第二章 満月の夜編
第6話
崇人がリリーファー起動従士訓練学校に通って二週間が経った。学校に行ってからというものの崇人は毎日クタクタになって帰宅し、食事をしてシャワーを浴びたあとすぐ寝るという生活が板についている。
「……向こうの世界じゃ逆にこんなの味わえないよな」
崇人はそう呟きながら歯を磨いている。同居しているマーズは「ちょっと用事が出来た」ってことで朝から何処かに出かけている。
「出かけるのは解るけれど、昼飯代どーすんだよ……」
マーズが出かけるとき、昼食代を要求しそこねた(正確には要求する前に去っていった)ために今日の崇人の財布には七十ルクスしかない。
「仕方ない、エスティに頼んで借りるしかないか……」
そう呟いて、彼はカバンを持ち、家を出た。
学校の門をくぐり、起動従士クラスに入ると、エスティが近づいてきた。
「おはよっ」
「お、おはよう」
すっかりこれにも慣れた――と崇人は思った(そう思っているだけで周りから見ればまだまったく慣れていないように思える)。
エスティは小さく微笑んで、話を続ける。
「今日はけっこう暖かくなるんだって」
「へえ。どれくらい?」
「エルリアが咲くくらいだって!」
「へえ、エルリアか……」
崇人はうんうんと頷く。
エルリアとは、崇人のいる世界では梅と呼ばれていたものだ。赤い実を付け、それを採って食べると甘い(ここは梅とは違う)ので、よくつまみぐいをする人間が多いらしい。
「そういえば、赤くなったエルリアは甘いんだよねぇ……」
「涎出てるよ……」
よっぽど好きなのだろう、と崇人はエスティの方をみてため息をついた。
そういえば、と崇人は何かを思い出したように呟いた。
「そういえばさ……今日お金もらい忘れて……、申し訳ないんだけどさ。ご飯代借りてもいいかな」
「いいよっ」
エスティに怒られると思って恐る恐る訊ねたのに、こうも間髪いれずに答えられると、崇人も反応に困ってしまうのだった。
「エスティ、ごめんね」
「大丈夫だよー。タカトくんなら必ず返してくれるって信用しているもん」
「それは光栄だな」
そう薄く笑みを零したと同時に、崇人はようやく安心を得られた。これでもしエスティからお金を借りることが出来なかったなら、今日の昼食は皆が食べている中でお腹を空かせながら水を何杯も飲み干す(水はセルフサービスではあるが、無料である)くらいしか出来ない。それはさすがにエスティたちに申し訳が立たないし、そんなことをするのなら一人で教室にこもり、本を読んでいたほうがましだと思ってもいた。
「ところで、来月の大会、どうなるんだろうね」
エスティが唐突に言った言葉の内容について、崇人もどことなく気になっていた。
大会――正式な名前として、全国起動従士選抜選考大会と呼ばれている――とは、国が主催となってリリーファー起動従士訓練学校から優秀な生徒を集め、選考を行うための大会である。ここで選ばれれば、卒業することもなく、起動従士として国に任命されるという起動従士を目指す学生にとっては一大イベントなのである。
大会に参加できるのは起動従士クラスの学生だけではない。それは勿論のことだが、魔術クラスや整備クラスの学生も参加することが出来る。彼らはそれぞれの得意分野で大会に参加し、それを認められると、お抱えの『魔術師』や『国家整備技師』としての地位を与えられるのだ。
「大会ねー、いったい誰が出るんやら」
「タカトくんは出ないの?」
エスティにそう訊ねられ、崇人は思わず狼狽えた。
とはいうものの、崇人は考えていたのだ。これに参加するのは確かに構わないが、ここに出ていろいろなことが起きてしまえば向こうの世界に帰りづらくなる――と。
崇人の考えも間違いではない。しかし、この世界の常識で考えると『この学校に来ておいて、大会に出ないなんて有り得ない!』というわけなのだ。それを崇人は知る由もない。
「タカトくん、ほんとうに出ないの?」
「あー、……出るよ」
……言ってしまった、と崇人は心の中で深い溜息をついた。ある種、これで後戻りはできなくなった――と崇人は呟いた。
