#01【自己紹介】はじめまして、灰姫レラです! (2)

 翌日、ヒロトが登校すると香辻さんの姿は無かった。

(まさか休み? 昨日の配信のショックで……)

 完全に香辻さんの迂闊さが原因でヒロトに非はないのだけれど、自分が追い詰めてしまったようで少しだけ申し訳ない。

 クラスメイトたちが続々と席につき、チャイムが鳴る。HRがもうすぐ始まるというところで、ようやく香辻さんが教室に滑り込んできた。

(よかった、ただの遅刻か)

 罪悪感のもやもやが晴れると、今度は好奇心が首をもたげてくる。

(昨日のこと、それに灰姫レラのこと色々と聞きたいけど……)

 ちらりと右隣を見ると、香辻さんはサッと鞄の壁を作り顔を隠してしまう。

(やっぱりダメか。でも、そうあからさまに警戒するってことは、自分から灰姫レラだって名乗っているようなもんだけど……いいの?)

 迂闊さのケーキに軽率さのいちごでもトッピングしたような香辻さんの行動と態度に、むしろヒロトは興味がひかれた。

(正直、灰姫レラの配信より面白いぞ)

 香辻さんは数日前まで教室の隅に置いてある花瓶ほども興味がなかったクラスメイトだ。その彼女が今やヒロトの関心の中心にあった。

(面白いな……うん、すごく面白いじゃないか)

 ヒロトの中で、カチッと音が鳴る。

 この『スイッチ』がまさか学校で入るとは思っていなかった。

 腹の底から、閉じ込めていた貪欲さと渇きが顔を出す。

 そうなってしまうと自分を止められない。

(どんなものが見えるかな?)


 ヒロトの『観察』が始まった。

 香辻さんの授業態度、ペンの握り方、椅子を座り直す間隔、前髪をよける仕草、スマホのチェック頻度、他の生徒との関わり方、休み時間のすごし方、踵を擦るような歩き方――。

 香辻桐子がどういう人間なのか。本人が意識していないような行動からも情報を集めていく。

 隠れてチェックしているわけではないけれど、香辻さんはヒロトに観察されているとは気づいていないようだった。

 まず第一にヒロトが避けられていた。

 そして、香辻さんは寝不足なのかかなり集中力を欠いていた。授業中に居眠りしている場面もあった。

 ヒロトの方には気づいたことがあった。

 香辻さんは意外と他のクラスメイトのことを見ているのだ。

 授業中や休み時間、笑い声や大げさなリアクションがあると必ず香辻さんは話題の中心に意識を向けていた。いつも一人でいる香辻さんだけれど、クラスメイトに興味が無いわけではないようだ。

 特に夜川さんたち、クラスの中心的な女子グループの事をよく目で追って、その言葉に聞き耳を立てていた。

 最初のうちは寂しくて、友達が作りたいからの行動かと思っていたけれど、どうやら違うようだ。

 夜川さんたちの会話を聞き終わると、香辻さんは毎回スマホを取り出し弄っていた。指の動きから、長めの文章を入力しているのだと分かる。

(もしかして、メモをとってる?)

 それに気づいた時、1つの可能性が頭に浮かんだ。

(そうか、灰姫レラのトーク用のネタをメモっているのか!)

 学校内に友達がいない香辻さんが『明るくて面白いクラスの人気者』である灰姫レラを演じるために、夜川さんたちの言動を使っていたのだ。

(どおりで灰姫レラのトークを、僕はどこかで聞いたことがあるような話ばかりだと思うはずだ。実際にこのクラスで起きたことを、適当に脚色して灰姫レラは話してたんだ)

 基本的に学校生活に興味が無かったヒロトはクラスメイトの言動を流していたが、多少は記憶にこびり着いていたのだろう。

(エピソード自体はトーク力が足りなくて、たいして面白くなかったけど、その姿勢がいい……とても素晴らしいよ、香辻さん)

 ヒロトはさらに興味を惹かれている自分に驚いた。

 ただの水たまりだと思っていた場所が、実は尽きることのない魔法の泉なのかもしれない。

 そういう仄かな期待があった。


 午後の授業中、形だけは真面目に数学教師の説明を聞いていると、香辻さんに新しい動きがあった。

 小さく呼吸を整えると、ノートの端をそれとなく机の隅からはみ出して、こちらに見せてくる。


 【放課後、昨日の場所】


 昨日ヒロトが送ったメッセージをなぞるかのような方法と言葉だ。

 香辻さんは返事を待っているのか、落ち着かない様子でチラチラとこちらを窺っている。

 ヒロトは親指と人差し指で輪っかを作ってOKと伝える。それを見た香辻さんの表情が険しくなる。不安を通り越して、恐怖を感じているようにも見えた。

(ずっと観察してたのがバレて、怖がられたのかな?)

