#01【自己紹介】はじめまして、灰姫レラです! (3)

(そろそろ時間だ)

 デスクトップの時計が20時50分を表示している。

 昨日とは違いヒロトは夕食をコンビニ弁当ですでに済ませ、手元で作業もしていない。

 香辻さんの覚悟に向き合うには、自分もそれ相応の姿勢でなければならない。

 椅子の緩んでいた背もたれを正し、モニタの周りも片付けてある。ここが和室だったなら正座してその時を待っていただろう。

(なんだか緊張してきたな)

 すでに二度もトイレに立っているのに、腰のあたりがふわふわして、何度も座る位置を直してしまう。

(香辻さん、ずいぶんと意気込んでたけど、一体なにをするつもりなんだろう?)

 SNSの告知では100回記念と銘打たれていたけれど、具体的なことは何も書かれていなかった。

(何にせよ、上手くいくと良いけど……)

 不安は拭えないどころか、開始時間が近づくに連れ大きくなってくる。

(始まる……!)

 時計が21時になると、すぐにサムネイル画像から配信画面に切り替わる。珍しく時間ピッタリの開始に、コメント欄も動揺していた。

『ボンジュ~ル! 灰姫レラです! 記念すべき100回目の舞踏会、はっじまるよーー!』

 今日の灰姫レラは誰かと張り合うようにのっけからテンションが高かった。

 普段は完全に忘れている舞踏会(=配信)という設定を持ち出すあたり、特別感は伝わってくる。

『実はですね、ワタシの凄さが全然ちっとも分からないって、お便りをもらいました』

 灰姫レラは声のトーンを落とすと、渋い顔のモーションを見せる。

(お便りって、放課後の僕とのやり取りだよね。結構、根に持ってるんだ……)

