第5話
[4]
「いやぁー助かりました。まさか、マーズ大尉が直々に来られるだなんて」
「なんだか変な気分ですね……。もとはあなたの方が上司だったのに」
戦いが終わり、崇人たちの乗ったリリーファーはアレスが先導となり訓練学校へと戻ってきた。
マーズ・リッペンバーは国内で有名な起動従士であるから、起動従士クラスの面々はマーズの周りに群がっていた。
そして、アリシエンスとマーズが話をしているのを見て、少し遠くに離れていた崇人たちも話をしていた。
「……疲れた」
「結局、頼っちゃったな」
「しょうがないでしょー、だって私たち訓練生なんだよ?」
エスティはそう言って紙パックのオレンジジュースを一口飲んだ。
「訓練生だからって、出来ないことはないんだ。俺は……もっと強くならなくちゃいけないんだ。……この国を、守らなくちゃ……!」
ヴィエンスがそういうのを見て、崇人は訊ねる。
「……何かあったのか?」
「お前には関係ないだろ……!」
それから、ヴィエンスは何も答えることはなかった。
その後、エスティと崇人は幾らか会話をしたものの、長く続くことはなかった。
そして、放課後になった。
「今日も終わりかー……」
「なんだか長く感じたねー」
崇人がカバンに教科書類を仕舞い終わったと同時に、エスティはそう言った。
「ところで、タカトくんって家どの辺なの?」
「え、えーと……サウザンドストリート……のほう」
サウザンドストリート。
ヴァリエイプル帝国首都ケルグスの中心にある高級住宅街を通る道路である。そこに居を構える人間と謂えば、たいていは政界、財界や軍の人間であるため通称≪ソルトレイクストリート≫とも呼ばれることもある。これは、かつて『塩』が財産の象徴として言われていたためである。
「さ、サウザンドストリートって高級住宅街がある……あそこよね? しかも、ただ高級なだけじゃなくて、軍の人間とかそういう人しか入れないところよね……? もしかして、タカトくんの親ってそんな有名な……?」
これはまずい、とタカトは思った。
さすがに家は東京にあるとは言えない。そもそもこの世界に東京という概念があるのか怪しいし、まず疑われること間違いないだろう。
「……あー、言い忘れていたけれど。俺、今居候なんだ」
「へー、そうなんだー」
なんとか難を逃れた、と崇人は溜息をついた。
「エスティはどこに住んでいるんだ?」
今度は崇人が訊ねる。
「えーわたしー?」
「俺だけ訊ね損だろ」
「そうだね。……ライジングストリートだよ」
ライジングストリート。
ケルグスの南にあるトロム湖の湖岸に広がっている比較的新しい通りである。現在では大型商業施設が建設開始されており、さらに進歩していくものとみられている。
「ライジングストリートってどの辺りにあるんだい?」
崇人が訊ねると、エスティは小さく目を細めた。
「えーとね、この学校から……って説明するより、一緒に来た方がいいんじゃない?」
「えっ?」
崇人が目を泳がせると、エスティは笑った。
これは、いったいどういうことなんだろうか。
さっきまで謎の襲撃者と戦っていて、今はクラスメートの家に行く? 誰がどう聞けばこれを現実だと信じてくれるだろうか、いや有り得ない(反語)。
反語表現を用いるくらいには、まだ崇人は余裕があるのだろう。
今、崇人とエスティはライジングストリートの中心部に来ていた。
「……なぁ、ほんとに行ってもいいのか?」
「大丈夫だよー、けっこううち気さくな人おおいし」
そういう問題でもないと思うのだが、と崇人は呟く。
それを聞いたか聞かなかったか、エスティは、
「大丈夫だよ! 別にそんな心配しなくても……。あっ、着いた」
そう言ってエスティは「じゃじゃーん」と両手をその家のほうにむけた。それを見て崇人はそちらを見た。よく見れば綺麗な家だった。そこは店舗のようで、そこには『パロング洋裁店』と看板が掲げられていた。
「洋裁店?」
「私の家は洋裁店なの。けっこうこの辺りでも有名なのよ」
「そうなんだ」
エスティは突然崇人の手をとって、中へ入っていった。
「ちょ、ちょっといいの?」
「何が?」
エスティは立ち止まって訊ねる。
「……だって迷惑がかかるだろ?」
「だから、そのことなら大丈夫よ。別に心配しなくても」