 苦情を言われるぐらいは想定内なので、何も恐れることはない。誰かに言いふらされたって、『友達もいない変な奴』であるヒロトにダメージはない。

 授業、そしてホームルームが終わると、香辻さんは逃げるように教室を出ていった。

 ヒロトは3分ほど時間を置いてから、校舎の外れに向かった。

 クラスメイトの女子に呼び出されるなんて、ラブコメならベタなシチュエーションだ。健全な男子なら緊張するのがスジだろうが、ヒロトには欠片もそれは無い。鼓動は速くなっているけれど、その昂奮は地下洞窟に挑む冒険家が感じるそれだった。


 人気のない空き教室の前では、鞄を手にした香辻さんが待っていた。

「……っ!」

 接近に気づいた香辻さんは、「本当に来た?!」とでも言いたげに驚いた表情で、鞄を握る手に力を込めた。

 歓迎されるとは毛ほども期待していなかったけれど、そんなに警戒するぐらいなら教室の方が良かったんじゃないかと思った。

「…………」

 香辻さんは何か言いたそうにモジモジしているけれど、大きめの呼吸音しかまだ発していない。

「僕を呼び出したのって?」

 それならとヒロトの方から話しかける。

「…………み、見たんですか?」

 香辻さんはヒロトの方を見ずに小さな声で尋ねてきた。殺人の犯行現場でも見られたかのような深刻な表情をしている。

「えっと……一応聞くけど、『灰姫レラ』の配信のことかな」

 今更感が強いけれど、ヒロトは聞き返す。

「やっぱり見たんですね!」

「まあ、チャンネル登録してるから」

「あ、それは、えっと、チャンネル登録ありがとうございます」

 もたもたと頭を下げる香辻さんだったが、途中で今の状況を思い出したのか、ハッとして顔を上げた。

「見たなら、なんで……なにも言ってこないんですか?」

 香辻さんは思いつめた様子でヒロトを見つめる。

「いや、なんでと言われても……」

 香辻さんがヒロトを避けていたから話しかけなかっただけだ。

「わ、私を脅すんですか! エッチなマンガみたいに!」

「そんなことしないって!」

 想像の斜め上を行く香辻さんの言葉にヒロトは必死に否定する。しかし、香辻さんの疑いの目は厳しいままだ。

「だってさっき、エッチなサインで返事しましたよね……」

 そういって恥ずかしそうに親指と人差指で輪っかを作る。

「違うって! ただのオッケーサインだから! 了解って意味で使ったの!」

「……本当ですか? 授業中も時々、私のこと見てましたよね? エッチなこと考えてたんじゃ……」

「見てたのは、香辻さんと話したかったから! 学校でVチューバーのことが話せたらいいなって思って」

「……本当に? ゆ、油断させて……し、下心とかないんですか! 河本くんは私のすっごい秘密を握ってるんですよ! 正体をバラされたくなかったら言うことを聞けって脅せるんですよ!」

 香辻さんは何を信じたらいいのか分からないのか、破れかぶれになってヒロトに詰め寄る。

「だ、誰かに言いふらしたりしないって! そもそも僕には友達が一人もいないから……」

 ヒロトは後ずさる。弱気の仮面をかなぐり捨てた香辻さんの迫力に圧倒されていた。

「そんなの私だって友達いないですから!」

 勢いに任せて香辻さんも吠えるけれど、その告白の意図は不明だ。

「よく考えて、香辻さん。僕たちがまともに喋ったの昨日が初めてだよね? 僕は香辻さんをよく知らないし、香辻さんも僕のことを知らないよね。脅すとかそういう以前の話じゃないかな」

