第7話
シミュレートマシンに乗り込むためには幾つか行うことがある。まず、体を清め、リリーファーを操縦するための服装……コスチュームに着替える。コスチュームとはいえ、実際は着用しなくても良いのだが、コスチュームを着る着ないで生じる非常に僅かな誤差によって失敗する可能性すらあるので、念には念を押して、ということである。
次に、リリーファーシステムに生体データを登録する。これは初めに行えばいいだけで二回目以降はゲートをくぐったときに認証すればいいだけである。
生体データとして必要なのは、身長・体重・指紋・顔である。その全てが一致しない限りはシミュレートマシンに乗ることは許されない。
それを済ませると漸くシミュレートマシンへの乗り込みが許可される。そして、崇人もそれを済ませて、今シミュレートマシンの目の前に立っていた。
「ほんとうにこんなので出来るのか……?」
崇人はそんなことを考えた。
『ほらー、そんなところで立ち止まっていないで、さっさとやるー!』
壁面に設置されたスピーカーから聞こえるメリアの声を聞いて、崇人は渋々シミュレートマシンの中に入った。
中はリリーファーのコックピットとほぼ同じ作りになっており、崇人はすぐにコックピット内にあるチェアに腰掛けた。腰掛けるとすぐに天井にあったモニターが崇人のちょうど目の当たりにまで下がってきた。
モニターが起動され、そこにはメリアとマーズが映っていた。
『……さて、気分はどうかな?』
「リリーファーのコックピットと同じだから、そこまで違和感は感じないけれどね」
『そいつは結構。それでは、リリーファーコントローラーを握ってくれ』
メリアの言うとおりに崇人はリリーファーコントローラーを握る。
すると、モニターの画面が白くなり――目の前には大きな森が広がっていた。
「……これは」
『AR、仮想現実を用いたバーチャルシステムだよ。一番弱いタイプにしてあるから、≪インフィニティ≫を操縦出来るあんたならちょいちょいのちょいじゃない?』
そう言って、スピーカーからの声は途絶えた。
「おいおい、まじかよ……」
森の奥には、何かがいた。
そこにいたのは白いカラーリングのリリーファーだった。
それも――仮想現実で生成されたものだとは、崇人は俄には考えづらかった。
「これが……バーチャルだっていうのかよ!?」
その言葉を聞いた直後に、白いリリーファーは崇人の乗る――崇人は知ることはないが、全体が青い――リリーファーに向かって走り出した。
「おいおいおいおいおい!」
崇人はコントローラを握って、青いリリーファーを左に強引に動かす。
そして、振り返り。
森の中を、走る。走る。走る。
『――何やっているんだ。面と向かって戦えよ』
メリアからの言葉を聞き、崇人はあることを思った。
――明確な、『死』。
地球の日本では味わうことは殆ど有り得ない、明確な死の気配。それは崇人も知らなかったことで、この世界の人間ではむしろ常識の範囲といえる。
それから逃げる。
今は、逃げなくてはならない。
『――そんなんで、あんた、≪インフィニティ≫に乗ったのか?』
ガクン、と。
その音と共に、仮想空間は現実へと戻された。
『あー、つまんねえの。インフィニティに乗った起動従士だからけっこういい腕してんのかなーとか思ったのにさぁ。なんなんだよ、あんた。もう帰っていいから』
そう言ってメリアは適当にキーボードを叩き、何処かへ行ってしまった。崇人はそれをただ、見ることしか出来なかった。
◇◇◇
シミュレーションセンターの周りにはイングリッシュガーデンが広がっていた。とぼとぼとそこを崇人は歩く。まるで心を失ったような、何もしたくないと意思表示しているようにも思えた。
「……なぁ、タカト」
崇人の歩く姿を見て、マーズは声をかける。
しかし、崇人は答えない。
「……何をしたいのか、あんたは此の世界で生きようとか考えていないのか?」
「だって、いつかは戻らなくてはならないからな」
「戻らなくちゃならないときに備えて、何もしないっていうのなら、あんたは今すぐ消えろ。そして二度と現れるな」
そういわれて崇人は振り返る。
そこには、既にマーズの姿はなかった。
そこからの行動を、崇人も覚えていなかった。
歩いてシミュレーションセンターを後にして、ライジングストリートを通らず、気付けば彼はある場所にたどり着いていた。
そこは、パロング洋裁店だった。
しかし、彼は思っていた。
実際に入って、助けを求めるのか、どうかについてだ。
玄関の前でずっと立ち尽くしていると、突然扉が開かれた。
「……あれ、タカトくん?」
エスティだった。エスティはどこかに出かけようとしていたのか、白いワンピースを着ていた。
「え、エスティ……? どこか出かけるのか」
「あ、いや、ひとりでちょっと散歩でも行こうかなって……」
「そうか」
「タカトくんも一緒に来る?」
「えっ?」
それは、崇人が一番望んでいた答えだったはずなのに。
崇人は忍びなさを感じていた。
「……どうしたの? 大丈夫?」
「あ、ああ。大丈夫だ」
ともかく、崇人は今の状態から逃げたかった。
ともかく、崇人は誰かと一緒にいたかった。拠所を求めていたのかもしれない。
そんなことを、崇人は心の奥に気付けば閉じ込めて、エスティとともに何処か歩きだした。
崇人とエスティの散歩は、最終的にエスティが行きたいというセントラルタワーへ向かった。
