第8話

『――静かにしろッ!!』


 天井にあるスピーカーから聞こえた声は、男の野太い声だった。その声を聞いて慌てていた人々の間には強制的に沈黙が流れた。エスティは怯えた顔で崇人の腕にしがみついていた。


「……なんだってんだこれは……?」


 崇人は小さく呟く。そして、スピーカーから再び声が聞こえる。


『我々は「赤い翼」。名前だけは聞いたことがあるだろう。ティパモールを悪しきヴァリエイブル帝国から解放するために活動している……といえば、君たちも何処かで聞いたことがあるのではないのかな?』


 それを聞くと、人々がざわつき始めた。

 赤い翼とは、ティパモールを拠点として、ヴァリエイブルからの独立を目指すテロ組織のことだ。この前のハリーニャ・エンクロイダーを狙ったテロも彼らによるものとされており、ヴァリエイブル帝国としては確実かつ素早く彼らの確保を目的としていた。

 スピーカーからの声は続く。


『我々はとってもいらついていてなぁ……一先ず一階のホールに集まっていただこうか。話はそれからだ』


 その声を聞いて、一人、また一人と出口とは反対側の方向へと歩いていく。


「……タカトくん、どうしよう?」


 崇人は考えた。このままみすみす捕まるべきなのだろうか? 逃げて、助けを待った方がいいのだろうか――と。

 しかし、今はたくさんの人もいるし、リリーファーを操縦出来るような状態でもない。

 せめて、マーズが居れば――!

 と、崇人はポケットにある携帯端末を思い出し、取り出す。

 そして、マーズに短いメールを送り付ける。


「……タカトくん?」

「いま、マーズにメールを送った。とりあえず、直ぐに助けに来てくれるだろう。俺達は……一先ず、捕まっておくほうが得策かもしれない」


 そう言って、歩きだしたが――エスティはその場に留まっていた。


「エスティ?」


 エスティは肩を震わせていた。

 そして、顔を上げて、崇人の方を見た。


「……タカトくんはそれでいいの? みすみす捕まってたら、面白くないじゃない。なのに?」

「エスティ、君は命が惜しくないってのか?」

「惜しかったら、起動従士になろうなんて思わないよ」


 エスティはそう笑ってこたえた。その笑顔はとても輝いていた。

 崇人は――エスティを助けるために、エスティのためにあえて捕まろうと思っていた。

 しかし、崇人が考える以上に、エスティ・パロングという女性は、強く、おおらかであった。

 そして、崇人は思い知った。『エスティのため』に逃げるのではなく、『自分のため』に逃げていた。

 解っていたのかもしれない。けれどそれは、解ろうとは思わなかった。

 自分は、なんて脆く、酷い存在なのか、と崇人は自らに問いかける。

 崇人は自分自身に失望し、絶望した。


「――でも、そう思っている暇はあるのか?」


 崇人は再び、自らに問いかける。

 答えは――もう出ていた。

 崇人はエスティの手を取り、出口のそばにある脇道へと入ろうとした――。


「あ、あの」


 ちょうどその時だった。崇人に声をかける少女が、その脇道の入口にいたのだった。


「どうしました? もしかして、誰かとはぐれたとか?」


 崇人の問いに少女は頷く。


「それじゃ、一緒に行こう。ここに居ても、仕方ない」


 崇人はそう言って手を出す。


「あなたたちは……誰なの?」

「俺はタカト・オーノ。そして、そっちはエスティ・パロング。起動従士の勉強をしている。これでも少しは体力もあるほうだ。どうだ? 一緒に行くか?」


 崇人による簡単な自己紹介を聞いて、少女は頷いた。

 そして、少女は崇人の手を取った。


「……行くか」


 その言葉を、自らを奮い立たせるように呟き、崇人たちは脇道へと入っていった。

 その頃、マーズは崇人から受け取ったメールを見て愕然としていた。

 突然の『赤い翼』によるテロ行為。それはまったくもって予想ができない場所でのことだった。

 まさか、突然彼らが中心部にほど近いセントラルタワーでテロ行為に働くなど、思いもしなかった。

 なぜなら、彼らは国内で指名手配されており、検問を通ってしまうと捕まるからだ。検問を通らないという選択肢は通用せず、つまりはここまで辿り着くことができないはずだった。断じてそんなことなど有り得ないはずなのだ。