そのセリフはさっきも聞いたが、やっぱり心配だ――とも言えず、崇人は仕方なく中に入ることとした。
「ただいまー」
エスティの元気な声と共に扉を開ける。
「……お邪魔しまーす……」
中に入ると、カウンターにひとりの女性が座って眠り放くっていた。
それを見てエスティはその人に駆け寄った。
「もう! お母さん、ここで寝ちゃだめだって言ってるでしょー」
「う、ううん? あ、エスティおかえりー……むにゃ、あの人はどちら様かな?」
眠り放くっていた女性は崇人の方を見た。女性の顔を窺ってから、崇人は小さくお辞儀をする。
「はじめまして。タカト・オーノ……といいます。エスティ……、いや、エスティさんとは同じ学校のクラスメートで……」
崇人がそう言うと「ふうん」とそれだけを言い、女性は目をこすった。
「まあいいか。お客様にはお茶を出さなくちゃね。……えーと、あれ? エスティ、今日早いって言ってたっけ?」
「言ったはずだよ。今日は三時前には帰れると思うよ、って」
エスティがそう言うと、女性は「おお、そうだったか」と呟きながら家の奥へと消えた。
エスティはそれを見て小さくため息をついた。
「ごめんね。うちのお母さん、いつもあんな感じなのよ」
「大丈夫さ、うちもあんなもんだよ」
崇人は嘘をついた。思わずではなくわざとだった。彼の両親は遠い世界に居る。そこに戻れるのかも解らない今、彼は至極悩んでいたのだった。
「……とりあえず、奥でお茶でも飲みましょ、ね?」
ふと崇人が我にかえると、エスティがそう言った。何か考え事をしている風を取り繕って、崇人はそれに賛同した。
パロング家のリビングは小さいダイニングテーブルを中心として木材で創られた家具が壁に沿って置かれていた。何処か暖かい雰囲気を感じるのもそのせいだろう。
テーブルに置いてある小皿にはチョコレートが散らばったクッキーが数枚載せられていた。そして、それぞれの目の前にはコーヒーカップが置かれそこには紅茶が入っていた。
「……いい香りですね」
崇人は紅茶を一口含み、女性に言った。
女性――エスティの母親である、リノーサはその言葉を聞いて小さく笑った。
「ごめんねー、あんまりお高いのがウチには無くって。なんでもソルトレイクストリートの人だとか。ごめんねえ、本当に」
「いや、大丈夫ですよ。お気になさらずに……。突然行った僕が悪いんですし」
崇人はそう言ってクッキーを手にとった。
リビングにはテレビの電源が点けっぱなしになっており、女性のニュースキャスターが原稿を丁寧に読んでいた。
『本日のニュースです。エイブル王国南部のティバモールにて自爆テロが発生し、近くにいた市民七人が死亡しました。昨日からティバモールに来ていたペイパス王国の王族ハリーニャ・エンクロイダー氏を狙ったものと見られています。エンクロイダー氏は若いながら、平和主義者として数々の場所で活動を行なっており、今回のテロはそれに対する反対派によるものと見られており――』
「まったく、物騒な世の中だよねえ。戦争やら紛争やら、何時になったら終わるんだか。平和を望む人が狙われて、戦争を望む人が守られる。どういう世の中なのかね」
リノーサはクッキーを頬張りながら、そう呟いた。ニュースの感想にも思えるが、それを聞いてエスティは肩を竦めた。
リノーサはエスティがリリーファー起動従士訓練学校に入ることを最初こそ認めていなかった。女性が活躍する職場でもない(最強の起動従士として知られているマーズ・リッペンバーもいるが、それは例外である)。それに戦場は危険を伴う場所だ。いつ死んでもおかしくはない。それに起動従士はリリーファーの核となる存在で、それそのものが“情報”となる。起動従士を他国から奪って洗脳させ、その国にあるリリーファーに乗せることで起動従士の不足を補うなんていうケースもあるくらいだ。
だからこそ、リノーサがエスティを心配することは至極当たり前のことであった。それを完全には理解できていないが、崇人もどことなく解っていた。
「……なんだか暗くなっちゃったね。ごめんねー。せっかく来てもらっちゃったのに、こんなので」
リノーサは小さく笑って、そう言った。崇人のことを察してのことだろう。
エスティもこの場を何とか操ろうと、話を始めた。
「そうそう、今日実習でタカトくんがなんかよく解らない何かを倒そうとしてやられちゃったんだよ!」
