#02【拡散希望】灰姫レラ、ちょっとだけキャラ変えてみた (2)

 河本くんの提案で、近くのファミレスに移動することになった。

 部活で残っている生徒の目にこれ以上晒されるのは嫌なので、桐子も大賛成だった。

 Vチューバー『灰姫レラ』として100回も配信をしていて何を今さらと思うかもしれないけれど、『香辻桐子』のままで目立ちたいなんて小指の先ほども思わない。

(クソザコダンゴムシは石の下から出てきてはいけないのです)

 二人は学校を後にし、大通り通りまで出る。

 横に並ぶのもおこがましいかと、桐子はヒロトの後についていくことにした。

(なにか話した方がいいのでしょうか?)

 そう思いつつも、どうやって声をかけたらいいのか分からない。

 黙ったまま歩いていると変に河本くんの事を意識してしまう。

 勢いに任せて言ったあんなことや、衝動のままに手を握ったりしたのが今更恥ずかしくなってくる。

(ああ、なんて迂闊な私! イカれたサイコ女だと思われてしまったに違いありません……心の中をぶちまけたのだって迷惑でしかないですよね……それでも人の良い河本くんは断れなくて……)

 無言が続けば続くほどネガティブな思考ばかりが高速回転していく。

(今からでも謝ったほうが……ああ、でも謝ることが山盛りで正解が絞り込めません! せ、せめて涙と鼻水で汚れた手で制服を掴んだことは謝らないと)

 そう決心して話しかけようとしたら、今度は河本くんが立ち止まってしまう。注意力散漫だった桐子の足は止まらず、彼の背中に頭からぶつかっていく。

「きゃぁ!」

 バランスを崩して道路に倒れていく桐子。

「あっ!」

 とっさに伸びた河本くんの腕が桐子の身体を支えた。

 危うく赤信号の横断歩道に飛び出し、ミンチになっているところだった。

「ごめん、香辻さん!」

 自分がやらかしたと勘違いした河本くんが平に謝る。

「だ、大丈夫です! 私はとても健康です!」

 テンパった桐子は意味不明な日本語訳みたいな返事をしてしまう。

(先に謝られてしまいました! あ、でも謝る順番は関係ないから……せ、誠意ですよね。ちゃんと謝らないと、えっと、なんと言えばいいのか……できるだけ丁寧に……先程は取り乱して、汚い手で触れてしまい、どうかご容赦願います……ダメです、硬すぎます! 慇懃無礼でむしろ馬鹿にしてるみたいになっちゃってませんか?!)

「ここでいいかな?」

 桐子が自問自答の堂々巡りを繰り広げているうちに、ファミレスに到着してしまう。

「あ、はい!」

 とっさに答えてから店名を確認する始末だった。

(ああ、タイミングが……)

 後悔に肩を落としながら、階段を上がって、店のドアをくぐる。

 店内は親子連れや同じ高校の生徒で賑わっていたけれど、運良くすぐにテーブル席に通してもらえた。

「ご注文はお決まりですか?」

「ドリンクバーを二人分。香辻さんは何か食べる?」

「あ、大丈夫です!」

「じゃあとりあえず以上で」

 ヒロトが手慣れた様子で注文を終えると、店員さんは丁寧にドリンクバーの説明をして下がっていった。

 それからバーカウンターに行って、桐子はオレンジジュースを、河本くんはコーヒーを持ってくる。

 話しかけるタイミングを伺いつつ、二人揃っておしぼりのビニールを破いた。

(はっ! 今です!)

