第20話

 どうやらアーデルハイトは眠りについていたらしい。彼女が目を開けたその時には、ちょうど崇人の姿はなかったからだ。


「……寝ていたようね」


 アーデルハイトが自嘲気味に微笑んで言うと、


「ええ、それもまあぐっすりと。昨日眠れなかったんじゃない?」


 エスティがそれに答えた。


「……ところで、タカトは?」

「次の試合だから、準備に出かけたわ。あなたも急いで準備をした方がいいのじゃないかしら? ……どうやらあと二つ先の試合らしいし」

「そうね」


 そう言って、アーデルハイトは立ち上がり、廊下へと向かう。

 廊下を歩いて、控え室へ向かうと、一人の少年とすれ違う。


 ――すれ違いざまに、少年が呟いた。


「……おかえり、『アリス』」


 その声を聞いて、アーデルハイトは振り返る。すれ違った少年は、小さく笑っていた。


「なによ……今の悪寒は……?」


 だが、アーデルハイトは悪寒の正体を突き止めることも出来ず、再び歩くこととした。



 ◇◇◇



 そして、崇人の試合がやってきた。

 対戦相手はすでにリリーファーに搭乗済み。準備万端のようだ。

 崇人もリリーファーに乗り込み、すでにコントローラーを手に持っていた。

 崇人はどう戦えばいいかなどと未だに考えていた。考えるだけで身震いする。おそらくは――武者震いだ。


「……怖い」


 思わず、崇人はその言葉を口にする。

 だが、それは言い訳に過ぎない。ここまで行くことを決めたのは、ほかならない彼自身なのだから。

 彼は気合を入れるために、頬を叩く。


「……行こう」


 そして、彼は――決戦のフィールドへと向かった。

 崇人がリリーファーのままコロシアム、中心にあるステージへ向かうと群衆はわっと声を上げた。その声だけで、崇人は耳鳴りが聞こえてしまうほどだった。


「さぁ――、対戦相手は北ヴァリエイブル、アレキサンダー・ヴェロカーロック!!」


 さらに、崇人が出てきた場所から対を為す出口より一台のリリーファーが出てくる。そのリリーファーはベスパより小型だった。そして、凡てが黒い――凡てを飲み込んでしまうほどの黒だった。それを見て崇人は思わず圧倒される。


「両者、歪み合っているぞ!? 確か両者は初対面! 何か結ばれる絆でもあったかーっ!?」


 あまりにオーバーリアクション過ぎる実況の声はさておいて、改めて崇人は自らが考えた作戦をリフレインしていく。それは、至極簡単なものだった。

 このリリーファーには所謂『飛び道具』というものがたった一つしかない。それこそが、小さなレーザーガンだ。勿論、国営リリーファーと比べれば質は劣るが、レーザーの種類はイットリウムであるし、その直径は六十センチであることを考えると、学校にある訓練用のリリーファーとほぼ同じスペックということになる。

 つまり条件は相手も同じであるし、このレーザーのみで勝てる(言い方を変えれば、リリーファーの装甲を打ち破るという意味にもなる)ことはない。それはルールにも充分に明記されており、勝敗は『相手を行動不能にするか、場外に引きずり出すか』の何れかと決まっている。

