうか。
リリーファーはゆっくりと動いて、壁の中へと入っていく。
足元にある建物や、人々は、地面に群がる蟻のように無残にも踏み潰されていく。
それについて、意外にもウルは怒りを覚えなかった。
どちらかといえば、嬉しかった。
彼はこの世界から解放されたかった。
兄を殺した――いや、もしかしたら生きているのかもしれないが――この|都市(カーネル)を出て行きたかった。
しかし子供の独り身。お金もなければ働いていく技術もなかった。
だからこの都市から出してくれる機会を、今までずっと待っていたのだ。
「……ああ、カミサマ……」
彼には、そのリリーファーが神様に見えていた。
そのリリーファーは、彼の住んでいた場所を、これから破壊し尽くしていくというのに。
それだとしても。
今の彼がそれを聞いたとしても――関係ないと突き放すだろう。
今の彼に、この都市を懐かしむ気持ちなどない。
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