 香辻さん(灰姫レラ)の受け取り方がネガティブなだけで、ヒロトの意図とは違う。釈然としないものがあった。

『そういうわけで今日はとことんワタシの凄いとこ、長所を見せちゃう灰姫レラ祭りだよ!』

 無反応のコメント欄を無理やりにでも盛り上げようと、灰姫レラはパチパチと手を叩いて大げさなSEを鳴らす。

『まずはお歌だよ! ワタシの美声でテンションアゲアゲにしちゃうんだから!』

 先走った灰姫レラは左右に揺れて身体でリズムを取るが、いつまで経っても肝心の曲が流れ始めない。

『あれ? 音が……でない? おかしいな、OBSの設定かな? ちょ、ちょっと待っててね! すぐに直すから!』

 いきなりのトラブルに焦った灰姫レラは、虚空に手を伸ばしてジタバタと画面の中で荒ぶる。慌ててモーションを切らずにPCの設定を弄っているようだ。

『あ、ここのバーを上げればいいのか』

 やっと分かったと笑顔になった灰姫レラが設定を変え――。

 突然の爆音が鳴り響く。

「ぎゃあっ!」

 ヒロトは慌てて耳を押さえるが被害はそれだけではすまない。

『ひきゃぁあああああああっ!』

 驚いて変顔の灰姫レラの絶叫まで加わり、テーブルの上のコップがビリビリと震える。スピーカーが壊れそうなほどの破壊力だ。

〈うるせぇな(怒〉

〈耳が壊れる!〉

〈音さげてぇえええ〉

 コメント欄も阿鼻叫喚で、視聴数も31人から29人に減ってしまう。

『ああ、いかないでー! いま直すからぁぁあ!』

 半ばパニックになっている灰姫レラは別の設定を触りまくっているようだ。

 爆音はすぐに収まったが、今度はマイク音が切れてしまっていた。

『…………、…………』

 本人は音が出ていないことに気づかず、パクパクとなにか喋っている。

 さらには満足げに笑って身体を左右に揺らし始める。

『♪   ♪   ♪』

 ついには歌いだしてしまった。

〈声が出てない!〉

〈聞こえないよ!〉

〈気づいてー〉

 コメント欄の悲痛な叫びは届かず、灰姫レラは気持ちよさそうに歌っている。

 さすがにもう静観はできないと、ヒロトもキーボードを叩いてコメントに加わる。

〈なんにも聞こえない!〉

〈音でてないから!〉

〈コメント見て!〉

〈音音音音音音〉

 たっぷり1分以上。

 ようやく曲が間奏部分になった所で灰姫レラが気づく。

 恍惚とした笑みから一転、しょぼんとした表情に切り替わる。

 慌てて設定を弄ると、ようやくマイク音が戻ってきた。

『ごめんなさい! お、音でてないって全然気づかなかった…………』

 喉を詰まらせてしまった苦しそうな声だ。中の人(香辻さん)がカメラの前で、真っ青になっている姿が透けて見えるようだ。

『あーー、あーー……き、聞こえてる?』

 自信なさそうに尋ねる灰姫レラに、ヒロトは即座に〈聞こえてる〉とコメントを打った。

『よかった……、よ、よし……ちょっと失敗しちゃったけどもう一度、最初から歌います!』

 なんとか落ち着きを取り戻した灰姫レラは自分を勇気づけるように言って、同じ曲をかける。

 今度は曲も適度な音量で、マイクもきちんと入ったままだ。

『ワタシが大好きなアオハルココロちゃんの曲で、【BLOOM HARTS】』

 集中力を高めた灰姫レラが大きく息を吸う。

 曲は血が滾るような激しいイントロが終わり歌詞に――。

 歌声の代わりに、ゴトンという何かが倒れる音がした。

『ニャー』

 聞こえてきたのは猫の鳴き声だった。

『やめて、ノラちゃーーん! マイク高いんだから!』

 ずいぶんと遠くから聞こえる灰姫レラの声。どうやらマイクを飼い猫に倒されたようだ。

『ワンワン』

 興奮した犬が吠えたかと思ったら、今度はボコンボコンとマイクが何かにぶつかる音がひたすら続いた。

『テンちゃん、マイク返してぇえええええ!』

『ハッハッハッ♪』

 遠いままの灰姫レラの声とドタバタ足音、そして楽しげな犬の息遣い。マイクを咥えた犬と楽しいおいかけっこをしているようだ。

『ノラちゃん、そこダメ! 下にテンちゃんとマイクが! あっ! あっ! コップの水のんじゃダメ! いやぁあああ、コップの水こぼれちゃ』

 ぶつんとマイク音声が途切れ、曲の演奏だけが流れ続けた。

 視聴者の誰も掛ける言葉が見つからず、コメント欄も沈黙を続けた。

 曲も終わってしまい気まずい無音が続く。


 5分が経ち……、10分が経った。


 視聴者が25人まで減った所でようやく音声が戻ってきた。

『うぅ……ま、マイク壊れちゃって、古いのに交換してました……』

 灰姫レラのキャラクターがブレてしまうほど、テンションの低い声だ。

『すみません、このマイクで歌うと音が割れちゃうから、歌はまた今度にします……』

 釈明の通り聞こえてくる音声はガサガサで薄い膜でも通しているように耳障りが悪い。安価なヘッドセットマイクを急遽使っているのだろう。

『き、気を取り直して! ゲームです! 楽しいゲーム配信をしちゃうよ! 準備するからちょっとだけ待っててね!』

 それでも灰姫レラは諦めなかった。死体に目を覚ませとビンタでもするように、自分の頬をパシンと叩いて活を入れる。

 そうして、起動したのはいつものMMORPGだった。

『ファンタジー・ランドをプレイするよ! いつもと同じ? ノンノン、今日は最高難易度のクエスト【世界樹を焼き尽くす巨鳥ヴィゾフニル討伐】に挑んじゃうよっ!』

〈遂にチャレンジか!〉〈野良パじゃキツイよー〉

 このゲームを期待していた視聴者が次々にコメントを送っている。ゲームをプレイしたことがないヒロトにも、盛り上がりを予感さる反応だ。

(頑張れ、灰姫レラ……!)