 河本くんがおしぼりで手を拭き始めたのを見て、桐子はようやく声を出す。

「さっきはすみませんでした?」

「へっ? なにが?」

「えっと、汚れた手でそこ、えっと、河本くんの制服を触ってしまったので……」

「涙ぐらい、別に汚くないよ」

 勇気を出した桐子に比べて、河本くんの反応はあっさりしたものだった。

 たぶんこれが『普通』の反応なのだろう。普通の……。

「ありがとうございます……」

 桐子は自然と感謝の言葉を口にする。でも、その言葉の真意を知らない河本くんは少し困惑しているようだった。

「えっと……それじゃあ、『灰姫レラ』プロデュース会議を始めようか」

「そ、そうですね!」

 河本くんが気を使って話題を変えてくれたので、桐子も助かったと安堵に胸を撫で下ろす。

「最初に核心から話すよ」

「は、はい!」

 ピンと背筋を伸ばした桐子は、太ももに手を置いて顎を引く。

「灰姫レラの『キャラ』を変えよう」

「3Dモデルを新しく作るんですね。確かに今のはあんまり可愛いくないですから……」

 もちろん愛着はあるけれど、どんなに控えめに言っても灰姫レラの容姿は微妙だ。

 桐子は納得して頷くけれど、河本くんはそうじゃないと首を振る。

「変えるのは中身の話」

「わ、私、クビなんですか?!」

 思わず前のめりになってしまう桐子だった。プロデュースを任せると言ったけれど、まさかいきなり戦力外通告を受けるとは思っていなかった。

「うぅ、でも、それで灰姫レラに人気が出るなら……」

「それも早とちりだよ、香辻さん」

 呆れ気味に言いいながら河本くんはアイスコーヒーに、ポーションのミルクとシロップをダバダバと投入していく。意外にも甘党のようだ。

「灰姫レラの設定は陽キャのクラスの人気者だよね?」

「はい、それとお嬢様です」

「そこを素の香辻さんに近づけよう」

「ぶふっ! ぶはっ! げほっ! げほっ!」

 青天の霹靂としか言いようのない提案に、桐子は飲んでいたオレンジジュースを盛大に吹き出してしまう。

「む、無理です! 無謀です! ダンスパーティーに体操着で出かけるようなものです! あまりの寒さに、全員凍死しちゃいます!」

 テーブルに飛び散ったオレンジジュースをおしぼりで拭きながら、桐子は必死で自分の可能性を否定する。

「灰姫レラの配信動画100本、全てを観た僕が断言するけど、香辻さんは演技するタイプのVチューバーが合ってない」

「で、でもそういうVチューバーさんもいますから……」

「確かにキャラ設定と中身のギャップはネタになる。アイドル志望なのにガチゲーマーでプレイ中の発言が猟奇的とか、見た目や活動が完全にサイコなのに発言に叡智を感じるとかね」

 河本くんの言葉に桐子も知っている有名Vチューバーが何人も浮かんだ。

「香辻さんと灰姫レラの場合は違う。無理してるのが伝わってきて、ネタにもならない痛々しさがある。『笑顔になりに来た人に、笑えない辛さを見せちゃダメ』だ」

「……」

 厳しい言葉だけれど、河本くんの言っている通りだ。

「それに、香辻さんが自分自身を出してないのが、Vチューバーとして壁にぶつかってる理由の一つだと僕は思うんだ」

「自分自身なんて……そんなこと言われても……ダメですよ……」

 漏れた言葉はジューサーで絞られたグレープフルーツみたいに、酸っぱく苦みばしっていた。

「何でダメなのかな?」

「私だからです! こんなクソザコが素のままで、誰かを楽しませられるわけないんです! ただ気持ち悪いだけで、皆に嫌われちゃうんです……」

 刻みつけられた呪いの言葉と染み付いた恐怖に桐子の声は震えていた。

「大丈夫だよ」

 河本くんは心配ない、些細なことだとでも言いたげに優しく微笑む。

「自分では気づいてないみたいだけど、香辻さんって相当おもしろいよ」

「おもしろい? 私が?」

 変なことを言い出す河本くんに、桐子のほうが眉をひそめる。

 『つまらない』の言い間違いじゃないかと思ったけれど、河本くんはそのまま会話を続ける。

「おもしろいってのは、もちろん変な意味じゃないよ。少なくとも僕はもっと香辻さんのこと知りたいって思ってる」

「励ましてくれてありがとうございます、でも」

 言いかけた桐子の言葉を河本くんは、まだ話は終わってないと手で制する。

「根は真面目でネガティブ思考なのに、陽キャを偽ってVチューバーやって、仕事でも無ければ、ランキングも下位で、決して人気があるわけでもないのに、100本も動画をあげてる! そんな情熱を持ってる人間を面白いって思わないほうが無理だ! 意地なのか狂気なのか、僕は香辻さんの根源が知りたくてしょうがないよ!」

 目を輝かせ興奮気味の河本くんは、まるでTV番組の正義のヒーローを応援する少年のようだ。

 嘘偽りでそんな目を出来る人間がいるだろうか。

「自信なくて……怖いんです……」

「僕にプロデュースを任せるんでしょ? だったら、信じてみてよ」

「……信じる。河本くんを……?」

「僕は『香辻さんと灰姫レラ』の可能性を信じた。だから、協力しようと思った」

 河本くんの瞳はぶれない。まるで信念が結晶化したかのように真っ直ぐな光を放っている。彼には進むべき未来が見えているのかもしれないと桐子には思えた。

「分かりました……自分は信じられないけど……河本くんを信じることにします」

「うん、まずはそこから始めよう!」

 初めて縄跳びを一回飛べた子供を褒めるように、河本くん自身が嬉しそうに言う。

 その言い方が面白くて、桐子の頬も自然に緩んでいた。

「でも、キャラを変えるなんて上手くいくんでしょうか? ただでさえ少ない視聴者に受け入れてもらえるかどうか……」

「心配要らないよ。これだけ大勢のVチューバーが毎日、愉快な配信したり楽しい動画をアップしてる中で、灰姫レラの配信を観てるような変わり者だからね。間違いなく嗅覚が鋭いよ。僕みたいにね」

「あはっ、そうかもしれませんね」

 冗談めかして言う河本くんがおかしくて、桐子は胸の奥で燻っている恐怖を忘れ笑ってしまう。

「それにね、とっておきの『秘策』があるんだ」

 河本くんは戯けた様子はそのままに、チェシャ猫みたいに人を食った笑みを浮かべた。

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