 しかしながら、現に彼らはそこに居るという。なぜだ。なぜなのだ。マーズは考える。嘘なのか。否、とても崇人が嘘をつくとは考えられなかった。

 だからこそ、彼女は今リリーファーのコックピットにいた。

 彼女の愛機――『アレス』とはもう長い仲だ。彼女が初めて乗った国有リリーファーもこれであるし、それ以降彼女はずっとアレスに乗っていた。


「……信じる、べきだよな?」


 マーズは誰ともわからないものに問いかける。勿論、返事などない。

 だけれど、マーズには聞こえた気がした。誰かからの返事が。


「……行こう」


 そして、マーズは握っていたコントローラを思い切り前へ突き出した。



 ◇◇◇



 その頃崇人は脇道を抜け、二階へとたどり着いていた。二階はフードコートとなっており、たくさんの食べ物屋が軒を連ねていた。今は殆ど人もおらず、とても静かだった。


「どうやら誰もいないみたいだな……」


 崇人は呟いて、大通りに抜ける。

 当てもなく走る。走る。


「タカトくん、一先ずどこへ……?」

「何処に行くかな。隠れやすい場所があればいいんだけど……」


 走って、漸く非常階段の扉を見つけ、そこに入る。

 三人はようやく安堵の溜息をついた。


「……ここならなんとかなるかな……」

「でも、非常階段って危なくないかなぁ? もしここを利用していたら……」

「いや、それはないかな」


 崇人はエスティの問いに答える。


「あくまでも勘でしかないけれど、テロリストってのは結構目立ちたがりというか、全てを探しておきたいものだけれど結局は大まかに見るに留まってしまうケースばかりなんだよ。だから、それは有り得ない」

「ふーん」


 エスティは崇人の言葉を、あまりよく理解できなかったが、おざなりにして頷いた。

 崇人は今現在の状況で、このままいれるのか不安でしかならなかった。

 エスティにはそうと言ったが、本当に来ないという確証は勿論のこと無い。

 だけれど、正直にそう言うのは間違いだ。

 今、一番困ることはエスティが希望を失うことでもある。勿論彼女も最悪のパターンを考えているだろうが、それは『あくまでも』である。あくまでもなのだから、それを考慮しているとは考えにくい。つまりは、そうではなくて、エスティの覚悟は本物でない可能性もあるということを崇人は考えてもいた。

 と、なると。

 エスティがそのようなことを考えないように、崇人がアシストする必要があるということだ。


「……ねえ、タカトくん。顔色が悪いよ?」


 エスティに言われ、崇人は我に返る。


「あ、いや、なんでもないよ」

「そう?」


 エスティを心配させてはならない。

 そのためには話の話題を逸らさねば――。


「……そういえば」


 崇人は先程会った少女に声をかけた。少女はエスティの隣(つまり、崇人より一番離れた位置にいる)にいて、崇人に声をかけられて、肩を震わせた。


「名前はなんていうの?」


 代わって、エスティが訊ねる。やはりこういうのは同性がいいというものだ――崇人はそれを思い知らされた。


「……レイリック・ペイサー」


 少女――レイリックは小さく呟いた。エスティはうんうんと頷く。


「お父さんとはぐれたの」


 ぽつり、またぽつりとレイリックは言葉を紡いでいく。

 レイリックが言うには、父親と遊びにきていたところにこれがあったらしい。父親は彼女を置いて何処かへ行ってしまったのだとか。


「……いくらこんな非常事態だからってひどいよね」


 エスティは顔を膨らませて言った。


「でもさ、大丈夫だよ。お父さんと必ず、再会させてあげるからね」

 エスティはそう笑って言った。それにつられて、レイリックも笑顔で頷いた。

 ――崇人はそんな二人のやりとりを聴きながら、これからどうするか考えていた。

 まず、ここは危険である。しかしながら、動かないほうがいい。そんな矛盾を孕んでいる今現在であるが、どうするか彼は決断できずにいた。矛盾を孕んでいるからこそ、危険な状況である。

 ならば、どうすればよいか。

 答えは、ただひとつ。


「……移動するぞ。地下に確か配電設備があるはずだ。特にこういったおおきな施設では、な」


 それは崇人にとって大きな賭けだった。


「…………」


 エスティとレイリックは何も言わず、ただ立ち上がった。

 崇人も立ち上がり、三人は非常階段を降りていった。


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