「タカトくんも出るよね! 私も出るよー、こうドガッシャーン! ってね!」
ドガッシャーン、が何を破壊する音なのか崇人には理解できなかったが、崇人は気になったので、すこし訊ねた。
「そういえば、大会ってどういうのをやるんだ?」
訊ねると、エスティは首を傾げた。
「うーん……。たぶん今までの傾向でいけば、シミュレーションバトルだよね。シミュレーションマシンがあって、それを用いてバトルするってのと、基礎体力? も身に付けているか試さなくちゃいけないし、学力もそれなりに大事だよね。……あ、でもそういうのの総合してきめるとか聞いてたし、そう心配することもないと思うよ! タカトくん、リリーファーの操縦は私より上手いし!」
崇人はそうか、と呟いて前をむいた。授業開始のチャイムが鳴ったのは、ちょうどそのときだった。
◇◇◇
家に帰り、崇人がリビングへ向かうとマーズは既に帰っていたらしく、ソファに横になってスマートフォンを操作していた。
崇人はつくづくそういう技術は前いた世界にちかいものだと思い鼻で笑った。
「あ、おかえりー。というか、人と一緒に住むってあんまりないから慣れないなぁ……」
そう言うとマーズがスマートフォンの画面を崇人に見せつけてきた。
画面を見るとそれはメールの画面だった。本文にはこんなことが書かれていた。
『大会参加の件について
前略。
要件だけとなるので雑な文脈となるが申し訳ない。
君も『大会』と聞けば何かは解るだろう。全国起動従士選抜選考大会のことである。毎年数多くの起動従士を目指す生徒が参加し、それぞれの技を競うのだが、ひとつ問題が起きてしまった。
ティパモールで紛争が起きていることは、君も知っていることだと思う。
そこでひとつ、≪インフィニティ≫を操縦出来る君の力を借りたい。何をしてもらうか? 簡単なことだ。
大会に参加して、ティパモール紛争を止めて欲しいのだ。』
「……は?」
そこまで読んで、崇人は目が点になった。
「――その先に書いてあるんだが、なんでも開催地はティパモールにほど近い場所らしい。んで、来賓はこの前テロにあったっていうハリーニャ・エンクロイダーが来る。なんであんな場所を危険にさせるような存在を呼ぶのかは知らないが、テロ行為が発生するのは予想されている。それで私が呼ばれる訳だったんだが……その日は如何せん用事が入っていてだな。ああ、大丈夫だ。何か緊急事態があったときはすぐに駆けつけるようには調整してあるから」
「なんの用事なんだよ? そういうのをほっぽかして?」
「秘密だ。女は秘密を持って生きる生き物なんだよ。そういうのが解らなかったから、彼女が居なかったんじゃないのか?」
……痛いところをつかれてしまった、と崇人はおもった。マーズには弱みを、彼の全てを握られている。そして、マーズ自身も崇人に頼らなくてはならない部分が出てくる。ギブアンドテイクとは、まさにこのことを言うのだろう――崇人は小さく呟いて、ソファに腰掛けた。
「それでだな」
「……まだ何か話があるのか、俺は疲れているんだが……」
「直ぐ済む。先程の話……即ち君はテロに対応しなくてはならない。だから、ある程度リリーファーを乗りこなさなくてはならないんだよ。しかも、≪インフィニティ≫ではなく、現行型のリリーファーを、だ」
「なぜだ?」
「大会とは、国内全てにテレビ中継される。つまり、そこからほかの国に流れる可能性もはらんでいる、というわけだ。そこで、テロが起きて、≪インフィニティ≫が登場してみろ? 世界的なスキャンダルになるぞ。最強のリリーファーを復活させた、とな」
「やはり、インフィニティはそんなに強いものなのか?」
崇人が訊ねるとマーズは大きく首を縦に振った。
「一対一で戦ったら、まず私は手も足も出ないね」
「そんなレベルなのか……」
崇人は改めて考える。
あのリリーファー……≪インフィニティ≫には謎が多過ぎる。例えば、崇人の声紋が一致した件だ。なぜ、初めての人間なのに声紋が一致する?