 だからこそ、相手を完膚無きまでに打ちのめす装備など、少なくともこの大会において必要ではない。必要なのは、このルールに従って相手を倒すための装備である。


「……そうだ。だから、やれば出来る……!」


 崇人はそう言って、駆け出す。それと同時に、試合開始のゴングが鳴り響いた。

 ゴングが鳴り響いたと同時にベスパは行動を開始した。黒いリリーファー向かって走り出したのだ。


「おーっと! ヴァリエイブルのタカト・オーノ選手が先攻をとったぁーっ!」


 ベスパは走る、走る、走る。先手必勝、という言葉があるとおり、崇人はそれを実行しようとしていた。それが彼の考えた作戦のうちだからだ。

 しかし。

 黒いリリーファーはそれを『避けようともしなかった』。しようとおもえば出来るはずだったのに。

 なぜ避けないのか。それは崇人にはまったく理解できなかった。

 そんな余裕が――彼に隙を生み出した。

 黒いリリーファーが突然『消えた』のだ。


「……!?」


 崇人は慌ててベスパを止める。


「おおっと、北ヴァリエイブルのアレキサンダー選手! いったいどこへ消えたのかーっ!?」


 その姿は、どうやら観客にも解らないようだった。ベスパはあたりを見渡す。一体どこへ消えたのか――それを探さねば試合の意味がないからだ。


「――どこへ」


 消えたのか、と崇人が呟こうとしたちょうどその時だった。不自然にベスパの身体が浮き上がった。


「おおっと!? タカト選手の乗るリリーファーが突然浮き上がりだしたぞーっ……。そして……その下にいるのは、黒いリリーファーだーっ!!」

「なんだと!?」


 崇人はその行動をまったく予想していなかったわけではなかった。

 しかし、まさか実際にそれを行うとも思ってはいなかった。


「……まさか、実際にやるとは……!?」


 そして、ベスパはそのまま逆さまの形になって、地面に落下した。

 地面に落下する。それはつまりダウンを取られたということだ。テンカウントで凡てが終わってしまう。終わるということは、負けるということだ。勝つには、相手を場外に一発退場させる並みの力をかけなくてはならない。けれども、今の崇人にそれを考える力など、とうになかった。

 ダウンがかかり、レフェリーがひとつずつカウントしていく。

 ワン、ツー、スリー……。タイムリミットは刻一刻と迫っており、どうすればいいか、崇人は対策を考えなくてはならない。

 フォー、ファイブ、シックス……。にもかかわらず、崇人はその対策が未だに浮かび上がらない。一先ず立つとして、それからどうする? ということが決まらないのだ。

 セブン、エイト……。

 ナイン――とレフェリーが言ったその時、ベスパはゆっくりと立ち上がった。観客からも響めきが聞こえる。


「おぉ――――っと! タカト選手! なんとカウント・ナインで起き上がった! なんとも憎い演出をしますねえ!」


 勿論、そんなことは考えていなかった。演出なんてことをするつもりもなかった。ただ、彼は何も考えちゃいなかった。一先ず立ち上がり、戦っていくうちに作戦を立て直す。そういう考えしか、彼の頭には浮かんでいなかった。


「……一先ず、なんとかしなくちゃ……!」


 最早、彼の頭に『余裕』という二文字はなかった。

 勝つ。

 その二文字が、彼の頭を支配していた。

 再び、ベスパは走る。そのままでは再びやられてしまうことを、今の彼は最早考えてなどいなかった。


「……何とかすると言ったって…………どうすればいいんだ?」


 それが彼の課題だった。

 作戦通りに行くか、今の時点ではまったく保障はない。

 だが、それしか――方法はないこともまた事実だ。


「やるっきゃねえ……やってやる……!」


 そして、ベスパは黒いリリーファーに向かって走っていく。



 それを見ていた、ほかのチームメンバー。


「タカトも所詮これくらいの男だったというわけだ。みろ。まったくもって怖気づいているじゃないか」


 そう言ったのはヴィエンスだった。


「いや、誰だってああなるよ。特に戦闘に慣れていない人間ってのは。誰だってそうだ。君だって、若しくはそうじゃないかな」


 そう言ったヴィーエックの言葉に、ヴィエンスは舌打ちする。そして、ヴィーエックの前に行き、彼を睨みつける。


「いいか。俺は……そんな甘い人間じゃねえ。弱い人間じゃねえ。況してやあいつのように、な。それを忘れないでいてもらおうか」


 そう言ってヴィエンスは部屋を後にした。


「ヴィエンスくん――」


 エスティがそれを追いかけようとしたが、アーデルハイトがそれを制した。


「あいつもあいつなりの考えがあるんだろう。……少し頭を冷やさせておけ」


 その言葉に、エスティも頷くことしか出来なかった。



 ◇◇◇



 その頃、黒いリリーファーに乗っているアレキサンダー。


「……いやあ、リリーファーに乗るとかどれくらいぶりだろうなあ……」


 戦闘が続いているにもかかわらず、彼はリリーファーの内部をただただ眺めていた。それは、初めて買い与えられたおもちゃを嘗めるように見つめる子供のようにも見えた。


「ふうん……。やっぱこういう大会用のリリーファーでも今と昔じゃだいぶ違っちゃうなあ」


 そんなことを言って、再び前方を眺める。


「さて……『大野崇人』くん。君はどうやってこれを切り抜けるかな?」


 シニカルに、微笑んだ。



 そして、崇人が乗るリリーファー・ベスパ。

 走って、走って、走って――崇人はこれをタイミングとの勝負と考えていた。もし、それが失敗したなら凡てが水の泡となることだろう。それほどに、この作戦においてタイミングは重要なのだ。