 運動会で転んでしまった子供を応援する親の気持ちになっていた。

『手伝ってくれる人がいたら、是非クエストに参加してね!』

 ゲーム画面内でログインが完了すると、キャラクターが町中に立っていた。

『あれぇ?』

 灰姫レラが首をかしげる。

 ゲームの操作キャラがパンツ一枚の姿だったからだ。

『前回無理やりゲーム終わらせちゃったから、装備が外れちゃったのかな……』

 そう言いながらインベントリを確認するが、装備どころかアイテムの一つも入ってない。

 よく見ると所持金も0になっている。

『どういうこと? メンテで装備が倉庫に送られちゃったとか……』

 倉庫に移動して中を確認するが――。

『う、うそ……なんで……』

 冗談のようにポーションが一つだけしか保管されていなかった。

『なんでなんでなんで! 私の、れ、レーヴァテイン……どこ……ぜ、全部……なくなっちゃって…………なんで……』

 灰姫レラは呆然とした様子でぶつぶつと『なんで』を繰り返す。

 以前の配信で、このゲームには少なくない額を課金し、結構なプレイ時間を費やしていると本人が言っていた。ショックを受けるのは当然だろう。

〈あー、これは盗まれちゃったね〉

〈不正アクセスに注意って公式に出てたよ〉

『うくっ……ぅっ……』

 追い打ちをかけるような配信のコメントに灰姫レラは目を押さえて、鼻をズズズッとすする。

 灰姫レラは以前から配信でIDとパスワードが見えるログイン画面を映してしまっていた。もちろんパスワード部分は伏せ字だったけれど、連続する英数字や普段の言動から推測できるものを使用していたのだろう。

『ど、どうして……わだしばっかり……うぅ……えぐっ……』

 鼻声に何かを飲み込む音が聞こえる。泣き出しそうなのを灰姫レラはギリギリのところで耐えているようだ。

『今日は……うぐ、ざ、雑談……配信にします』

『ワンワンワン』

 飼い犬の鳴き声が灰姫レラの声にかぶさる。飼い主が泣いているので心配したのだろう。しかし、今は完全に逆効果だ。

〈犬だ〉

〈ワンコみせてー〉

〈めっちゃ吠えてるけど、だれか来た?〉

 ぐだぐだ配信にしびれを切らし、コメント欄が暴走を始めてしまう。

『うぐ、ノラとテンテイは、しゃ、写真、SNSで……』

〈ニャンコだそうよ〉

〈ノラちゃんだっけ?〉

〈猫より犬派かな〉

〈ハムスター飼ってるよ〉

〈うちもハムいるよ ジャンガリアン〉

『ペットの話は、ま、またに……』

 勝手に話を始めてしまう視聴者の興味を、灰姫レラは必死に配信に戻そうとするが、脱線した暴走列車は止まらない

『そうだ、今日学校で』

〈雑談面白くないから、別にいいよ〉

『えっ……あっ……』

〈それより猫と犬みせてよ〉

〈種類なに?〉

〈何歳ぐらい?〉

 無情に流れていくコメント欄に灰姫レラの動きが完全に止まってしまう。

『わ、わだしだってぇ……頑張ってるんだからぁあああああああ!』

 完全にぷっつんと切れてしまった灰姫レラの絶叫が、コルクを抜いたシャンパンのように吹き出した。

『がんばでもっぉお! ぜんぜんでぎないぃのぉ……えっぐぅ、わぁあああ! おはなじもうまぐいがないしぃい! うたも、げーむも、だめなのぉっ、うえっ……ぶぁええぇえええ! もうやらぁ、げほっげほっ、なんで、わだしは、うぇっ、こんなにぃ、だめなのぉおおおおおお!』

 溜まっていた全てを吐き出した灰姫レラは3Dの腕を力いっぱい振り下ろす。

 鈍い音がした直後に、画面は暗くなり配信は途切れてしまった。

(大丈夫かな、香辻さん……)

 ヒロトはマウス乗せていた手を下ろし、大きく息を吸った。



 翌日、香辻さんは学校を休まなかった。

 普段から静かな香辻さんだけれど、今日は一段と影を潜めていた。

 泣き腫らした跡が取れず、目は充血していて、生気がない。

 夜川さんたちが騒いでいてもトークメモを取ったりせず、人形のような無表情で机に広げた何も書かれていないノートを見つめていた。

 そんな様子だから、空気を読まないヒロトでも話しかけるのは躊躇われた。

(完全に心が折れてしまったのかな……嫌になったものを無理に続ける必要はないけど……でも……)