もしかして――。
「もしかして、俺は一度……」
そこまで言って、崇人は考えるのをやめた。いや、そんなことは有り得ない。しかし、そうでなければその説明はつかない。
「おい、何を考えているんだ?」
マーズに言われて、崇人は我に返った。
「あ、い、いや、ちょっと学校のことでね」
「困っているなら相談に乗ってあげようか?」
そう言いながらニヒルな笑みを零したので、崇人は無視することにした。「あれは、|揶揄(からか)うための口実に過ぎない」と、崇人は決めつけていたからだ。
マーズは仕方ないな、と呟いて立ち上がる。
「飯にしよう。何を食べたい?」
「どうせ冷凍食品だろう」
「That's right!」
英語で言われても困る――崇人はそう思いながら、マーズとともに食事の手伝いをするためにキッチンへと向かった。
次の日、崇人はマーズとともにある場所へと足を踏み入れた。
リリーファーシミュレーションセンター。
名前のとおり、リリーファー同士の戦闘を電子空間でシミュレートする機械が置かれており、それを用いてシミュレートすることが出来る場所である。
黒塗りのリムジンに載せられ、ここまでやってきた崇人は現時点で不満しかなかった。
「どうして朝叩き起されてそのまま連行されなくちゃならないんですかねぇ……」
「文句言わないでよ。私だって急のことでびっくりしたんだからさ」
それは嘘だと崇人は知っていた。何故なら、朝叩き起されたかとおもったらマーズに強引に引っ張られリムジンへ連行されたからである。
マーズは何を考えているんだろうか、そんなことを思いながら重い瞼を擦って、崇人はマーズに付いていくのだった。
リリーファーシミュレーションセンターの中に入るとエスカレーターが待っていた。エスカレーターを昇っていくとガラス張りの空間が目の前に現れた。
前方が全てガラスで覆われており、その中には小さなカプセルがあった。小さな、とはいえ人一人が入るほどの大きさであることには変わりないが。
「……ここは?」
「ここが、シミュレート室。おーい、メリアー!」
誰もいない部屋で、マーズは奥へと声を上げた。
「……はーい」
暫くして、部屋の奥から小さい声が聞こえた。
そしてペタペタとスリッパの音を響かせながら、誰かがやってきた。
黄色いツインテールの少女は、研究員に有りがちな白衣を着ていた。白衣のボタンは付けておらず、その中はブラジャーとパンツだけだった――
「へ、変態だああああああああ!!」
「失敬な! 利便性を追求した結果の格好が解らないのか!」
崇人の叫び声に少女は顔を真っ赤にさせて答えた。そして手に持っていた水筒を開け一口飲んだ。
「……どうしたのさ、マーズ? なんか用事でもあるん?」
「あるから来たんでしょうが。馬鹿か」
たはは、と笑いながら少女は再び水筒の中身を一口飲む。
「……んで、こいつは誰だ?」
「タカト・オーノ。インフィニティを操縦出来た人間よ」
そう言ってマーズは崇人の頭をぽんと叩いた。
その言葉を聞いていた少女はみるみるうちに顔が青ざめていった。
「……なんだと? インフィニティを!? 誰も操縦が出来ないと言われ、封印せざるを得なかった、最強のリリーファーを、か!?」
「そ。あんたの憧れ、“O”の最高傑作を動かした唯一の人間だよ」
少女の目は輝いていた。そして、崇人の肩を掴むと、がしがしと揺らし始めた。
「ほんとうか!? ほんとうにあの≪インフィニティ≫を動かしたのか!?」
「ああ、そういうことになるな……」
いいから揺らさないでくれ、と崇人が呟くとようやく少女は揺らすのをやめた。
そして、少女はニヒルな笑みを零して、言った。
「自己紹介だ。私はメリア・ヴェンダー。研究者というものをしているよ」
「研究者?」
「ああ、そうだ。いろいろなものを開発したよ。そうだね……例えば、このシミュレーションマシンなんてそうだ。あれは数多のパターンを登録していてな、毎回別のパターンでシミュレートすることが可能になっているんだ。どうだ、すごいだろ?」
メリアが目を輝かせて崇人に同意を求めるが、正直なところ崇人は未だに理解頻っていないので、「ああ、うん」と曖昧な返事しか出来なかった。
「なんだ、つまらなそうに言って」