笑いながら言った。崇人はそれはお前もだろうと思いながらため息をついた。
「それはエスティだってそうじゃないか。まあ、結局マーズさんが来たから助かったんだけれど」
――あの性格が悪いあいつに“さん”付けするのも気が狂うけれどな、と本心を抑え込んで崇人はそう答えた。
「そうだけれどさー!」
エスティは本当のことを言われたのが嫌だったのか、顔を真っ赤にさせて崇人に両手で殴りかかった(“かかった”だけであって、実際に殴った訳ではない。エスティ自身にも殴る気など毛頭ないからである)。
そのやりとりを見て、リノーサは小さく微笑んだ。
「こんな平和がいつまでも続けばいいのにね――」
リノーサの呟いた言葉は、誰にも聞こえることはなかった。
「ああ、そろそろ帰らなくちゃ……」
話が盛り上がってきて、ふと崇人が柱時計を見ると時間はもう五時を回っていた。
「もう帰るの?」
「いやー、|保護者(おや)がすっごい煩くて……」
「それは仕方ないね……。送っていこうか。何処だい?」
「あ、いやいいです」
「そんなこと言わないで、さあ!」
リノーサはえらいハイテンションで崇人を圧倒した。
ちょうどその時だった。
ピンポーン、とチャイムが鳴った。
「はーい、どちら様ですかー」
バタバタと足音を立ててリノーサは玄関へと向かっていく。
気付けば、リビングにはエスティと崇人の二人が残された。
「……………………」
「……………………」
二人の会話は途切れて、お互いに何も声を発することはなかった。
エスティも、崇人も、この状況を打開したいとは思っていたが、それに対する策はこれしか浮かんでいなかった。
(とりあえずどっちか喋ってくれないかな……)
二人の沈黙は、リノーサが帰ってくるまで続いた。
リノーサは誰かを連れてきたようだった。
「悪い悪い。なんかお客さんが来たようで……。しかもすっごい人間だぞおい」
「申し訳ないねー、うちのタカトが」
「ぶぼっ!? なんで来ているんだよ!!」
リノーサが連れてきたのは他でもない、マーズだった。マーズは先程の襲撃の時のようににやりと笑みを零していた。それを見て崇人は飲んでいた紅茶を吹き出しそうになり、エスティは何がなんだか解らなくなっていて、崇人とマーズの顔を交互に見ていた。
「……う、うちの……タカト……って? どういうこと?」
「あー、もしかして説明とかしてないのか」
マーズが面倒臭そうに頭を掻いて、話を続けた。
「ちょっと諸事情があってな、今はこいつと一緒に暮らしている。出来ればでいいんだが……ちょっとこれはオフレコにしてもらってもいいかな?」
マーズの言葉にエスティは頷く。
マーズはそれを見て、大きく頷いた。
「うむ。それじゃ、帰るぞー」
そう言って崇人の襟首を掴み、強引に玄関まで引っ張っていった。
外に出て、待ち構えていたのは黒いリムジンだった。それも、とても長い。一人乗せるだけでこれだけの長さのリムジンが必要なのかと崇人が疑うほどだった。
「……これに乗ってきたのか?」
「そうよ、わるい?」
「いや……さっきのオフレコ云々を明確に守るなら、こんなくそ長いリムジン乗ってこないほうがよかったんじゃないかと思ってだな……」
「ああ……それもそうだったな」
どうやらマーズはそこまで深く考えていなかったらしく、頭を掻いた。
「時々あんたがほんとうに『女神』とか呼ばれているのに反吐が出るよ」
「そいつはどうも」
崇人とマーズはそれぞれそう言ってリムジンへと乗り込んだ。
マーズ家に帰るまでにそう時間は要さなかった。
「なんとか七時までには帰って来れたかな……」
「七時、」
崇人が時計を見ると、六時五十二分で、確かにまだ七時を回っていなかった。
「七時に何かこだわりでもあるのか?」
「……べ、別に」
崇人はマーズの違和感に特になにも思わなかった。そして、マーズが先に家へと入り、リビングへと向かった。マーズは何か急いでいるようだった。
「やあ、マーズちゃん、待っていたよっ!」
リビングに入ったマーズはその声を聞いてすぐ後戻りした。なぜならば、リビングにいたのはラグストリアル・リグレー――ヴァリス王国の国王だった。
「ま、マーズちゃん! 帰ってきてくれたんだね! 僕のためにっ!」
「うるさいうるさい離れろぉ!」