 そして、ベスパが黒いリリーファーの目の前に立つちょうどその瞬間――ベスパが跳躍した。それは黒いリリーファーにも予測出来なかったらしく、黒いリリーファーは空を眺める。

 空は晴天で、ちょうど黒いリリーファーの視線の先には太陽があった。これにより、一瞬でも視界がホワイトアウトする。

 そのタイミングを狙って――ベスパは黒いリリーファーの身体目掛けて鶏冠を突き刺した。


「やった……。倒した……!」


 崇人はそう言って、高々と腕を掲げた。それを切っ掛けに、歓声が今まで以上にどっとセレス・コロシアムを包み込んだ。


「勝者っ、ヴァリエイブルのタカト・オ――――――ノ――――っ!!」


 そのアナウンスを聞いて、崇人はようやく安寧を得た。第一回戦はひとまず勝利したことに、喜んでいた。


「……勝った……!」


 ベスパが戻り、リリーファーから降りると、エスティが抱きついてきた。それを見て思わず崇人は顔を赤らめる。


「え……ちょ……人が見てるって……」

「よかった……。はじめは危ないんじゃないかとか思っちゃったけれど、タカトくんにはそんなこと問題じゃなかったね……!」

「ちょ、ちょっとエスティ、近すぎだって……」


 エスティは気にしているのか気にしていないのかは解らないが、崇人の身体とエスティの身体が密着しているもので、胸とかが当たっているのだが、それにエスティ自身は気づいていないようだった。

 崇人はエスティの身体を剥がし、平静を装う。


「水が欲しいのだけれど……どこにあるんだっけ」

「向こうにウォーターサーバーがあるよ」


 そう言って、エスティはそちらの方を指差す。それを見て、崇人はそちらへ足を進めた。

 ウォーターサーバーに向かい、紙コップを手に取り、水を注ぐ。そして、コップを傾け、水を飲み始める。


「……ふう」


 そこで、漸く彼は一息ついた。

 戦っていたあいだは、正直なところ余裕などなかったのだから、今やっと一息つけたということである。

 彼は、一先ず試合を振り返る。

 疑問などなかったが、特徴もなかった。振り返る点といえば、一時の予想外なポイントに対して柔軟な対応が出来なかったことだ。第一回戦は何とかなったが、これ以降の試合がどうなるかは――目に見えている。

 だからこそ、それを次の試合で対策しなくてはならない。水を飲み干し、空になった紙コップをゴミ箱に捨てると、エスティの方に振り返る。


「そういえば、エスティの試合はいつなんだ?」

「私は第七試合だから、あと三つ先かな。とりあえず、お疲れ様。あとは明日以降だね。第二回戦の組み合わせが決まるのは今日の午後、試合が凡て終わってからだったはずだから」

「そうだな」


 そう言って、崇人はエスティと別れた。



 ◇◇◇



 対して、北ヴァリエイブル陣営。


「おい、どういうことだよ。あの戦い方は」


 アレキサンダーがほかのチームメンバーに文句を言われていた。アレキサンダーの顔や髪は恐ろしいほどに白い。目の黒と、リリーファー操縦時に着るユニフォームの黒が映えるほどだ。