「メリア。あんたの話を嬉々として聞くのはライアンだけだから」
「そうだけどさー、ライアン最近私に冷たいのよねー」
突然ガールズトークが始まってしまって、崇人は混乱してしまった。
しかし、崇人の混乱を他所に、二人の会話は続く。
「ライアン忙しいものね。確か、ティパモール関連のテロ捜査してるんでしょ?」
「そうなんだよね。だから私が科学で何とかしてあげよう! とか思っても、いいよいいよとか言って遠慮しちゃうんだよ……。なんでだろうね?」
「そりゃあんたがオーバーテクノロジー過ぎちゃうからでしょうが……。あんたの造るの凄すぎて誰も使えないんだよ。私のだって、何世代か下げたものだって言ってたじゃない」
「あれはいやいやだよ。私だって好きでグレードを下げたんじゃない。王様が『これじゃこの時代の人間には使い物にならない』とかほざくからやってやったんだよ。自分の開発した技術を自分で改悪するのがどれだけ辛いか?」
「そうだけど。あのときアイツ……いや、王様泣いて私の家来たっけかな。即蹴ってやったけど。蹴ったあとすっごい喜んでいたけれど」
「いやー相変わらずの変態ぶりのようで!」
お前が言うな、と崇人はツッコミをするとメリアがパソコンの画面を眺めた。画面にはたくさんの0と1が上から下に流れていた。
「あっちゃー、どうしたこりゃ? なんかやらかしたかな?」
カタカタとキーボードから何かを打ち込むも、それは収まる気配はなかった。
崇人が気になったので画面を眺めると、
「……これ、コンパイルにエラー起こしてないか?」
「えっ?」
予想外の人物から声をかけられたことで、メリアは一瞬狼狽えてしまった。
「どういうことよ。私が間違っているとでも?」
「おまえそんなんじゃ彼氏というか友達出来ねえぞ……。まあ、いいや。ちょっとコード見せてみろよ」
そう言って崇人は強引にマウスを奪い、タブを開くと、メモ帳いっぱいにコードが現れた。
「うわっ、見づらいコーディング。これだと共同作業のときアウトだぞ。どこが間違っているのか解りづらいし」
「私がわかればいいんだ」
「解ってねえだろうが。えーと……78行目に定義ミス? ……ああ、これか」
そう言ってその箇所を適当にキーボードで打ち込み修正していく。修正はたった数分で出来上がってしまった。そして、それを再びコンパイルすると、結果は『OK』と出た。
何故彼は理解できたのか。
ほかの人間は知らないが、彼自身前の世界ではプログラミングを行っていたからだ。音声認識システムなどを作成するにはどうしてもプログラム技術を要求される。そのために彼はプログラミングを独学で学んでいた、その知識であった。
「……ありゃ」
「だろ?」
まさか異世界まで来てプログラミングするとはな――と崇人は思いながらメリアの方を見て、小さく笑った。
メリアは呆気にとられていたが、直ぐに小さく呟いた。それは崇人に聞こえることはなかった。
「……とりあえず、使えるのかしら?」
マーズがメリアに訊ねる。
「ああ。今、プログラムは完璧に動作する。使うのか?」
「私じゃないけれどね」
そう言ってマーズは自分の目の前に指を差した。そこにいる人間とは、もう一人しかいなかった。
「……俺?」
「当たり前じゃない。昨日も言ったでしょう? 普通のリリーファーの操縦も慣れないとね、大会とか出るんだから、って」
「ふぅん、大会出るのか。私はあまり興味がないがな」
メリアは再びキーボードからびしばし文字を打ち込んでいた。その様子はまさに一心不乱だった。
「なんでメリアはいつもそう素直じゃないのかなー」
そう言ってマーズは両手をメリアの首に通した。
「お、おい何をするんだよ」
「だって素直じゃないんだから」
そう言ってマーズはメリアの耳元に口を持ってきて――ふぅと息を吹きかけた。
直ぐに「ひゃんっ」と今までのメリアとは似ても似つかぬ声が聞こえた。
「ま、マーズ!!」
「いやあ、ごめんごめん。でも、素直にならない君が悪いんだよ?」
「そういう問題かよ!」
随分置いてけぼりにされている――崇人はこのやり取りを見て、そう思うのだった。
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