「あれ? そうでしたっけ? もうずいぶんと色々と話してたつもりで……? あれ? もしかして、私の頭の中だけ……!? でも配信で? んん?」

 狼狽える香辻さんの頭の上にはてなマークがいくつも浮かんでいる。まるでこの世界が虚構だったとでも告げられたかのような混乱ぶりだ。

「僕が灰姫レラの配信を見てたって知ったから、香辻さんは僕と何度も話したことがあるように錯覚したんじゃない?」

「た、確かにそうです……昨日、配信から逃げ出した後に眠れなくてぐるぐる考えてて……どんなこと喋ったのか思い出してて……」

 香辻さんの耳がみるみるうちに赤くなる。その時の苦しさと恥ずかしさがフラッシュバックしたのだろう。

「それで何ヶ月も喋ってた気になったんだよ。まあ、実際に何度か配信中にコメントして、灰姫レラから返事をもらったこともあるけどね」

「はうぅっ……」

 もうダメだと鞄を抱えて香辻さんはへたり込んでしまうが、火のついたヒロトの喋りは止まらない。

「最近コメントしたのは、たしか93回の激辛焼きそば食レポ配信の時かな」

「あの配信のことは忘れて下さーい!」

 香辻さんは抗議するように自分の鞄をポコスカ叩く。

「激辛を食べてるのにノーリアクションって手法は確かにありだと思う。でも、それは汗がかける肉体や誰かのツッコミが存在して初めて成立するよね。灰姫レラみたいに、最初から最後まで一人で美味しく食べちゃったら、視聴者は完全に置いてきぼりかな」

「だって! 私、激辛って初体験だったんです! ちょっと辛いかなぐらいで、全然普通に美味しく食べられちゃって……」

「視聴者がツッコめるポイント。例えば途中で何度も水を飲むとか、呼吸が荒くなるとかあると盛り上がったかもね」

「うぅ、私、リアクションとか上手く出来なくて……他の動画でもとてもしょぼい感じに……」

 しょんぼりと肩を落とした香辻さんに、ヒロトは言いすぎてしまったと思いフォローを入れる。

「いや、でもさ、香辻さんは凄いよ。高校に行きながら、半年で99本も動画あげてるじゃん! 普通の人にはなかなかできないことだよ!」

 ヒロトは元気づけたつもりだけれど、香辻さんの表情はさらに曇ってしまう。

「全然すごくないです……99本も作ったのに、生配信の視聴数もチャンネル登録者数も全然増えないんです……アオハルココロちゃんみたいには上手くいかなくて……」

 今まで誰にも言えずに一人で悩んできたのだろう香辻さんのネガティブモードは止まらない。

「『灰姫レラ』は3Dモデルが可愛いわけでもないし、面白い話もできないし、プログラミングとかの技術があるわけでもないし、なんとかしなくちゃって色々やっても全然上手くいかなくて……」

 愚痴が極まったところで香辻さんはハッとして、ヒロトの腕を取る。

「なんで河本くんは、私の動画なんて見てるんですか? も、もしかして、え、エッチなの期待してるんですか?! 私みたいなクソザコVチューバーは、エッチな衣装に変えたり、エッチな声が出せないとダメなんですか?」

「そんなことない!」

 助けを求めるような香辻さんの目を見てヒロトは答える。

「灰姫レラには、いいところもあるから見てるんだ」

「……それって、どこですか?」

「一生懸命なところ!」

「そんなの当然です! 私だけじゃなくて、他のVチューバーさんたち、みんながみんな一生懸命にやってます!」

「諦めないところ!」

「それも一緒じゃないですか!」

 ヒロトは真剣に答えたけれど、香辻さんの心には届かなかったようだ。ジョークか、からかわれているように受け取られてしまったようだ。

(何か具体的なことを言わないと……)

「えっと……3Dモデルが軽いところ!」

「3Dモデルが下手くそってことですよね!」

「いや、そうじゃないんだけど……」

 何でもかんでもネガティブに受け取ってしまう香辻さんに、ヒロトも言葉が詰まってしまう。

「何も言えなくなるくらいダメなんですね……」

「ダメなんてことは――」

「だったら見てて下さい!」

 萎んでいた香辻さんが黒いオーラを身にまといヒロトを真っ向から見つめる。

「へっ? 見るって?」

 澱を全て吐き出したことで吹っ切れたのか、香辻さんは復讐に燃えるダークヒロインの如く、たわわな胸を張る。

「今日の放送で灰姫レラが凄いって、河本くんに心から思わせてみせます!」

「え、あ、うん?」

 急な方向転換にヒロトは振り落とされないようについていくのが精一杯だった。

「今日の19時から配信します! 第100回ですから今までとは一味違います! 絶対に観て下さいね!」

「は、はい!」

「いいですか、絶対ですよ!」

 気炎を上げて念を押した香辻さんは、こうしてはいられないと足早に去っていく。

(素晴らしい……)

 圧倒されたヒロトは背筋を正したまま動けず、ずんずんと歩いていく香辻さんを見送ることしかできなかった。

(なんて斜め上の行動力! Vチューバーとして半年の活動で、動画を99本も上げただけのことはある!)

 香辻さんの熱さにあてられたヒロトは、内側から溢れる笑みを我慢することができなかった。

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