そうも言うが、王はマーズの腰にしがみついて離れようとしない。それを見て崇人は呆れ顔でため息をついた。
なんというか、ここにいる人間は変わり者だらけだと崇人は思った。
「マーズちゃん! ああ、いい香りだよぉ……。本当にいい香りだぁ……!」
「ほんとうに死んでくれませんかねえ……」
そう言ってマーズは膝蹴りを繰り返す。勿論その攻撃はすべて王に当たっているのだが、王自体は至極ご満悦の様子であるから、崇人も気付けば近くにいるボディーガードもそのままにしておいた。
「……閣下、今回の目的はそれではないのでは」
呆れたボディーガードが王に耳打ちした。それを聞いて、王は何かを思い出したようだった。
「ああ、そうだった! マーズちゃんに出会えるのを楽しみですっかり忘れていたよっ!」
「マジで代替わりしてくれない?」
マーズがため息をつくと、王はようやくマーズから離れた。そのときは勿論重力の効果を受けるため、
「ぐへっ」
顔面から床に叩きつけられるしかないのであった。
しかし、そんなことをものともせずに王は立ち上がった。
「へへーん、マーズちゃんのためならこんなことは関係ないのだ! 例え溶岩をくぐり抜けようとも、君への愛は変わらないっ!」
「よーし、それじゃ溶岩風呂で二時間くらい浸かってきてくれないかな」
「死んでしまうぞ、いいのか……?」
さすがに心配になってしまったので、崇人はマーズに言った。
「いいのよ。真性のドMで変態だから」
「そういう問題かっ!?」
崇人とマーズの会話を他所に、王はもう一度ソファーに座り直した。
「さてと……本題に入るとするか」
もうそこにいたのは、さきほどまでの変態ではなかった。
ヴァリス王国の主――ひいては、ヴァリエイブル帝国の主であった。
「実は、最近戦争が多くなってきている。それは君も知っているね?」
そう言って崇人の方を見る。崇人はそれに従うように小さく頷いた。
「ヴァリエイブルは見てのとおり、隣国との戦争で常にリリーファーを戦わせている。不意打ちとかがないだけマシではあるが、現在戦力が圧倒的に乏しい状況にあるのは変わりない」
王は一旦話を区切った。
「……私が言いたいことはこれだけだ。タカト・オーノ、君は学生生活を満喫しているようだが……何かあったら≪インフィニティ≫を操作し戦場へと出向いてもらうということを忘れないでもらいたい」
「閣下、お言葉ですがタカト起動従士はまだリリーファーに関する知識をまだ充分に備えておらず、また仮にリリーファーが停止したあとの『マニュアル』も身に付けておりません」
王の言葉に、マーズは苦言を呈した。
それに、王は笑って返す。
「マーズちゃ……いや、マーズ起動従士。それはそういう問題で片付けられるものか? ≪インフィニティ≫は音声で操作できると聞いた。ならばそれによって直感的に操作することも可能ではないだろうか?」
「それは……っ!」
王の言った言葉は、確かに正論だった。
しかし、崇人には実戦が少なすぎた。彼はまだ戦場を一回しか経験していないのだ。
経験不足は、時に失敗を招く。
逆に、そのような経験が少ない者こそ斬新なアイデアでその場を切り抜ける――そうとも言える。
この矛盾は、間違っているものではない。しかしながら、これをどちらも実行しようと思えばそれは失敗に終わる。
つまりこれはどちらかしか出来ないし、後者に至っては運次第ということになる。ならば、前者を選択するしか、今のマーズには考えられなかった。
「……考えておいてくれ。君も『起動従士』であるということを」
そう言って王は立ち上がり、ゆっくりと玄関へと向かっていく。
その間、崇人は何も言うことはできなかった。
◇
「――考えておいてくれ、君も起動従士であるということを」
その頃、どこかの部屋。
ある一室では机の上に幾つかの機械が置かれていた。そして、その機械からはマーズの家で行われていた会話が聞こえていた。
その言葉を聞いて、そこに居た人間は機械のスイッチをオフにした。
人間は、呟く。
「ふーん、そんな秘密を持っていたのか」
その人間は――
「こりゃ、面白いことになって来ちゃったね……」
――ケイス・アキュラだった。
そして、ケイスは何かを考え出したのか、ニヤリと笑った。
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