 自分の過去を振り返ってヒロトは納得しようとするけれど。

(もったいない……ここからなら……いや、ここからだからこそ……)

 ヒロトの方も渦巻く感情を持て余していた。


 まったく集中できないまま一日の授業が終わった。

 荷物をリュックに詰めて帰ろうとすると、目の前に香辻さんが立っていた。

「……」

 思いつめた表情で何か言いたそうにしている。

「話あるのかな?」

 香辻さんはこくりと頷く。

 声に出したら何かがこぼれてしまいそうなのか、唇を噛んだままだ。

「あそこでいい?」

 もう一度こくりと頷く香辻さん。

 ヒロトはリュックを背負って席を立つ。教室を出ると、その後を香辻さんがついてきた。

 二人は無言のまま廊下を歩く。

 金曜日の放課後ということもあり、束縛から一時の開放を得た生徒たちが足早に学校を去っていく。

 そんな緩んだ空気の中で、ヒロトと香辻さんの周りだけは時間の流れが違うかのように張り詰めていた。

 校舎の外れ、人影がなくなったところでヒロトは足を止め、振り返る。

 香辻さんが息を呑む。

「見たんですよね? 配信……」

 先手をとったのは意外にも香辻さんの方だった。

「うん、見させてもらった」

 ヒロトの答えを聞いた香辻さんは、諦めたように大きなため息をつく。

「うぅ……もう私は……灰姫レラはおしまいです……Vチューバーで……いられなくなっちゃいます」

 香辻さんの弱音の重さはヒロトには分からなかった。

 けれど、自分が彼女に伝えたい言葉はもう持っていた。

「そんなことないよ! 昨日の失敗はちょっとばかり大きかったけど、挽回できるって!」

「ダメなんです! あんな醜態を晒したら、もう引退しかないです!」

 香辻さんの小さな手が、責めるようにヒロトの制服の袖を掴む。

「でも、香辻さんはVチューバーを辞めたくないんでしょ?」

 ヒロトの言葉に香辻さんはキュッと唇を引き結ぶ。

 全て諦めて引退する人は、誰にも何も告げずに消えていく。

「心残りがあるなら……まだ夢を持っているなら、続けたほうがいい!」

「続けたって! 私みたいなクソザコは、誰にも見てもらえないし、Vチューバーをやってる意味なんて無いんです……」

「僕が見てるよ! 今までだって、これからだって! それだけでも意味がないかな?」

 問いかけるヒロトに、香辻さんは苦しそうに胸を押さえる。

「同情で見られるのはイヤなんです……心から楽しんでもらいたい……灰姫レラを見て、笑顔になってもらいたいんです! そんなこと、我儘だってわかってます! 私のエゴです! でも、そのために私はVチューバーをやっているんです!」

 香辻さんは泣いていた。

 ままならない自意識に、彼女の心は押し潰されそうになっているのだ。


「エゴでいいじゃないか……」


 香辻さんのように苦しむ人たちを、ヒロトは知っている。


 夜空の星のように輝く資質を持った人たちだ。


「何をしたいか、どうしたいか……それは宝物だよ。香辻さんを無敵にする宝物。絶対に手放しちゃダメだ」


 ヒロトは香辻さんのしがみつく手を取り、大事なものを落とさないように自らの掌を重ねた。

「でも、私にはもう分からないんです……、何をしたら良いか……ずっと失敗ばっかりで、もうなにも……」

 結果が出なくて彼女の思考は堂々巡りになっていたのだろう。

 どうにか励まさなければと、ヒロトは香辻さんを見つめる。

「きっと方法はある!」

「……なら、教えてください」

 顔を上げ、涙を振り払った香辻さんはヒロトを射抜くように見据える。


「キミが私を……『灰姫レラ』をプロディースしてよっ!」

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