セントラルタワーはトロム湖を望むように作られている高さ五百三十メートルの高層ビルである。一階から七階まではショッピングモールとなっていて、それからずっとマンションとなっている。屋上には展望台があり、そこからヴァリエイブル帝国全体が眺める眺望となっている。
セントラルタワーへ向かうのはちょっと遠いのでバスを利用することとした。ライジングストリートの入口にある小さなバス停でふたりはバスを待っていた。次のバスはどうやら五分後に来るらしい。
「……今日は暑いねぇ」
「そうだね」
そんな他愛もない会話をする。
それだけで、崇人は幸せだった。別に、リリーファーで戦闘する人生以外にも人生を有意義に過ごす方法はある。いいじゃないか、人生は自分自身が決めるものなのだから――と崇人は考えつつ、バスの時刻を何度も確認していた。
そうして定時にやって来たバスに乗り込み、ふたりはセントラルタワーへと向かった。
トロムセントラルタワー前と描かれたバス停で崇人たちは降りた。すると休日だからかたくさんの人たちがセントラルタワー周辺にいた。
「……今日って何かあったかなぁ」
崇人が呟くと、エスティは笑って答える。
「今日はセントラルタワーが出来て二周年なんだよ。それで、特別フェアをやっていたり、アーティストの人がライブをやりに来たりしているんだって」
「へえ……知らなかったな」
崇人はそんなことを呟いて、あたりを見渡す。タワーの一階はショッピングモールのグランド・エリアとして様々な専門店とスーパーがある。スーパーにはみずみずしい果物や野菜が並べられていて、それを買いに連日たくさんの主婦が安く商品を手に入れるために鎬を削っている(余談ではあるが、セントラルタワーに入っているスーパー『アダイロ』はこの近辺では一番安く買い物が出来る場所として有名であり、現に開店前まで近くにあったショップは経営を縮小していくか閉店していくかのどちらかにまでなってしまっているほどである)。
アクセサリーなどが販売されている雑貨店『ポルトロール』に到着したエスティは店頭の棚にあるアクセサリー(特にネックレス類)を見て目を輝かせていた。
「ねえ、タカトくん。どっちがいいかな?」
そう言って崇人に見せてきたのは、貝殻がついたネックレスと、小さなダイヤモンドがついたネックレスだった。値段を見ると後者のほうが前者よりひと桁大きいものだった。
「どっちも似合うと思うぞ」
崇人が言うと、エスティはもう一度訊ねる。
「どっちか選ぶとしたら?」
「どっちか……うーん……こっちかな」
崇人が指差したのはエスティの右手にかけられた貝殻のついたネックレスだった。
「値段で決めてない?」
「いや、一番似合うと思うよ」
崇人の言葉に照れながらもエスティは微笑んだ。
そんな感じのことがあって、いろいろと遊んでいると頭上から古めかしい電子音が聞こえてきた。どうやら、そろそろ五時を回ったらしい。エスティは買いたかったワンピースを嬉しそうに抱えている。崇人はエスティが欲しかったものと、崇人自身が欲しかったものとを抱えていた。人々もそろそろ帰ろうと足取りが出口の方へと向かっていた。
崇人はふとエスティの方を見ると、なんだか喜んでいるようだった。それを見て崇人もなんだか笑ってしまっていた。
「……タカトくん、やっと笑ってくれたよ」
「えっ?」
「だって、タカトくんずっと心ここにあらず的な感じだったんだもの。実はここにいるのはタカトくんじゃないんじゃないか、って……心配になったんだよ」
「あ、ああ……ごめん……」
崇人はエスティがまさかそこまで自分のことを思っているとは……と考えていた。こんなことを考えているのだから、エスティの気持ちなど百年経っても解ることはないのだろう。
「そうか……。俺、そんなに笑ってなかったか」
「そうだよ。何かあったのかな、って思ったんだよ?」
「あー実は……」
エスティの言葉に、崇人は考えた。
これを話してもいいのか。これを話して、エスティはどう考えるか。
エスティは崇人の正体を知って、そのままの状態で接してくれるのか?
それは崇人には解らないことだ。他人、ましてや異性が考えていることなど、解るはずもない。
他人だからこそ、知り得ることだってある。
他人だからこそ、自分が解らないこともある。
崇人はそれを充分知っていた。
だけれど。
今、エスティに話してもいいのではないか。この気持ちを、少なくとも誰かと共有したかった。
でも。
エスティにそれを話したら、崇人自身に降りかかる試練を受けなくてはならないのではないか。
崇人はそうも考えていた。
だから、
だからこそ。
「――いや、なんでもないよ。心配してくれて、ありがと」
崇人は嘘をつくしかなかった。
「そっか。ならいいんだけれど」
エスティはそれだけを言って、特に詮索もせずにただ歩き続けた。
そして、出口までたどり着いたちょうどその時だった。
ドゴオオ――――――ン!!
それが『爆発』だと認識できるまでわずかながらの時間を要した。崇人はそちらを見る。そこは既に出口とよべる空間ではなかった。そこは既に出口ではなく、出口だった場所としか認識出来なかった。
瓦礫で覆われ、人々が慌てる姿はまさに世界の終わりともいえた。
しかし、原因はすぐ判明した。
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