「なあ、お前があそこでヘマしなけりゃ、あのへっぽこリリーファーに勝ったのによ!」


 そう言うリーダーと思われる男に、アレキサンダーは微笑む。


「……なにがおかしいってんだ」

「なんかうざったくなってね。……もうフェイクを演じるのもここまでとしようか」

「何が言いたいんだ」


 リーダーは語気を強める。アレキサンダーはシニカルに微笑む。


「だからさ……そのうす汚い手をどけろ、|下等生物(ゲテモノ)が」

「なにをおおおおおおおおおおおおおおおお!?」


 リーダーはそう言って、右の拳をアレキサンダーの身体に叩きつけた――はずだった。

 アレキサンダーは浮いていた。

 それは、彼らにとって予想もできないことだった。

 この世界には魔法がある。だが、それは詠唱を行う等の順序を積んで行うもので、こんな簡単に魔法が使えるはずもなかった。

 いや、そもそもの話。

 これは魔法によって浮かび上がっているものなのか。

 魔法ではないとすれば、何だというのか。

 しかし、彼らはそれが何なのかは、結局は理解できなかった。


「……これだから、人間は嫌いなんだ」


 そして。

 彼の周りに、無数の棘が出現する。そこで漸く彼らはこれから何が起こるのかを察し、一目散に逃げ出していく。

 しかし――それを正確に棘は捉える。


「チェックメイト」


 その一言で。

 棘は発射され、それが北ヴァリエイブルの起動従士クラスチームのメンバーの身体を貫いた。

 倒れた姿を眺め、アレキサンダーは外へ出る。

 廊下を歩くと、一人の女性とすれ違った。

 先程もすれ違った、アーデルハイトだった。

 しかし、今度は立ち止まり、彼女から話しかけてきた。


「……『帽子屋』。まさかあなたが直接ここに乗り込んでくるとはね」


 それを聞いて、今度はアレキサンダー――帽子屋が呟く。


「アリス。君こそここに居るとはね。驚きだよ……計画がこれで進むことを、君自身は理解しているのかな?」

「私はアリスという名前ではない」


 そう言ってアーデルハイトはその言葉を突き返す。


「ならば、誰さ?」

「私はアーデルハイトだ」

「……やっぱりアリスだ」

「だから私は――」

「違わない。君こそが――アリスだ」


 帽子屋とは異なる声が聞こえたので、彼女は振り返った。

 そこにいたのは、金髪のロングヘアーの少女だった。アーデルハイトの腰ほどの小ささであり、ニコニコと微笑みを湛えていた。


「……誰?」

「この姿で失礼。私は『ハンプティ・ダンプティ』だ」


 その姿とは似つかぬ口調で、アーデルハイトは一瞬驚きを隠せなかった。


「……それで、『ハンプティ・ダンプティ』が何の用?」

「君たち人間の立ち位置を考えてもらおうと思ってね」

「だったら、急いで話してもらえるかしら? 私も急いで向かわなくては。次に試合が待ち構えているのよ」

「それだったら問題ない」


 少女――ハンプティ・ダンプティが微笑む。


「すでに、南ヴァリエイブルのエリーゼ・ボンラジュアは棄権をしているはずだ。我々の手によってね」

「……それに、北ヴァリエイブルの面々も、あなたの様子からして全員棄権でしょうね」


 それを聞いて、今度は帽子屋が微笑む。


「人生を途中退場はしていないと思うよ。さすがにそれほどのダメージは与えていないつもりだ」

「そうかしら。あなたたちの感じからして完全抹殺でもしていそうなものだけれど」

「隠しきれていないようだぞ、帽子屋」

「……だが、それで大会が中止に追い込まれるようなことはない。なぜなら、『彼らは既に全員棄権している』のだから」


 帽子屋の言葉に、アーデルハイトは首を傾げる。


「……どういうこと?」

「言葉通りの意味さ。どちらにしろ君たちは殆ど戦わなくていいことになる。別に君たちのためにやったわけではない。僕らが、目的を果たすための最善な選択……と言って理解してもらえれば、いいがね」

「理解するとでも思っていたの?」


 アーデルハイトはそういうと、袖口から棒状の物体を滑り出した。それは警棒だった。警棒とはいえ、バカにできない。この警棒はリリーファーの外装と同じ成分で作られており、なおかつボタンを押すことで電気が発生する。『シリーズ』二匹に対して満足とは言えない装備だが、何も無いよりはましであった。


「その警棒では僕らには適わないと思うけれどね」

「……ないよりはマシよ」


 そう言って、彼らは同時に地を蹴った。


「……待て」


 それを言ったのは、ハンプティ・ダンプティだった。

 それを聞いて、彼らは足を止める。


「こちらから戦いを持ちかけた……というわけでもないが、ここでの戦いは良くないと思うのだ。我々も、君にとっても、だ」

「一度引こうと、そう言いたいのかしら」


 アーデルハイトは呟くと、ハンプティ・ダンプティが微笑む。


「まあ、そういうことだ」

「……ふうん」


 アーデルハイトは考える。

 確かにここで戦ったとしても正直なところ勝てる保障はない。それに、関係のないスタッフや選手がここを通ったら彼らに何をされるか解らない。ともかく、ここは彼らの言うことに従うほかないようだった。


「……いいわ。それで手を打ちましょう」


 そう言って、アーデルハイトは警棒を仕舞った。


「そう言ってもらえると思ったよ、君はそこまで獰猛な性格ではないと思ったからね」


 ハンプティ・ダンプティはそういうと、帽子屋の肩にひょいと飛び乗った。

 帽子屋は無反応を貫き、そのまま右手を掲げる。

 その刹那、音もなく彼らは消え去った。まさに『突然』の出来事であった。


「……どこに消えた……!」


 彼女が探しても、しかし見つかることはなかった。

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